焔天明は迷走中

 〉稲光少女から連絡あったか?


 〉毎日お誘いがきてます


 〉そろそろ断る口実がなくなりそうだな


 〉今日は目眩が酷くて立ち上がれないと返信して学校に来てます


 〉素晴らしい


 稲光少女と夜鷹少年と出会って数日。なんの因果か、二人はハイドで偶然、たまたま、思いもよらぬを重ねて俺達と再会し続けた。


『今日も、今日も昴くんの言った通りだぁ!』


『恋さんが喜んでくれてよかった』


 この会話だけで俺達は察した。何をどうして引き合わせているかは知らないが、夜鷹少年が俺達の動向を把握し、道を決めているのだ。


 子兎のように跳ねて喜ぶ稲光少女を邪険にする気は無いが、夜鷹少年の行動は目に余るな。


『焚火ちゃん』


『たまたま、どうも、こんにちは、稲光さん』


 いや前言撤回。正直なことを申せば稲光少女も俺は邪険にしたい。出会って二日目には焱ちゃんを「焚火ちゃん」呼びしていることに頬が痙攣した。


 零さんが焚火ちゃんと呼んでいたのはまだいい。俺より先にハイドで会っていたのだから。しかし稲光少女の距離の詰め方はどうなんだ。自己紹介をした時から焱ちゃんに対する執着が窺えるのはなんなんだ。


 じりじりと太陽が力を発揮し始めている昼休み、俺は高校の中庭にあるベンチで抹茶オレのストローを噛み潰した。


「腹に据えかねる」


「天明、自分の胸に手を当てて行動を振り返った方がいいぞ」


「焱ちゃんの文字はいいよなぁほんと」


「そうだな、それがお前だった」


 ベンチと一体化した影からザ・タワーの声が響く。どこか呆れを含んでいるが、俺と稲光少女を同列に考えるのはやめろという話だ。


 俺が一体何をしたというのか。俺はちょっと焱ちゃんにつきまとうなどした結果、俺の書を見つけてくれた彼女と知り合えたのだ。何も問題などない。


「そういうや天明、願いの変更っていうのは聞けねぇからな?」


「なんだ藪から棒に。俺は願いを変えてくれなど微塵も思っていないが」


「そうか? ご執心の焱ちゃんは、お前の願いで言うところの文字を分かってくれた子だろ? ならあの子と仲良くなれれば願いは叶っちまうぞ」


 味のしない飲み物を勢いよく吸う。


 俺の願いは、俺の文字を分かってくれた人と仲良くなりたい、である。


 俺の文字を分かってくれた焱ちゃんとは出会えた。そう、たしかに出会えた。そこは間違えようのない事実だ。


 しかし、あの子と仲良くなれるかと言われたら自信は皆無だ。


 元より俺は誰かと仲良くする仕方など知らない。


 まず仲良くするとはどういうことか。自分で願っておきながらその言葉の定義を考えていなかった。願いを口にする時に考えや知識よりも感情が先行したのだ。仲良くなりたいという俺の言葉の裏には、いったい何が隠れていたのか。自分でも分からん。


 仲が良いとは、俺的に気の置けない会話ができる関係かと思っている。その前提なら朱仄あけぼのまつりが仲良い相手とも言えるが、あいつは俺の字を良い文字と評価するので完全に距離を詰めている気はない。あいつもあいつで俺のことをどう思っているか分からんしな。


 いや、他人のことを分かり切るなど無理な話か。相容れないところ、苦手なところ、嫌いなところ。そういった所も含めて許容できて、初めて相手と仲が良いと言えるのだろうか。


「あぁ……そうか」


 そこで自分の考えが腑に落ちてしまう。なんの前置きもなく、唐突に。自然と馴染んで溶けるように。


 俺は、他人に許容されたいのか。


 焔天明として、そのままの俺を。


 焔の家だとか何だはどうでもいい。俺を見て、俺の文字を見て、それを許して受け入れてほしい。


「……餓鬼臭い」


 いや、まぁまだ餓鬼なんだが。


 唇に当てていたストローを噛み潰す。なんともまぁ、子どもっぽい願望を強靭な異形に願ったものだ。


 俺を分かってくれ。俺を見てくれ。俺を受け入れてくれ。などとは承認欲求の塊ではないか。


 だが、それを恥じる気は毛頭ない。咄嗟に溢れた願いこそが俺の渇望だったのだから。


 願って何が悪い。求めることは悪か。違うだろ。


 俺は俺の文字を許せない。だから破る。だから燃やす。俺は俺を愛せない。醜い俺を許せない。


 だから自分以外で自分を許してくれる相手が欲しい。俺の文字を分かって、恐れていいから、怖い俺を受け入れて欲しい。


 なんて、惨めでちっぽけな願いだな。

 

「……焱ちゃんと仲良くはなれんさ。だから俺の願いは変わらない。俺の文字を分かってくれた人と仲良くなりたい。だから叶えてくれよ、影の異形」


「天明が俺の願いを叶えてくれたらな」


 念押しするザ・タワーに俺は体全体で息を吐く。言葉にしてなんだが、焱ちゃんと仲良くなれないと目に見えているのは少々痛いな。


 あの子は常に一線を引いている。まだ会話を始めて日が浅いと言えば前向きになるかもしれないが、焱ちゃんは何日経とうが今の立ち位置から動かないだろう。なんなら俺が一歩寄れば一歩離れるだろうな。


 だが、手の中で繋がった関係は切られない。零さんと焱ちゃんは違う。零さんは切れる人間だが、焱ちゃんは切れない人間だ。直感ではあるが。


 あの子は自分から求めない分、自分から切り離すことは無い。稲光少女の件が証明している。連絡を取りたくなければ切ればいいのだ。行きつけの店も変えてしまえばいいのだ。そうすれば夜鷹少年に殺されるような綱渡りをして胃を痛めることは無いのだから。


 しかしあの子は切れない。切らない。隣で見ていると分かってしまう。


 あの子は自分から、どんな縁も切れない子だ。


「……取り敢えず、あの二人」


 焱ちゃんに惜しげもない興味を示す稲光少女。

 稲光少女に痛々しい程の執着を見せる夜鷹少年。


 あの二人は大変鬱陶しい。焱ちゃんも焱ちゃんだ。何故あぁいったおかしな部類の人間に好かれるのか。行儀悪く貧乏ゆすりが始まりそうだ。


ザ・タワー、お前から悪魔ザ・デビル吊るされた男ハングドマンに光源を近づけるなと言えないのか?」


「あー? ……あー、あー……あいつらは無理だ。話通じねぇから」


 歯切れの悪いザ・タワーに俺は眉を歪めた。きょうだいならば何とか言えないものなのか、というのは一人っ子たる自分の押し付けだろうか。


節制テンパランス戦車ザ・チャリオットもいねぇしなぁ……愚者ザ・フールも……俺じゃあ無理だわなぁ」


「おい、何をぶつくさ言ってるんだ」


「……なぁ~、天明。お前はさぁ、ザ・ムーンが今みてぇにふんわりした奴じゃなかったって言ったら信じるか?」


 ザ・タワーの台詞にますます眉が歪む。俺の話題はどこにいった。


 影の中にいる異形は覇気がなく、俺の脳裏には膝を抱えたザ・タワーの姿が浮かんだ。


「何が言いたい」


「まぁちょっと聞いてくれよ」


 俺はストローを噛み、仕方なく異形の言葉に耳を傾ける。影の中にいるザ・タワーはとつとつと言葉を零していた。


ザ・ムーンは俺達の中で一番綺麗な奴だった。それでいて物静かだった。それこそ冷え切った月そのもので、女帝ザ・エンプレス恋人ザ・ラヴァーズによく愛でられてたよ」


 綺麗な、という表現は理解できる。銀色の透ける髪、うなじで細く結われた三つ編みは緩やかに揺れている。服装や声色も美しさを内包しているが、しかし物静かとは違うだろ。どちらかと言えば天真爛漫、それでいて少し子どもっぽい。


「物静かではないだろ。天真爛漫、天然無垢……月というより太陽、」


「あぁそうだよ、月は変わった、変えられた。冷徹な悪魔も、不屈の吊るされた男も。他にも変えられたきょうだいはいる」


 異形の言葉に怒気が乗る。口を閉じた俺は、ザ・タワーの言葉を聞くしかないのだ。


ザ・ムーンの正しい属性は水だ。悪魔ザ・デビルは地、水は吊るされた男ハングドマンの方だった」


 影の中で異形が顔を覆う。見えてはいないが、俺はそれを感じ取る。


 異形の声は心もとなく揺れていた。


「変えられた、曲げられたんだ、俺達を使ってた人間達に。それぞれが生まれ持った属性ではなく、違う属性になってくれって。その方がより強く、より願いを叶えるに最適だろうからって。生まれた時から持っていた性質を変容させられた。そうなっちまえば、それはもう別の何かだ」


 ザ・タワーは告げる。最初は正義ジャスティスが変えられたのだと。公平に吹いていた風が、裁きの地割れになってしまったのだと。


「このままだときょうだい全員が変えられる。だから隠者ザ・ヘルミットは示したんだ、人間に使われるのはやめようって。自分達ばかり使われてはいけないって。ザ・ムーンが、癒しの水が、狂った豪風になったのが痛すぎた」


「……ザ・タワー


 太陽を雲が隠す。俺の影もベンチの影も、全てを一体化させながら。


 次に日が射して影が分裂すると、ザ・タワーは俺が投げた話題に舵を戻していた。


「……悪いな、天明。俺は悪魔ザ・デビルにも吊るされた男ハングドマンにも、口添えなんて出来ねぇよ。変えられちまったアイツらに、壊すしか能のねぇ俺の言葉は届かない」


 その言葉を最後にザ・タワーは沈黙する。俺はきょうだいに絡まれていた異形を思い出し、酷な頼り方をしたのだと受け止めておいた。


 憐れな影法師。人に創られ人に使われ、よりよくなるように曲げられて。これ以上きょうだいを変えられてしまわないように、自分達を守るために選んだ道は人間に頼ってなまくらになることだなんて。


 けっきょく、お前達は人の傍にいなくては駄目なのではないか。逃げても逃げても、人という存在からは切っても切り離せないのではないか。


 他者に変えられたきょうだいを見たお前は、いったい何を感じていたんだ。


 お前の願いも、俺の願いも、全てままならないな。


「不機嫌だね、不審者」


「……そう見えるか、先導者」


 天を仰ぐ俺を覗き込んだのはお忙しい祀様。次代の生徒会の準備に勤しんでいるようだが、今は休みの時らしい。缶珈琲を持って隣に座った同級生は、背もたれに少しだけ体重を預けていた。


「今日は雑談の時間があるのか」


「流石に俺だって休憩くらい取るからね。不審者が法を犯す前に止めようかと」


「勘違いの慈善活動ご苦労と言っておこう。俺は何も犯しちゃいないさ」


「例のつきまといの子はどうなったのかな」


「聞いて驚け」


 俺は口角を上げて焱ちゃんについて語った。名前も光源のことも伏せたまま、俺の書を見てくれたこと、共通の知人経由で連絡先を知ったことを。ザ・タワーの話は頭の片隅に追いやって、俺は俺の話をする。


 まさか俺が焱ちゃんと知り合えるとは思っていなかった祀は、二重の目を見開いていた。


「それで、今は時々連絡を取ってるって?」


「あぁ、やはりつきまといは正当だったな」


「そこは肯定できないんだけど、まぁおめでとうって言っておこうかな」


 綺麗な眉を曲げながら祀は珈琲を口に含む。俺は残った抹茶オレを啜ったが、やはり味などしないのだ。缶やペットボトル型の抹茶飲料を学校に置いてはくれないだろうか。そうすればバクを仕込めるのだが。


「なぁ祀、年下の少女と仲良くなるにはどうしたらいいと思う」


「返答しかねるな。妹に聞いておくって言ってあげたいけど、それは難しいから手伝いは辞退しよう」


「なんだ、お前妹いたのか?」


「いたよ。二つ下。名前はみこと


 祀はゆっくり笑みを浮かべる。「可愛いんだよ」なんて呟くこいつは良い兄貴をしているのだろうと想像がついた。なんなら少し世話を焼きすぎて煙たがられる様子も見えた。一方的に構って嫌われるとはよく見る筋書きだが、はてさて。


「天明には言ったと思ってたんだけど」


「そうだったか、すまん、忘れた」


「まぁ会わせたことないし、仕方ない」


 記憶を辿るが、祀から妹がいると聞いた覚えがとんとない。人の家族関係に興味がなさ過ぎたのか、その日の俺の集中がそぞろだったのか。はたまた今のような雑談の中でさらりと流してしまったのか。尊などと言う名前、聞けば忘れないと思うんだけどな。


「仕方ないよ」


 繰り返す祀は珈琲の缶をベンチに置く。俺との間に置かれた空き缶は軽い音を響かせ、生徒会長様は大きく伸びをしていた。


「そういえば、天明がつきまとってる子の名前は? 出身中学とか分かればうちの高校にも繋がりある子いるかもしれないし、外堀埋められるんじゃない?」


「なんだ、協力してくれるのか」


「年下の女の子と仲良くする方法は知らないけど、この学校の生徒情報くらいなら分かるからね。手伝い辞退した小さなお詫びさ。あと、犯罪者予備軍として警戒してた謝罪も込めて」


 横目に視線の合った祀は涼しげに笑う。この悪徳生徒会長は生徒の情報を無断で公開する気か。頼りになるな、乗った。


「出身中学はまだ聞いてない。名前は篝火焚火。三つの火を持つ、面白い子だ」


 そういえば焱ちゃんは一人暮らしをしているが、高校まで実家からは通えなかったのだろうか。もしや県外出身者か? そうなってくるとうちの高校に知り合いがいる確率も減ってくるのではないか?


 少し早計だった。ほぼ収穫が得られないのに祀へ名前を教えるとは、惜しいことをしたな。


「祀、あの子はもしかしたら県外出身かもしれん。そうなれば中学から外堀を埋めるのは難しいか」


 俺が思ったままを告げても、祀からすぐに返事はなかった。いつもは淀みなく言葉を投げ返してくるくせに。


 視線を向けると、俺を射抜くように見つめる祀がいた。


「……どうした」


 この三年間で見たことないほど感情の読めない顔。いつも何かしら感情を見せている奴が突然の真顔を貫けばこちらもたじろいてしまうのだ。


 俺は居心地悪く背もたれから体を離し、祀は真顔のままだった。


「教えて」


「あ?」


「その子の連絡先、教えて」


 目の前にスマホを出されて思考が止まる。


「救わなきゃいけないんだ、その子、篝火焚火ちゃん。救わなきゃ、救い損ねた、俺が行かなきゃ」


 祀が意味の通らない言葉を繰り返す。


「自由にしてあげなきゃ、危ない、危ないから。教えて天明」


 祀は俺の前に立ち、日光を背に顔を隠す。俺の首筋には重く汗が浮き、笑うことなどできなかった。


「何言ってるんだ、お前はいつから宗教活動を始めた? 他人を救いたいなんて、それこそ人の傲慢だろう」


「傲慢じゃないさ。知ってる、知ってるんだ俺は。知ってる俺は見過ごせない」


 祀の瞳が見えない。表情が窺えない。


 気づけば俺は立ち上がり、ベンチに置かれていた缶が地面に落ちた。


「教えない、今のお前には教えられない。元より焱ちゃんを他の誰かと繋げる気はない」


「天明、」


「働き過ぎだ、休め」


 その日、祀が俺を置いて行くことはなかった。俺が祀を置いて行ったのだから。


 校舎に入った俺は焱ちゃんの連絡先を出す。文字を打ち込み後は送信に触れればいい。いい、のだが。


 〉「あけぼのまつり」という男を知ってるか?


 俺の親指は送信を押せないまま、スマホの画面を閉じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る