焔天明は馴染みやすい


 下手物げてものを食べる趣味は流石にない。俺の趣味は自分で書いた書を破って燃やすことだ。食に対する興味関心もさしてある訳ではないが、得体のしれない物体をかけられても良いわけではない。断じて。


 朝食は家事代行の人が作ってくれているが、そこに黒く揺らめく影をつけてほしいなんて要望はしていない。完全に蛇足ではないか。


 俺にしか見えないという異形は、やはり俺が作り出したヘドロの権化なのではなかろうか。


「おら、食えよ天明。美味いから!」


「天明さん、どうかされました?」


 俺の肩を叩く異形と、朝食を見て微動だにしない俺を不思議がる家事代行の男性。彼が作ってくれた卵焼きがこれほど不味く見えたのは初めてだ。だがしかし、ここで残せば行儀が悪い。


 箸を持った俺は、なんとか片頬だけ上げておいた。


「なんでもないですよ。ありがとうございます、いただきます」


 ***


 好物を聞かれたら抹茶味と答える。抹茶ではない、抹茶味が好きなのだ。お茶のお作法なるものはじっとりと教わったが、その味の奥ゆかしさなどは理解できなかった。普通に最中もなかに入った抹茶や抹茶風味の飲み物がいい。


 筆を持てない学校ですることと言えば、新しい抹茶味の商品が出てないか、いい書道具が発売されないか、次に何を書くかを思案するくらいだ。勉強は平均点以上あるので問題ない。百点満点を目指す理由はないんだから。おぉ、某有名氷菓は新しく抹茶味を出すのか。是非食べたい。


 だが、俺の味覚はなくなってしまった。抹茶味が分からなくなった。代わりにバクなるものの味は分かるようになったが抹茶味には敵うまい。どうせならバクを好きな味に変換してくれれば異形も有能なもんだと思うんだがな。


 無能になりたいから光源を探す異形。それは、刀が錆びる為に水を探すようなものか。はたまた血振りを行わずに鞘へ納まるようなものか。おかしなものだな、本当に。


「天明」


「おー、まつり


 中庭のベンチで味のしない抹茶ジュースを飲んでいると、お忙しい生徒会長様が現れた。二年の後期から当選した会長、朱仄あけぼのまつりという男は優秀だ。十月にあった文化祭では出店の増加やステージ発表の時間配分など生徒代表として教師陣に立ち向かい、かと思えば風紀委員と連携して日常的な校内の取り締まりを強化したりと、就任から今日まで休みなく奔走しているらしい。お偉いことで。


「お忙しい生徒会長様が俺に御用で?」


「あぁ、冬の中庭で冷たいジュースを飲んでる変わり者にお願いがあってね。年明けにある入試用の立て看板、君が書き直してくれないか?」


「……別にいいが、あんなの業者に頼めばいい話だろ」


「天明ほどの字が書ける人、俺は知らないからさ。どこの学校も同じ立て看板だとつまらないし」


 軽く吹いた木枯らしで祀の長髪がなびく。肩を過ぎた黒髪は同性とは思えぬ美しさだ。才色兼備の生徒会長はいったいどこを目指しておられるのやら。俺には分からぬ所である。


「それとも、焔への依頼は代金がいるのかな?」


 眉を八の字に下げられるが、別に俺は金を貰って字を書いている訳ではない。書道は芸術であり表現だ。価値をつけるのは完成品を見た方である。


 味のない液体を吸い切った俺は、小さな真緑のパックを凹ませた。


「書いてもいいが、お気に召す字になるかは保証しないぞ。俺は俺が思うように書く」


「構わないよ。それじゃあまた書いてもらう準備が出来たら声かけるから、よろしくね」


 雑談という雑談もないまま祀は颯爽と中庭を後にする。分刻みでアイツは生きているんだろうか。隣に座る時間くらい捻出すればいいものを。腕につけた生徒会の腕章があれほど似合う男も珍しい。


 俺はゴミ箱に凹ませたパックを投げ入れ、予鈴に合わせて中庭を後にした。


 よりもよって入試用の立て看板なぞ、俺に書かせていいのかね。それは間違った采配だと思うが、祀には「良い看板」に見えるのだろう。ならば致し方ない。数少ない友人の頼みを無下にせず、貴重な経験を積ませてもらうことにしよう。


 それにしても午後の授業は眠いな。教室が温かすぎる。これは寝ろと言っているだろ。教師の字からも眠たさと気怠さが見て取れる。目からお前の気持ちが伝染するではないか。教師ならばしっかりした字を書いてくれ、などと言うのは我儘か。


 欠伸を噛み殺した俺はノートに〈眠い〉と綴ってみる。駄目だな余計に眠くなった。寝ようかな。


 高校二年でどれだけ頑張れるかだと学年主任はよく言うので、生徒会長様の内申点が素敵なものであるように祈って瞼を下ろす。自分は別にいい。俺は筆さえ持っていればいいのだから。


「焔~、次読んでくれ」


「……はぃ」


 何故こういう時に当てるのか。俺は再び欠伸を噛んで、日本史の教科書を見下ろした。


 ……書道や華道、茶道という伝統は継承しなくては消えてしまう。消えたものを復活させるというのは奇跡に近い縁が必要になってくるだろう。


 だから俺は書道を続けねばならないし、焔の文字を書かねばならない。十代目なんて肩書きは特に望んでいないが、店と書は俺が貰わないと途切れるわけだ。重たいな。だが致し方ない。その為の俺なんだ。


 雪でも降りそうな天気の元、午後の授業を終えて帰路につく。今日は何を書こうかねぇ。


「おい天明、来たぞ、レリックだ」


「ん?」


 最寄り駅の手前、歩道橋の上に異形が現れる。影から這い出たザ・タワー。雪が舞い始めた薄暗さが拍車をかけて凶暴そうな雰囲気だ。


 俺は前後を確認し、人の流れがないことに気づく。


 帰宅時間の歩道橋。そこには俺と異形だけ。


 かと思えば、階段を流れるように上ってきた主なき影が一つ。


 俺は影だけが走行する不思議を凝視し、ザ・タワーは高らかと指を鳴らした。


「さぁ行くぜ!」


 瞬間、白に目を奪われる。


 目の前に迫った斧に頬が痙攣する。


 反射的に避けはしたが、残念ながらここは歩道橋。横幅の狭い場所で、俺の左手首に刃が触れた。


「ぎゃ、あ”ッ!!」


 白くおかしな地面に倒れこみ、聞こえたのはザ・タワーの潰れた悲鳴。左手首を押さえた異形は黒い液体を垂れ流し、俺は咄嗟に自分の手首を確認した。


 斬られている。


 ざっくり、ぱっくり、さっくり。


 しかし血の一滴も出ていない。斬れた筋肉も皮膚も柔らかく繋がっていき、すぐに傷は無くなった。痛みなど最初から存在しなかった。


 俺の前には、鎧を纏い、斧を持った異形の背中がある。


「あ”ー……いてぇなおい。おら立てよ天明。お前は痛くも痒くもねぇんだから」


「……何が、どうなってる」


「簡単なこと。お前の痛みは俺が貰った。だから好きにやれよ、我が光源」


 黒い液体の止まったザ・タワーが鋭く笑う。尖った口角は頓珍漢なことを告げたが、幻のように治った左手首は事実だ。


 俺から痛みが無くなった。


 俺は痛みを、感じない?


「天明!」


 思考を取られている隙に再び斧が振り上げられる。


 鎧を纏った黒い異形。顔が無ければ表情もない。何も読み取れない相手は俺に武器を向けている。


 俺は鞄を掴んで歩道橋の柵に足をかけ、車が走っていない道路に飛び降りた。


 着地と同時に両足に違和感がある。何かが潰れた。骨も折れたか。筋肉もどうにかなった気がするが、痛くないから分からない。


「あ”ぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 うるさく叫ぶのは影の異形。ザ・タワーは体を曲げたり頭を抱えたりと忙しない動きでのたうち回り、俺は自分の足を見た。


 全壊、滅茶苦茶、しかし出血無し。


 壊れた足がすぐに治って立ち上がることが出来る。地面に寝そべって浅い呼吸をしているのはザ・タワーの方だ。俯せのまま俺をさした棒のような指には覇気がない。


「おまえ……ほんと、清々しいな……」


「そうか。で、あれがレリックか?」


 歩道橋からこちらを見下ろす影を見る。ザ・タワーは肯定の返事をしたので、俺は武器を想像した。


 元々決めていた、本来ならば武器ではないもの。


 しかし俺にはこれしかない。俺はこれで戦いたい。これを使って、燃やしたい。


 片頬を上げた俺は、掌に集まる熱さに鼓舞された。


「アルカナ」


 業火が俺の手から生まれ、長く太く形を得る。


 燃え盛る物体を掴めば形が固定され、美しい火の粉と共に白銀の筆が現れた。


 墨は、硯は、いやいらない。硯は俺だ。墨は俺の中にある。


 レリックが歩道橋から飛び降りる。俺は着地点に筆を走らせ、毛先から零れたのは輝く白い墨だった。


 俺の中にこれほど美しい物はない。それでも確かにこれは俺の墨。俺が願った俺の武器。


 〈焔〉


 綴った文字にレリックが着地する瞬間、発火の合図に指を鳴らす。


 さすれば文字が火を噴いて、逆巻く業火が異形を焼いた。


 浮き上がった異形の姿を炎の奥に凝視する。


 この火では足りない。もっと、もっと、燃やさねば。


「名も知らぬ影へ手向ける詩はない。許せよ異形」


 言葉にした文字を業火の周囲へ書き綴る。熱さに汗を流し、大きな筆で体全体を暴れさせ、書けば直ぐに火柱を上げる文字たちに嬉々とした感情を覚えた。


 あぁ燃えろ、俺の文字。俺の文字を焼きつくせ。食い荒らせ。俺の墨を破いて昇れ。


「さぁ!」


 最後の払いが終わる時、数多の火柱が中央の火柱と同化する。地面を焦がし、燃やし、一つの火柱となってレリックを燃やす。


 悲鳴も上げない黒の異形は、火柱の中で炭と化した。


 目の前の光景に俺の体が鼓動する。体内に大きな太鼓でもあるような振動が響き、堪えきれずに口角が上がってしまう。


 燃えた、燃えた、俺の文字が燃えている。俺の墨が燃えている。俺を傷つけた悪鬼を、俺の醜さが炭にした!


 気づけば俺は息を吸いながら笑っていた。片手で目を覆い、筆先から零れる墨を周囲に撒き散らしながら。


「おーおー、相手は水の六番だったらしいが、天明の火力で瞬殺かよ」


 ザ・タワーが何かしらの評価をしているようだが右から左へ聞き流す。水の六番? 俺の火力? そんなの知ったことか。


 筆先から墨を散らして指を鳴らす。そうすれば墨の飛沫は爆発するように燃え上がり、近づくバクを焦がしていった。


 あぁ、燃える。燃えている。俺の墨が燃えている。俺の激情が燃えている!


ザ・タワー!」


「あー?」


 焦げたバクを回収していたザ・タワーが振り返る。俺は思い切り筆を肩に担ぎ、発火したように上がり続ける体温に笑いが押さえられなかった。


「いいな、いいな、あぁ、いいな! 俺の字が燃える! 俺の墨が焼く! この力でお前の願いを叶えれば俺の願いも叶えてくれるんだろ? 良い話だ。とても良い! 俄然やる気が湧いてきた!」


 告げれば異形が耳の端まで口角を上げる。凶悪に、意地悪く、じっくりと。


 焦げたバクを抱いたザ・タワーは、裸足で踊りながら俺の隣に並んだ。


「あぁ、あぁ、そうか、そうか、あぁそうか! いいぞ天明! 我が光源! そのまま進もう、そのまま燃やそう! そして俺を自由にしてくれよ、俺たち影法師ドールに自由をくれ! その先で、お前の願望を形にしよう!」


 湧き上がる興奮がザ・タワーにも移ったように、俺達は声を上げ続ける。互いの笑い声はどこか似ていて、目指す道が確かに重なる。なんとなく履いた靴が俺に歩く楽しさを教えるように。


 大筆を振った俺は、墨に呼ばれたバクたちを見て指を鳴らした。



――――――――――――――――――――

月・水・土の投稿にしようか悩んでます。

増えるかもしれないし、増えないかもしれないし。

変更がある場合はご連絡します。

藍ねず

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