火、あなたはまた、仕事を忘れています。

「おはようございます、火。あなたが丁寧に燃え続けてくれたので、風邪をひかずに済みました」


 寝て起きた魔女は、さっそく人がいる場所を探そうと、火を連れて歩きはじめました。

 人間は、思いのほか簡単に見つかりました。しかし、それは魔女が探しているような人ではありませんでした。魔女は林の陰に隠れました。

 見つけたのは、魔女を探しにきた二人の追手だったのです。


「火、新しい仕事です」


 魔女は追手に聞かれないように、声をひそめて言います。


「彼らを殺しなさい」


 火は少し揺らぎました。けれど、魔女が与える仕事をこなすのは、大切な約束です。追手の一人に死角からとりついて、火は一気に燃え上がりました。追手は低くうなってじたばたと抵抗しましたが、火はやがてその全身を飲み込んで、殺してしまいました。

 もう一人の追手が、恐れをなして逃げ出します。


「火、逃がしてはなりません」


 火はあっという間にもう一人の追手の周囲を燃やして、逃げられないように取り囲みました。追手は足を止めるしかなく、そのまま火に飲み込まれるだけに見えましたが、文字通りの火事場の馬鹿力といったところでしょうか、信じられない行動力を発揮します。追手は勇気を振り絞り、火傷やけどをいとわず炎のおりを突っ切ってしまったのです。火は取り囲むのに力を使い過ぎて、更に追うにも余力は残っていません。

 魔女は周到でした。火の勢いが弱いところに待ち伏せて、突っ切ってきた追手を、大きな石で何度も打ち据えたのです。二人目の追手も死にました。死体は、火に飲み込まれました。


「これは私にはうまく扱えないでしょうが、何かの役には立つかもしれません」


 魔女は追手から銃をくすねていました。

 思わぬ障害をようやく乗り越えて、人里探しの旅が再開します。魔女がしばらく歩いていると、やがて遠くに灰色の煙が上がっているのが見えてきました。


「火、あなたと同じように煙が上がるのは、向こうにも火があるからです。それは人がいることと完全にイコールではありませんが、向かう根拠には十分だと思います」


 魔女の足取りは軽くなりました。三日も歩いていくと、ついに人里へと辿り着きました。

 やってきた魔女を、人々はみな、怪訝けげんそうな顔で見ます。誰も近づこうとはしませんでした。

 やがて年かさの男が、魔女の前に現れました。魔女が立ち止まると、人々が周りを取り囲みます。

 魔女そのものを罪とする裁判があるように、一般的に、魔女は人々にとって忌避したい相手です。魔女はそれをよく理解しているので、できる限り愛想良く、自己紹介を試みます。


「見ての通り、私は魔女です。魔女ではないみなさまが、魔女を避けているのは知っています。ですが私は、無害な魔女です。みなさまには決して危害は加えません。みなさまのお手伝いもさせていただきます。ですから、どうか私とこの火が、静かに暮らせる場所を恵んでいただけないでしょうか」


 年かさの男は首を振りました。魔女にはもはや他に寄るはないので、何度も頼みこみ、頭を冷たい雪の地面につけました。けれど、決して頷いてくれませんでした。周りも誰も、可哀想だと魔女に手を差し伸べることはしません。

 我々も魔女と呼ばれた者だ、年かさの男は、ようやく口を開きました。それ以上は何も言わず、すがってくる魔女を力任せに突き放しました。魔女は食い下がろうと追いかけます。

 ところが、往生際の悪い魔女には、恐るべき仕打ちが待っていました。


「あっ」


 背後から魔女を狙っていた銃口が閃き、銃弾は無情にも魔女の身体を突き破りました。それを合図に近くにいた人々は、魔女を殴ったり蹴ったり、乱暴を始めます。

 人々は魔女を恨んでいました。なぜなら、本物の魔女と間違われ、家族を殺され、罰としてこの地に連れてこられたからです。本物の魔女がいなければ、彼らはこんなことにはなっていませんでした。彼らにとって魔女は、憎むべきかたきでしかありませんでした。

 殺せ、殺せ。人々は容赦なく叫び続けます。

 火は黙って見ていられませんでした。怒り狂って、魔女に触れようとする者を、片っ端から焼き尽くしました。何発も銃弾が飛んできますが、火にぶつかってもすり抜けるだけで、まったく効果がありません。

 人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。

 魔女の顔は苦痛でゆがんでいます。銃で撃たれた箇所を手で押さえていましたが、それでも雪は赤色に染まっていきます。


「火、私の傷口を……焼いてください」


 火は、ガタガタと揺れるばかりでした。


「はやくッ!」


 火はビクリと弾けながらも、恐る恐る、彼女の傷口に触れました。


「アアあッ! アあァっ!」


 魔女が叫ぶたび、火は心配して止まってしまいます。これではいけないと、魔女は帽子を取って、できるだけ口に詰めて食いしばります。

 火は魔女の傷口を焼き続けます。魔女は何度もうめき、泣き、のたうちました。

 ようやく傷が塞がって、火は離れました。焼けた肌に冷たい雪と風がしみます。魔女はぐったりと仰向けになりました。空は一面どんよりと厚い雲に覆われています。


「私の言っていないことを、勝手にしましたね」


 人里の惨状を顧みて、魔女は火を怒りました。


「私は人々の前で、危害を加えないと誓いました。でも、火のせいで私は、嘘つきで、不誠実な悪い魔女になってしまいました」


 火はシュンと小さくなってしまいます。


「はあ……でも、あのままでは私は殺されていたでしょう。火、あなたの行いは決して良いことではありませんでしたが、私の命を救いました」


 そう言って魔女は、力なく笑いました。


「ところで……火、あなたはまた、仕事を忘れています。今の気温は私にとって……ほどよく適温では、ありません。とても寒いです」


 火は仕事を忘れていたわけではありません。魔女の周りは、今までと同じ暖かさのはずでした。


「なんだかとても眠たくなっています。もうここで寝ることにしますが……もし私が目覚めなかったら、そのときは」


 魔女は言葉の途中で寝てしまいました。このときばかりは、火も気が気ではありませんでした。いつもより大きく燃え盛って、眠る魔女を献身的に暖め続けます。

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