姉たちは弟の性欲を求める

「あははは。なるほどねえ。それは災難だったね」


 衣緒さんの部屋にて。

 衣緒さんを押し倒すような体勢になってしまったワケを話すと、テーブルを挟んで向かいに座る奏美さんは笑いながら聞いてくれた。


「それならまあ、しょうがないけど。衣緒お姉ちゃんもドジなとこあるから、瑞稀くんが全部悪いワケじゃないことは分かる」


 渋々といった様子だが、鈴乃さんも納得してくれたようだ。鈴乃さんは勉強机に座りながら、こちらを見下ろしている。

 衣緒さんの部屋は女の子の部屋らしくはなく、とてもシンプルだ。勉強机、ローテーブル、ベッド、クローゼット……と必要最低限のものしか置いていない。


「うん。私ドジなとこあるから。ぶつかっちゃったのは私のせい」


 ベッドの上で体をまるめている衣緒さんは、視線だけをこちらに向けている。

 姉たちは三人ともパジャマ姿なのだが、俺はまだお風呂に入っていないのでダル着姿だ。ちょっとだけ浮いている気がする。


「いやいやいや。俺もスマホ見ながら歩いてたんで、どちらかというと俺の方が悪い気がします」


「じゃあ、お互いさまで」


「いいんですか……ありがとうございます。お互いさまで」


 どうやら今回の件は『お互いさま』という結論で落ち着いたようだ。

 衣緒さんを押し倒して胸に顔を埋めたところだけを切り取ると、俺の方に百パーセント非があるが……本人が「お互いさま」と言ってくれるのだから、お言葉に甘えることにしよう。

 衣緒さんって優しいんだなあ。


「それで? 今日の会議の議題は?」


 奏美さんはテーブルに置いてあったクッキーを手に取って、ベッドで丸くなっている衣緒さんに尋ねた。

 すると衣緒さんは体を起こして、ベッドの上で足を崩して座った。


「今日の議題は、瑞稀くんの性欲について」


「俺の性欲について、ですか?」


「そう」


 コクリと頷いた衣緒さんはベッドから立ち上がり、おもむろに俺の隣りに腰を下ろした。

 その行動に他の三人がキョトンとしていると、衣緒さんは不意に俺の手をギュッと握った。


「どう?」


 コテンと首を傾げながら、衣緒さんは俺の顔を覗き込んだ。


「どう、とは」


「ドキドキする?」


「……しないですね」


「興奮する?」


「……しないですね」


「いきなり手を繋がれてどう思った?」


「いきなりどうしたんだろう……って思いました」


 質問に対して正直に回答すると、衣緒さんは「そう……」としょんぼりとしてしまった。

 なんか悪いことしちゃったかな……と思っていると、今度は奏美さんが俺の目の前で腰を下ろした。

 そのままじーっと視線を合わせると、奏美さんは俺の顔を両手でがっしりと掴み──キスをした。

 唇だけのキスをすると、奏美さんはすぐに顔を離した。そこにあった奏美さんの顔は、ニヤニヤとしている。


「アタシのキスはどうだった? ドキドキした?」


「ドキドキっていうか、いきなりキスされたんでビックリしました」


「あー、ビックリしちゃった感じか。ちなみに興奮は?」


「しないですね」


 正直に言うと、奏美さんは俺の下半身を見てから苦笑いを作った。


「たしかに。興奮してないみたいだね」


「ズボンの上からでも分かるんですね」


「男の子は分かりやすいから」


「そんなもんですか」


「うん、そんなもん」


 奏美さんはそう言うと、何かを思い出したように「あ、」と口にした。


「もしかして瑞稀くん。キスしたの初めてだったとかないよね」


「あー、そう言えば初めてでしたね」


 性欲なんてなかったし、彼女すらも居たことがないので、今のが俺のファーストキスになった。

 なので頷いてみせると、三姉妹が「え、」と声を合わせた。


「え! ほんとに!?」


 珍しく慌てたように、奏美さんが前のめりとなる。その際にシャツの襟から、チラリと谷間が覗いた。衣緒さんの胸よりも、奏美さんの方が大きそうだ。


「ほんとですね」


 あれがファーストキスだったと言うと、奏美さんは自分の額に手を当てた。


「うわあ。まじでやらかした。ほんとごめん」


「別にいいですよ。そういうの気にしないんで」


「だって瑞稀くん。ファーストキスの相手がお姉ちゃんになるんだよ?」


 そう言われてようやく、ことの重大さに気がついた。俺のファーストキスの相手は姉となるのか……俺は別にいいけど、世間体的にはマズイのかなあ……そう思うと──


「さっきのはノーカウントってことでどうでしょうか」


 姉とのキスはノーカウント。そうしようと決意した。


「うん、アタシのせいだけどそうしてくれ」


「それがいい」


「絶対にノーカンにした方がいい!」


 これには奏美さんだけでなく、衣緒さんと鈴乃さんも首を縦に振ってくれた。

 さっきのキスはノーカウントになったようだ。


「それで、やっぱり何されても興奮しないんだ?」


 奏美さんの再確認に、俺はぎこちなくも「はい」と頷いた。

 俺が頷いたのを見た三姉妹は、三人で顔を合わせる。それからしばらくアイコンタクトを取ると、衣緒さんがまたまた俺の顔を覗き込んだ。

 それにまだ、衣緒さんは俺の手を握っている。離すのを忘れているのだろうか。


「じゃあ、私たちが瑞稀くんの性欲を取り戻してあげる」


「性欲を取り戻す? どういうことですか?」


「男の子なんだから少しは性欲ないと」


「それはそうなんですけど……どうやって性欲を取り戻すんですか? っていうか元々性欲なかったんで、取り戻すもなにもない気がするんですけど」


 そう言ってみせると、衣緒さんは俺の顔をじーっと見たまま固まった。


「あ、衣緒お姉ちゃんがフリーズしちゃった」


 と鈴乃さんが言ったので、衣緒さんは本当に固まってしまったようだ。


「衣緒お姉ちゃん。考えすぎると固まっちゃうんだよ」


「あはは」と笑った奏美さんは、そのまま衣緒さんの頭をガシガシと撫でた。すると衣緒さんのまぶたは、パチクリと瞬きをした。


「ごめん。まだどうやって性欲を取り戻すかは考えてなかった」


 申し訳なさそうな口ぶりだが、衣緒さんは無表情のままだ。きっと衣緒さんは、感情を表に出さないタイプの人間なのだろう。


「でも、性欲がない男の子、可愛い」


 かと思ったが、衣緒さんは優しい眼差しを作り、俺の頭を優しく撫でた。


「性欲がない男が可愛いんですか」


 思わず尋ねると、衣緒さんはこくんと頷いた。

 そのやり取りを近くで見た奏美さんは、目を細めて笑った。奏美さんはよく笑う人だ。しかも笑顔が綺麗なので、ずっと見ていられる。


「なんつーか。ツノが無くなったカブトムシみたいな感じだよ」


「奏美いいこと言った。瑞稀くんはツノが無くなったカブトムシ」


「そうそう。だから情が湧いちゃうみたいな」


 今度は奏美さんも俺の頭に手を伸ばして、優しく撫でてくれる。さっきまで嫌われていると思っていた姉たちに頭を撫でられている……なんだか不思議な感じだ。

 そしてふと、鈴乃さんがどうしているか気になって、そちらを見てみる。

 鈴乃さんは頬を桃色に染めながら、勉強机に座っている。そんな彼女と目が合うと、鈴乃さんはぷくっと頬を膨らませた。


「悔しいけど。わたしも性欲がない男の子は可愛いと思う」


 なんで悔しいんですか。と言おうとしたものの、頬を膨らませる鈴乃さんを見ていると、余計なことを言うと怒られてしまうかと思って黙ることにした。鈴乃さんは衣緒さんと違って、感情表現が豊かなのだ。

 鈴乃さんの言葉を聞いて、奏美さんは誇らしげな表情でこくこくと頷いた。


「満場一致で性欲がない瑞稀くんを受け入れたみたいだね。性欲を取り戻せるかは分からないけど、アタシも協力するよ」


 奏美さんは笑顔のまま、俺に手を差し伸べた。握手をしろということだろう。

 衣緒さんに握られている方とは逆の手で、奏美さんと握手をする。すると奏美さんは、笑顔を見せてくれた。


「わたしは……性欲ない男の子の方が好きだけど、瑞稀くんが可哀想だから協力してあげてもいいかな」


 唇を尖らせながらも、鈴乃さんは俺の性欲を取り戻す手助けをしてくれるらしい。俺は性欲をつけたいなんて、お願いした覚えなんてないんだけどな……。


「えっと、ありがとうございます……?」


 だから疑問形の感謝を述べると、姉たちは三人同時に表情を柔らかくさせた。


 衣緒さんを押し倒した時は人生の終わりかと思ったが、その出来事のおかげで姉たちと仲良くなることが出来た……のだろうか。

 でもきっと、悪い方向には進んでいない……そう信じたいな……。

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