きっかけはお弁当

 俺の韓流マッシュ姿を見た瞬間、衣緒お姉ちゃんは「可愛い」を連呼しながら抱き着いてきた。

 鈴乃お姉ちゃんは、「似合ってるじゃん」との感想だった。

 どうやら姉たちには、韓流マッシュがウケるようだ。


 日曜日は家族全員が休みだったので、六人で夕飯を食べに行った。姉たちと仲良くなかった時の俺だったら、絶対に行きたくないと思っただろうが、昨日は普通に楽しかった。理由がどうであれ、姉たちと仲良くなれてよかった。


 そんな日曜日も過ぎ、今日は月曜日。学校だ。


 今週も退屈な授業を聞かなくてはいけない五日間が始まるのか。なんて憂鬱な気分になりながら、鈴乃お姉ちゃんと一緒に登校して、一年三組の教室に辿り着いた。


 自分の席に座り、スクールバッグから取り出した教科書類を机にしまっていると。


「瑞稀ー。おはよー」


 その声とともに、俺の机に何者かの両手が乗った。

 その手を辿って上を見上げてみると、赤茶髪のハーフアップが今日も似合っている莉愛が居た。


「おう莉愛。おはよう」


 挨拶を返すと、莉愛は愛嬌のある笑顔を見せた。

 莉愛はこうしてたまに、俺の机まで遊びに来てくれる。決まって俺が一人の時に来てくれるので、話し相手に困らなくていい。


「瑞稀、めっちゃ雰囲気変わったね」


「そうか?」


「そうだよ。ほら、その頭」


「頭? あー、髪型か。土曜日に切りに行ったんだった」


 自分がマッシュになったことを、完全に忘れていた。

 思い出したかのように前髪を触ると、莉愛は「なんで忘れてるのよ」と笑った。


「でもよく似合ってるよ。どうしてマッシュにしようと思ったの?」


「姉にマッシュにしてって言われたんだよ。なんか長女と次女がこの髪型が好きらしくて」


「え、お姉さんから言われて自分の髪型変えたの?」


「ああ、そうだ。特に髪にこだわりはないからな。それに聞いてくれ。初めて美容室で髪を切ったんだ。美容室って緊張するんだな」


 土曜に行った美容室は目の前がガラス張りになっているので、道路を歩いている人たちがたまにこちらをチラチラと見てくるのだ。緊張するに決まっている。

 土曜日のことを思い出しながら、教科書類をスクールバッグから机に移動させていく。


「瑞稀ってもともと千円カットで髪切ってたんだっけ」


「そうだな」


「それは緊張しちゃうよね。雰囲気全然違うし」


「ああ、全然違かった。店員さんもめっちゃ話し掛けてくるし」


「あー、わかる。あたしは美容師さんと話すの好きだからいいけどね」


 たしかに莉愛のような話し好きの人は、美容室に向いているのかもしれない。

 俺は率先して自分から話したりはしないので、千円カットでも美容室でもどちらでもいい。


「でも瑞稀が美容室かー。髪型も女子ウケが良さそうになっちゃって……ああ、瑞稀がちょっとずつ変わっていっちゃうよー」


 俺の机の上にアゴを置いて、莉愛は唇を尖らせた。


「俺の意思じゃないけどな」


「それでもだよ」


「変わって欲しくないのか?」


「うーん。美容室に行ってマッシュになった瑞稀はかっこいいけど、その内にお姉さんたちの影響でどんどん変わっていっちゃって手が届かなくなりそう」


「なんじゃそりゃ」


 俺が変わって手が届かなくなるという意味がよく分からずに、首を傾げる。

 でもこのままだと、姉たちにどんどん変えられて行くかもしれない。実際に髪型だって奏美お姉ちゃんの案だし。

 これから俺は、姉たちにどんな風に変えられてしまうのだろう。怖いような楽しみなような、そんな気持ちになる。


 莉愛は俺の机にアゴを乗せたまま、「あーあ」とため息を吐いた。俺が変わってしまうことが、そんなに憂鬱なのだろうか。

 そんな憂鬱そうな莉愛を横目に見ながら、スクールバッグから机に教科書を全て移し終わった。


「瑞稀くんの教室はここであってます?」


 ちょうどそのタイミングで、教室の前の方からそんな声が聞こえてきた。

 俺と莉愛が同時にそちらを向くと、そこには二年生のはずの鈴乃お姉ちゃんが居た。その手には、青い袋に入ったお弁当を持っていた。それを見て、鈴乃お姉ちゃんが一年三組に来た理由が分かった。


「あ、鈴乃お姉ちゃん。こっちこっち」


 ちょっと大きめな声を出すと、鈴乃お姉ちゃんは俺に気が付いて表情を明るくさせた。


「瑞稀くんみっけ!」


 鈴乃お姉ちゃんも大きな声を出すと、クラスメイトたちの視線が彼女へと集まる。

 上級生が教室に居ることに、物珍しさを感じているのだろう。

 しかしそんな視線など気にした様子はなく、鈴乃お姉ちゃんは俺の机の横に立った。そして俺の机の前でしゃがんでいる莉愛に気が付いて、首だけのお辞儀をする。すると莉愛も、ちょこんと首だけのお辞儀を返す。


「あ、えっと。お邪魔だった?」


 俺の机に女の子が居たから、いい雰囲気になっているのかと思ったのだろうか。


「いや、全然大丈夫。お弁当だよな」


 鈴乃お姉ちゃんの持っている弁当袋を見ながら言うと、彼女は「うん!」と目を細めて頷いた。


「そう。今日からママが瑞稀くんの分のお弁当も作ってくれるって言ってたでしょ? それで「瑞稀くんに渡して」ってママから言われたの忘れてて、自分のカバンの中に入れっぱなしだったの!」


「そういうことだったのか。俺も弁当のことすっかり忘れてたわ。ありがとう」


「ううん! こちらこそ忘れててごめんね!」


 鈴乃お姉ちゃんはそう言って、俺の机に弁当袋を置いた。その弁当袋を、莉愛はじーっと凝視している。


「じゃ、わたしはここら辺で失礼します。お邪魔しちゃってごめんね!」


 手を合わせてウィンクをすると、鈴乃お姉ちゃんは急ぎ足で教室から出て行った。

 教室から出て行く前に、鈴乃お姉ちゃんは思い出したかのようにこちらに大きく手を振ったので、俺も軽く手を振り返した。

 鈴乃お姉ちゃんが教室から出て行ったのを見届けて、渡された弁当袋をスクールバッグの中にしまう。


「ねえ瑞稀。今まで売店でお昼ご飯買ってたよね?」


 机にアゴを乗せながら、莉愛はこちらを見上げていた。


「今まではそうだな。ずっと売店でパンとか買ってた」


「そうだよね。でも今日からお弁当なの?」


「毎日ではないらしいけどな。母さんが前の日に仕事がない日は作ってくれるんだって」


「前の日にお仕事がない日? 瑞稀ママは夜遅くまで仕事してるの?」


「まあそんな感じだ」


 なんとなく、「スナックで働いてるんだ」とは言えなかった。母さんの許可なしに言うようなことではない気がしたのだ。

 莉愛は「ふーん」と言いながらも、俺に何か言いたそうな眼差しを向けてくる。


「なんだよ」


「なんだよってなんだよ」


「なにか言いたそうな目してるけど」


 俺がそう言ってみせると、莉愛は「え、」と声を漏らした。


「よく分かったね。あたしが何か言おうとしてるって」


「そりゃあな。お前とは仲良くさせて貰ってるから」


「まだ出会って半年経つか経たないかくらいだけどね」


「こういうのは時間じゃないんだよ。それで? 俺になんて言おうとしたんだ?」


 それを聞いて、莉愛は「そうだった」と手をポンと叩いてから、机の上に手を置いて前のめりになった。


「これはお願いなんだけど……瑞稀ママがお弁当作れない日は、あたしがお弁当作ってきてもいい?」


「ダメかな?」と莉愛は首を傾げる。

 そんな彼女を前に、俺の頭の中には無数のクエスチョンマークが浮かび上がった。


「えっと。俺の分の弁当を作って来てくれるのか?」


「うん。その通り!」


 力強く頷く莉愛だが、俺の頭の中のクエスチョンマークはまだ消えない。


「どうして?」


「どうしても! あたしが作りたいから!」


 机をバンと叩いて、莉愛はこちらにズイと顔を寄せた。あまりの顔の近さに身を引くが、莉愛は気にせず続ける。


「瑞稀ママがお弁当作れない日だけでいいから! なんなら週一でも大丈夫!」


「まさか弁当を作って金儲けする気か?」


「そんなことするはずないでしょ……あたしをなんだと思ってるの……もちろんお金なんて取らないよ」


 それじゃあ、どうして俺に弁当を作って来てくれるのだろうか。弁当を作るには朝早く起きる必要があるし、労力だってかかる。そこまでして、俺に弁当を作る理由とは──もしかして、俺に好意を寄せていることが関係しているのだろうか……いや、それは自意識過剰ってもんだ。

 しかしそこまで言うのなら、莉愛の好きなようにやらせてやろう。俺も昼食代がかからなくてラッキーだし。


「それじゃあ、お願いしようかな」


俺がそう言うと、莉愛は表情を途端に明るくさせた。


「ほんと! やったー! ありがとう! 絶対に美味しいの作ってくるから!」


 両手をぎゅっと握ってガッツポーズをしながら、莉愛は「ふふふー」と満足そうに微笑んだ。


 どうして弁当を作る側がこんなに喜んでくれるのか。謎は深まるばかり。

 でも莉愛の手料理は興味があるし、食べてみたい。


 母さんが作ってくれる弁当も楽しみだが、莉愛が作ってくれる弁当も楽しみだ。


 もしも莉愛が弁当を作って来てくれたら、また飲み物でも奢ってやることにしよう。


 そんなこんなで、母さんが弁当を作れない日は莉愛が弁当を作ってくれることが決まり、この場はお開きとなった。

 莉愛は自分の机に戻ったあともごきげんそうだったので、よっぽど弁当を作りたかったのだろう。

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