焔天明は訝しむ

 〉お借りした着物を返したいので住所を教えてください


 〉なぜ住所なのか


 〉速達で送ります


 〉是


 初めてのチャットのやり取りは以上の通り。着物は本当に速達で送られ、正しい畳み方だったので皺もない。


 満点の対応に口角を上げていれば、父に「どうした」と問われたので真顔になった。なぜ貴方が俺の表情を気にする必要があるのか。「なんでもありません」と返答したのは通常通りだ。まぁ父のことはどうでもいい。


 焱ちゃんがチャットをしてくれると確認できたので、毎日十七時にはハイドに行こうという約束を取り付けた。俺と焱ちゃん、たまに零さんを含めてだ。零さんは不参加の時もあるので専門学生はお忙しいと見る。


「今日も大量収穫だなぁ、天明」


「頑張ってるわぁ、頑張ってるわね焚火ちゃん」


 バクの形に一つとして同じものはない。似ているものはあるがどこか欠けていたり捻じれていたりする。どうしてその形で動き回ることができるのかと疑問に思うことは頻繁にあるが、考えても意味はないのでそういうものだと諦めた。


 バクのことを考える暇があるなら焱ちゃんか字のことを考えていた方が合理的だ。


 ハイドにいる現在、巨大な蝸牛かたつむりに見えるバクを撃退した焱ちゃんは、背中にある殻を殴っている。彼女の身長ほどありそうな殻を白いガントレットが破れば、中から黒い液体だけが溢れ出た。


 焱ちゃんはそれでも満足しないようで、穴に指をかけて殻を砕いていく。俺は近くに文字を綴り、バクが集まれば燃やしていた。


 蝸牛の殻の中には内臓があると思うのだが、相手はやはりバク。殻を剥げば剥ぐほど波のように黒い液体が吹き出し、焱ちゃんの服を濡らした。押し流されないようにソルレットで浮いている焱ちゃんだが、その細い体は心配になる時が多々ある。


 彼女は殻を粗方破って中を見ていた。黒水が排出されきった中身は空となり、彼女は唇を微かに動かしている。


「化け物だった」


 焱ちゃんはソルレットから柔らかく風を出して後ろに宙を蹴る。穏やかに落下する顔には安堵と諦めが隣り合い、着地する時には消えていた。


「探し物はあったか?」


 片頬を上げて問いかける。焱ちゃんは俺を一瞥し、文字に集まるバクで視線を止めた。バクは引き千切るのが焱ちゃん流だ。


「ありませんでした。やっぱりバクは化け物ですね」


 焱ちゃんは燃えたバクを拾い上げ「いただいても?」と確認してくる。俺は二つ返事で了承し、ザ・ムーンが意気揚々と回収していた。ザ・タワーは巨大な蝸牛の解体をせっついている。


「おい天明、このバク小さくしろよ」


「俺だと燃えるぞ」


「お前余裕あるんだからアルカナ増やせばいいだろ!」


「俺は一途なんだ。アルカナは筆一本だと決めている」


「なんでそういうところは頑ななんだよ~」


 ザ・タワーが不満を垂れながら蝸牛の頭を叩いている。斬れる何かを創れと言っているが、俺は大筆以外を創る気は毛頭ないので異形で適当にしてくれ。


「天明はしないみたいだけど、焚火ちゃんはどうする?」


「千切りましょうか」


「このサイズを千切ってたら先に焚火ちゃんの腕の筋肉が千切れないかしら?」


「痛いのってユエさんだけですよね」


「焚火ちゃんブレな~い!」


 ザ・ムーンは焱ちゃんと距離が近い。今だって磁石に引き寄せられた砂鉄のように焱ちゃんに引っ付いている。対するザ・タワーは飄々と動き回っているので異形達にも個性があるようだ。


 俺は自分の影と繋がった異形が大筆をつつく姿を見た。


 こいつは破壊のザ・タワー


 なら焱ちゃんのザ・ムーンは? 零さんの魔術師ザ・マジシャンは?


「アルカナは所持者の思うままに創造ができる力、だったか」


「あぁ、だがまぁ二十一の影法師ドールそれぞれ得意なベクトルは違う。俺は破壊、ザ・ムーンは保護や維持、魔術師ザ・マジシャンは叡智や変化。人間に使われてた時はそれぞれ得意分野で駆り出されっぱなしだったなぁ」


 昔を懐かしむ異形に適当な返事をしておく。


 保護といえばガントレットやソルレットは防具の部類。

 変化といえばお面は素顔を隠して変貌を助長する代物。


 これは偶然なのか、それとも異形が自分の好みにあった奴を選んでいるのか。


『自分語りは嫌いか?』


 おそらく後者か。影法師ドールは自分の力を発揮してくれる思考の光源を選んでいる。そうすることが自分達の願いを叶えるにはちょうどいいから、か。


 俺は破壊の筆を一瞥し、ガントレットの拳をぶつけた焱ちゃんに視線を向けた。


 ……ほんとにバクを千切る気ではないよな? いや、だが蝸牛を無心で千切る焱ちゃんは見てみたいな。よし是非やってくれ。


「あのー、」


 俺が期待を込めて墨を散らせば、前触れなく知らない声がする。


 振り返ると、青い髪の少年と、白い髪の少女が立っていた。


 背後にはそれぞれ黒い影法師ドールを連れている。


 俺は筆を肩に担ぎ、焱ちゃんは動きを止めた。


 ここに来て、初対面の光源か。


 一人はブレザータイプの制服を着た青髪少年。人懐っこそうな顔つきで、首には銀の鎖と錠前がぶら下がっている。

 声をかけたのはこの少年だ。髪と同じ鮮やかな青の双眼は、俺と焱ちゃんを射抜くように見つめている。なんだか居心地が悪くなる視線だな。


 彼の背後には銀の短髪を揺らす影法師ドールが立っていた。黒いワイシャツに黒いズボン、目にはやはり黒い布。両腕は後ろに回し、左足首には足枷と切れた鎖がついている。裸足のせいか浮世離れが進んでいる奴だ。


 もう一人はセーラー服姿の白髪白目の少女。小柄な体躯で髪を下ろした姿は白兎を彷彿とさせた。アルカナらしきものは見えない。

 彼女の白い目は焱ちゃんを凝視し、両手は胸の前で組まれていた。こちらの雰囲気もなんだか気に喰わないな。肌がひりつく。


 少女の背後には浅黒い肌に黒い長髪の影法師ドールが浮いていた。揺れる黒の装束は袖口が広く、艶のある髪から尖った耳の先が覗く。鋭利な歯はザ・タワーと似ていた。きょうだいだからだろうか。

  

「ぇ、あ、」


「常連さん」


 少女達の言葉が微かに被る。俺が焱ちゃんの方を向けば、目を見開いて口だけ笑っている少女がいた。なんだその表情、いつもとちょっと違って面白いな。


「……INABIの方ですよね」


「はい、いつも、いつもご来店、ありがとうございます」


 二人の間では何やら合点がいったらしく、白髪少女は晴れやかな笑顔を浮かべている。焱ちゃんはどこかぎこちないが。


 青髪少年はにこやかに確認していた。


れんさん、知り合いで合ってた?」


「うん、うん、合ってた、合ってたよ」


 問われた白髪少女は酷く満足げだ。俺は焱ちゃんに視線を向けるが、こちらのお嬢さんは口を糸にし続けている。彼女の両目は知り合いらしい少女を観察していた。それは友人知人に向ける目としては少々間違っているだろ。


「……稲光いなびさん、でいいんでしょうか」


「はい。あ、そうだ、紹介、自己紹介、してませんね」


 照れたように笑う少女は俺と焱ちゃんを交互に見る。青髪少年は口を結んで微笑み、少女は上機嫌な様子で会釈した。


「私、稲光いなび愛恋あれんと言います。高校三年です。よろしくお願いします」


「よろしく。で、何の光源だ?」


「黒髪が悪魔ザ・デビル、銀髪が吊るされた男ハングドマンだよ。あいつら、きょうだいの中でも仲がいいんだわ」


 俺の問いに口を挟んだのはザ・タワーだ。異形は俺の背に隠れるように身を縮めている。


「嬉しいな。きょうだいに会えて、私は嬉しい」


 青髪少年の頭に銀髪の影法師ドールが頬をすり寄せる。足枷のついた方が吊るされた男ハングドマンか。


「久しいなぁ、破壊の餓鬼と天然お嬢様。おらぁ、こっちこいよ」


 稲光少女の後ろにいた黒が高く浮き上がり、俺と焱ちゃんの影を呼ぶ。浅黒い長髪が悪魔ザ・デビル、ねぇ。


 俺の異形は呼びかけに渋りを見せ、浮いたのはザ・ムーンだけである。


「あらあら、貴方達って選ぶ光源も近づいちゃう運命なの? 面白いわねぇ」


「お、来たなぁ~かぁーいーお嬢様。お前の抜けてるところが俺ぁ好きだぜぇ」


「それって褒められてるのかしら?」


「褒めてる褒めてる」


 悪魔ザ・デビルは吹き飛ばされた綿毛がじゃれ合うようにザ・ムーンの髪を掻きまわしている。銀の三つ編みは尻尾のように揺れており、焱ちゃんは黙って異形の戯れを見上げていた。


 俺は焱ちゃんに近づきながら二人の光源に視線を戻す。稲光少女は楽しそうに肩を竦め、青髪少年は軽く息をついているようだ。


吊るされた男ハングドマンの光源が青髪少年で、悪魔ザ・デビルの光源が稲光少女でいいのかね」


「はい、そう、そうです。悪魔ザ・デビルの光源は私です。属性は水、」


「恋さん」


 青髪少年が笑顔で稲光少女の言葉を止める。俺が視線を向ければ、青い瞳に射抜かれた。


 なんだ、初対面で俺は相手の不機嫌に触れたのか。どうでもいいのだが。


 よく分からない二人だ。話しかけてきた理由は稲光少女の希望か? 焱ちゃんを見たから近づいてきたとして、それで「はい御終い」にはならない雰囲気だ。


 俺は筆から墨を散らしながら数の増えたバクを集めておく。指を鳴らして火柱を上げたが、稲光少女も青髪少年も微動だにしなかった。肝が据わっているな。


 微笑む青髪少年は値踏みするように焱ちゃんを見ている。やめろよその目。


 俺が強めに筆を振ったと同時に、焱ちゃんから小さな溜息が聞こえた気がした。


「……篝火焚火です。ザ・ムーンの光源、属性は風。よろしくお願いします」


「篝火さん、はじめて、はじめてちゃんと、お話できますね」


「そうですね」


 焱ちゃんの顔には書きやすそうな笑顔が浮かぶ。稲光少女の方は始終楽しそうだ。


 俺は青髪少年を一瞥し、舌を見せることなく名を告げた。


「俺は焔天明。ザ・タワーの光源だ。属性は火。そっちの青髪少年も自己紹介してほしいが?」


「俺は夜鷹よだかすばると言います。吊るされた男ハングドマンの光源で、属性は地ですね」


 ここでようやく青髪少年から夜鷹少年へと俺の中で呼び名が変わる。にしても他人行儀な笑顔だな。焱ちゃんとはまた違った意味で線を引かれた気分だ。


 俺は片頬を上げて「よろしく」と世辞を述べ、焱ちゃんを凝視する稲光少女に視線を向けた。焱ちゃんはやはり落ち着かないのか少し後退している。


「稲光さんと夜鷹さんは、どうして声をかけてくださったんですか?」


 後ろで組まれた焱ちゃんの手を視界に入れる。そこでは拳が握られており、ガントレットがいつでも繰り出されそうだ。


 あぁなんだ、警戒できるのか、この子。


 ハイドで話しかけてきた見知らぬ光源。本来ならば情報交換などをする場面であろうが、おそらく焱ちゃんの場合は勝手が違う。


 光源に攻撃された。しかも初日に。それはあまりにも鮮烈な記憶であり、彼女が易々と距離を詰めない理由にも頷ける。人が家に行っても警戒しないくせにここは警戒できるんだな。偉いぞ。


 ソルレットの爪先を地面に打ち付けた焱ちゃんは書きやすい笑顔を浮かべ続けていた。


 稲光少女は蝸牛のバクを指さしている。


「その、そのバク、解体にお困りだったのかなって思ったんです。ルト……悪魔ザ・デビルが篝火さん達を見つけた時、大変そうだって言ってたので」


 俺と焱ちゃんは横目に視線を合わせ、どちらともなく頷いた。なんだ、少しは意思疎通してくれる気になったのか。嬉しいな。


「解体、してくださるんですか?」


「はい。私のアルカナ、そういうの得意、そう、得意なので」


 稲光少女の目が明るくなった。常に微笑んでいる夜鷹少年は何を考えているのか一切分からない。俺達を警戒している訳ではなさそうなのだが。


 そこで俺は二人の背後を見る。一本足の人型のバクが三体、跳躍しながら近づいていた。なんだ、今日はやけに釣れるな。


 俺は筆を動かしかけるが焱ちゃんは動かない。彼女は夜鷹少年を見つめており、頬には汗が浮かんでいた。稲光少女は背後のバクに意識を向けていないご様子だ。


 動いたのは夜鷹少年の首に巻きついていた鎖と錠前。外れた錠前を握った少年は背後を一切見ていない。


 彼の首から踊るように離れた鎖は飛び掛かるバクをまとめて縛り、投げられた錠前が低い音と共にかけられた。


 瞬間。


 バクは重々しく地面に叩きつけられ、起き上がろうとしても鎖は微塵も動かない。鎖と錠前は地面にめり込んで酷く重たそうだ。


 動きを封じて重さで窒息。拘束に特化したアルカナか?


 夜鷹少年が地属性だったことを思い出していれば、彼の目は稲光少女だけを追っていると気づく。少女は背後で捕まったバクなど見向きもせず、玩具を与えられた子どものように蝸牛のバクへ近づいていた。


 鎖で締め上げられたバクの首が千切れる。縛る圧で肉を断つ光景を見るとは思わなかったな。


 指を振った夜鷹少年の首には再び鎖と錠前が巻きつき、彼は満足そうに笑っていた。


 稲光少女は俺と焱ちゃんを通り過ぎ、蝸牛の前に立つ。


「アルカナ」


 彼女の背後には大量の水が集まり、その大きさに声が漏れた。


「大きいな」


「はい」


 独り言のつもりだったが、まさか焱ちゃんから返事がくると思わなかった。


 俺は凪いでいた気分が高揚する心地になり、やはり片頬が上がってしまった。焱ちゃんは俺と目が合うとゆっくり逸らしている。


 巨大な水の固まりは弾け、黒い手袋をつけた右手が現れた。手首から先だけが浮遊したアルカナは裁ち鋏を握っている。


 流石に驚いた。アルカナを同時に出すのは結構だが、その大きさが規格外だ。稲光少女や焱ちゃんだけでなく、俺も普通に握り潰される大きさだぞ。


 口角を上げている稲光少女は手を動かし、裁ち鋏が蝸牛の首に添えられる。


 かと思えば、ぶつりと蝸牛の首が落ち、それを皮切りに鋏がバクの上を踊った。


 頭の触覚から地を這う足。焱ちゃんが砕いた殻は巨大な手が引き剥がし、胴体も容赦なく切られていく。タコ焼きのタコを彷彿とさせる切り方に気持ち悪さと空腹感が湧いてきた。


 その時、稲光少女に近づくバクを見る。かと思えば俺達にも普通にバクが迫っており、いつもの倍は寄ってくる異形に違和感を覚えた。


「おいザ・タワー、今日はバクが多い日か?」


「いや、そんな日はねぇよ。お前ら光源が集まれば集まるほど強い光源になって、バクも寄りやすくなるってだけだ」


 あっけらかんと喋る異形にとうとう溜息が出る。焱ちゃんは「ユエさん……」と仲良くきょうだいと語らっている影法師ドールを見上げ、夜鷹少年は「へぇ」と零していた。


「恋さん、解体もう少しかかるよね?」


「うん。もっと、もっと細かく、したいなぁ」


「分かった、楽しんで」


 夜鷹少年は納得した素振りで鋭く鎖を振る。首から離れた鎖は即座にバクを捕縛し、地面に叩きつけていた。青い髪を靡かせた少年に一切の躊躇はない。


 慣れてるな、こいつ。


 俺はどことなく気乗りしないまま地面に筆を走らせた。焱ちゃんは飛び掛かってきた鳥型のバクを殴っている。今日も今日とて清々しい。容赦は皆無、執着は一級品。


 地面に蹴り落とされた鳥型のバクは焱ちゃんに背中を踏まれ、片翼をもがれていた。


 俺は地面に筆を走らせて火柱を上げる。焱ちゃんの打撃で砕けた瓦礫にも文字を綴って蹴り飛ばせば簡易爆弾の完成だ。


 バクは声も上げずに燃えていく。人が零した歪な影。意思なき沈殿物。


 エネルギー源が多くて困るというのは、大層な我儘だろうな。

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