焔天明は頭が痛い

「焱ちゃん」


「はい」


 今日も決まった十七時。本日の集合場所にした高架下に、俺は焱ちゃんと向き合って立つ。少女は光の入りにくい瞳で俺を見上げていると思えば、少しだけ焦点がずらされた。


「……今日は休みの日でしょうか」


「いや、ハイドには行く。行くんだが……」


 そこで言葉が詰まる。


 俺は、何を聞こうとしているのか。


 ザ・ムーンから影法師ドールたちの事情についてどこまで聞いている?

 朱仄祀という男と知り合いか?


 だが聞いて何になる。そう主張する俺も頭の中には同席しており、上手い言葉が出てこなかった。


 聞きたいのに聞いてはいけない気がする。それは何故だ。俺の気持ちはどうしたいと言っている。


 分からない。自分の指針が分からない。こういう時は筆を握るのが一番なのだが、どうにも筆先を潰しそうなんだ。


「ありゃ、どうしたの二人して。空気がおっもいなぁ」


 十七時を数分過ぎて、合流したのは零さんだ。稲光少女たちと会い始めてからは初めてだな。


 今日の零さんは細い足を強調するズボンに体躯を見せない上着を羽織っている。首には黒いストールが巻かれており、やはりこの人の性別が分からないのだ。肩幅はないようであるし、線は太いようで細い。季節感は皆無。


 いや、零さんの性別はどうでもいいのだ。夕映零という人間は夕映零という性別なのだろうから。


 焱ちゃんの背後に回った零さんは、少女の段違いの髪をつまんでいた。


「なになに、天明くんが告白して振られたみたいな? 面白いなぁ、ちょっともう一回その場面見せてよ」


「見当違いも大概にしてくれ、零さん。俺はいま問いの文章を頭で組み立てているんだ」


「だってさ、焚火ちゃん。じゃあこの男は放っておいてハイドに行こうよ。魔術師ザ・マジシャン~」


 軽快に笑った零さんの背後に魔術師ザ・マジシャンが現れる。焱ちゃんの影からはザ・ムーンが飛び出し、銀の三つ編みが揺れていた。


「零さ、」


「じゃ、お先に!」


 焱ちゃんと、彼女の肩を抱いた零さんが消える。傍から見ると瞬間移動でもしたような状況なのだと感じていれば、ザ・タワーが影から這い出てきた。


「天明いいか? 飛ばすぞ?」


「ちょっと待て」


 俺はザ・タワーを静止して高架下から出る。


 焱ちゃんと離れたのは少々癪であるが、これはある意味好都合。俺の鳩尾でくすぶる火種に油を注ぐ元凶は、何も祀だけではない。


 いや、祀以上に鎮火せねばならぬ相手がいるだろ。中庭で天を仰いでいた俺は、そいつらをどうするかと思案していたのだから。


 夕暮れに入りそうな太陽が影を濃厚にする。橋の影と分離した俺の影は不自然に揺らめいた。


 溜息と共に左右を確認する。そうすれば見知ってしまった茶髪頭がいたので、俺の頬は痙攣しながら上がるのだ。


「夜鷹少年、なにしてる」


「恋さんと待ち合わせだけど」


 コンクリートの柱にもたれてスマホを見ていた夜鷹少年。彼はこちらに見向きもせずに答え、俺の苛立ちは燻りを増した。


 草履で地面を踏みにじり、鳩尾の奥で煮立つ感情で言葉を考える。どうすればこの餓鬼がこの場を去るか、どうすれば焱ちゃんと平穏無事にバクを狩れるか。早めに行かねば零さんが焱ちゃんを連れてどこかに行ってしまうかもしれない。


「待ち合わせの場所を変えてはどうだ?」


「変えても無意味だよ」


 茶眼が横目に俺を見る。俺の顔から自然と笑みが削げ、右手の関節が鳴った。


「お前達がいるとバクがたかる。供給過多だ。寄るな」


「恋さんが望んでるんだ。俺は行動を変える気はない」


 スマホを仕舞った夜鷹少年は柱から体を離す。柔らかそうな髪が揺れ、声色には不純が一切ない。


 目に少しだけかかった前髪の向こうには、暗い光を宿した双眼があった。


 あぁ、燻るだろ。


 そんなに真っ直ぐ歪んでくれるな。そんなに純で不純な姿勢を見せるな。俺の墨の粘度が増してしまう。


 お前のような奴、焱ちゃんの傍には寄せたくないんだよ。


「アルカナ」


 ジキルで影の呪文を口ずさむ。さすれば炎は俺の右側に現れ、握れば純白の筆が顕現した。


 高架橋から音がしない。車が一台も通らない。周囲に人の影はなく、消えてしまったような静寂が訪れた。


「アルカナ」


 夜鷹少年の臆することない声が俺に届く。彼の首には巻き付くように岩石の輪が現れ、砕けた中から鎖と錠前が出現した。


 少年の首に巻き付く銀の鎖と錠前。夕焼け色に染まった拘束具に、彼は指先で触れていた。


「レリックが近くにいるね」


「ならばお前の大事な稲光少女が危険かもしれないな。こちらに向かっているんだろう?」


「危険、か……」


 今の今まで無表情だった少年は形容しがたい表情で笑う。微かに細くなった目は俺を嘲るようで、錠前の外れた鎖が首を中心に大きく渦巻いた。


「恋さんは、一人で十分強いけどね」


 錠前を握り締めた少年の影から吊るされた男ハングドマンがうねる様に姿を見せる。俺の影からはザ・タワーが飛び出し、二体の異形は同時に指を鳴らしていた。


 視界が白に染まる。


 青髪になった夜鷹少年の鎖が上空に鋭く伸び、高架橋の道路照明灯に巻きついた。鎖は地面を蹴った少年を勢いよく引き上げる。


ザ・タワー、レリックは近くにいるか」


「いるな、この橋の上。少し進んだ所。状況的に、相手してんのは悪魔ザ・デビルの光源だろうな」


 夜鷹少年は次から次へと照明灯に鎖を飛ばし、蜘蛛のように宙を移動していく。その姿からはやはり慣れが見え、体勢を崩すなどという心配は微塵も感じさせなかった。


 迷いがないのか、あの少年は。


「どうする天明、俺達もレリックの方いくか?」


「俺はレリックより焱ちゃんを探したい。場所は分かるか?」


影法師ドール同士の確認はできねぇよ。レリックは縦の繋がりがあるから分かるが、影法師ドールは横。無理だね」


「何故そういうところは不便なんだ。お前達を作った奴は馬鹿なのか?」


「俺に言うなよ。例えばの話、敵対国同士が影法師ドールを所持して、相手も影法師ドールを連れてるなんて知れたら面倒だろうが。俺らは切り札、隠しダネってな」


 きょうだいが敵だったこともあるのか。


 俺は浮かんだ言葉を告げずにザ・タワーを見る。異形は髪を掻きながら息を吐き、俺は高架橋で轟いた低い音を耳にした。


 高架下からは馬の頭とのタコの足を組み合わせたようなバクが這い出てくる。俺は筆を地面に走らせて火柱を上げたが、燃えるバクは限られた。


 俺や墨を飛び越えて這っていくバクが何体かいる。壁や地面に張り付いて自転車並みの速度で移動する姿は気持ち悪いの一言に尽きた。他のバクも俺を過ぎて行くものが多くいる。


 俺より強い光源。魅力的な光。それに惹かれるのは影に果てた異物たち。


 この量、二人の光源だけに釣られている訳ではないか。


 俺は高架橋を見る。勢いよく水の柱が天をつき、飛沫を散らせて破裂する。


 宙に浮いた二つの巨大な手が見えた。


 一つは鋏を握り、一つは針を持っている。針には水の糸が通り、宙を揺蕩たゆたう姿は童話の魔法のようだ。


 それらを持った手を足場として蹴る白髪がいる。


 猫のような仕草はない。両手にあるガントレットが白い世界でも映えて見える。


「天明!」


 ザ・タワーの声と同時に筆を回し、持ち手の部分でバクを殴打する。吹き飛ばしたバクと散らした墨を見た俺は、もう一度高架橋を見た。


 宙を舞った白い子はもう見えない。しかし風の少女はあの場にいる。おそらく面の御人も共にいる。あそこに四人もの光源が集まっているからバクが寄る。


 俺は力を込めて指を鳴らし、空気もバクも業火で焼いた。


 あぁ、ままならない、ままならない。全ていじらしく、ままならない。


 奥歯を擦り合わせた俺は問答無用で火柱を踏み越えた。


「あ"っ"つ"!!」


「行くぞ、ザ・タワー


「行くってお前!!」


「即死ではなければ死なんだろ?」


 俺は高架下にあった鉄板を掴んで引きずり、地面に〈焔〉を綴る。距離的にここらでいいだろ。そして寄るなバク共、鬱陶しいぞ。


 俺は筆でバクを殴りながら鉄板を文字の上に置き、頭を抱えたザ・タワーを振り返った。


「まぁ、物は試しだ」


「馬鹿待てそれ失敗したら俺がッ!!」


 ザ・タワーの言葉を聞かずに指を鳴らす。焔の字はいつもの如く発火し、火柱となって鉄板ごと俺を宙に放り出した。


 心臓を撫でるような浮遊感と共に俺は鉄板を蹴り飛ぶ。少し汗ばんだ手は夜鷹少年が掴んでいた照明灯の柱を握った。落下の勢いを殺すには少々腕力が足りないか。片頬が上がってしまうな。


 俺は力いっぱい片手と両足で照明灯の柱を押さえ、落下の衝撃を緩めようと試みる。足を離す瞬間を間違えるな。掌に違和感があっても握り続けろ。こんな落下で死にはしない。


 掌を勢いよく摺りながら高架橋に着地すれば、じわりじわりと膝が笑った。止めていた呼吸を再開して背筋を伸ばす。浮いた冷や汗を拭って息を吸えば、自然と笑い声が零れてしまった。


 普段は見ることの出来ない道路に不思議な清々しさを感じる。車が一つも通っていない。爽快だな。よし。


「おま、ほんと、あぁッ……!!」


 ザ・タワーが左手を握って悶えている。火傷したらしいが、いいではないか。片手で事足りたのだから。


「両足折れなくてよかったな」


「だぁ……そうだな!」


 ザ・タワーに適当な言葉を投げ、草履の底が無事なことを確認する。バクは四方八方から高架橋に集まっており、俺が進むには幾分か邪魔であった。


 俺の武器に欠点があるとすれば、前方に攻撃できない、と言ったところか。


 俺は群がるバクを筆で叩き、燃やしながら前を見据える。


 殴打は俺の趣味ではないし専門でもない。殴り壊すのはあの子の分野だ。


 俺は文字を燃やしたい。俺の文字に燃えて欲しい。


 俺が巻き上げた業火の先で、あの子の風が舞えばいい。


「あぁ、そうだ」


 指を鳴らして飛び掛かって来たバクの群れを燃やす。カマキリにリスの尻尾がついたような、やはり変な生き物だ。そんなバクを二体確保し、一体には〈火〉一体には〈柱〉の字を背中だと思われる所に刻んだ。あとは俺の投石技術のみ。


 右肩に力を入れて、刻んだ文字が前方へ向くように投げる。地面で跳ねたバクの背中が進行方向に向いた時、俺は盛大に指を鳴らした。


 業火の柱が前方へ爆発的に伸びる。灼熱に巻き込まれたバクの群れは炭と化し、俺の道を作り上げた。


 二本の火の壁。その間を進むと決めて筆を担ぐ。俺を邪魔する影を燃やす守りの道だ。初めての舗装にしては上出来だろう。


「さぁ、進むぞザ・タワー


「天明、せめて火の威力落ちてからって言うか、この火柱止めてから行こうぜ」


「そしたらバクがまた道を塞ぐだろ」


「いやお前さぁ……」


「安心しろ。地の二番を倒した時よりも落ち着いた火だ」


「灼熱に変わりねぇだろうが!!」


 騒ぐザ・タワーを鼻で笑う。自分達を早く解放してくれと願う癖に、こういう些細な過程に駄々をこねるのだから餓鬼だな、本当に。


 俺は火の元にしたバクを横目に、二本の火柱の間に入る。火種になっているバクの間を墨で結べば入口を閉じる火柱が上がった。これで背後も気にしなくていいだろう。


 俺は飛び掛かるバクが燃える様を見ながら歩き出す。周囲からの熱気は感じるが、これといって痛みはなかった。袴の裾が少し燃えたか。袖は気を付けているんだが、やはり服を傷つけずにというのは無理か。火だから仕方ないな。


「あぢいよ天明、いてぇよ天明。ほんと、お前、なぁちょっとさぁ、清々しいにも程があるって」


「俺は問題ない。気張れよ異形」


「まちがえた、ぜってぇ間違えた。光源にする相手、俺ぁ間違えた……」


 流れる汗を拭って笑う。ザ・タワーは怨念まがいの言葉を吐きながら背後を着いてくるのだから、駄々をこねる犬を無理やり散歩させている気分だ。犬は俺の方だと思うのだが。


「早く焱ちゃんに合流するぞ。あの子の拳を見ないのは損だ」


「あーもー好きにしろよ」


 諦めたらしいザ・タワーに頬を上げ、俺のこめかみから汗が伝う。前方で勢いよく上がった水の柱は、逆巻く豪風に穴を開けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る