焔天明は発見する
レリックを倒す。
バクを狩る。
それは俺にとって、一種の憂さ晴らしとなっていた。
己の文字が火を噴いて、業火で焼くのは異形の者達。その光景に口角は自然と上がり、俺はハイドで文字を書き綴った。自分がハイドで光源になろうとも、自分より輝きを放つ文字を書けばいい。そうすることでバクが集まり一気に燃やす。火力調整は文字のサイズでしか出来なかったが、大筆で小さい文字を書くというのも挑戦的で良かった。
俺の文字が燃えている。食べたバクが体内にある墨と混ざり、粘度を増して筆に乗る。溜めるばかりの硯であった俺が火種となって発火した。綴った文字を燃やすことで愉悦と背徳感を覚える俺が、悪鬼を燃やして異形を救う。
それはなんて、素晴らしい連鎖だろう。
「なんだか機嫌が良さそうだね、天才」
「そう見えるなら良いんだろうな、秀才」
年明け。入試用の立て看板を完成させた俺に祀は首を傾げた。今日も分刻みで動く学友だが、少しだけなら雑談もできるようになったらしい。
「看板の件ありがとう。助かったよ。相変わらず良い字だ」
「そりゃ良かったよ」
看板を褒める祀は早速他の役員に運ばせていく。俺に微笑む生徒会長様はたったこれだけで雑談を終わらせるらしい。お忙しい同級生は既に背中を向けていた。
「また何かあったら頼むよ、天明」
「ほどほどにな、祀」
軽く振られた手に俺も掌を向けたが、相手には見えなかっただろう。俺が祀の顔を見られなかったのと同様に。
寒さの厳しくなる中、俺は温かい電車で一瞬だけ舟を漕ぎ、近所にある図書館へ足を運んだ。次の展示会用の参考資料を漁るのだ。家と高校にある書は読みつくしたため、次は図書館で世話になろうという算段である。
初めての利用者は利用者カードを作る必要があるとされ、立って書くカウンターに並ぶ。開いていた所に入ると、隣には黒い段違いの髪型をした女子がいた。制服から見てこの近くの公立高校生だろう。
常設されたボールペンを手に取り、何の気無しに隣へ視線を向ける。手書きの文字に飢えている俺だ。こういった場所で供給しなければいつするのかという話である。迷惑はかけていないので許されたまえ。
俺は彼女の文字に視線を向ける。
瞬間、背中が泡立つ感覚に襲われた。
丸みの少ない流れるような字の運び。気が抜けている訳ではなく、一角一角丁寧に綴られた文字は綺麗な部類になるだろう。斜めになることもなく枠の端から真っすぐ横へ並んだ字。一見すれば几帳面な性格の人が書いたと想像できるが、しかしそれは表面上だ。
彼女が書いた文字の奥。そこにあるのは諦めであり、期待であり、好奇心でもあれば、寂しさでもある。
あまりに相反する感情が混ざりこみ、全て綺麗に隠された字。込められたのは利用者カードを作ることによって彼女が得られるかもしれない感情の集約だ。
俺は彼女の名前を脳裏に刻む。彼女の文字を目に焼き付ける。
見られているとも知らない少女は、静かにボールペンを所定の位置に戻していた。
〈篝火焚火〉
かがりびたきび。
カガリビタキビ。
篝火、焚火。
脳内で読みと文字を反芻する間に少女はいなくなる。釣られるように振り返ればカウンターでカードを発行しており、すぐに本棚の方へ足を向けていた。
黒く肩を過ぎた髪が背中で揺れている。彼女が入ったのは分類番号一の棚。
記憶した俺は即座に記入を終わらせ、利用者カードを発行した。
篝火。それは夜、警護の為の灯りや火のこと。
焚火。それは暖を取るために焚かれる火のこと。
守りと安心の火の名前。どちらも誰かを炭にするような業火ではない。優しい火だ。
しかし少女の文字にはそれがない。名が体を表すならば、彼女の文字はあそこまで多くの内情を混ぜるはずもない。
火が三つ。彼女の中には三つの火。
正しく、
彼女が記入していた生年月日からして年は俺の一つ下。
焱、焱、あぁ、焱ちゃんだ。
勝手に名付けて勝手に笑う。俺は彼女が入った棚へ足を運び、小難しそうな心理学の本を腕に抱いた少女を見つけた。
真っ黒な髪に真っ黒な目。その瞳に微かに光が入ったかと思えば、顔の傾き加減で直ぐに消える。近くの本を物色するふりをして横目に見ていれば、焱ちゃんは分厚い本を数冊抱えて閲覧席に行ってしまった。
俺は自分の目的を適当に果たすため、芸術の本棚で書道の本を何冊か漁る。初見のタイトルを適度に持ち、焱ちゃんを遠くから見られる席に着いた。
彼女は正しく、読書に没頭していた。
視線も意識も本の中。そこに自分が求める何かを探し、現実へは決して目を向けない集中力。細く薄い体躯に黒い制服を纏っているせいだろうか。健康的とは言い難い白い肌が浮いて見え、彼女を足のつかない存在にしている。もしくは俺が見た文字の印象が彼女の映し方を変えたのかもしれない。
どちらにせよ、文字も仕草も目を引く焱ちゃんは俺の興味のど真ん中を刺してきた。
その日から帰り道は必ず図書館に寄り、彼女がいそうな棚を横目に観察。いなければ書の本を流し読んで帰宅。いれば彼女が帰るまで死角の席を探して居座った。
我ながら変態的行動である。俺がされたら気持ち悪い。ただしイケメンに限るというやつか。俺は決してイケメンではないが顔の造形が崩れているとか歪んでいるとか、目も当てられないという程ではないと思うんだがな。自己評価は当てにならないので他人の評価を頂戴しよう。
「
「俺に人間の感性を聞くなよ。俺から見たお前らは、お前らが言うところの犬猫同然だ」
つまり異形から見ると然したる差はないと。目立った醜怪や嫌悪感を抱く雰囲気ではないと。はい次。
「祀、俺は嫌悪感のある存在か?」
「質問の意図が全く読み取れないから返答に困るな」
「気になる子がいて若干つきまとうなどしている。俺の見目なら許されるか?」
「天明の所作は綺麗だし、顔もどちらかと言えば良い方じゃないかな。全体的に優しいではなく凛々しいって言えると思う。同性からの意見ではあるけど。ただ気になる子につきまとうのはどんな見目でも許されないから即刻やめるべきだね」
「そうか、良かったありがとう。つきまといに関しては大丈夫だ、まだ相手には気づかれてない」
「警察呼ぼうか?」
優しいではなく凛々しいとは、嬉しい意見を貰えたものだ。上等な着物に負けないように顔を引き締めていた成果が現れたということだな。和服の似合う男はあまり嫌われないのではなかろうか。憶測でしかないが。まぁ気持ち悪くはないだろう。
祀から「頼むから罪を犯すな」とお小言を頂戴したが、別に俺は焱ちゃんとどうこうなりたいという訳ではない。出来る事ならちょっとあの子とお喋りして、ささやかなメモ書きくらい貰えたら嬉しいと思っているくらいだ。
祀に説明すると、今度は精神科への連絡先を教えられたので聞き流しておいた。
異形に目を付けられた当初は殺伐とした毎日になるのではないかと思っていたが、己の字が燃えるのはやはり爽快であるし、焱ちゃんとも会えたので悪いことはない。
俺は慣れた動作でバクを狩り、両腕に異形を抱えた
「もう少し狩るか」
「おー! やる気だねぇ天明」
「本当、血気盛んなご様子だね」
俺の文字に集まるバクを見ていると、上から声が降ってくる。同時に猫も降ってくる。咄嗟に構えた筆の先には、しなやかな猫を模した仮面の奴がいた。
飛び降りたのなら背後の五階建てビルだろう。あの面、アルカナか。
「あぁ、すまないね、驚かせた。あまりにも興味深い火柱を見たから釣られてしまったんだ」
面を外した相手は立ち姿が変わる。腰から生えていた尾はなくなり、足裏をしっかりと地面につけた立ち方となった。
ハイドで白くなった髪が揺れる。斬り揃えられた頭髪も顔の作りも中性的で、襟巻のせいで喉や肩肌も曖昧に見える。華奢なようで華奢ではない。女であり男。男であり女。よく分からん雰囲気だな。
相手の背後に立っているのは深淵のローブを纏った青年。知と学を築いてきた雰囲気が漂う厳かな異形だ。フードを目深に被って細い顎を引けば表情が窺えなくなる。
「自分は夕映零。
見せられた舌には杖の文様。筆を下ろした俺は、自分より先に盛り上がる
「
「
「挨拶からすぐに説教は勘弁!」
「煩わしい」
完全にあしらわれている
「俺は
「よろしくでいいと思うよ。火の筆使いくん」
「ではよろしくお願いします、面の御人」
握手を交わした掌は少し固い。ならば男か? だが仕草はどこか女が混じる。性別不明者と対面したのは初めてだが、これはこれで面白そうだ。
相手は俺をにこやかに観察し、顎に手を添えていた。
「何だ君、見た目のわりに丁寧な喋りをするんだね、面白い」
「年上には敬語を使いますとも」
「そうか。だが自分はそういうの気にしないんでね、やめてくれるかな?」
「なら楽に喋る」
「切り替えも早くてますます面白い」
それから面の御人――零さんとはアルカナやバクについて話をした。俺は自分以外の光源と初めて出会ったので情報が欲しかったのだ。別に相手に興味関心を抱いた訳ではない。零さんは俺の武器らしからぬ武器がお気に召したらしいので、お互い利益になっているだろう。俺からすれば面を武器にするのも大概だがな。
「書いた文字が燃えるなんて、面白いアルカナだねぇ」
「零さんも面とは粋だな。猫だけか?」
「いいや、あと何種類かはあるけど、バクの消費が大きいんだ。基本は猫」
「なるほど」
二人であーだこーだと喋る間も俺の文字にはバクがたかる。「便利だねぇ」と和む零さんの言葉を聞きながら指を鳴らせば、バクはいい具合に焼けた。食べ頃と言ってもいいだろう。蛇にハエの羽根がついた見た目でさえなければそのまま齧りたいのだが。
「零さんもいるか?」
「やったおこぼれ~! いただきま~す」
俺が齧れなかったバクを、アルカナをつけた零さんは噛みちぎる。覗いた歯は鋭利にバクに突き刺さり、引きちぎっては咀嚼していた。豪快だな。清々しい。
バクを食べ終わった零さんは猫のように唇を舐め、顔を毛づくろいする。整える毛もないのに。仕草まで猫のようになる零さんを面白く思う俺は、相手の提案を断る理由もなかったのだ。
「そうだ天明くん、君さえよければ一緒にバクやレリックを狩ろうよ。もちろん時間が合えばでいい。君、面白そうだし」
「ご自由に」
「よし決まり」
ジキルに戻った俺は零さんと連絡先を交換し、不思議な交友関係を広めた。
俺が持つ連絡先など限られている。新たに加わった人は光源にならなければ知らない相手だ。今まで通り生活していれば街で零さんとすれ違っても知り合いになることなどなかっただろう。
異形と出会うのも、悪いばかりではないんだな。
今のところ。
春になれば、何事もなく進級した俺はⅢのバッチを制服につける。
張り出されたクラス表の前で、隣に立った祀とは楽しい会話をさせてもらった。
「クラスは一緒にならなかったね、文字狂い」
「そうだな、仕事中毒」
「まだ例の子につきまとってるの?」
「つきまとっているが何だ?」
「俺が会長やめてもつきまとってたら警察呼ぶね」
「自分が会長の時は汚点になるから黙認か、賢いことだ」
「やめる猶予をあげたんだよ」
「ではその猶予の間にあの子の文字を手に入れよう」
「ほんとに法は犯さないで」
なぜ犯罪者扱いされるのか。その点は解せぬ。
祀と同時にため息をついた俺は知らなかった。
まさか進級してそう経たないうちに、笑いが堪えられない事象に遭遇するとは。
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