第3話 異譚侵度

 カフェテリアの二階。隅っこのソファに座って本を読むアリスを見て、沙友里は溜息を吐く。


「アリス。歓迎会くらい出たらどうだ?」


 沙友里が声をかければ、アリスはちらりと本から視線を外すも直ぐに本に視線を戻す。


「私なんか関わっても良い事無い」


「そう思っているのはお前だけだ。瑠奈莉愛も餡子もお前に会うのを楽しみにしてたぞ?」


 言いながら、沙友里はアリスの隣に座る。


「気にしているのか?」


 主語の無い言葉。けれど、アリスにはそれで通じる。


「しない方がおかしい」


「まぁそうだが、きっと知られたところであの子達は気にしないさ」


「そんな保証無いでしょ」


 キッと睨みつけるように鋭い視線を向けるアリス。


 しかし、アリスのそんな視線などなれたもの。沙友里は優しくアリスの頭を撫でる。


「大丈夫さ。あの子達はそんな事気にするような――」


「そんな事じゃない」


 声を荒げた訳では無い。けれど、はっきりとした強い語調でアリスは沙友里の言葉を遮る。


「そんな事って思えるなら、こんなに悩まない」


「……そう、だな。すまない。今のは私の失言だった」


 頭を下げて謝罪をする沙友里を見て、アリスは気まずそうに視線を逸らす。


 アリスは人の真摯な気持ちを受け取るのが苦手だ。謝意であれ、好意であれ、苦手だ。敵意であれば、どれだけ向けられても知らん顔が出来るのに。


「……別に、謝って欲しい訳じゃない……」


「いや、言葉が過ぎたんだ。きちんと謝らねばな」


「……そう……」


 アリスはただ気まずそうに視線を逸らす。


 そんなアリスに、沙友里は優しい声音で言う。


「まぁ、なんだ。今日は新人を立てると思って、参加してやってくれないか? 二人とも、本当に楽しみにしていたんだ」


「……だから嫌」


「どうして?」


「幻滅されるから……」


 アリスには人には言えない大きな秘密がある。


 その秘密は今日明日で露見するものではないけれど、いずれは必ず露見してしまうものだ。その時、きっと彼女達は幻滅する事だろう。


 まだ先の事。けれど、いずれ確実に来る未来の事。だからこそ、恐ろしいのだ。


 アリスが悩む理由を、沙友里は知っている。


 幻滅される事もアリスが他の魔法少女と距離を置く理由だけれど、それ以外にも一つ大きな理由がある。そのせいで、余計に他人との距離を空けるようになってしまったのだ。


 そこから先は言葉に出来ない。


 アリスは、いや、魔法少女は、常人には測り知れない程の重責を抱えている。その最たるものがアリスであり、他の魔法少女とは比べ物にならない程のものを背負っている。


 だからこそ、軽々に言葉には出来ない。


 アリスの背負ったものはあまりにも重すぎるのだ。


 特別な事情が絡み合い、本人にはどうしようもできない程まで複雑化してしまっている。


 その一つでも解いてやれれば良いとは思うけれど、思う程簡単には行かない。


 ぱたんっと本を閉じて、アリスは立ち上がる。


「……挨拶もしたし、帰る」


 厳密には挨拶はしていないけれど、無理矢理参加させるのも酷だろう。


「分かった。皆には私から伝えておこう」


「うん……」


 一つ頷いて、アリスはカフェテリアから出ていく。


 その背中が酷く寂しげだと思ったのは、きっと気のせいではないだろう。少なくとも、沙友里はそう思いたかった。





 カフェテリアを出て、アリスはとある一室へと向かう。


 この異譚対策軍本部の中に、アリス専用のプライベートルームがある。もっとも、アリス専用である事は知られておらず、ただ立ち入り禁止となっている事しか知られていない。


 そこは、対策軍が用意したアリス専用の秘密の部屋なのだ。


 何せ、アリスには極秘事項が多いのだから。


 カードキーで部屋に入り、アリスは一つ溜息を吐いた後に変身を解く。


 煌びやかな光がアリスを包み込んだと思えばすぐに霧散する。


 アリスの代わりに立っていたのは、異譚対策科第一高等学校の制服を着た一人の――少年・・だった。


 名を、有栖川春花。そう、アリスの人には言えない事情と言うのは変身前が男だという事だ。世界中どこを探しても、男が魔法少女に変身したという記録は残されておらず、事実上春花のみ記録として残されている事になる。


 知られてはいけないのだ。英雄アリスが男であるなんて事。もし露見すれば、それは国の恥になる。


 皆が憧れた魔法少女が、男だったなんて。軽蔑の対象になってしまう。


 少なくとも、功績だけを見れば春花を軽蔑しようだなんて思う者は居ないだろう。春花は文字通り救国の英雄だ。二年前の出来事だというのに、既に教科書に載っている程なのだから。


 異譚には脅威度がある。その脅威度を侵度、つまり、世界への侵食度として表し、『異譚侵度』と呼称している。


 侵度は最低がDであり、そこからC、B、A、Sと上がって行く。


 異譚侵度は世界への侵食力の強さで決まり、発生直後の侵食力で異譚の大体の規模が測れる。しかし、侵度は目安であり絶対ではない。


 アリスが英雄と呼ばれた事件の最初の侵度はD、つまり最低難易度の異譚だったにも拘らず、徐々に勢力を拡大して侵度Sまでに膨れ上がった。


 アリス以外の他の魔法少女は全員死亡。異譚に巻き込まれた一般市民の生存は数名、死者は十万人を超える悲惨な結末に終わった最悪の異譚事件。


 それを解決したアリスはまさに英雄。


 けれど、英雄の足元をすくいたい者は大勢いる。国内にも、国外にも。


 解決は出来たものの、十万人も死なせてしまったのだ。加えて、貴重な魔法少女も大勢死なせてしまった。


 アリスは護り切れなかったのだ。救えなかったのだ。アリスはただ異譚を終わらせただけに過ぎない。


 英雄などと呼ばれたくは無かった。その言葉が、とても後ろめたく思えて仕方が無いのだ。


 春花はベッドに寝転がり、深く息を吐く。


「最悪の態度だった……」


 自身の素っ気ない態度を思い出し、自己嫌悪に陥る。


「……楽しみにしてくれてたのに……申し訳ない事しちゃったな……」


 異譚を解決した後、良く子供達に握手やらなにやら求められたりする。それは他の魔法少女も同じ事であり、大体の魔法少女は一緒に写真を撮ったりもする。


 いわゆるところのファンサービスというやつだ。それが住民に安心と信頼を与えてくれているのも知っている。


 けれど、アリスはそういった事の一切を受け付けていない。皆がアリスに信を置く程、裏切られた時の反動は大きいのだから。


 そのため、アリスは世間的にはとても塩対応だとして有名だ。


 流石英雄様。気取ってる。お高くとまってる。なんて言われる事もしばしばだ。


 悪態を吐かれるのは良い。その方が気が楽だ。


 けれど、塩対応をした後の子供達の悲しそうな顔を見るのは心が痛む。今は、それと同じ気分だ。


「最低だな、僕……」


 自己嫌悪の坩堝に落ちながら、春花は目を閉じる。


「ああ、最低だねアリスは。本当に酷い奴だ。キヒヒ」


 目を瞑る春花に、何処からともなく声がかかる。


 けれど春花は驚かない。それが神出鬼没である事は春花が良く知っているのだから。


 目を開けて声の方を見やれば、春花の頭の直ぐ横にそれは座っていた。


 灰と黒の深い毛並み。まん丸大きなお目々めめと耳まで裂けた大きな三日月の口の小さな生き物。


「煩いよ、チェシャ猫」


「キヒヒ」


 むっとしたように春花が言えば、灰と黒の猫――チェシャ猫は笑うように一つ鳴く。


「アリス、仲良くおしよ。このままじゃアリス、はみ出し者だよ? キヒヒ」


「良いんだよ。僕は輪の外が丁度良いんだから」


 言って、春花はチェシャ猫を抱き寄せてから眼を瞑る。


「キヒヒ。アリスは天邪鬼だな」


「臆病なだけさ……」


 柔らかい毛並みに手を這わせ、春花はゆっくりと眠りに落ちていった。

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