焔天明は煙たがられる

「出来ました、出来ましたぁ」


 寄ってくるバクの波がやんだ頃、稲光少女の声が弾む。見ると蝸牛は均等なブロック体へと変身しており、喜び勇むのは影法師ドールたちだ。


 俺は筆を肩に担ぎ、微かに息を上げている焱ちゃんに近づいた。


「平気か?」


「はい、焔さんも問題ないようで」


 焱ちゃんは軽く汗を払って背筋を伸ばす。彼女の周りにはむごたらしく皮を暴かれたバクが転がり、一人立つ少女は満足そうに呼吸を整えていた。


 鎖で捕縛したバクを引きずっているのは、夜鷹少年だ。


「あの蝸牛、少し貰ってもいいですか?」


「私は構いませんよ。焔さんは」


「少しと言わずいくらでも」


「ありがとうございます」


 彼は人のよさそうな笑顔で礼を述べ、蝸牛のブロック体が吊るされた男ハングドマンの影に吸い込まれていった。あの異形たちの影の中はどうなっているのやら。聞いても無駄か、異形の生態など。


 ザ・タワーは俺が焼いたバクを回収していたが、悪魔ザ・デビルに肩を組まれて硬直していた。首を絞められた鶏のように騒がしくなり、きょうだいの光景を笑うのは焱ちゃんと夜鷹少年の影法師だ。


 きょうだいのいない俺からすれば、数が多いと大変そうだと思う光景である。


「仲良きことは美しきかな」


「……仲いいんですか? あれ」


 ふと焱ちゃんが俺の呟きを拾ってくれる。本日二回目。見下ろした先には異形を観察している焱ちゃんが立っていたので、俺は口角を目一杯上げた。


「焱ちゃん、今日はよく俺の言葉を拾ってくれるな」


「え……あぁ、すみません。思わず」


「いいや、嬉しいからそのまま拾っておいてくれ」


 焱ちゃんの白い目が問いかけてくる。なにが嬉しいのか、と。


 この子はそうだ。会話というものが少々不慣れ、というか経験値が少なそうな雰囲気がある。カフェで零さんと話していた時もそうだったが、投げられた言葉は全部受け止めて横に置いている様子だ。


 自分の言葉を投げていない。適当に転がして放置する趣味か。いや違うか。


「焱ちゃん」


「はい」


「疲れたな」


「そうですね」


 ほら、また。


 一言目で相手を見て、二言目には書きやすい笑顔で対応する。この子が発信した意見や感想はどこにもない。俺の言葉に同乗し、会話を続ける気配は皆無。相手が俺だから塩対応している、という訳でもないだろう。きっと。


「あの二人組、どう思う?」


 俺は稲光少女と夜鷹少年に視線を投げる。焱ちゃんも二人を見て、ガントレットは風になった。細い指先を顎に添えた少女の目は酷く静かに観察を始める。


 その横顔は俺の書を見ていた時と同じ。静観、傍観、客観視。言い方はどれでもいいが、こういう見方を始めた時の焱ちゃんは、十中八九面白い。


「焱ちゃんが感じたまま教えてくれ」


 世辞はいらない。甘い包装紙で包むこともない。外見と中身の一致を求める焱ちゃんの言葉で教えてくれ。


 彼女風に言うなれば、その言葉にこそ焱ちゃんの心が含まれていると思うのだ。


 焱ちゃんは顎を一度だけ叩き、書きやすい笑顔を浮かべていた。


「踏み込んだら殺されそうですよね、あの夜鷹さんって人に」


 あぁ、ほら、既に一言目から面白い。


 焱ちゃんは笑っているのに笑っていない。バクを解体する時もそうだが、この子は中身を知ろうとする時、完全に獲物の弱点を探る目をするのだ。瞳孔が収縮し、見えない何かまで見通すように。


「あの二人の関係を正しく表す言葉が見つかりません。依存、執着、縋る対象……違うか。違うのかな、うーん……まぁいいか。彼らとは長く接していたくないと思います。こちらが狩られるというより、既に狙いを定められている気がしてなりません。主に稲光さんに。でも夜鷹さんはちょっと違いますね」


「なんだ、怖いな」


「はい、怖いです。今は特に夜鷹さんが怖いです。彼は私達と一刻も早く離れたいし、ここに居続けようとする稲光さんに怒っているんでしょうか。不機嫌ですね」


 楽しく耳を傾ける俺は、稲光少女の隣にいる夜鷹少年を見る。不機嫌とは程遠そうな微笑みだが、焱ちゃんにはどう見えているのだろうか。


 稲光少女に目元を撫でられる少年は、ゆるりと瞼を閉じていた。


「彼、乗り気ではなかったですよ、私達との接触。不満だったんでしょうね。でも稲光さんが望んだから賛成したのかな。恐らく稲光さんも夜鷹さんの不満には気づいていますけど、彼女は彼女で我慢しきれなかったんだと思います」


「稲光少女が我慢できなかったのは焱ちゃんとの接触か? 知り合いなんだろう?」


「そこは分かりませんね。知り合いといっても私たちは客と店員ってだけですし」


「客と店員」


「あぁ……あの人の家族が運営している雑貨店に私がよく行くので、時々稲光さんにレジをしてもらってるってだけです」


 焱ちゃんが雑貨店に行くという情報に少々くすぐったくなる。必要最低限のもので生きている雰囲気のくせに、一体なにを買っているのやら。帰ったら……INABIだったか、その店を調べてみようかね。


 俺が意地悪く笑う中、焱ちゃんは焱ちゃんで観察を続けていた。


「顔見知りがいたから話しかけに来た、なんてふんわりした空気ではなかったと思いますが……なんなんでしょうね、彼女。稲光さんに見られると少し居心地が悪いです。そこに夜鷹さんがいるのでより緊張します」


「稲光少女は分からんが、夜鷹少年の目は確かに笑ってなかったな」


「はい。しかも彼、焔さんが「稲光少女」って呼んだ時、顔の皮を掻き毟るんじゃないかってくらい空気が凄いことになってましたよ」


 そうだっただろうか。


 確かに肌がひりついたような感じは受けたが、そこまで明確な行動があったわけではない。


 それでも焱ちゃんは何かを見つけたのだろう。外面と内面の不一致を。


「あれは剥ごうとか知ろうとかしては駄目です。足を踏み込んではいけない二人組だと思います」


 目を伏せた焱ちゃんは「以上です」と書きやすい笑顔で締めくくった。俺は口角を上げて軽く拍手の動作を見せる。よくもまぁこれだけ短い間で、探り探りの意見を出せたものだ。


「今日はそろそろ帰りませんか」


「そうだな。バクが豊作すぎる」


 俺と焱ちゃんは自分の影法師ドールを呼ぶ。そうすれば稲光少女と夜鷹少年も異形に声を掛けていたので、結局は四人揃ってジキルへ帰還した。


 人通りの多い通りから一本外れた建物の間。俺達は対面する形で互いを確認し、稲光少女は黒髪黒目、夜鷹少年は茶髪茶眼に戻っていた。うむ、なんとなく見慣れた色になるだけで目に馴染むものだな。


 焱ちゃんは当たり障りない言葉を口にする。


「バクの解体ありがとうございました。助かりました」


「いいえ、いいえ、こちらこそ。急に声を掛けたのに、ありがとうございました。分けてもらえたし、助かってます」


「二人では多すぎるので」


 目元を和らげる稲光少女。虫も殺せないような見た目だが、これでバクを等間隔に切り刻めるのだから侮れないな。


 夜鷹少年は稲光少女に視線を向けっぱなしである。彼女は次にどう行動するか、何を言うのか知ろうとしている様子だ。


 黒目を輝かせる稲光少女は、胸の前で両手を握り合わせていた。


「あの、あの、篝火さん」


「はい」


「よければ、よければ少し、うちへ寄っていきませんか? 貴方が光源で驚いちゃって、もう少しお話したいなぁって」


 急な誘いに焱ちゃんは口をつぐむ。夜鷹少年も夜鷹少年だが、稲光少女も稲光少女だ。焱ちゃんの隣にいる俺のことは見えていないのかね。誘われても行かないが。


 焱ちゃんはスマホで時間を確認し、書きやすそうな笑顔を浮かべていた。


「すみません、実はこのあとバイトを入れているんです」


「あ、あ、それは、ごめんなさい」


「いいえ、お誘いありがとうございます。またの機会があれば」


「はい」


 眉を八の字に下げた稲光少女は大層残念そうだ。会釈した焱ちゃんは人通りのある道へ紛れ込んだので、俺も続いて波に飲まれる。帰宅者の多い時間帯は歩きにくく、そこに着物を来た奴が路地から現れれば注目が集まったと肌で感じた。


 すぐ焱ちゃんに追いついた俺は、軽く片頬を上げる。


「アルバイトなんてしてたか?」


「してますよ。ドラッグストアで品出し業務」


「なら急がないとな?」


「土日しか入ってないんで今日は休みです」


 思わず盛大に噴き出してしまう。ここまで綺麗に嘘をついて踵を返した少女には一切の悪びれがないのだから。


「そんなに嫌だったのか、稲光少女からのお誘い」


「気乗りしなかったのもありますが、稲光さんより夜鷹さんですよ。やはり怖いです。稲光さんに近づきすぎると夜鷹さんに殺されそうで」


「なんだ分かってるじゃん」


 ひたり、と。


 人波の中で取られた背後に足が止まる。それは焱ちゃんも同様であり、俺は背骨を指先で押されている感覚を得た。


 軽く振り向けば、俺と焱ちゃんの背後に夜鷹少年が立っている。


 少年は、満面の笑みを浮かべていた。


「歩いてよ。目立つから」


 俺は焱ちゃんと視線を合わせ、夜鷹少年に言われた通り歩みを再開する。少年の指は俺達の背骨に添えられているだけだが、針で軽く刺されるような緊張感を孕んでいた。


「嘘つくなんて酷いな。恋さん残念がってたよ、篝火さん」


「すみません。しかし夜鷹さんにとってはよかったのでは?」


「そりゃ俺としてはいいけどさ、駄目だよ。駄目だ。恋さんが悲しいのは駄目だから、俺の気持ちは潰していい」


 何言ってんだこいつ。


 俺はどうやって現状打破するか思案した。弱ったな。俺が車道側を歩いているから焱ちゃんを路地に引き込めない。ハイドに行っても着いてくる勢いだしな。ふむ。


 焱ちゃんも斜め上を見ながら何やら考えており、俺は軽く息を吐いた。


「何を御望みかねぇ、夜鷹少年」


「特に焔さんに用事はないよ。恋さんが用事あるのは篝火さんだから、俺も篝火さんに用事があるってだけ」


「蚊帳の外とは寂しいじゃないか」


「事実、焔さんは外だよ。俺と篝火さんを放っておいてくれるって言うなら帰ってもらっていいし」


「約束しかねるので帰らないでおこう」


 お前と焱ちゃんを残して帰れるか。


 悪態は飲み込み、背骨を押されたので息を吐きながら笑ってやる。夜鷹少年の機嫌が悪くなったと感じたが、俺とて人間だ。こちらだってあまり機嫌はよろしくない。


 焱ちゃんの顔色は若干悪くなっており、俺に向いた視線からは「余計なことを言うな」と指示が飛んでいる気がした。なんだなんだ、冷たいな。


「夜鷹さん、私はこれから「バイト休みになりました」って稲光さんの所に行けばいいんですか?」


「いや? ただ「またの機会に」って言ったのに、その機会を作るための連絡手段がないって恋さんは嘆いてたんだ。だから連絡先教えて」


「稲光少女が直接くればいいものを」


「俺が連絡先を聞いてきたって伝えれば、恋さんは俺に「ありがとう」って言ってくれるから。だから俺に教えて」


 どういう了見だ餓鬼。


 自然と頬が痙攣し、夜鷹少年の言い分が理解できずに疲労がくる。それは焱ちゃんも同様のようで、夜鷹少年は笑顔のまま不機嫌を募らせていた。


「褒められたいから聞くのか、少年」


「その想い半分、恋さんが喜んでくれるから半分だよ。あとその少年って呼び方やめてもらえない?」


「なんだ、俺より年上だったのか? 俺は高三だが」


「高二だけど一つしか違わないのに少年呼びとか虫唾が走る」


「口が悪いなぁ、少年」


 茶色い瞳が鋭くこちらを見上げている。俺は片頬を上げたまま横目に少年を見下ろし、顔面蒼白になっている焱ちゃんにも気づいていた。


「教えますから、暴れるのはやめましょう、焔さん」


「まだ暴れてないが?」


「まだって前につけてる時点で危ないです」


 人波を外れた焱ちゃんが建物に背中を預け、スマホを取り出す。夜鷹少年は再び満面の笑みを浮かべて連絡先の交換を始めた。少年の「貸して」に「あ、はい」でスマホを渡す焱ちゃんには是非とも警戒心なるものを学んで欲しい。ハイドでの警戒心はどこに行ったんだ。あちらに置いてきたわけではあるまいな。


 しかし、まったく腹に据える餓鬼である。褒められたいから、喜んで欲しいから脅しまがいに連絡先を聞きに来るなど一種の狂気ではないか。一体どうやって伝えるのか。「聞いておいたよ」などと優しい笑顔で伝えられるのか? 策士も大概にせよ。


 俺は焱ちゃんと連絡先を交換した少年を見て、自然と体が動いていた。


 茶髪の襟首を掌で掴み、焱ちゃんとの間に右足を入れる。二人の距離を取らせた俺は、冷めた瞳でこちらを観察する少年にスマホを見せた。


「俺とも交換しよう、夜鷹少年」


「焔さんと交換する意味ないんだけど」


「そちらの要求だけ飲むなんて不公平じゃないか」


 襟首を持つ手に力を込める。数秒思案した少年は溜息交じりに俺とも連絡先を交換した。すれば直ぐに腕を払われ、少年は人波に逆らいながら歩き出す。


「じゃ、恋さんから連絡あったらぜったい返事してあげてね」


「はい」


 言い残した夜鷹少年は数秒で雑多に紛れてしまった。


 強烈な対応を終えた俺達は同時に嘆息し、不本意ながら追加された連絡先を見下ろす。不要な連絡先が増えたものだ。


「焔さん、帰ってくださってもよかったんですよ」


「まぁ俺と焱ちゃんのよしみだ。あの少年、たぶん今後も会うだろうしな」


「そうならないといいんですけど」


「俺の勘は当たるんだ」


「今回ばかりは外れて下さい」


 焱ちゃんは疲れた様子で歩き出す。俺も途中までは同じ道なので隣に並び、小さな少女の言葉は聞き逃さなかった。


「ありがとうございました」


「なんのことだか」


 俺は斜め上に視線を向け、片頬を上げた悪い笑みを浮かべる。焱ちゃんから感謝されるとは思ってもみなかったので咄嗟の笑顔が最低だな。


 俺を見ていない焱ちゃんはスマホの画面を暗くする。空気は稲光少女から連絡がこないことを祈っているようだ。


 あの二人と会ったことは、焱ちゃんの文字や感性に影響を与えるだろうか。


 いやそれよりもまず、あの夜鷹少年、全体的に気に食わないな。


 はてさて、次にハイドであの青髪を見たらどうしてくれようか。


「……燃やすか」

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