ナイトプールパシャパシャ 後編

 プールサイドをぐるっと一周したが、奏美お姉ちゃんは見つからなかった。

 歩いている内に衣緒お姉ちゃんは一人でも歩けるようになったが、まだ俺と腕を組んでいたいらしく、まだ腕を掴まれたままだ。


 プールサイドにいないということは、プールに入っているのだろうか。そう思い、三人で並んでプールを眺めていると。


「あ! 奏美お姉ちゃんみっけ!」


 鈴乃お姉ちゃんが、プールのど真ん中辺りを指さした。

 指先を辿っていくと、そこには十人程の若い女性が固まりながら、ワイワイと自撮りを楽しんでいるところだった。

 俺と衣緒お姉ちゃんはそれを確認してから、同時に目を凝らしてよく見てみる。すると十人程の若い女性に囲まれる、奏美お姉ちゃんの姿が見つかった。


「あ、俺も奏美お姉ちゃん見つけた」


「私も見つけた」


 三人とも奏美お姉ちゃんを見つけられたようだ。

 でもあれは一体なにをしているのだろうか。若い女性に囲まれている奏美お姉ちゃんは笑顔のまま、みんなと写真を撮ったり握手をしたりしている──これはまさか……。


「「「ファン」」」


 三人の声が重なった。俺たち三人は互いに驚き顔を見せ合い、目をパチパチとさせる。

 奏美お姉ちゃんはモデルの仕事をしていて、自分ではまだまだ有名になれていないと言っていたが、プールのど真ん中で若い女性に囲まれながら写真や握手をせがまれる姿はちょっとした有名人である。


 プールサイドからはよく見えないが、奏美お姉ちゃんも嬉しそうに笑っているので、嫌がっているワケではなさそうだ。


「あー、あれは邪魔するの悪いよな」


 奏美お姉ちゃんは有名人になりたいと言っていたので、あれだけのファンに囲まれて天にも昇る気持ちだろう。


「そうだね! 戻ってくるまで待ってよ!」


「うん。邪魔できない」


 鈴乃お姉ちゃんと衣緒お姉ちゃんも了承したところで、俺たちはほっと一息つく。


「鈴乃も瑞稀くんも飲み物飲む? 奏美が戻ってくるまで長そうだから奢ってあげる」


 衣緒お姉ちゃんが防水のコインケースを取り出すと、俺と鈴乃お姉ちゃんは「飲みます!」と即答した。


 ☆


「ごめーん。アタシのファンの子が居たもんでさ、ついつい楽しんじゃった」


 飲み物を飲みながらベンチに座って待っていると、肌ツヤがよくなった奏美お姉ちゃんが戻って来た。その表情からは嬉しさが滲み出ている。


「全然待ってない。あれみんなファンの人だったの?」


 衣緒お姉ちゃんが首を傾げると、奏美お姉ちゃんは「さすがに違うよ」と微笑んだ。


「あの中の三人の子がファンって言ってくれたけど、他の七人くらいはお友達らしい」


「だけど一緒に写真撮ってたんだね」


「君たちも一緒に撮ろうよって誘ってみんなで自撮りしてたんだ」


 さすがはコミュニケーション力が高い奏美お姉ちゃんだ。初対面の人とでもすぐに打ち解けられるようだ。


「へー、でも三人もファンの人が居たってすごくない? 奏美お姉ちゃんめっちゃ有名人じゃん!」


 鈴乃お姉ちゃんは興奮したように、目をキラキラと輝かせた。

 奏美お姉ちゃんは照れたように頭をかくと、「まあね」と言って笑った。


「あー、ほんとにモデルの仕事はじめてよかった。もう天国にいるような気分だもん」


 奏美お姉ちゃんはそう言うと、衣緒お姉ちゃんの隣に腰掛けた。


「あ、みんなして飲み物ずるーい。衣緒お姉ちゃんに奢ってもらったんでしょ」


「そう。私が奢った」


「いいなー。アタシもファンサービスして喉乾いちゃったなー」


 衣緒お姉ちゃんに抱き着きながら、奏美お姉ちゃんは飲み物が欲しいとねだる。


「うん。奢ってあげる。何がいい?」


 衣緒お姉ちゃんは嫌な顔一つせずに、奏美お姉ちゃんの頭をよしよしと撫でた。

「よっしゃ!」と喜んだ奏美お姉ちゃんは、衣緒お姉ちゃんと同時に立ち上がった。二人で飲み物を買いに行くらしい。


「二人とも飲み物買いに行くのか。それじゃあ俺はお手洗い行ってくるわ」


 俺もそう言って立ち上がると、鈴乃お姉ちゃんが「えー!」と大きな声を上げた。


「それじゃわたし一人になっちゃうよー。瑞稀くんおトイレ我慢して〜。あ、そうだ。プールの中ですればいいよ! バレないバレない!」


「いやいや。鈴乃お姉ちゃんも衣緒お姉ちゃんたちに着いて行けばいいだろ」


「あ、それもそっか」


 鈴乃お姉ちゃんはポンと手を叩いてから、すくっと立ち上がる。

 これで四人とも立ち上がり、三姉妹は一緒に固まった。


 俺が「またあとでな」と手を振ると、お姉ちゃんたちは手を振り返しながらバーカウンターへと向かって行った。


 三姉妹が並んで歩く後ろ姿を見てから、俺もお手洗いへと向かう。


 しかし女の子だけで歩かせてしまった俺の判断が、この後とんでもない大事件を起こすことになるのだった。


 ☆


 お手洗いから戻ると、お姉ちゃんたちは先程のベンチには居なかった。

 まだ戻って来ていないのかと思いながら、バーカウンターに向かう。


 バーカウンターの前には、そこそこの数の人たちが居た。

 この中からお姉ちゃんたちを探すのは苦労するな……と思っていた矢先。すぐに三姉妹の後ろ姿は見つかった。


 しかし三姉妹の目の前には、若くてチャラそうな男性が二人立っていて、何やら話しているようだった。


 奏美お姉ちゃんが衣緒お姉ちゃんと鈴乃お姉ちゃんを庇うようにして先頭に立ち、チャラ男たちと話している。チャラ男たちは飲み物を片手に楽しそうに笑っているが、こちらからでは三姉妹の表情は読み取れない。


 もしかしなくても、あれってナンパされてるよな……。

 お姉ちゃんたち全員と合流出来たからって、完全に油断していた。美人三姉妹を男なしで歩かせてしまっては、ナンパ野郎が近づいてくるに決まってるじゃないか。

 しかもバーカウンターなんて、ナンパスポットだろう。

 あー、やらかした。しかも助けに行ってやれるのは俺しか居ない。


 チャラ男たちはパッと見ただけでも、絶対に年上だ。二十代に見えなくもない。


 まだ高校一年生の俺は恐怖しかないが、男ならば立ち向かわなくては行けない場面もある。それが今だ。


 俺は深く深呼吸をしてから、覚悟を決めて歩みを進めた。


「あの。俺のお姉ちゃんたちに何か用ですか?」


 頭の中は真っ白だが、俺はお姉ちゃんたちを庇うようにして前に立ち、そんなセリフを吐いた。しかも少しだけ怒っているような口調が出てきたことに、自分でも驚いた。

 本当は「俺の彼女になんか用ですか?」と言おうとしたのだが、なんせお姉ちゃんたちは三人も居る。それなら正直に、この三人は俺の姉であることを認めてしまおうと思ったのだ。


 俺の声を聞いた男二人は、同時にこちらを向いた。お姉ちゃんたち三人も、全員が俺の顔を見上げる。


「えっと、キミは誰?」


 チャラ男の一方が訝しげな顔を作った。


「だからこの人たちの弟だって」


 こういうナンパ男を前にすると、不思議と喧嘩腰になってしまう。

 どうにかこれでお姉ちゃんたちのことは諦めてくれ。出来れば喧嘩したくないんだ……そう心の中で願いながら、精一杯にチャラ男二人を睨みつける。その時のことだ──


「だあああ! これは違うの瑞稀くん! 別にナンパされてるワケじゃないから! この二人はアタシの大学の友達!」


 奏美お姉ちゃんは慌てた様子で俺の前に立つと、手をブンブンと振った。

 そこでようやく、自分の犯したミスに気がつく。

 この男二人がチャラそうな見た目をしているから、お姉ちゃんたちはナンパをされているのだと勝手に決めつけていた。

 俺は衝撃に口をポカンと開きながらチャラ男の方を見ると、二人は「どうも」と軽く会釈をしてくれた。


 や……やっちまった……奏美お姉ちゃんの友達に喧嘩腰で迫ってしまった……。

 俺は恥ずかしさと申し訳なさから、その場で腰を直角に曲げて思いきり頭を下げる。


「ももも……申し訳ございませんでした……! ってきりナンパ野郎だと思って……!」


 恥ずかしさで顔が燃えるように熱い。それでも頭を下げ続けると、チャラ男二人は「気にしないで」と爽やかに言ってから、お姉ちゃんたちに手を振ってどこかへと行ってしまった。


 俺は真っ赤な顔を晒すのが恥ずかしくて、頭を下げ続ける。


「あれぇ。瑞稀くん。もしかしてアタシたちのことを助けてくれようとしたの〜? この可愛い弟め〜」


 奏美お姉ちゃんがからかうように言いながら、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 やばいやばい。本当に恥ずかしくて顔を上げられない。もうこのまま一生、地面を眺めて死んでいきたい。


「瑞稀くんかっこよかった。大好き。帰ったらチューしてあげる。今でもいいけど」


 衣緒お姉ちゃんはいつもの平たんな口調で、頭を下げ続ける俺に抱き着いてくる。

 今ではこの柔らかで温かな衣緒お姉ちゃんの肌が、俺の心に染みる。


「わたしたちがナンパされてたら助けてくれるんだね! 瑞稀くん見直しちゃった! かっこよかったよ!」


 鈴乃お姉ちゃんの元気な声も、今では励まされているようにしか聞こえなかった。


 もう無理。普段も喧嘩腰になったことはないのに、どうして今日に限ってあんなことをしてしまったのだろう。

 普通に「あなたたちは誰ですか?」と尋ねれば、それで済んだ話なのに。


 顔が熱い。頭が沸騰してしまう。体からは冷や汗が流れだし、泣きたくなってくる。

 もういっそのこと誰か俺を殺してくれ。顔を上げて姉たちと顔を合わせるのすら怖くてできない。

 俺はそんなことを心の中で呟きながら、顔の熱が引くまでの間、その場で頭を下げ続けるしかなかった。

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