一番頼れるお姉ちゃん

 夕飯を食べ終え、母さんとお姉ちゃんたちとリビングのソファーでダラダラとしている。

 ちなみに父さんは仕事で残業があるらしく、まだ帰って来ていない。


 衣緒お姉ちゃんはさっきから猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしながら、俺の肩や顔に頬ずりをしている。本当の猫のようだ。

 鈴乃お姉ちゃんは、俺の膝を枕代わりにして寝転がっている。お風呂から上がったばかりなので、まだ髪の毛がしっとりと湿っている。


「衣緒も鈴乃も瑞稀くんにベッタリなのねえ。いつの間にこんなに懐いたのかしら」


 離れたソファーに座っている母さんは、「うふふ」と口に手を当てて笑った。


「そうなんだよー。衣緒お姉ちゃんも鈴乃も瑞稀くんに骨抜きにされちゃってるからね〜」


 母さんと同じソファーに座っている奏美お姉ちゃんも、食後のデザートの梨を食べながらこちらを見ている。

 衣緒お姉ちゃんに頬ずりをされ、鈴乃お姉ちゃんに枕にされている俺の姿は見世物になっていた。


「瑞稀くん可愛い。私の弟」


 衣緒お姉ちゃんは俺の耳元で囁くように言うので、ちょっとだけくすぐったい。

 それに腕を掴まれてこれでもかと密着されているので、衣緒お姉ちゃんの柔らかいおっぱいが押し付けられている。変に身動きを取ることが出来ない。


「瑞稀くーん。梨食べさせてー」


 鈴乃お姉ちゃんは寝転がりながら、「あーん」と口を開いた。


「しょうがないなー」


 俺は細かくカットされた梨を爪楊枝で刺して、鈴乃お姉ちゃんの口に運ぶ。

 鈴乃お姉ちゃんは梨を咀嚼すると、「んふー」と鼻息を吐いて満足そうな顔を作った。


「瑞稀くん可愛い。大好き」


「瑞稀くーん。梨もう一個〜」


 ベタベタ。ベタベタ。これが平日の夜の過ごし方である。普段から俺は、これくらい姉たちとベタベタしている。いや、されている。


「瑞稀くん。嫌だったらすぐに言うのよ? 姉とはいえ歳の近い女の子たちにベタベタされたら……男の子なんだし色々と大変でしょう?」


 母さんの言葉に、俺だけでなく姉の三人がピクリと反応した。

 母さんの言う通り、普通の男子高校生がこんな美人な女の子たちにベタベタとされれば、大変なことになりかねない。でも俺は違う。性欲なんてないから、いくらベタベタされても変な気は起きない。それをお姉ちゃんたちも分かっているので、こんなにベタベタとしてくるのだろう。


「ま、まあ……そこら辺はお姉ちゃん相手だから──」


「うん! 瑞稀くんは性欲ないから大丈夫だよ!」


 俺が必死に言い訳を並べようとすると、鈴乃お姉ちゃんが元気よくマズイことを口にした。

 これには俺と奏美お姉ちゃんは額に手を当てて、思わず顔を伏せた。衣緒お姉ちゃんに至っては、この状況を理解出来ていないのかキョトンとしている。


 母さんは目を大きくさせて、口元に手を当てた。


「瑞稀くん。性欲がないの?」


 母さんがこれ程までに驚いているのは初めて見た。俺の体調を心配しているような声を聞いて、奏美お姉ちゃんは苦笑いをした。


「あー、鈴乃。それはあんまり言わない方がよかったかも」


「え、うそ! どうして?」


「一応男の子の性事情だからね。鈴乃も自分の性事情を母さんに知られたくないでしょ?」


「あ、そっか。よく考えたらそうかも……瑞稀くん。ごめんね?」


 俺の顔を見上げながら、鈴乃お姉ちゃんは手を合わせた。心配そうな顔をする彼女の頭を優しく撫でる。


「いや、いいんだ。その内バレるかなって思ってたから」


「ほんとにごめんね。ありがとう。やっぱり瑞稀くん優しいね」


 まさか父さんよりも先に母さんにバレるとは思ってなかったが、どちらにせよ時間の問題だっただろう。


「その様子だと本当に性欲がないのね」


「そうなんですよ。物心がついた時から全く性欲なくて」


「えぇ……大丈夫なのかしら。何かの病気とか?」


「それが分からないんですよ。もしかしたら病気かもしれないって思ったりもしたんですけど、別に性欲なくて困ったこともなかったんで病院も行かなかったんですよ」


「病院には行った方がいいと思うけど……今はよくても将来困るかもしれないわよ?」


 性欲がないだけでこんなに心配されるのか。

 やっぱり性欲がないのは異常なんだなと、改めて気付くきっかけになった。


「でも大丈夫だよ。この間、瑞稀くんの性欲がちょっとだけ顔出したの」


 ようやくこの状況を理解したらしい衣緒お姉ちゃんが、俺の腕を握ったまま母さんに言った。


「性欲が顔を出したってどういうこと?」


「あのね、みんなでラブホテルに行った時に──」


「「「ちょっと待って」」」


 俺と奏美お姉ちゃんと鈴乃お姉ちゃんが、慌てて衣緒お姉ちゃんの言葉を遮る。


「ら、ラブホテル……? みんなでラブホテルに行ったの……?」


 しかし止めるのが遅かったようだ。

 女三人と男一人でラブホテルに行ったと知ったら、どんな勘違いをされるか分かったもんじゃない。

 どんな言い訳をすればいいのだろうと頭を悩ませていると、奏美お姉ちゃんがぐしゃぐしゃと頭をかいた。


「えっと母さん。別にやましいことしてたワケじゃないから勘違いしないで。イマドキの学生はラブホテルで女子会するってよく言うじゃん?」


 ラブホテルで女子会なんてよく言うのか? 女子と積極的に関わって来なかった俺には分からないことだ。


「そうなのね……今の学生はすごいわ……」


 しかし母さんは感心したような声を漏らしながら、俺たちのことを見た。まさか自分の子供たちが休日にラブホテルに行っているなんて、思ってもいなかっただろう。


「それで、みんなでラブホテルに行った時にどうしたの?」


 母さんが首を傾げると、衣緒お姉ちゃんがピクリと反応した。


「あ、そうそう。みんなでお風呂に入ってる時に──」


「み、みんなでお風呂入ったの……?」


「うん。でもちゃんと水着着ながらお風呂入ったから安心して」


「そ、そうなのね。それなら安心だわ」


 安心できるのか。自分の子供がラブホテルでお風呂に入っているというのに。父さんがこれを聞いたら倒れちまうぞ。


「それでね、みんなでお風呂入ってる時に瑞稀くんの首筋をパクってかじったら、瑞稀くんのおちん──」


「衣緒お姉ちゃん!」


 さすがにその話はダメだと思って、慌てて衣緒お姉ちゃんの口を塞ぐ。それに今、俺の息子の名前を言おうとしただろ。恐らくだが、衣緒お姉ちゃんには『常識』というものが少しだけ欠如しているらしい。


 母さんは面食らったように目を白黒とさせている。

 ラブホテル。お風呂。おちん……。などの単語が愛娘の口から出てくれば、そんな反応をするのも当然だ。


「あー、えっとね。とりあえず瑞稀くんの性欲が少しだけ顔を出したって話でした。はい。これでこの話は終わり。分かった?」


 またも奏美お姉ちゃんが助け舟を出してくれる。

 俺に口を塞がれている衣緒お姉ちゃんは、驚いたように目を大きくさせながらもコクコクと頷いた。

 俺の膝を枕にしている鈴乃お姉ちゃんに関しては、興味をなくしたように梨を食べながらテレビを観ている。


「わ、分かったわ。私もこれ以上聞くと血圧が上がっちゃいそうだから……」


 母さんは気まずそうに笑うと、テーブルに置いてあった梨の皿を手に取って立ち上がった。


「そ、そうだ。梨のおかわり欲しいわよね。今切ってくるからちょっと待っててね」


 母さんは作り笑いをしながらそう言うと、そそくさとこの場から立ち去ろうとする。


「あ、待って母さん」


 急いで呼び止めると、母さんはこちらを振り返った。


「と、父さんにはこの話……ナイショでお願いします……」


「こ、この話って……どれのこと?」


「性欲がないこととラブホテルのことなんだけど……」


 俺がそう言うと、母さんは「あー、そのことね」とウンウンと頷いた。


「もちろん言わないわよ。というか言えないわよ……」


「あ、ありがとう」


 俺が頭を下げると、なぜかベタリとくっついている衣緒お姉ちゃんもお辞儀をした。

 母さんも俺にお辞儀を返して、そそくさとキッチンに消えて行ってしまった。


 リビングには姉弟が残されてしまった。

 未だ口を塞がれながらポカンとしている衣緒お姉ちゃん。

 テレビを観ながら笑い声を上げる鈴乃お姉ちゃん。

 そしてどっと疲れたような顔をしている奏美お姉ちゃん。


「奏美お姉ちゃん。なんというかその……ありがとう」


 衣緒お姉ちゃんと鈴乃お姉ちゃんが口を滑らせる度に、奏美お姉ちゃんがフォローしてくれたのだ。そりゃあ疲れて当然だろう。


 奏美お姉ちゃんはにこやかに笑うと、「いいっていいって」と言ってくれた。


 今度から姉を頼る時には、一番に奏美お姉ちゃんにお願いするとしよう。

 奏美お姉ちゃんは間違いなく、三姉妹で一番しっかりしていて常識がある。


 俺もこれから奏美お姉ちゃんのサポートをして行かないとな。

 ため息を吐きながら衣緒お姉ちゃんの口から手を離すと、「ぷはぁ」という可愛らしい声が耳元をくすぐった。

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