焔天明は勘がいい
「心はどこにあると思いますか」
涙を止めた焱ちゃんに問われる。心の所在など考えたことのない俺は、しかし直ぐに答えを口にしていた。
「言葉の裏」
人が紡いだ言葉の裏に心はある。と言うより
文字の裏とも浮かんだがそれは余りに狭義だ。俺の文字が焱ちゃんしか怖がらせないことを思えば文字では伝えきれないこともある。勿論、文字でしか伝えられないこともあると思うがな。口を通して発することで心は色を鮮明にするのではなかろうか。
だから俺は、心の所在を言葉の裏としよう。
微かに目を丸くした焱ちゃんは俺を真っすぐ見つめ、緩やかに瞼を伏せる。弧を描いた口元は今日も今日とて書きやすそうだ。
「ありがとうございます」
この子の質問の意図が俺には分からない。ただ何となく、この子が文字に隠している寂しさはこの問いから生まれている気がした。
いつも図書館で心理学の本を読んでいるな、なんて、言えば流石に気持ち悪いか。
心の所在なんて聞いてどうするつもりなんだ、なんて、聞くのは野暮と言うものか。
俺はけっこう常識的だと思うので相手の詮索を土足でするつもりはない。焱ちゃんからすれば昨日今日話しただけの相手だ、根掘り葉掘り質問されれば嫌気もさすだろう。俺的に、焱ちゃんに嫌われるのは彼女の文字を見られなくなるという死活問題と直結しているため避けねばならぬことだ。
カフェで気分の高揚を抑えられなかったことは反省しておこう。一応。しかしあの場に焱ちゃんがいるなどと予想も出来なければ心の準備もさせてもらえなかったので、俺だけに非がある訳でもあるまい。説明不足だった零さんにも、光源に選ばれていた焱ちゃんにも何割かの責任の所在はある。よし、これにて反省終了。
「さて、零さんもそろそろハイドに来る頃かね。集合場所にこのまま向かうか、一度ジキルに戻るか、」
「その必要はないんだなー!」
突如響いた場違いな声に俺の喉が引きつる。焱ちゃんは見るからに肩を跳ねさせ、振り返れば白髪になった零さんがいた。
適当な話題のつもりだったが、まさか背後の木から零さんが飛び降りてくるとは思わないだろ、普通。いったいいつからそこにいたんだこの人は。
神出鬼没、性別不詳の零さんはにこやかに俺達へ歩み寄る。かと思えば煤になったレリックを一瞥して満面の笑みを浮かべたのだ。
「いやぁ二人とも凄かったね! 始終見てたけど面白かったよ、とっても!」
「始終、見てたんですか」
「うん。
焱ちゃんの顔に書きやすそうな笑顔が張り付いた。小首を傾げる零さんは観劇でもした後のようにご満悦だが、こちらからすれば「加勢しないのか」という意見が浮かぶわけだ。あんた、いま焱ちゃんに線引きされたぞ、絶対。
「零さんもいたなら顔を出してくれたらよかったのに」
「天明くんと焚火ちゃんで十分だと思ったからだよ。相手は地属性だったみたいだけど、烈火の筆使いと業風の手腕だ。自分のそよ風みたいな面が入った所で戦力増加は雀の涙分も期待できないって」
あっけらかんと笑う零さんから
焱ちゃんが被る筈だった火傷や爆発を受けても健在とは、やはり異形だな。俺が咄嗟に投げ入れた爆弾にも耐えたのだから頑丈な作りをしている。
そこまで考えたところで、零さんが焱ちゃんの頭をボールのように叩いている光景を目にした。表情が全く変わらない焱ちゃんはどう思っているかさっぱり読めないな。
「焚火ちゃん頑張ってたね~、死ななくて本当に良かった!」
「ありがとうございます」
「怪我は
「あぁ、まぁ、はい」
「昨日なにかあったのか?」
二人だけで会話をされることは気にしないが、焱ちゃんが死にかけたような話を耳にすると首を突っ込みたくなる。どんな相手に何されたんだ。もしも焱ちゃんが死んだらこの子の字が見られなくなるだろ。俺の字を見てもらえなくなるだろ。
距離を詰めて焱ちゃんを見下ろす。零さんより少し身長の低い彼女は、相も変わらぬ笑顔を上げた。
「初めて会った光源の人に殺されかけただけです」
「詳しく」
「よく分かりませんが、挨拶したら攻撃されて吹き飛んでたんですよ。気絶してたみたいです。ユエさんの呻き声で起きました」
「ほんとにもう!
焱ちゃんの肩を後ろから掴んだ
光源が光源に手を上げられる
「天明くん、能面になってるけど意識ある?」
零さんに手を振られ、焱ちゃんが半歩下がった姿を見る。俺は意識して片頬を上げ、気色悪い笑みで平静を装った。
「あぁ、平気だ。今の俺は怖かったか?」
「だいぶね。焚火ちゃんの尻尾が足の間に入るくらいには」
「……それ猫か何かに例えられました?」
「ご名答。鼠でも蛙でも兎でもいいけど、焚火ちゃんはどれかと言えば猫だよね」
「先に出た三種のどれでもない」
「些細なことさ」
零さんが和むような会話を展開する。俺はその間も焱ちゃんを襲ったという光源について思考を巡らせた。
一撃必殺、即死の傷。そんなものを受けたら痛みは無いと言っても死ぬ。直ぐに治ると言っても命の線が千切れてしまえばどうしようもない。
先ほどの焱ちゃんを見て今の俺達、光源は不死にも近い何かかと思ったが、やはりそうでもないのか。
俺達は死ぬ。痛みを感じず治癒が早くなっただけで、死ぬ時は死ぬ。普通の人間よりも死ぬ傷が減っただけで、心臓を打ち抜かれたりすれば即死なのだ。
だが
そして他の十七体。
それらは創られた異形だ。自分の意思を持って願いを抱き、影の中を逃げ続ける異彩の強者。
こいつらには恐らく寿命がない。創った者がなんでも願いを叶えてくれる存在に死を付加する理由がないのだから。
「ユエさん、今日みたいな戦い方は控えましょうか」
「いいえ、何も気にしなくていいわ。焚火ちゃんはそのまま突き進んでくれたらいいの。だぁいじょうぶ、大丈夫。私は少し痛いだけですぐに治っちゃうんだから」
焱ちゃんの頬を弄ぶ異形に焦点を絞る。俺達の傷が即座に治るように、異形も痛みはあれど即時治癒が可能。
違いは、死があるかどうか。
俺は
耳はバクが近づいてくる音を拾った。忙しのない奴らだ。
俺は少し離れた場所に文字を綴ってバクを寄せ集める疑似光源にする。俺達以上に輝く魔よけの字。
指を鳴らせば、奇怪な異形がよく焼けた。
「天明くんって便利だよね~」
「そりゃどうも」
***
ジキルの自室へ帰宅する。
俺も影を気にする性分ではない。着流しへ着替えようとしたところで焱ちゃんに半襦袢を貸したままだと思い出したが、会う口実が出来たのでいいだろう。一緒に行動するのも早く検討から了承へ変えてくれ。
俺は袴の帯を解き、上機嫌な異形に声を投げた。
「なぁ、
「あー? なんだ?」
「お前、今まで何人の光源を渡り歩いてきたんだ?」
静かな家に俺の衣擦れだけが音として存在する。沈黙した
着流しの襟を整えた俺は、空気を吐いて笑う異形を振り返らなかった。
「知ってどうすんだよ。かつての恋人の人数を問う訳でもあるまいし。今の俺の光源は天明だって事実だけでいいだろ」
「あぁ、勘違いするな。俺もお前の恋人になった気など微塵もない。ただ確認がしたかっただけだ」
箪笥を閉めて視線を動かす。寝転がっている
「お前がかつての光源から離れたのは人の寿命がきたから? それともハイドで死んだからか?」
焱ちゃんが書道で字を書くとどうなるのだろうか。あの子の墨はどう落ちるのだろうか。今度誘ってみよう。家に人を呼ぶなんて初めてだな。祀に誘い方を聞いてみるか。
気づけば俺は〈焱〉と書いていたので、なかなかの重症度合いに笑いが零れる。字も恐ろしいが執着も恐ろしい焱ちゃんは毎日見ていても飽きないんだろう。
苛烈で容赦のない少女。しかし文字は悲鳴を上げるように嘆いており、彼女が浮かべる笑顔のように取り繕っている。
面白い、面白いなぁ焱ちゃん。
面白くて、燃やしたくなる。逃がしたくない、絶対に。
あの子の字は、燃やせばどんな炎になるのだろうか。
「……死んだよ、みーんな死んだ、ハイドで死んだ」
そう
「バクに勝てなかった奴、レリックに殺された奴。死に方は色々だが、いやぁ、どれも……痛かったなぁ」
光源が死ぬほどの痛み。それを一心に受け止めた異形。
おかしな話だ。元はと言えばお前が選んだ光源で、光源自身も願いを持った筈だろうに。
「離れず助けもしなかったのはお前だろ、
「ばぁか。俺を離さなかったのは光源の方だし、アルカナもお前らに貸してんだろうが」
悪態交じりに
「人は弱い。弱いから力を欲する。だが不思議なことに、力を得ると弱かった頃のことを忘れちまうんだ。願いを叶えてやると告げれば、願いの為により強さを欲するんだ。生き急いで、急いで急いで、死んじまう。馬鹿だよなぁ、本当に」
異形は馬鹿だ馬鹿だと繰り返す。俺は半紙に〈馬鹿〉と綴り、軽く首の骨を鳴らした。
「願いが人を狂わせたか」
「そうだな。だから俺達は徐々に、元から狂ってる奴を選ぶようになったっつってもいい」
その言葉には首を傾げる。俺は半紙に〈狂ってる〉と遊び書きし、焱ちゃんと零さんを思い浮かべた。
たしかに焱ちゃんはいい意味で頭おかしい。どこがどうというより言動の節々がおかしい。頭の螺子が間違った場所に刺さっている感じがするな、あの子。一回螺子を外して正しく締めればいいのではないかと思うが、そうすると俺の文字も普通に良い文字とか言い出しそうなのでやめて欲しい。切実に。
零さんは零さんでおかしい。柳の影から現れる幽霊かと思うことがしばしばあるし、今日みたいに平気で傍観を決め込む所がある。あの人は本当に「面白いこと」にしか興味ないんだろうな。俺や焱ちゃんが零さんの「面白い」枠から外れたら予告なく消息を絶たれる気がする。俺もあの人を引き留める気などないから構わないが。
「どっかおかしくて狂ってる奴は戦えるんだ。願いの為、自分の欲の為。原動力はなんだっていいが、最初からそれなりに動けて、一貫した精神をしてる。それがいい」
「俺は破壊の
異形の手が伸びて俺の前髪を無造作に撫でる。いや、撫でるというより押し付けた掌を動かしたと言ってもいいか。
冷たい手だ、どこまでも。触れ続ければこちらまで凍えそうになるほど、冷たい手。
異形の言葉には息を吐いてしまう。俺は自分の願いの為もあるが、己の字が燃えることが楽しいと思っているのだ。そう思う俺を選んでいる時点でこの異形は間違っているだろうに。
『みーんな死んだ』
その言葉が鼓膜に残るから、俺は目を伏せてしまうんだ。
「俺も願いを叶えて欲しいからな、お前の最後の光源になれるよう筆を走らせるとするさ」
「頼むぜぇ、俺はほんとに! そろそろ! ゆっくりしてぇんだ!」
息を多く混ぜて
あぁ、そうだ。
「狂った奴を選んでるなんて言うが、俺は大分まともな方だろ?」
「……そういう所だと思うぞ、天明」
どういう意味だ。
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