焔天明は招待する

 ハイドの住宅街。細い路地の真ん中で、俺を跨いで立っている焱ちゃん。彼女の白い髪は肩を滑り、俺の着物の合わせ目にガントレットの指先が触れている。 


 静かに瞼を下ろした焱ちゃんは、口元に緩く弧を描いた。指先は着物から離れていき、つられるように俺は上体を起こすのだ。


 俺から離れた焱ちゃんは書きやすい笑顔で喋っている。


「先程はありがとうございました。助かりました」


「あぁ……いいさ。レリックを倒してバクも焼いたのに、あの場に留まる意味はなかっただろう」


「別に、置いて行ってよかったんですよ」


 ……は、


 誰が、何を、何処に。


 俺が、焱ちゃんを、あの場に?


 そうこの子は言いたいのか?


 視界は突然色を戻し、影法師ドールたちがジキルに戻したのだと数度の瞬きで理解した。


 路地裏から高架橋の方を見るが、そこには変わらず交通量の多い道路がかかっていた。焱ちゃんも同じ方へ笑みを向けており、夕焼けが黒く戻った髪を照らしている。


「壊れていないんですね」


「影が壊れたところで本体に影響なんかしないわ」


 ザ・ムーンは薄く笑い、風に包まれた焱ちゃんから武器が消えた。立ち上がった俺は大筆を消し、片頬を上げて笑うのだ。


「なぁ焱ちゃん、どうして俺が置いて行かないといけないんだ? 先に焱ちゃんを見つけたのは俺だろうに」


 線になった焱ちゃんの目を覗き込む。彼女の目元は少しばかり痙攣した。


 焱ちゃんを先に見つけたのは俺である。いや、もしかしたら稲光少女の方が発見は早かったのかもしれないが、先に自己紹介したのは俺なのだ。先に行動を共にし始めたのは俺なのだ。


 それなのに、どうして俺が焱ちゃんを置いて行かねばならないんだ。


 どうして俺が奪われないといけないんだ。


 俺は勢いよく焱ちゃんの背後にある住宅の塀を蹴る。草履の裏で塀を踏みにじれば、自然と上体が曲がった。


「篝火焚火、俺は絶対にお前を逃がさない。そう決めている。だから奪われるなんて以ての外だ」


 焱ちゃんは口角をより上げて顔を固める。塀に阻まれた彼女に逃げ道など無く、俺は片頬を目一杯上げるのだ。


「失敗したのは焱ちゃんかもな。俺の視界から消えられた瞬間だったのに、俺を助けてしまったんだから」


 暗に問いかける。なぜ助けたのか、と。


 細めた目の奥で俺を見つめる焱ちゃんは、笑ったまま首を傾けていた。


「さっきの高さ、落ちたら焔さんの足はぐちゃぐちゃになったんだろうなぁと思うんです。瓦礫で潰されてたかもしれませんし」


「あぁ、まぁそうだな」


「そしたら私、剥いでしまいますよ、貴方の皮膚」


 俺の肩が痙攣する。少女はいつの間にか両目を開けており、光の入りにくい目で俺を見上げていた。


「焔さんは言葉の裏に心があると言いました。しかし私はまだそれを発見できていません。なので私以外の光源の方が瀕死になることがあれば、剥ぎたくなってしまうと思うんです。見たいと思ってしまうんです、その中身」


 焱ちゃんの指が再び俺の合わせ目に触れる。塀を蹴る俺の膝はより曲がり、俺の奥を見ようとする少女から視線は動かなかった。


 笑い続ける少女の口元は、迷うことなく言葉を紡ぐ。


「でも、それってやっぱり殺人ですよね。悪い事ですよね。そういうことはしたくないんです。私、化け物にはなりたくないんです」


 俺から手を離して塀に凭れた焱ちゃんは、再び書きやすい笑顔を浮かべた。これだけ距離が近いのに、完全に俺との間に線を引いて。


「だから焔さんの襟を掴みました。あぁ、そう、私を逃がさないとか言ってますけど、先に逃げ出すのは焔さんではないでしょうか。お互いどちらかを捨て置くとすれば、いなくなるのは貴方の方ではないでしょうか」


 夕焼けが焱ちゃんの顔に影を作る。もう夜がそこまで迫っている。


 俺がこの子を捨てるのか。それをこの子は信じているのか。


 ……俺が捨てなければ、焱ちゃんはずっと一緒にいてくれるとでも言うのか?


 思わず息を吐きながら笑ってしまう。徐々に声は大きくなったが、そんなことはどうでもいい。


 あぁ、この子は、やっぱり逃がさない。絶対に。


 俺が離れるなどと思うなよ、螺子の入れ場所を間違えた怖がりな子。縁を切れない愚かな子。


 仲良くなれずとも、怖がり続けてくれればそれでいい。俺を見ていてくれたら全てを許そう。


 だから焱ちゃん、俺にもお前を見せてくれ。


「焱ちゃん、明日は学校休みだな? うちに招待しよう」


「……はい?」


「来なくても迎えに行く。居留守使ったら玄関を燃やす」


「は、」


「来い。返事は了承のみ」


 焱ちゃんの頬が目に見えて震える。


 俺は片頬を上げたまま、夕焼け色に染まる焱ちゃんを記憶に刻んでいた。


 ***


「ようこそ焱ちゃん」


「こんにちは、さようなら」


 よく晴れた午後、焱ちゃんは我が家にやってきた。正確には我が家の門の前に書きやすい笑顔を浮かべて立っているだけなのだが。その足は即座に帰路に着こうとしたので、俺は焱ちゃんの進路に立ち、着流しの袖に腕を入れた。


「家に来るとはつまり上がって行けということだが?」


「人のバイト先に来る訳わかんない人の家に上がれとか無理だと思うんですよ」


「最近口数が増えてくれたな。嬉しいぞ」


 笑顔の焱ちゃんはどうやら少し機嫌が悪いらしい。休みはバイトを入れていると言うので、俺はドラッグストアに足を運んだ。そこで品出しをしていた焱ちゃんを物陰から観察していたら彼女が早退したのだ。体調は悪そうに見えなかったので従業員用出入り口で待っていたら、無事に午後の約束を取り付けられた訳である。


「早退してくれたと言う事は焱ちゃんも来る意思があったんだろ?」


「来る意思なんてありませんでしたよ。店内を一時間以上徘徊する着物姿の男性が現れなければ」


「では俺が行ったのは正解だったわけだ」


「不正解ですよ。他の従業員の方に色々と噂を立てられたんですから。早退したかったのではなく早退せざるを得ない空気になったんです」


「そうか。あぁ、お茶と和菓子を出すが苦手はあるか?」


「全部バク味ではないですか」


「それもそうか」


 立ち話も何なので家の中に招けば、笑顔の焱ちゃんから長い長い溜息が吐き出される。連日、稲光少女と夜鷹少年につきまとわれているのだから溜息も出るよな。分かるぞ。


 焱ちゃんを自分の部屋に通して緑茶と適当な菓子を見繕う。人を家に招いたことはないので作法が分からないんだよな。どうしてこういったことを親は教えてくれなかったのか。


 部屋に戻ると、焱ちゃんは俺が出た時と寸分変わらない所に座っていた。段違いの黒髪と暗い黒目を見下ろして、少しだけ襖を閉めるのを躊躇する。


「手伝いますか?」


 立ち上がった焱ちゃんにお盆を取られそうになったので上げてしまう。焱ちゃんが手を伸ばしても寸での所で届かない高さにすると、焱ちゃんの線になった目元に血管が浮かんだ。


「客人は座っているといい。気持ちだけいただこう」


「あぁ、ありがとうございます」


 焱ちゃんは座布団に座り直し、俺は緑茶と菓子入れを座卓に置いていく。正面にいる焱ちゃんの目には今日も光が入っておらず、俺は喜々として棚を漁った。


「それで、焔さんの要件はなんですか?」


「稲光少女と夜鷹少年の件だ、っと」


 俺はまだ燃やしていなかった書や展覧会に出した物を抱えて机の横に放っていく。焱ちゃんは半紙を横目に見ながら緑茶にバクを入れていた。零さんがしているように、小瓶にすり潰したバクを入れているようだ。そういえば焱ちゃんと零さんは仲が良いんだろうか。


 俺は饅頭のような菓子を手に取り、千切ったバクに挟んで口に入れる。焱ちゃんは静かに緑茶を啜り、俺はバクを嚥下してから口を開いた。


「あの二人と鉢合わせるとバクの集まりが激しくなる。そこに零さんも揃えば最悪だろう。昨日の数はあまりにも多い」


「そうですね」


「だから俺は稲光少女とも夜鷹少年とも会いたくないんだが、なぜかいつも鉢合わせるよな。理由に心当たりはないか?」


 焱ちゃんは視線を斜め上に向けて「ないですね」と呟く。俺も鉢合わせる理由までは分からない為、共に検討できない内容を話しても意味はないな。では次。


「焱ちゃんは稲光少女のようなタイプに好かれる性質を持っているのか?」


「……知らず知らずのうちに地雷を踏み抜いているのかもしれません。本当に無意識なんですが」


 焱ちゃんの目が明確にすさむ。例えるなら死んだ魚の目とでも言えばいいだろうか。生温くこちらを見る目はいったい何を考えているのか分からなかった。


「心当たりは?」


「一切ありません」


「そうか」


 本人に自覚がなければどうしようもないな。


 俺はバクを浮かべた緑茶を口に含み、居心地の悪そうな焱ちゃんを観察した。


 俺の書を怖がった子。俺の墨の奥を見た子。文字の中に幾重もの感情を隠した子。


 焱ちゃんは常に中身と外見の一致を求めて周りを見ている。ならば、相手が見せていない面を見ることにと考えても間違いではない気がするんだが。


 残念ながら人は一人だと生きられない。自分と同じ思想や価値観の者を探し、口には出さずとも自分を理解して欲しいと願うのが人だ。承認欲求とはまた違う、自分という存在を否定しない他者を求めて、得ることができれば胸が躍ってしまう。


 俺こそ正にその典型だ。一人で書き上げる芸術を分かって欲しいと望み、分かってくれた人と仲良くなりたいと異形に願っているのだから。


 だが、俺のような奴はそうそう仲間を見つけられない部類だと自覚がある。まず趣味が趣味だ。自分で書いた書を燃やして笑うのが趣味だと伝えて理解されるなどとは思っていない。


 それでも、焱ちゃんはこんな俺の文字を見つけてくれた。恐れてくれた。俺が望んでいた反応を示してくれた。それがこの子の観察眼によるものであれば、俺はもっとこちらを見て欲しいと思ってしまうのだ。


 破いていい、剥いでいい。俺となんて仲良くならなくていいから、何かを渇望するのに諦めたその目で、俺の泥のような感情を見てくれよ、頼むから。


「焱ちゃんも質が悪いな」


「質が悪い……?」


 立ち上がった俺は放っていた書を開き、「失礼」と一言詫びて座卓を移動させる。焱ちゃんも立ち上がろうとしたがそれは制止し、俺は抱えた書を並べていった。


「俺の、焱ちゃんでいう所の地雷、踏み抜いた自覚は?」


「……特別賞を拝見した日に」


「あぁ、なんだ、それは自覚してくれてたのか」


 片頬が上がった俺は畳に半紙を並べ続ける。重たい墨を吸った半紙は今すぐにでも燃やしたいが、それよりも先にしてみたいことがあるわけだ。俺が焱ちゃんを招いたもう一つの理由と言ってもいい。


「ならば稲光少女に関しても何か思い当たる節があるんじゃないか? ゆっくり思い出してみよう」


「いや、ぁの、」


「焱ちゃんは彼女の店によく行くんだろう? どんな話をした? どんな行動を取った? 彼女とどの程度視線を交えた」


「ほむらさん、」


「きっかけなんて些細なものだろう。焱ちゃんにとっては何でもない事が稲光少女の地雷を踏んだのかもしれないし、もしくは篝火焚火という存在の何かが刺さったのかもしれない」


「すみません、」


「昨日の状況を見るに、稲光少女は焱ちゃんに自分が作ったものを見て欲しかったようだな。あれを可愛いなどと俺は断じて言えないし肯定もしたくないのだが、焱ちゃん的にはどうだったんだ?」


 書を置き終わった俺は腰を伸ばして焱ちゃんを見下ろす。


 焱ちゃんは座布団に正座し、両手を胸の前で握り締めていた。彼女の周りには放射線を描くように書を配置したので動けまい。三百六十度、俺の書を観察できるぞ。


 彼女は顔を白くしながら視線を一点に固定し、口が歪に弧を描いている。俺は着流しの裾も気にせず胡坐をかき、膝に頬杖をついた。


 焱ちゃんは指が手の甲に食い込むほど力を入れている。並べた書は賞を取ったものも複数あり、世間的には「素晴らしい」と絶賛されたものなのだが。


「ぁの、ほむらてんめいさん、」


「なんだ?」


「なぜ、このような状況に」


「いや、こうしたら怖がってくれる焱ちゃんが見られるだろうなぁと思って」


「真剣な話し合いか貴方の好奇心を満たす作業かどちらか一方にしてくださいよ」


「同時進行できるだろ」


 焱ちゃんの目が言っている。同時進行などできない、と。それ即ち、この子は俺の書に囲まれると意識がそぞろになるという証明。


「できないか?」


「できません」


「何故」


 確信しながら問いかける。焱ちゃんのこめかみからは冷や汗が流れ、俺の背中が泡立った。


「怖いんですよ。前後左右どこからともなく、食いちぎられそうで」


 黒い前髪の向こうにある目は笑っていない。俺を射抜いた視線に自然と笑いは込み上げて、俺は目一杯口を開けていた。


 発声しない笑いが零れて体が揺れる。


 そうだな、こういう所だ。焱ちゃんは無自覚に、無意識に、誰も見つけていない確信を見つけて怖がってくれる。


 貴重で希少。普通では出会えないから焱ちゃんは逃がしたくない。


 なぁ稲光少女、お前は一体何を見つけてもらえたんだ。


 いや、何を見つけてしまったんだ。


 笑いが止まらない俺は、やはりあの少女と夜鷹少年とは距離を取りたいと思うのだ。


「焔さん、ザ・タワーを出してください。彼の方がまだ話が通じる」


「は、」


「はいはいお呼びか~」


ザ・タワー、」


「黙れ戻れ」


「いってぇ!?」


 焱ちゃんの声に反応して顔を覗かせたザ・タワー。俺は問答無用で拳を叩き込み、異形は顔を押さえて叫んでいた。


――――――――――――――――――――


月曜日は投稿できず申し訳ございませんでした。

書き手の不調によりお休みさせていただいた次第です。失礼しました。


次話で「墨に溺れた烈火の少年編」が終了します。

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