第二章 性欲をつけよう

時間にルーズなモデルさん 前編

 今日は土曜日。

 父さんと母さんは揃ってどこかへと出掛けてしまい、衣緒さんは大学のゼミに呼び出しをくらったらしく朝早くから家を出ている。

 今日は家に三人が残るのか……と思っていると、ついさっき鈴乃お姉ちゃんも「学校の友達と遊んでくる」と言って出て行ってしまった。


 ということは、いま家に残っているのは──


「おーい、瑞稀くーん」


 リビングのソファーに座ってスマホをいじっていると、ドアが開いて奏美お姉ちゃんが顔を出した。


「奏美お姉ちゃん。どうしたの?」


 まだ慣れないお姉ちゃん呼びとタメ口を使いながら、奏美お姉ちゃんの方を見る。

 奏美お姉ちゃんは黒色のシャツとスカートを着ていて、上下黒コーデをしている。パジャマ姿ではなさそうなので、どこかに出掛けるのだろうか。


「瑞稀くんって今日暇だったりする?」


「一日暇かな」


「お、じゃあさ、今からアタシと出掛けない?」


 やっぱりどこかに出掛けるようだ。

 そこで奏美お姉ちゃんが黒色のハンドバッグを持っているのにも気が付いた。服もスカートもバッグも黒色だ。


「いいけど、どこ行くの?」


「美容室だね」


 美容室に行く予定だったのか。

 奏美お姉ちゃんの髪は、胸あたりまであるロングヘア。こんなに髪を伸ばしたのに切ってしまうのだろうか、なんて考えてしまう。


「奏美お姉ちゃん、髪切るの?」


「髪は切らないよ。ちょっと青色がくすんできたからまた色を入れるんだ」


 奏美お姉ちゃんの毛先は青色をしている。俺には普通の青色にしか見えないが、本人が言うのだからくすんでいるのだろう。


「そうなんだ。奏美お姉ちゃんが美容室行ってる間、俺はどうすればいいんだ?」


 まさか美容室で待つワケには行かないからと思って聞いてみると、奏美お姉ちゃんは「うーん」と腕を組みながら、こちらへと歩いてきた。

 奏美お姉ちゃんは隣りに座ると、おもむろに俺の髪を優しくつまんだ。


「瑞稀くんも髪切らない?」


「え、俺が?」


「そうそう。ちょっとアタシ好みにイメチェンして欲しいなーって。ダメかな?」


 笑顔で首を傾げながら、奏美お姉ちゃんは手を合わせた。

 たしか前に髪を切ったのは一ヶ月半も前のこと。前髪も邪魔くさくなってきたし、全体的に重くなってきた。そろそろ髪を切る頃合いなのかもしれない。


「まあ髪もボサボサだし、切ってもいいかも」


「やったね。じゃあ瑞稀くんも美容室に行くってことで決定〜」


「あんまり変な髪型は嫌だからな」


「そんなヒドイことしないから安心して。瑞稀くん、背高いし顎もシュッとしてるからアタシと衣緒お姉ちゃんが好きな髪型似合うと思うんだよねー」


「なにその髪型」


「へへー、美容室行くまでのお楽しみー」


 奏美お姉ちゃんはウィンクをすると、立ち上がって伸びをした。

 どんな髪型にされるのかは、教えてくれないらしい。自分がどんな髪型になるのか分からないのは、ちょっとだけ不安だ。でも奏美お姉ちゃんなら、きちんとオシャレな髪型を選んでくれるだろう。


「そういうことなら楽しみにしておくよ。もう行くの?」


「予約してる時間まであと二十分しかないから、もう行こうかな」


「え、ここからその美容室までどれくらいかかるの?」


「うーん、車で三十分くらいかな」


 予約してる時間までは二十分。その美容室までは車で三十分か……うん、ダメじゃないか。普通に遅刻することになる。


「急がなくていいの?」


「おー、たしかにちょっと急がなくちゃね。だからほら、瑞稀くんの用意ができ次第いくよー」


 奏美お姉ちゃんは笑顔でそう言いながら、車のキーを人差し指でくるくると回した。


「了解。今準備するから待っててくれ」


 俺も急いでソファーから立ち上がり、着替えるために二階へと向かった。

 どうやら奏美お姉ちゃんは、時間にルーズな人らしい。


 ☆


 奏美お姉ちゃんの車は青色のセダンだった。車内の香りは甘く、いかにも『イケてる女の車』だった。

 その車の助手席に乗って、お目当ての美容室に到着した。


 美容室は白を貴重とした建物だった。道路側の壁がガラス張りになっていて、髪を切っている人の姿が外から丸見えになっている。

 こんなに緊張しながら髪を切るのは、初めてのことだったかもしれない。


 髪を切ってくれた美容師の人は、奏美お姉ちゃんを担当してる金髪パーマのお兄さんだった。その美容師さんは、俺と奏美お姉ちゃんを同時に相手してくれた。凄腕の美容師さんだったのかもしれない。


 無事に俺の髪も切り終わり、奏美お姉ちゃんの毛先の青色も艶を取り戻した。


 それに美容室代は全て奏美お姉ちゃんが負担してくれた。なんて優しいお姉ちゃんなのだろうか。


 そして無事に美容室を終えたいま、車をコインパーキングに停めて、俺と奏美お姉ちゃんは街をブラブラすることにした。


「んふふー。瑞稀くんがかっこよくなった〜」


 満足そうに頬を緩ませながら、奏美お姉ちゃんは俺の毛先を軽く摘んだ。

 俺の頭は今、韓流マッシュという髪型になっている。ストレートの状態で前髪が切り揃えられていて、丸くふんわりとした髪型だ。


「本当にこんなのがかっこいいのか?」


 前髪が切り揃えられているのに慣れず、俺も自分の毛先を触る。


「かっこいいと可愛いが混ざった感じだね。瑞稀くん、目も体型も細めだからよく似合ってるよ」


「目が細いとマッシュが似合うのか」


「アタシ的にはそう思うかな。だって瑞稀くんによく似合ってるもん。あー、早く衣緒お姉ちゃんに見せてあげたーい」


 奏美お姉ちゃんはそう言うと、俺の毛先から手を離した。

 そう言えば衣緒お姉ちゃんもマッシュヘアが好きだと、奏美お姉ちゃんが言っていた覚えがある。


「衣緒お姉ちゃんと奏美お姉ちゃんはマッシュが好きなんだ」


「そうなのー。清潔感があって可愛いし〜。最高だね」


「へー、俺には分からないなあ」


 こんなおかっぱ頭みたいな髪型が好きな女の子が居るのか。その気持ちが俺には全く理解できなかった。


「でもこれからしばらくはマッシュとして生きていくんだからね。覚悟しなよ」


 にひっと白い歯を見せて笑いながら、奏美お姉ちゃんは俺の背中を叩いた。

 しかし次の瞬間には、奏美お姉ちゃんの興味は他に移っていた。


「あ、ねえねえ瑞稀くん。クレープあるよクレープ」


 目の前にあるクレープ屋さんを指さしながら、奏美お姉ちゃんは俺の腕を掴んだ。自然と腕を組む形ちなったが、お互い気にしていないようだ。


「あー、ほんとだ。奏美お姉ちゃん、甘いもの好きなんだっけ」


「好きー! すごく好きだね。瑞稀くんは甘いもの好き?」


「俺も好きかな。クレープも好きだし」


「じゃあクレープ食べながら歩こうか。お姉ちゃんが奢ってあげるから」


「え、髪切り代も奢ってもらったからクレープは俺が奢るよ」


「ダメダメ。弟に奢らせるワケにはいかないから。素直に奢られてくれた方が可愛いぞ〜?」


 俺の頭をよしよしと撫でながら、奏美お姉ちゃんはすでに財布を取り出していた。奏美お姉ちゃんの財布は青色のブランド品だ。


「奏美お姉ちゃんって青色好きだよね」


「お、なんで分かったの?」


「車も財布も青色だからな。そりゃあ分かるよ」


 俺がそう言うと、奏美お姉ちゃんは「たしかに」と笑顔を作った。

 奏美お姉ちゃんは、本当によく笑う。


「ま、とりあえずクレープは奢らせてよ。アタシにマッシュを見せてくれたお礼だから」


「ね」と俺の肩を叩きながら、奏美お姉ちゃんはすでに五千円札を手にしていた。

 そこまで言うのなら、ここは奢られておくことにしよう。


「じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます」


 素直に手を合わせると、奏美お姉ちゃんは五千円札を顔の横に寄せた。


「いいっていいって。それじゃあ、クレープ屋で決まりでー。小腹が空いたよ〜」


 奏美お姉ちゃんは笑顔を浮かべながら、俺の腕を引っ張るようにしてクレープ屋に一直線で向かった。

 カップルのように腕を組む俺と奏美お姉ちゃんだが、二人とも何も気にすることなく、クレープ屋さんに到着していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る