焔天明は焼き付ける

  カフェで自己紹介もそこそこにしていれば、零さんは焱ちゃんの行動について尋ねていた。俺が知らないハイドの焱ちゃん。黙っている俺も俄然興味が湧いていた。


「ねぇ焚火ちゃん。昨日、殺したバクの皮を剥いだのは何故? あの行動が自分は一番面白かったんだけど」


「化け物が化け物であることを確認しただけですよ。化け物の皮を被ったやつの中身は、確かに化け物らしいものだった。安心ですね」


 駄目だもう面白い。


 初っ端から面白い。


 声を響かせないように笑いを堪えていたが、焱ちゃんの主張は理解し難いものだった。


 この子の考えはあまりにも歪だ。


 中身と外見が違うことを恐れるなんて、だから相手は確かに化け物なのだと実証したいだなんて。どんな思考回路でその考えに至ったのだ。


 しかし話す焱ちゃんは至極真面目であった。真面目にバクの外見と中身を確認したくて皮を剥いだこと。自分を襲ってこないと確信するためには確実に殺すのがいいこと。相手の絶命を知るために籠手ガントレットを選んだこと。


 全部この子は本気で、本心なのだ。


 純粋にバクの中身を知りたがり、そこに外見との不一致が無ければ確実に潰す。怖いから潰す。相手が化け物で、自分を害するかもしれないから息の根を止める。徹底的に、無慈悲なほどに。


 どんな人間が怖いか。それはあたかも狂人に見える者ではなく、しかし傍目は真面目一本筋の人間でもない。「まさかあの人がそんなことを……」などとニュースで言われる奴は見せてなかっただけの奴だ。周りは気づかなかったのではない。気づかせてもらえなかっただけで、結局はそれだけの間柄だったに過ぎない。


 本当に怖いのは、自分の狂気に無自覚な奴だ。


 自分の中にある感情を普通だと思い込み、あたかも自分は無害であるように無意識の内に線引きする。そして相手が自分に害為すものだと分かった瞬間、停止装置の壊れた重火器のように業火を吐く。


 だから俺は詰め寄った。ずっと我慢していたが会話の区切りが見えたから。高揚しているのは当たり前だろう零さん。俺はまだ前科持ちではないさ、安心してくれ。


 なぁ焱ちゃん、共にハイドを歩こう。君をもっと近くで見させてくれ。


 狂ってることにも気づかない焱ちゃんを見つめていたい。この子の業火を間近で焼き付けたい。


 あぁ、だがそれより先に、何よりも先に!


「かがりびたきび、その漢字をここに書いてくれよ」


「……どうしてでしょう」


「俺は焱ちゃんの字が欲しいんだ」


 焱ちゃんは書きやすそうな笑顔でボールペンを握る。訝しんだ空気を少しだけ見せながら書かれた文字は、やはり焦がれるような火種を宿していた。


 表情筋が緩んでしまう。体の内側が熱くなり、脇目も振らず暴れ出したくなってしまう。


 貰えた、この子の字を直接。貰ってしまった、書いてもらった、目の前で! 俺の手帳に、俺の手元にこの子の名前が、文字がある!


「篝火、篝火……はは、焚火。火ばっか。燃えてるなぁ、燃えてんなぁ。優しくねぇ火が燃えてんなぁ」


「……」

 

「火が三つ。やっぱい~い名前だなぁ、焱ちゃん」


 焱ちゃんから直接名前を書いてもらえたことに額が熱くなる。一人盛り上がっていたと気づいたが、焱ちゃんは黙ってカフェオレを飲んでいたので引かれていないと言い聞かせておこう。


 しかし俺の嬉しいはここでは終わらない。注文した物をそれぞれが食べ終わる頃、ハイドに行く流れになった。


 そこから再集合の話をし、焱ちゃんと、なんと、連絡先を交換した。合法的に、俺は焱ちゃんの住所までも手に入れたのだ。これで警察沙汰にはなるまいよ。見たか祀、俺はつきまといをやめなかったからここまで辿り着いたぞ。


 笑みを我慢できないまま一時帰宅する。制服が汚れるのは嫌なのでハイドに行くなら私服と決めているのだ。白を選ぶのはその方がハイドに溶け込めるのではないかという微々たる考えである。特にこだわりはない。


 待つのも無駄なので焱ちゃんのアパートに行くと、彼女はやはりどこか地に足が着いていない雰囲気をしていた。


 なんだろうな、この子。約束してないのに迎えに来た男にも引かないのか。警戒心大丈夫か? 一人暮らしも相まって心配になるな。まぁ焱ちゃんなら不審者如き殴り飛ばしそうではあるが。


「なぁ焱ちゃん」


「はい」


「俺の字、剥いでみたいか?」


 階段を下りながら問いかける。すれば焱ちゃんは足を止めることもなく、俺の顔から視線を逸らすのだ。


「食べられそうなので嫌です」


 あぁ、また、この子は俺の字を怖がってくれる。


 背中を走る鳥肌に笑いが込み上げ、気持ちの悪い笑みを浮かべる。こちらを見上げる焱ちゃんは嫌悪こそ顔に出さないものの半歩だけ距離を取った。正しい防衛本能だな。


 堪らず口角を上げた時、俺達の影が盛り上がった。


「来たぜぇ、天明!」


「頑張ってねぇ、焚火ちゃん」


 ザ・タワーと共に現れた銀髪の影法師ドール。一部うなじの辺りから細く編まれた髪が特徴的で、美しい影のドレスを纏っていた。ザ・タワーのような歪さではなく美しさで驚かせてきたのは、異形の月。焱ちゃんの影法師ドール


 俺は口角を上げたまま、視界全てが白く染まった。


 ハイドで対面したのは地の二番。俺の火と相性が悪いが、焼き続ければ焼き物も割れる。同じ原理でひび割れろ。


 いつもの如く筆を走らせて鈍間なレリックの周囲を文字で囲む。全てを一気に燃やせば内側もそれだけ温度が上がる筈だが、今日の相手にはあまり響いていなかった。硬い装甲を剥がすだけの決定的一打が不足しているな。


 書きながら焱ちゃんを見ると、迫るバクに容赦なく殴りかかる所だった。


 黒かった髪が白く靡き、両手足に風を纏う。


 武器はガントレットだけだと思っていたが、焱ちゃんの足には銀の靴も装備されていた。宙を蹴る姿は正しく風になったように軽やかで、争い事など微塵も感じさせないのに。


 拳は全く容赦がない。風の靴でバクとの距離を一気に詰めたかと思えば、勢いよく噴射された業風がガントレットの速度を上げた。


 キリンの首のように長く不安定なバクの頭。めり込んだ白い拳は躊躇なく振り抜かれ、地面に激突したバクが惨めに跳ねる。


 それだけでも急所に決まったと錯覚させるのに、焱ちゃんは追随した。


 バクの痙攣が止まるまで殴り続け、完全に戦意を喪失するとガントレットの鋭い爪を影に突き立てる。


 魚の皮を剥ぐように、木の皮を剥ぐように、焱ちゃんはバクの皮を剥ぐ。長い首を引き千切る。


 その中にあるのが醜く煮詰められた人間の思考であり、意思なき無機物なのだと判断された時。


 白い髪の向こうで、少女は確かに口角を上げていた。


 見開かれた白い目は微かな涙と安堵の色を携えて、薄く弧を描いた口元は寒さを周囲にまき散らす。


 俺は一瞬だけ筆の運びが疎かになったが、足を止めることはしなかった。


 あぁ、焱ちゃん、焱ちゃん、篝火焚火という炎の子。


 君が抱えたものを知りたい。君が文字の奥に隠した期待は、焦燥は、侘しさは、いったいどこから生まれたんだ。


 君はどうして皮に執着する。中身に執着する。それを剥がして、中に何を探している。


 人が零した黒い狂気を容赦なく打ち砕き、皮を剥いで安堵する少女。


 知りたい、知りたい、君をもっと知って、俺の文字を恐れて欲しい。俺の文字を知って、君の文字を読み込んでいきたい、君の感情を燃やしてみたい。


「焱ちゃん」


 指を鳴らして火柱を立てる。それでもレリックが止まることはなく、異形は俺と焱ちゃんの直線状にいた。近いのは焱ちゃん。だから狙うのも彼女だ。レリックの足は俺の方には向いていない。ふむ、残念な事だ。


 何度指を鳴らし、幾度の火柱を上げても異形の歩みは止まらない。一歩一歩を踏みしめて、自分達が連れ戻さねばならない影に向かって歩いている。


 そこで俺は、業火の向こうに、白い髪をたなびかせる狂人を見た。


 燃え盛る炎に怯えもせず、拳を握ってレリックを見つめている。異形が大地を踏みしめる度に焱ちゃんの瞳が冷めていく。


 あぁ、あの子なら勝てる。あの子ならば殺せる。業火に負けぬ異形のものをあの子の拳は打ち砕く。

 

 確信めいた気持ちを抱いた俺は、頬を上げて焱ちゃんを凝視した。


 ***


「どうして私を焱ちゃんと呼ぶんですか」


 予想通り、確信通り、堅い装甲が焱ちゃんの撃鉄によって粉砕された。鳩尾を貫通しただけではレリックを倒すことは出来なかったが、肩や膝などの関節を順に殴打されれば流石の異形も粉みじんだ。無残だな。


「篝火焚火で、火が三つあるから」


 焱ちゃんは燃え盛る火の中でも執着的にレリックを殴っていた。装甲のひび割れを見落とすことなく、一撃一撃が殺すための急所に入れられる。


 その姿は烈火を纏った狂人そのものであり、己に取り着いた異形がどれだけ火傷に悶絶しようとも彼女は攻撃をやめなかった。


 途中でバクを呑み下した姿も、俺が投げ入れたつぶてに怯まない姿も、光源に相応しい行動だろう。


「火が三つ、確かにありますが」


 先に火を止める判断をしたのは俺の方だ。同時に焱ちゃんがレリックを殴り倒してくれたので良かったが、あそこで倒せていなければ本人が気づかないうちに死んでいたかもしれない。水分不足とか皮膚の重大な損傷とかそんなもので。それは勘弁願いたい。


「炎ではなく、火が三つ、焱と書いて焱ちゃん」


 黒い煙を上げながら焱ちゃんの影法師ドールは倒れた。ザ・タワーが抱えていたが、どうやら生きているらしい。初めてのレリックとの対面で自分の光源が勇ましく拳を振るった姿に感動している節すらあった。見かけによらず快活な影法師ドールだな。


「こんな漢字、初めて知りました」


 興味深そうに首を傾けた焱ちゃんではあったが、その意識は直ぐにそれでしまう。俺は大筆で書いた〈焱〉の文字を輝かせてバク達の注目を集めておいた。焱ちゃんに焼かれるのだ、光栄に思えよ。


 自分の呼び名に興味を失った焱ちゃんは馬乗りになってレリックの装甲を剥がしていた。よくよく見れば美しい装飾のされた鎧だ。それを問答無用で剥いでいく焱ちゃんの容赦のなさと言ったら、こちらまで自然と笑顔になってしまう。


 靴のアルカナを消した焱ちゃんは自分が砕いた異形にご執心だ。千切った腕や足には目もくれず、胸部の当たりを力いっぱい剥いでいる。


 レリックの中には影が溜まっていた。揺らめく蝋燭の影のように掴みどころのない物質。質感は酷く軽く見えるが、腕を突っ込んだ焱ちゃんが動かなくなったので見た目だけだったのだろう。


「重い」


 おそらく、独り言。


 焱ちゃんは異形の中で片腕を微妙に動かし、何かを探す素振りを見せる。動き方からして泥に腕を取られたような遅さではあるが、全く動かせない、抜け出せないという訳ではないらしい。


 にしてもよく腕を突っ込んだな。迷いも何もないから平然と見てしまったが、俺なら突っ込むことは不可能だ。まずこんなに装甲を剥ごうとも思わない。


 バクの皮の件でもそうだが、焱ちゃんは皮というよりその中身に執着しているように見える。それは彼女が心理学の棚から本を抜き取り続けることに関係しているのだろうか。


「なにか探しているのか?」


「えぇ、まぁ、少し」


 焱ちゃんの白いガントレットに黒い霧がこびりつく。煤のようにも見えるが、うごめく黒は一息では吹き飛ばないらしい。


「あ?」


 動きが止まった焱ちゃんが足に力を入れて腕を引き抜く。ガントレットは黒い岩のような固まりを握っており、そこで初めてレリックの痙攣が止まった。


「これ、って、!!」


「それはレリックの核だな。人間でいうところの心臓みたいなもんだ」


 焱ちゃんの目に光が入ったと思った瞬間、ザ・ムーンを抱えたザ・タワーが口を開く。同時に焱ちゃんの目から輝きは失せてしまい、彼女は核と呼ばれた漆黒の岩を地面に放っていた。


 無機質な顔をした少女は足に風を纏い、美しい靴の踵で岩を踏む。一撃では砕けない固さの核なのだろう。何度も何度も踏み潰そうとする焱ちゃんの横顔には狂気の色すら浮かんでいた。


 少女の踵がレリックの核を踏み砕く。


 そうすれば、地の二番は黒い煤となって崩れ落ちた。


 残ったのは、地面に焼きつけられた影の残骸だけだ。


「焱ちゃん」


 振り返った少女の顔に浮かんでいるのは、羽根をもがれた鳥ような表情だ。焦燥では収まらず、しかし期待もしていなかったと言わんばかりの顔。相反する感情が殴り合い、隣り合ったせいで、焱ちゃんの感情は「分からない」としか説明できなかった。


「いるか?」


 指を鳴らして文字に群がっていた異形達を焼く。食べ頃の焦げ目がついたバクを持ち上げて渡せば、焱ちゃんは静かに齧りついていた。


 俺の問いかけには曖昧な言葉だけが返され、答えてもらえるとは思っていなかったこちらも気にしない。


 だが、焱ちゃんの両目から涙が零れた光景は、気にするのだ。


 泣いてる。


 頬に大粒の涙を滑らせながら、篝火焚火は泣いている。


 ……なんなんだろうなぁ、この子。


 苛烈なのに脆い。

 儚いのに強烈。

 強いのに、柔い。


 嗚咽もなく泣いている焱ちゃんはバクを完食し、指の腹で涙を拭う。まだまだ彼女が分からない俺は、やはりこの子を見ていたいと思うのだ。


「ご馳走様でした」


「お粗末」


――――――――――――――――――――

次話は月曜日に投稿予定です。

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