ご褒美と仕返し

 みんな無事にお化け屋敷から出ることが出来た。

 莉愛の目元が赤く腫れているのを見た時には驚いたが、泣いた理由を聞いて場の空気がホッコリした。

 俺はその理由を聞いて、なんとなく気まずかったが……。


 その平和な雰囲気のまま、最後のアトラクションとして観覧車に乗ることになった。


 観覧車のゴンドラには四人ずつしか入れないらしく、俺たちはまた三対二に分かれることになった。


 最後ということで、姉たちの計らいにより、俺と莉愛は二人きりでゴンドラに乗り込んだ。

 夕焼け空に照らされて、ゴンドラの中もオレンジ色に染まる。


「はぁぁぁ」


 ゴンドラに乗り込み扉が閉まるなり、向かい合わせに座る莉愛はため息を吐きながら脱力した。

 莉愛の目元はまだ赤く腫れているので、それはそれは沢山泣いたのだろう。

 それだけ愛されていると思ったら、罪悪感が湧いてくる。


「お疲れさん。色々と」


 きっと莉愛は、初めて会う俺の姉たちに気を使ったのだろう。しかも俺の姉たちだから余計に。


「こんなに疲れるとは思ってなかったけど、お姉さんたちと仲良くなれたからよかった〜」


「お姉ちゃんたち、みんな莉愛のこと気に入ってたぞ」


「なんで気に入ってくれたのかは分からないけど、とりあえず鬼門は突破できた感」


「全く意味分からないけど、よかったな」


「あああああ……ほんとによかったあ……」


 変な声を上げながら、莉愛は背もたれに思いきり体重を預けた。


「俺と二人きりの時くらいは伸び伸びしてくれ」


「うん。そうするー」


 その言葉通り、莉愛は座りながらぐでーっとしている。さっきまでずっと背筋がピンとしていたのだが、二人きりになった途端にえらい変わりようだ。

 まあこれが莉愛の本来の姿なんだと思うと、俺の前では素を出してくれて嬉しい限りだ。


「瑞稀」


 俺もゆっくりしようかと思いスマホを取り出そうとすると、莉愛に名前を呼ばれた。


「なんだ?」


 莉愛の方に視線を向けてみるが、彼女は外を見たままこちらを見ようとしない。


「あたし今日頑張ったよね」


「ああ、頑張ったな」


「じゃあさ、ご褒美が欲しいんだけど」


「ご褒美? 何か欲しいのか?」


 莉愛は初対面の姉たちに好かれるくらい頑張っていたので、出来ることならなんでも買ってやりたい。でも俺の少ない小遣いじゃたかが知れてる……。

 そう心配していたのだが、夕焼けに照らされているからなのか、莉愛の頬が赤く染まった気がした。


「キス……してほしいなあって」


 段々と声が小さくなっていったので最後の方は何を言っているのかよく聞こえなかったが、なんとなくは分かった。


「キスしてほしいのか?」


「そう。キスしてほしい」


 莉愛は声を小さくさせながら、まだ俺と目を合わせようとしない。俺の返答を待っているようだ。


「別にいいけど」


 特に考える間もなく了承すると、莉愛は驚き顔をこちらに向けた。ようやく目が合ったが、その瞳は大きくなっている。


「え、いいの?」


「ああ、別にいいぞ」


 キスなら俺でもしてあげられる。お金が掛かるご褒美じゃなくてよかった……と思いながら、おもむろに腰をあげる。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って!」


 俺が近づくと、莉愛は慌てた様子で逃げようとする。

 キスって近づかなくちゃ出来ないよな……と疑問に思いながら、そんなに逃げられては近づくのもはばかられるので、その場で足を止める。


「キスして欲しいんじゃないのか?」


「キ、キスして欲しいけど……まだ心の準備が出来てなくて……まさか本当にキスしてくれるとは思わなかったから……」


「キスくらいならいつでもしてやるのに」


「い、いつでも!? ってかキスくらいって……」


 莉愛は呆気に取られたような顔をしながら固まってしまった。


「あ、キスは冗談だったのか。それならそうと早く──」


「じょ、冗談ではないから!」


 手をブンブンと振りながら、莉愛は必死な顔をしている。


「じゃあさっさとキスしようぜ」


「な、なんでそんなにあっさりしてるのかな……あたしが言ってるの、唇と唇のキスだよ?」


「もちろん分かってるさ」


 俺はそう言いながら、莉愛の前にしゃがみ込む。これでお互いの顔の高さが同じになった。

 莉愛の顔は夕日のように赤い。キスってそんなに照れるものだろうか。


「わ、分かった。分かったから落ち着いて」


「落ち着いてないのは莉愛の方だろ」


「だってキスとかしたことないんだもん。緊張するよ」


「じゃあどうにかして緊張をほぐしてくれ。そんなに緊張されちゃうとキスしずらい」


 俺の言葉を聞くと、莉愛は渋々といった様子で目を閉じて、何度も深呼吸を繰り返した。

 そしてようやく覚悟が決まったのか、莉愛は俺と目を合わせてコクリと頷く。


「い、いいよ……」


 莉愛はそう言って、ゆっくりと目を閉じた。キスを待っている顔が、夕日に照らされて美しい。

 そんな莉愛の頬に手を当てると、肩をピクリとさせた。

 早く楽にしてやろうと思い、俺は莉愛の唇に吸い込まれるようにキスをした。スズメが戯れるようなほんの一瞬のキスのあと、俺は顔を離す。


「どうだった?」


 上手く出来たか心配になって尋ねると、莉愛はゆっくりと目を開いた。

 しかし莉愛は、ジトッとした目をこちらへと向けてくる。


「なんか余裕そうでムカつく。絶対初めてじゃないでしょ」


 どうやら余裕そうだったのが気に障ったらしい。

 それに莉愛の言う通り、これは初めてのキスではない。俺の初めては、奏美お姉ちゃんがとっくの昔に奪って行った。


「初めてではないな」


「お姉さんの誰か?」


「まあそんなところだ」


 だけどもなんとなく誰とキスしたのかは言えなくて、言葉を誤魔化す。

 すると莉愛は頬を赤く染めたまま、唇を尖らせた。


「じゃあ今度はあたしからキスするから。目つむって」


「えぇ……またやるの?」


「当たり前でしょ! 仕返ししなくちゃ気が済まないんだから。ほら、さっさと目閉じて」


 莉愛が急かすように言うので、俺は仕方なく目を閉じる。真っ暗闇の中でキスされるのを待つというのは、ちょっとしたドキドキ感があるな……そう考えていた時のことだ。首に感じたことのあるチクリとした痛みが走り、反射的に目を開けてしまった。

 そこで首に噛みつく莉愛の姿を、俺の目は捉えた。

 その瞬間に俺の顔はかーっと熱くなり、心臓がドキドキと鼓動を高鳴らせる。体の内から熱が送り込まれているような、変な感じだ。


 首から顔を離した莉愛は、俺の顔を見るなり、ニヤッと嫌な笑みを浮かべた。


「いぇーい。仕返し大成功〜」


 ニヤニヤ顔のままピースをする莉愛を見て、途端に恥ずかしさが込み上げる。

 真っ赤になっている顔を誰にも見られたくないからと、俺は腕で口元を覆う。


「お前やったな。俺が首を噛まれて興奮するの知ってるくせに」


「へへーん。あたしが知ってる瑞稀の唯一の弱点だからね」


「あーもう。キスの仕返しにしてはやりすぎだろ。ってかキスは莉愛から頼まれてやったんだけどな……」


「小さいことは気にしないのー。あー、照れてる瑞稀なんて初めて見たー。可愛いー」


「あんまりからかうなよ。マジで顔が熱いんだから」


「はいはいごめんごめん。あたしが悪かったから」


 莉愛は手を合わせながら、楽しそうな笑顔を作っている。

 俺もジトッとした目で莉愛を睨むと、彼女は舌を出しながらウィンクした。

 全くこのあざとい女は……と心の中でため息を吐きながら、俺は椅子に座り直す。


 夕日に染まりながら、互いに顔を赤くしている。

 俺は首を噛まれたことで、莉愛はキスされたことで照れたまま、ゴンドラの中には会話がなくなった。

 でも自然と気まずくはなく、こんな雰囲気の中でも莉愛となら一緒に居られると思ってしまった。


「ねえ瑞稀。近いうちにどこか遊びに行かない? 今度は二人きりで」


 沈黙を破った莉愛は俺の目をじっと見ながら、返事を待っている。

 今度はしっかりと目が合っていることが、なぜだか嬉しく感じた。


「ああ、いいぞ」


 俺は無意識の内に頷いていた。そのことに自分でも驚きながらも、きっと遊びを誘ってくれた相手が莉愛だったから、何も考えずに了承したのではないのかと自己解決を終えた。


 すぐに返事が返って来たことに驚いたあと、莉愛は「やった」と嬉しそうに微笑んだ。

 素直に感情を表に出してくれる莉愛が可愛くて、俺は無意識の内に鼻をかいた。


 その会話をしている間もずっと、俺の心臓は鼓動を早くさせていたのだが。


 ──第三章 完──

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