忘却を恐れた束縛少年編
夜鷹昴という少年
焔天明が影法師と出会った頃。
肌の冷える霜月の放課後、少年の元に影がくる。
――――――――――――――――――――
「語るなら静かな場所がいい。君の家は少し騒がしいね、
上履き越しに足が冷える廊下。人の気配が消えた校舎の中で、俺だけが取り残された感覚が湧いてくる。
職員室に寄って下駄箱に向かっていた放課後。そこから音が無くなるおかしさに冷や汗が流れて、気づけば鞄の紐を握り締めていた。
唯一いたのは銀髪の男。背後に立ってた変な人。目には黒布。両手は背後に回って、黒いワイシャツと黒いズボンが不気味なほど似合ってる。
いやコイツ誰だ。圧倒的不審者なんだけど何処から入っ、て、
「え、」
「ん?」
男の足が、俺の影に沈んでる。
一気に鳥肌が立った俺は、鞄を咄嗟に投げかけた。
いや、でも、それは良い子がすることじゃない。
瞬間的に踏みとどまる。その間に自分の影から伸びた黒い紐に縛られた俺は、近くの空き教室に連れ込まれた。叫びそうになった口は塞がれる。扉の鍵がかけられて血の気が引く。
俺の前にするすると近づいた男は、背中で両手を縛っているのだと分かった。器用に背面で鍵をかけた相手は黒布をつけた顔を近づけて、形のいい唇で笑う。
「教えてくれるかい、夜鷹昴。君が一人で笑う理由。なんでも受け入れるその心。私は君のことが知りたくて現れた」
口から離れた影が
「なに、語るって、いやまず誰、は?」
「私は
そこで、俺の思考が止まる。
――助けを求める。
その単語だけが頭を回り、俺の震えは止まっていた。
「……助けて、欲しいの? 俺に?」
「あぁ、助けて欲しい。君が必要なんだ。私を助けてくれないか、昴」
助けて欲しい人が俺の前にいる。
俺を必要だという人が目の前にいる。
ならば助けないといけない。俺に断るという選択はない。
たとえ相手が、影から出てきた怪異でも。
俺には何ら関係ない。
「何、して欲しい? 何をしたらいい? どうすれば俺は君のことを助けられる?」
俺に助けて欲しいなら、俺が助けられるなら、俺が役に立つならば、なんだってしてみせる。
口角を上げた怪異は、俺の額に寄り添った。
「まずは語ってくれるかい? 君のことを私に教えてくれ。今までの君を教えてくれ」
そんな簡単な事でいいなら、いくらでも。
俺は怪異に縛られていることも忘れて、頬が上がる感覚を止められなかった。
***
俺、五人兄弟の三番目なんだ。
上に二人、下に二人。一番微妙で、一番影が薄い立ち位置なんだよね。一番上が今は大学一年、二番目が高三。下は中三と、中一。さっき家は騒がしいって言ってたけど正にだね。全員男だからうるさいと思うよ。親は女の子が欲しかったみたいだけど、一番下が生まれて諦めたんだと思うな。性別なんて選べないんだから俺辺りで諦めたらよかったのにね。
俺の話をするなら、そうだな、俺がよく忘れられるってことを話したら分かりやすいかも。
俺はよく忘れられるんだ。兄弟が多いのに親は二人だとさ、やっぱり気にかけられるのって限られるんだよね。俺は怒られる兄貴たちを反面教師にしてきたし、迷惑かける弟たち見て手のかからない態度をとってたんだ。その方がいいかなって、怒った後にため息吐いてる母さんとか父さんを見てると思ったから。
でも手のかからない子って、放っておいても大丈夫な子って思われるんだろうね。別に何も大丈夫じゃないのに。父さんは兄貴たちによく構うし、母さんは弟たちに構うし。なら俺のことは誰が構ってくれるのってなったら別に誰も。兄貴同士で仲いいし、弟同士で仲いいし、俺はその間を行ったり来たり、みたいな。
学校でもそう。自己主張の仕方とかよく分かんなくて、特徴もないからかな。班決めとかなかなか入れてもらえなくて、二人組作る活動の時とかよく余った。勉強はそんな苦手って感じでもないけど、飛びぬけて良いって訳でもないから埋もれてるし。没個性って感じ?
リーダータイプでもないし、暗い奴でもないと思うけど、ゲームで例えるなら村人Dくらいになるんじゃないかな。いてもいなくても問題ない奴。そんな感じ。
宙ぶらりんなんだろうなって思った。家でも学校でも俺は「気にしなくて大丈夫な子」だと思われてるけど、全然大丈夫じゃない。でもそういうことを伝えてため息吐かれるのは嫌だし、怒られるようなことをやる気もない。ならどうしようかなって思ってたら、小学生の頃かな、弟の宿題を教えてたら母さんが褒めてくれたんだ。
『昴は良い子だね』
頭を撫でてもらえた。良いお兄ちゃんだって褒められたんだ。
それが俺、嬉しかったんだよ。すっごく嬉しくて、もっと褒めて欲しくて、今度は兄貴のお願いを聞いてみたんだ。「何かして欲しいことない?」って声かけたら、兄貴が当番だった風呂掃除頼まれた。
だから代わりにやった。そしたら兄貴も褒めてくれたんだ。
『ありがとな』
すっごい軽く、押さえる感じで頭を撫でてくれた。そしたらまぁ、やっぱり嬉しくて、嬉しくて……嬉しくてさ。
それから俺は家の中で「何か手伝う?」が口癖になったかな。弟たちは宿題手伝って欲しいとか、母さんたちは家事の手伝いとかお願いしてくれた。
『ありがとう昴』
『昴は良い子だな』
『助かる』
そういう言葉を貰う度に嬉しくて、それは学校でも同じだった。
友達や先生のお願いとか聞いてたら、俺は褒められる良い子になれたんだ。俺を必要として、俺のこと忘れないでくれた。仲間に入れてくれたし、先生は褒めてくれたし。
褒められたくて、助かったって言って欲しくて、宿題を写したりした。掃除とかも率先してやったし、全然知らない人から貰ったラブレターを本命の人に渡す伝書鳩みたいなのもよくやったな。俺なら上手く届けてくれる、みたいな。
学校ってさ、一定の期間ハブられる子とかいるじゃん。分かんない? 今の期間はアイツを無視するけど、次の期間はコイツみたいな。そうやって無視されてる子は決まって俺の所に来た。俺と一緒に行動して、俺と仲良くなって、でもハブられる期間が終わったら俺を置いて元のグループに戻っていく。それで次の子が期限付きで俺と仲良くなる。
よく分かんないよね、あれ。ハブられたんなら俺とずっと一緒にいればいいのに、元の場所に戻るんだから。俺は有効期限付き。渡り鳥の止まり木みたいな感じか。便利だよね。
俺はハブられたことないんだ。そろそろ回ってくるのかなって感じすらなかった。そこでも俺は忘れられてるんだ。
あ、これは失敗してるかもって思ったのは、中二の頃だったな。
『昴ってほんと便利だよなぁ』
クラスのノートを集めてたら聞こえたんだよね。俺は当番じゃなかったけど、当番の子が変わってほしいって頼ってくれたから。そりゃもう二つ返事で了承した。
『なんか困ったら頼めば大丈夫だよな』
みんな帰り支度してる放課後に教卓でノートを数えてたら、なんとなく聞こえたんだ。色んな奴が教室から出てたし、歩いてたし、誰だろうって特定する気はなかったよ。でも聞こえた以上は言われたって事実があるわけで、喉の奥が一気に締まってさ。
でも、失敗だって思いたくないじゃん。便利な奴でもいいから頼られてたら嬉しいじゃん。だから気づかないフリした。気づいてない顔して卒業して、高校生最初のゴールデンウィークかな。
『あ、』
SNSで見たんだよ。中三のクラスメイト、俺以外が全員集まる会したって報告。楽しかったって投稿を見たんだけどさ、俺、それに呼ばれなかったんだよね。声かけられてないし、誰も俺が来てないって事にも気づいてない感じ。
そこで急に怖くなったんだ。
俺は褒めてもらいたくて、頼られたくて色々してきた。でもそれが相手にとって都合のいい事で、止まり木のままだったら結局は忘れられるんだって。
家の中でもそうだ。俺は家事全般をするし、一番言うこと聞いてる良い子だって自覚がある。そうあろうとしてる。でもそれが当たり前になってたらさ、俺への認識って薄まってるんだろうなって。
このままは嫌だ。でも悪い子になれない、ため息はつかれたくない。褒められるのが好きで、ありがとうを俺は求めてる。でもそれだけだったら忘れられる。止まり木を覚え続けてくれる人なんていないんだ。結局みんな飛び立って行くんだから。
俺は誰かの巣になりたい。誰かにずっと必要とされて、俺がいないと困るって言われて、俺の事だけを頼って欲しい。
忘れないで、俺を忘れないで、俺を見て。
だって、誰にも覚えてもらえないなんて寂しいじゃん。
だから高校からはどうしたら忘れられないか考えた。でもずっと続けてきた行動ってなかなか変えられなくて、こんがらがっちゃって。
なんでもする俺は面白かったんだろうね。クラスの中心みたいな奴らに呼び出されて、ちょっと橋の上から飛んでみろって言われたんだ。この夏だったな。
「いや、虐めではないと思うな。ほんとに。頼んだらなんでもする奴って認識があったみたいだから、どこまでするのか試したかったみたいな?」
人通りの少ない時間だし、暑くなり始めてる時期だった。
そこで思いついたんだ。忘れられない方法、記憶に残してもらえる方法。
俺がしてることが当たり前に染まってるから駄目なんだ。どうせできないって思われてることを成功させたら、それは衝撃的で、強く記憶に刻まれると思ったんだ。
『飛んだら、俺のこと忘れないでくれる?』
『おー、そりゃ勿論』
『なら喜んで!』
『……は?』
俺は柵を飛び越えて、提案してきた相手の方を見ながら飛んだよ。笑顔の方が印象良く残るかなって思ったから全力で笑った。いや、これで忘れられないって思ったら嬉しくて自然と笑ってたんだけどさ。
飛び込んだ川は思ったより深かったけど、流れも穏やかだったし浅瀬には直ぐ上がれた。
『ねぇ! どうだ……』
全身びしょ濡れだったけど爽快な気分でさ、橋を見上げたんだ。拍手してくれるかなぁとか、俺のことしっかり覚えてくれるかなぁとか色々想像してた。
でも、橋にはもう誰もいなかったんだ。俺の荷物だけが置かれてるのが見えて、一気に体が重たくなるよね。
水を吸った制服が重くて、靴もぐちゃぐちゃで気持ち悪いし、髪もぺったんこになるし。急に力が抜けて暫く動けなかったんだけど、なんとか這いつくばって帰ったよ。いや、ちゃんと歩いたんだけどさ、気持ち的にはナメクジになった感じかな。
『うお、昴どうしたんだよ』
『えー……っと、川に落とし物して探した結果』
『なんだそりゃ』
ケラケラ笑う兄貴は雑にタオル投げて終わったし、母さんや父さんも「気を付けなさい」で終わったな。特に怒られるとかなかったし、怪我もなかったし。
いや、落とし物して頭の先から爪先まで濡れることはねぇだろってツッコミはあったよ。でもそこを気にしないって言うのは、つまり俺への関心ってその程度だってことだよね。
その日はもうずっとナメクジの気分だったよ。ズルズルズルズル、体重たくて仕方ないし、なんかもうどうしたら良いのか分かんないし。
次の日から学校も最悪だけどね。
なんか、飛び込めって言った奴らが俺のことを「頭おかしい」ってクラスに広めてたんだ。そしたらみんな一気に腫れ物扱う態度になっちゃって。前の日まで色々頼まれてたのも一切なくなって、何も知らない先生だけがいつも通りみたいな。
クラスで「頭おかしい奴」って言われたら、結局は学年中に広まるんだよね。俺は笑顔で川に飛び込んだ奴になって、次の日も平気な顔で笑ってる訳わかんない奴になっちゃった。
それはそれで忘れられないってことかもしれないけど、違う、違うじゃん。俺はそういう忘れられないを求めた訳じゃないんだ。
「俺はもっと、もっとさぁ、普通に……普通に俺のこと、忘れられたくなくてさぁ」
話していると視界がぼやけてきた。上ずった情けない声に驚いてると、俺の頬をボロボロって涙が流れてた。
自分の話をしてただけなのに。語れば助かるって言ってくれた怪異に話してた途中なのに。
「ごめん、ごめ、ごめん。すぐ止める、すぐ話すから、」
「昴」
怪異は俺の
俺を縛っていた紐は影に引っ込んで体が自由になる。
脱力しそうな両手で怪異の頬を撫でたら、相手はやっぱり柔らかく笑ってくれたんだ。
「いいね、良い子だ、君はとっても良い子だね。だから私は君に決めたよ、私の光源に」
「光源……?」
「あぁ、光源になって私を助けておくれ。そしたら私は君の願いを叶えてあげよう」
冷たい唇が鼻の付け根に落とされて、俺の両目から最後の涙が零れていく。俺は銀髪に指を通して、冷え切っている怪異に問いかけた。
「どうしたらいい? 何をしたらいい?」
「これから教えてあげる。最初は、昴、君の願いを教えておくれ。そうすれば私のアルカナをあげる。死者を生前の状態で蘇らせるという願い以外ならば、私はなんだって叶えてあげよう。
こちらの緊張を溶かすような怪異、
その頬から手が離せない俺は、どうしようもない願いを口にした。
「俺の願いは一つだよ――どんな時も、俺を忘れないでくれる人の傍にいたい」
俺を忘れないで、俺を必要として、俺がいてくれたらいいよって言ってくれる人と出会いたい。その人の傍にいたい。先の分からない人生の中、その人と一刻でも早く出会えれば、俺は嬉しくて堪らないと思うから。
「聞き届けた」
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