三人のお姉ちゃん 前編

 金曜日の学校が終わり、家に帰ってきた。


 明日は土日。ということは、気分的には今この瞬間から休日の始まりだ。

 開放的な気分になり、学校の荷物を部屋の端に置いてから、自分のベッドの上に勢いよく寝転がる。


 スマホを開いてみると、只今の時刻は十七時。

 夕飯まではそこそこ時間があるようなので、それまで何をして過ごすか。

 ダラダラと映画でも観るか。そう思い、スマホで動画配信サイトを開こうとすると──


 トントン。ドアがノックされた。


「あ、はーい」


 反射的に返事をすると、ドアがガチャリと音を立てて開いた。そこから顔を出したのは、まだ制服姿の鈴乃さんだった。


「瑞稀くーん。今って暇だったりする?」


 鈴乃さんは部屋には入らずに、ドアから顔を出したまま尋ねた。


「今から適当な映画観ようと思ってたくらい暇でした」


「じゃあさ。ちょっとこっち来てよ」


「どこ行くんですか?」


「衣緒お姉ちゃんの部屋! 衣緒お姉ちゃんも奏美お姉ちゃんも居るよ」


 そんな女子だらけの空間に行くのか。ちょっとだけお邪魔するのを躊躇われるが、これも姉たちと仲良くなるためだ。そう思ってベッドから立ち上がる。


「分かりました。行きましょう」


「やったー! さすがは瑞稀くん! ノリがいい!」


 鈴乃さんは本当に嬉しそうな笑顔を作り、俺が出やすいように大きくドアを開いてくれた。

 それから部屋を出て、トイレを挟んだ隣りに衣緒さんの部屋はあった。

 鈴乃さんはノックもせずに、衣緒さんの部屋のドアを開く。


「瑞稀くん連れて来たー!」


 学校の疲れなど持ち帰って来ていないのか、鈴乃さんは元気な声で部屋の中へと入って行った。

 部屋の中では、衣緒さんと奏美さんがローテーブルを囲うようにして座っている。


「お邪魔します」


 鈴乃さんがベッドに腰掛けたのを確認してから、俺も部屋の中に入る。


「瑞稀くん久しぶり〜。こっち座りな」


 奏美さんは自分の隣りにあるクッションをポンポンと叩いた。

「失礼します」と言ってから、そのクッションの上に座る。このクッションは元々ウチにあったものではないので、衣緒さんか誰かが持ってきたのだろう。


「瑞稀くん。コーヒーかココアどっちがいい?」


 今度は衣緒さんが、ローテーブルの上で前のめりになりながら尋ねた。まさかわざわざ淹れてくれるのだろうか。


「じゃあココアでお願いします」


 苦いのはあまり好きじゃないからとココアを選ぶ。

 衣緒さんは「分かった」と言うと、大学用の白色のリュックを漁り、中から缶ジュースのココアを取り出した。

 いや、淹れてくれるんじゃないんかい。


「あ、ありがとうございます」


 でもせっかくくれたのだからと、ココアの缶を受け取る。しかもヒンヤリとしていて、やや冷たい。

 そこで気がついたのだが、姉の三人はそれぞれ缶コーヒーや缶のココアを飲んでいる。姉たちの間ではお決まりなのだろうか。


「よし、主役も来たところだし、そろそろ始めようか」


 奏美さんはそう言うと、こちらに笑顔を向けた。

 なんとなく嫌な予感がする笑顔だ。


「えっと、今から何するんですか? しかも俺が主役って……」


 恐る恐る聞いてみると、奏美さんは衣緒さんの方を向いた。鈴乃さんも衣緒さんの言葉を待っているようなので、俺もそちらを向いてみる。

 衣緒さんは瞼をパチクリとさせてから、両手で缶コーヒーを持ってずずっとすすった。するとすぐに、衣緒さんは俺の目を見ながら口を開く。


「今から私たち三人のことを『〇〇お姉ちゃん』って呼ぶまで部屋から出さない」


「あと敬語も禁止ね!」


 衣緒さんのあとに鈴乃さんも続いた。

 どうやら朝に約束していたことを、鈴乃さんは覚えていたようだ。


 それに俺が三人のことを『〇〇お姉ちゃん』と呼び、敬語をやめるまでこの部屋から出して貰えないらしい。これが軟禁というやつか。

 鈴乃さんの笑顔にハメられた。あんな笑顔で「衣緒お姉ちゃんの部屋に来て」なんて言われたら、誰でも着いて行くに決まってる。


「ははは。目に見えて嫌そうな顔するじゃん」


 隣に座る奏美さんは、俺の顔を見て笑い声をあげた。

 嫌っていうか小っ恥ずかしいんだよな。もう『〇〇さん』で慣れているのに、今更『〇〇お姉ちゃん』に変えるなんて……でも変えないとここから出られないしなあ……。


 ああ、部屋にこもって映画を観てればよかった。

 たった数分前の後悔に駆られていると、俺の腕に何かが絡みついた。

 何事だと自分の腕を見ると、衣緒さんが両腕で抱きついていたのだ。衣緒さんはそのまま俺の肩に顎を乗せて、こちらをじっと見ている。


「えっと……どうしたんでしょう。衣緒さん」


 顔と顔の距離が近い。衣緒さんのきめ細かい肌と、弾力のありそうな唇や茶色の瞳が間近で見れる。


「お姉ちゃんって呼んで。それまで逃がさないから」


「お、いいね。アタシも瑞稀くんのこと捕まえておこ」


 今度は奏美さんが、俺の空いている腕を掴んだ。

 これで完全に身動きが取れなくなってしまった。


「さあ! 瑞稀くん! 観念してお姉ちゃんって呼びなさい!」


 衣緒さんと奏美さんに両側から腕を捕らえられるなか、目の前に鈴乃さんが胸を張って立った。


「呼ばなかったらどうなるんですか」


「その時はこの部屋から出られないよ!」


「一生ですか」


「そう! 死ぬまで衣緒お姉ちゃんと一緒の部屋!」


 俺は別に死ぬまで衣緒さんと同じ部屋でもいい。だって衣緒さんだったら、ちゃんと俺の面倒を見てくれそうだ。衣緒さんは優しいからな。

 でも一生外に出れないのは嫌なので……。


「分かりました。じゃあお姉ちゃんって呼びます」


 もう観念するしかない。奏美さんは俺の腕を手で握ってくれているが、衣緒さんは思い切り抱き着いているので、おっぱいの感触が直に伝わってくる。

 おっぱいを当てられて興奮するワケではないが、触ってはいけないものを触っている気分になる。


「よしよし、いい子だね」


 鈴乃さんは目の前でしゃがみ込むと、俺の頭を撫でた。両腕を衣緒さんと奏美さんに捉えられているので、鈴乃さんの手を払うことも出来ない。

 まったく、鈴乃さんは俺を何歳だと思ってるのか。


「それじゃあさっそく呼んでもらおう! まずは長女である衣緒お姉ちゃんから!」


 衣緒さんの方を指さして、鈴乃さんは目をキラキラとさせた。


「ん、よろしく」


 衣緒さんも俺に期待の眼差しを向けてくる。

 衣緒さんと奏美さんに両腕を捕まれ、目の前には鈴乃さんがしゃがんでいる。左右前方を塞がれて、抵抗する気は起こらなかった。


 俺は深く深呼吸をしてから、衣緒さんと目を合わせる。


「それじゃあ、いきますよ」


「うん、きて」


 衣緒さんは今か今かと言葉を待っていて、瞬きも忘れてしまっている。そんな彼女を前にして、俺の心臓の鼓動は早くなる。


 こんなにドキドキするのは、いつぶりだろうか。そもそも人生のうちに緊張したことなんて、数えるほどしかないのに。


 ため息が出そうになるのをぐっと我慢して、俺は三人を『お姉ちゃん』と呼ぶことを決意した。

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