焔天明は理解できない


「あれー、天明くんじゃん。遅れて登場とかヒーローかよ!」


 火柱の威力が落ちる距離に来ると、四足でバクの波を蹴散らす獣がいた。寄り集まって強くなった光源に向かう異形を一人で止めているその姿は野山を直線に駆ける「猪」だ。


「あぁ、零さんか。いつもと違うアルカナなんで一瞬分からなかった」


「はっ! いつもと違うは語弊があるな。自分は見せてないだけさ、アルカナの全部を」


「そうか、それは失敬」


 太くなった四肢で地面を蹴り、鋭く口から生えた牙でバクを突き刺し吹き飛ばす。その速さは制御しきれないのか高架橋の壁を壊し気味だ。もう少し違う動物はなかったのか。


 茶色の猪の面を被った零さんは猛々しさが増しており、俺と喋っている間もバクを薙ぎ払っていた。


 俺は零さんの向こうにいる影の追跡者を見る。高架橋の形を変えるほど水の衝撃が強いレリック。属性はどう考えても水。見た目からして――


「あれは水のキングか」


「そうだな。お前は相性悪いぜ、天明」


 霧雨の如く降ってくる飛沫と俺の炎がぶつかって水蒸気が上がる。レリックは青みがかった黒色の鎧に大剣を持ち、剣先に宙から水が集まっていた。


 対面しているのは稲光少女。彼女の巨大な両手はキングに向かって鋏を振り下ろし、真横から針を刺そうと空を切った。


 キングは大剣を力強く振って水の弾丸を飛ばし、鋏と針は甲高い音を立てて軌道が逸れる。どう考えても金属と水がぶつかって立てる音ではないだろ。


 稲光少女はアルカナの手が払われるのと同じように両手が上がっていた。衝撃に弾かれたような動きからして、あの手と少女は連動しているのか。軽く後退した稲光少女だが、怯えた様子は微塵も見られない。


 俺は零さんと稲光少女の間ほどで地面に筆を走らせ、零さんを飛び越えたバクは道中の火柱に向かって蹴り飛ばした。サッカーは得意ではないがいいシュートだったろ。いや、この格好ならば蹴鞠か。


「天明くん早く炎の壁作ってよ。自分も無制限に戦えるわけじゃないしさぁ」


「壁を作ったら傍観する気でしょ」


「あったりまえじゃん! 自分は面白いものを見るのが好きなんだ。そこに自分が入るのは求めてない」


 バクを突き飛ばした零さんは白い短髪を靡かせて笑う。まったく自分勝手な意見だが、この人はこういう人だよな。


 バクは俺が来たせいで勢いも数も増えており、黒い異形で道が埋められていた。


「ところで焱ちゃんは?」


「さっき街の方にぶっ飛ばされてたよ」


「そりゃまた豪快だな」


 俺は左右を確認して白いガントレットを発見する。ソルレットを使って上空からレリックを見下ろす少女は、首に抱き着く影法師ドールと何やら相談しているようだった。


 白い瞳がレリックの水を追い、旋風と共に異形の真上に移動する。稲光少女はそれを分かりながらキングに手を振り被り、再び水に弾かれていた。


「零さーん」


「お、よろしくー」


 俺は筆を肩に担ぎ、零さんが文字を超えたところで指を弾く。天を突く業火の壁にバクたちは飛び込み、驚いた稲光少女が振り返った。愛想よく手を振って見せれば、彼女は力を抜きながら笑っている。だが焱ちゃんに向けるのとは色が違う。俺と同じ愛想笑いだな。


 キングの上空にいる焱ちゃんは俺の業火に目もくれず、静かにレリックを見下ろしていた。


 道の反対側では銀色の鎖が踊り、数多のバクを捕縛している。夜鷹少年の姿は見えないが緩やかに口角を上げている姿が目に浮かんだ。あの餓鬼がこちらにいれば背中を蹴って業火に放り込みたい気分だ。


 脳内で燃えた夜鷹少年が現実でも燃える筈はなく、鎖が巨大な怪鳥型のバクを捕まえていた。


「ひゃー、疲れた。あ、後はよろしくね。自分は見てるから」


「はいはい、お好きに」


 猪のお面を外した零さんは二足歩行の姿勢に戻る。俺は筆の先を這わせながら歪んだ橋を歩き、焱ちゃんのソルレットから風が止まる様子を見た。


 頭を下にした焱ちゃんは自由落下に入り、キングは彼女の動きに気づく。焱ちゃんに向かって大剣は振られ、水の弾丸が打ち出された。


「いや、そりゃ愚策だろ」


 俺の言葉と同時に、水の弾丸と豪風の拳がぶつかりあう。宙を舞った水滴は焱ちゃんの風に巻き込まれ、少女は肘から出る突風で体を回転させた。


 キングは再び天に大剣を向けるが、剣は横から鋭く折られる。刺さったのは稲光少女の鋏であり、キングは驚く間もなく突風の接近を受けた。


 回転で勢いをつけた焱ちゃんの拳がキングの頭蓋を粉砕する。弾けた兜の内側からは黒い水が弾け飛んた。


 紐状の水は焱ちゃんを縛ったが、少女の表情は変わらない。彼女はソルレットから勢いよく風を噴射して体を回し、レリックを逆に巻き上げようとした。器用な事をする。


 俺は瓦礫に文字を綴ってレリックの足元に投げた。地面とレリックを巻き込んだ爆発。焱ちゃんは一瞬だけこちらを見たようだが、すぐに顎を引いていた。


 体勢を崩したレリックと着地した焱ちゃんを黒い水が繋いでいる。水は巻かれた影響で弛みがなく、ソルレットの威力を全開にした焱ちゃんは力強く体を捻った。釣られたキングが宙を舞う。


 長く感じる滞空の間に、勢いよく迫った巨大な左手がレリックを握り潰した。


 水が弾けて焱ちゃんを縛る糸を鋏が切り落とす。稲光少女は満面の笑みで一歩を踏み出すと、左手に握ったキングを地面に叩きつけた。


「捕まえた、捕まえたぁ」


 稲光少女は目元を紅潮させながらキングを壊していく。その度に橋は大きく揺れ、元々亀裂の入っていた部分は深いヒビを広げた。


 焱ちゃんは水の捕縛を振り切りながら地面を跳び、軽やかに瓦礫を躱していく。


「あ、あ、焚火ちゃん」


 稲光少女は焱ちゃんを呼ぶが、振り下ろす左手は止まらない。何度も叩きつけられるキングは既に頭から肩まで潰れており、大量の水が流れていた。見た目の体躯と水量が全く合っていないのだが、異形に何かしら疑問を持ち出したら決着など見込めない。


 それよりも稲光少女、焱ちゃんに何用だ。焱ちゃんは俺の方に来てくれたわけだが。


 俺は橋の横から飛び込んでくるバクを火柱で燃やし、他の範囲には鋭く鎖が伸びていた。


 焱ちゃんは俺の方を向いたまま一度瞬きし、口を真横に伸ばしている。なんだその表情、初めて見た。可愛いな。


「呼ばれているが?」


「……呼ばれましたね」


 焱ちゃんの顔がゆっくりと書きやすい笑顔を浮かべる。そのまま稲光少女の方を向いた。


「焚火ちゃん、あの、あのね、えっと……今日のレリック、可愛くなると思うんだけど、えっと、」


 稲光少女は落ち着かない様子で左手を振り続ける。その度にキングは地面にめり込み、そろそろ橋の崩落まで時間がないと思われた。


 焱ちゃんは振動で微かに体勢を崩し、俺は大筆の持ち手で軽く支える。焱ちゃんは風属性だから飛べるのではなく、普通に体重が軽くて飛べているのではなかろうか。


「すみません」


「いや、それよりこの人数で長居はどうなんだろうな」


「バクが多すぎますよね。レリックも稲光さんが捕まえてくれましたし、私達は離脱しても支障ないかと思うんですが」


「同意見」


「焚火ちゃん」


 今までで一番強くキングが橋にめり込む。そこで揺れは止まり、瞳孔を開いている稲光少女には少々鳥肌が立った。


「行っちゃう? 行っちゃうの?」


「そうですね。あまりに光源が集まりすぎるとバクも寄ってきますし、」


「なら焔さんとお面の人だけ別行動してもらったらいいよね。焚火ちゃんは昴くんと私と一緒にいればいいよね」


 どこか焦るように、まくし立てる速さで稲光少女は喋っている。彼女に近寄るバクは全て鎖に捕縛され、千切られていた。


 軽やかに稲光少女の背後に立った夜鷹少年。彼は背中合わせに少女の声を聞き、両手を軽く振っていた。


 鎖が数多のバクを食いちぎり、体を分断していく。もともと歪だったものがより歪になって転がるのは衝撃が強いな。


 稲光少女のアルカナは頭の潰れたキングを人形のように座らせる。アルカナの右手はキングの肩に鋏を食い込ませると、鎧ごと腕を切り落とした。


「この、このレリックは可愛くないよね。どんな頭が合うかな、どんな腕が可愛くしてくれるかな。今日は色んなバクがいるからいっぱい試せると思うの」


「稲光さん」


「頭は、頭はやっぱり動物系かな。人っぽいのも可愛いと思うけどちょっと変わり映えしないし、やっぱり体と頭は別々だって分かるのが可愛いよね。可愛い、可愛いんだよ」


「稲光さん」


「今日はリス、リスみたいなのもいたよね。あ、これ、これ。ありがとう昴くん。尻尾つけたら可愛いよね。鎧にリスの尻尾、ふふ。あ、焚火ちゃんはどんな尻尾が好き? 猫? 犬? 馬とか? 尻尾よりもヒレの方が好きだったりするのかな」


「稲光さん」


「魚、魚系は今日ないね。ヒレとかつけるなら腰から斬りたいよね。このレリック水の属性だったし、あ、もう水も止まったね」


「稲光愛恋さん」


 ……焱ちゃんの頭の螺子は位置がおかしいと俺は思っている。容赦なくレリックに飛び込めるのも、バクを仕留められるのも嵌める場所を間違えたからだ。頭がおかしくなければこんな現状耐えられんだろう。


 だが、この稲光愛恋という少女は螺子がどうのこうのという範疇ではない。


 焱ちゃんに語り掛けながら止まる事なく彼女の両手は動いていた。右手は多くのバクの死骸を掴み、左手の針で縫い合わせていく。水の糸は虫や動物を彷彿とさせるバクを繋ぎ、関節など分からない腕としてキングに取り付けられた。


 キングの腰にはリスの尾が付けられる。夜鷹少年が千切り落としたバクの尻尾――俺が焼いた奴らと同じ、リスのような尻尾を何個も固めて大きなリスの尾としたのだ。


 キングの頭には巨大な鳥の足が刺される。夜鷹少年が捕まえた怪鳥のバクの片足だ。


「見て、見て、焚火ちゃん」


 鋏を置いた稲光少女の右手が焱ちゃんを掴む。咄嗟の事に反応できなかった俺達は視線だけが合い、風の少女は水の少女の前に連行された。止める間もなく、あっと言う間に。


 キングの前に足の着かない状態で焱ちゃんが捕まっている。


 俺から見えるのは、頬を紅潮させた稲光少女の笑みだけだ。


「可愛いの、可愛いのが出来たよ」


 可愛い。


 小さいもの、弱いものなどに心惹かれる様。愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを抱く様。無邪気で憎めない。――かわいそうだ、不憫である。


 創られたものは圧倒的な異形。


 虫や動物の足が飛び出した腕。鎧の体。歪なリスの尾。鳥の足が刺さった首。気持ち悪いという言葉を通り越して、おぞましい異形の死体。冒涜の象徴。


 稲光愛恋。


 お前はいったい、何を「可愛い」とほざいている。


 俺は文字を綴った瓦礫を掴んで焱ちゃん達の方へ歩き出した。


「稲光さん、これは、可愛い……?」


「うん、可愛い、可愛いんだよ。あ、でも私の可愛いってあんまり分かってもらえないんだ。焚火ちゃんも無理して合わせなくて良いんだけど、ただ見て欲しくてね。焚火ちゃんの目で、見て欲しくてね」


 焱ちゃんが足を動かしかけたところで微かに稲光少女の手に力が籠もる。直ぐに大人しくなった焱ちゃんはキングにだけ顔を向けていた。


「ね、ね、焚火ちゃん。いつもの目が良い。探してる目、寂しそうな目、真っ暗な目。その目で私の人形を見て? ね? 焚火ちゃんを初めてお店で見た時、私、私ね、」


「んなの見てたら焱ちゃんの目が潰れるだろうが」


 稲光少女の言葉を潰して瓦礫を投げる。少女は瞬時に俺へ顔を向け、背後の少年と共に鎖の繭に包まれた。


 俺は瓦礫が鳥の足に当たった瞬間に指を鳴らし、真下に向かって業火を上げる。水のキングだったものは蒸発するように消えていき、圧倒的な熱量が高架橋のヒビを深くした。


「あ”ぁッ!!」


 ザ・ムーンが顔を押さえて背中をのけ反らせる。ザ・タワーは素早くきょうだいを支え、俺達の足元は一気に崩壊した。


「わ、ッ」


「恋さん」


 鎖の繭が解けて高架橋の崩れていない場所まで伸びる。無意識に手を開けた稲光少女に連動してアルカナの手も開き、焱ちゃんのソルレットから風が巻き起こった。


 素早く身を翻した少女は落ちる瓦礫を蹴って稲光少女から距離を取る。夜鷹少年は稲光少女を抱えて鎖を短くし、零さんは猫の面をつけて手を振っていた。


 なんだ、飛べないのは俺だけか。この高さから落ちた場合、足からいけば即死はないか。


 体感よりも遅く感じる落下の中で頭がよく回る。燃え切ったキングの中身を焱ちゃんは見られていないだろうが、今日ばかりは我慢してくれ。


 俺が宙で体勢を整えようとした時、豪風が俺の体を後ろへ飛ばした。


 いや、引っ張られた。


 襟を、風に。白に、掴まれた。


 俺が少しだけ上を見えると、両手で俺の襟を掴んでいる焱ちゃんがいた。


 瓦礫をソルレットで勢いよく蹴り飛び、旋風に乗って高架橋から離れる風の子。


 焱ちゃんは俺の喉を少し締めながら思い切り投げ飛ばし、俺は後ろに進むという背面絶叫マシン体験をした。


「うお、」


 見上げた空は白く立体感しかない。


 これが快晴だったら、夕空だったら、夜空だったら、さぞ綺麗だったろうに。


 目を細めた俺を正面から掴み直した焱ちゃんは路地裏に滑り込み、荒々しく地面に投げ落とされた。


「いってぇ!!」


「あらあら~、まぁ焚火ちゃんだものね。だぁいじょうぶよ、大丈夫」


「なにが大丈夫か言ってみろよ、ザ・ムーン……」


 塀に着地したザ・タワーの騒がしさやザ・ムーンのおっとりした姿勢はどうでもいい。


 俺は、仰向けに倒れた俺を跨いで見下ろす焱ちゃんを見つめていた。


 少女は真っ白な瞳に俺を映している。俺は軽く両手を広げて倒れたまま、筆はきちんと握っていた。


「焱ちゃん?」


 返事をしない焱ちゃんはガントレットをつけた指を立てる。


 人差し指は俺の着物の合わせ目に落ち、冷たい感覚が伝染した。

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