篝火焚火は問いかける

「やったわ~~~!! 焚火ちゃん!!」


 そんな、底抜けに明るい歓声が鼓膜を震わせる。振り返るとザ・タワーに抱えられたユエさんが喜々として手を振っていた。きょうだいに抱かれた彼女からは黒い煙が上がり、服の至る所が縮れている。


「おい、暴れんなよザ・ムーン


「離してザ・タワー、私はもう動けるわ! 焚火ちゃ~ん!」


「聞こえてますよ、ユエさん」


 ザ・タワーの腕から逃れるようにユエさんが腕を振り回す。ため息をつくザ・タワーは凶暴そうな見た目に反して面倒見がいいのか、ユエさんが手のかかるきょうだいなのか。私は顔や体を濡らす汗を拭けるだけ拭き、業火に耐えられなかった服を見下ろした。


 ユエさんと違って私の服は直されない。至る所が焦げたシャツやズボンは前衛的なファッションを作っていた。髪も焦げ……てたけど、戻ってるな、長さ。そこはよかった。右目も潰れた気がしたけど片目ずつ隠してもしっかり見えるので問題ないようだ。ユエさんって気絶とかしなかったのかな。まぁいいか。


 明らかに満身創痍のユエさんを見るが、彼女は全力で笑っている。なんなら体全体から花火を打ち上げているような喜びようだ。全力で両腕を振っている姿は子どものようであり、その肘でザ・タワーの顎を殴っても気にしないらしい。……恐らくザ・タワーの方がお兄ちゃんなんだろうな。手のかかる妹だ。


 ため息混じりに拳を上げかけた私は、視界の端で動いたレリックを見逃がさなかった。


 は?


 お前まだ死んでないのか。


 ふざけんな怖いだろ。


 私は即座に爪先の向きを変えてレリックを跨ぐ。


 ゆっくりと手を上げるレリックは視界にいない影法師ドールを求めていた。巻かれた螺子の余韻、残りわずかな電池の帯電。それくらい弱々しい灯。今にもこと切れそうな腕は自分達の元を去った化け物達を探している。


 でもごめんね、私はお前を殺すよ。ユエさんを自由にしないといけないから。


 私は焦げた槍を蹴り飛ばし、穴の開いた鳩尾を凝視する。


 命令の元に影法師ドールを追い続けたレリック。連れ戻す指示を守ろうと動き続ける影の化け物。


 お前の中には何がある。


 ユエさん達の眷属たるお前達の中に、心はあるか?


 私はレリックの胸を殴りつける。出来た隙間に指を突き立てれば、熱されて脆さの生まれた装甲を剥がせる感覚があった。レリックの口だと思われる部分からは微かな音がする。鎧が軋む音とも取れるし、呻き声だとも感じる。呻き声だとやる気が削がれるので前者だと思っておこう。


「エンちゃん、意識は健全そうだな」


 近づいてきた焔さんを見もせずに、私はレリックの装甲をむしり取る。下にいる化け物が息を呑んだ気もしたが、それも気のせいだと思おうね。


 緩く抵抗を見せる両腕の肘関節を殴って壊す。ついでに膝も蹴り砕き、細かく出来る部分は外しておいた。


 ふと私の肩に布がかけられる。見ると白い着物が乗っており、焔さんの上半身は黒い長襦袢だけとなっていた。彼は片頬を上げた笑みで袴の紐を結び直している。着物からは名前を付けがたい和の香りがし、私の瞼はゆっくりと開閉した。


 笑顔の焔さんはレリックの頭近くにしゃがむ。片頬だけ上げて笑うのは癖なのだろうか。螺子の外れた男が人間味を出す様子なんて見たくねぇんだけど。白い着物に袖を通すと和の香りが強くなった。


「ありがとうございます」


「なんのことだか」


 焔さんは楽しげな目で私の行動を見つめている。だから私はガントレットの拳を打ち合わせて作業に戻ることにした。集中力が散ってしまったので、気になっていたことを聞きながら。


「どうして私をエンちゃんと呼ぶんですか」


 私が殴り続けたレリックの装甲は砕け散っているのだが、それでも生きている。やはりバクとは格が違うな。他のレリックはまだ知らないけど、この化け物は相当硬かった。地属性の奴って全員コイツみたく硬いのかな、それは面倒だなぁ。強いっていう四種はコイツより頑丈なんだろうし、先が思いやられる。


「篝火焚火で、火が三つあるから」


 焔さんの声は喜々として回答をくれた。私は自分の名前を思い出したが、合点はいかなかった。なんだよその理由。


「火が三つ、確かにありますが」


 二つなら炎だけど、三つでエンになるのか……?


「炎ではなく、火が三つ。「えん」と書いてエンちゃん」


 焔さんの大筆が地面に光る文字を綴る。


 〈焱〉


 私は首を傾けて、素直な感想を口にした。


「こんな漢字、初めて知りました」


 光る焱の字にバクが集まってくる。私はそれを数秒だけ観察してレリックへ視線を戻した。理由も知ったしもういいや。


 地面に膝をついてレリックに馬乗りになる。もうソルレットは不要なので風に消した。よし剥ごう。


 ……あれ。でも焔さん、私が名乗る前から「焱ちゃん」って呼んでなかったか? 自己紹介は済んでたんだっけ。駄目だな、汗流しすぎて水分不足なのか、頭が回ってない。まぁいいか。螺子が飛んだ奴のことを詮索しても怖いだけだ。


 気を取り直した私は力を込めて装甲を剥ぐ。砕いて、剥いで、鎧の中に見えたのは煙のような影だ。


 ガントレットを纏った腕を入れると影は泥のように重く、頭が視覚と触覚の面でバグを起こした。なんだこれ。腕を振ったら黒い雫が飛んだ。水より泥みたいだな。


 私は影の泥の中で探してみる。人形の中には無かった。バクの中にも無かった。でも影法師ドールであるユエさんの中にはあるという。私の中にもきっとある。


 ならば、レリックにも心はあるのではなかろうか。


 その姿を、私は目にすることが出来るのではなかろうか。


 創られた影法師ドールから零れた影。創り物だというユエさんに心があるなら、零れた影にも可能性がある。ユエさんの体を開くわけにはいかないと思ってたけど、殺したお前ならいいだろ。


 見せろ、この鎧の中を。影法師ドールに執着したお前の中を探らせろ。


 私の右手が何も見えない深淵を探る。探って、求めて、汗がこめかみから流れ落ちた。


「重い」


 思わず零れた言葉の通り、軽く見える影は酷く重い。それでも私は、見えない底で探し続けた。


「なにか探しているのか?」


「えぇ、まぁ、少し」


 焔さんに問われるが、答える方向にあまり意識を向けられない。適当に濁した答えでも焔さんはよかったらしく、それ以上問いかけてはこなかった。


「あ?」


 そこで、触れる。


 硬い感触。明らかに影とは違う。形は凹凸があり歪だが、掴むことも、持ち上げることも出来た物。


 私の呼吸は自然と浅くなり、鼓膜の奥で心臓が鼓動を大きくしている。


 震える手で掴んだ物を落とさないように、それでも早く結果を見たくて、足に力を込めて引き上げる。


 見つけたのは、黒く歪な結晶。


 内臓ではない。どことも繋がっていない。しかしレリックの中に存在した異物。


 これ、これは、これって、あぁ、もしかして、もしかして、あぁもしかして!!


 私の顔が紅潮し、息を吸った勢いで笑いが零れる。


「これ、って、!!」


 振り返った私はユエさんを見る。彼女は静かに首を傾け、口を開いたのはザ・タワーの方だった。


「それはレリックの核だな。人間でいうところのみたいなもんだ」


 ……。


 ……心臓。


 心臓。


 形は違うが、人間にもある。内臓の一種。血液を全身に回すポンプ。


 私の肩からは一気に力が抜け、レリックの痙攣が止まっているとなんとなく視界に入れた。


 なんだ、なんだ……なぁんだ。


 私はレリックの核を放り、再びソルレットを纏う。風から現れた鉄靴を振り上げた私は、力いっぱい核を踏みつけた。


 踏みつけて、踏みつけて、踏み潰す。


 心臓、心臓、これは心臓。


 心じゃない。


 心じゃない。


 レリックに、心は入っていなかった。


 奥歯を噛み締めてレリックの核を踏み砕く。


 そうすれば、化け物は影の煤となって崩れ落ちた。


「焱ちゃん」


 無感動にレリックを見下ろしていると間に黒い物体が現れる。それは焦げたバクであり、差し出したのは焔さんだ。


「いるか?」


 彼は瞳孔を細めてこちらを観察している。私がどう動くか、どうするか。


 私は彼からバクを貰い、気味の悪い化け物に齧り付いた。頭の中で「ブチブチッ、ミ"ッ」と勝手に効果音を付けながら。


 焔さんの目元が一気に紅潮する。気味悪く笑う男は前髪を後ろへ撫で付け、興味津々といった声で問いかけた。


「さっきは何を探してたんだ?」


「別に、答えるほどのものではありませんよ」


「そうか」


 私は握り締めたバクを齧る。そうすると指先に熱い雫が落ちたので、ノボせて鼻血でも出たかと錯覚した。


 残念ながら、液体は赤くなく透明だったし、鼻からではなく目から出てたんだけどな。


 何を泣いているんだろう、馬鹿が。ぬか喜びしたのは私だ。心ではなく心に似た内臓を掴んで勝手に舞い上がりかけただけだろ。あんな化け物の中に心があったとしても、真心くんに入れられないってことは分かりきってたのに。


 頬を流れる大粒の涙と一緒にバクを齧る。口内に広がったのはバクの味だけだ。涙の味などしやしない。蒸発しねぇかな、涙腺。


 バクを完食した私は親指の腹で頬と目元を拭う。顔をあげるとこちらを凝視していた焔さんと目が合ったので、私は描きやすい笑顔を浮かべてやった。


「ご馳走さまでした」


「お粗末」


 焔さんが一歩近づいたので一歩下がる。この人の間合いに入ったらまた鼠にされそうだ。

  

 お互いに暫し笑顔で見つめ合い、先に口を開けたのは焔さんだった。


「焱ちゃんは面白いな、どこまでも」


 あぁ、また、猫になって、鼠になる。彼は獲物を狙う目をしており、私は静かにガントレットを握り締めた。


 その筆を折ったら鼠でも勝てるのではなかろうか。風と火ならばどちらが強いだろうか。

 

 あぁ、この人の皮の下には何が入っているんだろう。この人が書く文字のように、得体の知れない何かが渦巻いているのかな。


 ハイドでの殺人は、ジキルで裁かれないと思うんだけど。


 ガントレットを鳴らした私だが、一応の理性がブレーキを踏む。だって私は良い子だから。


「焱ちゃんが何を探して、何を望んでるかは知らないが……見つかるといいな」


「見つけますし、叶えますよ、何がなんでも」


 答えた私は少しだけ空を見る。白紙の空には影だけの雲があり、太陽なんてどこにもなかった。


 あぁ、変な世界、変な現実。でもこの変な道を行けば、私の願いは叶えてもらえるんだから。


 拳を握ろう。私の為に。私の為だけに。


「……焔さん」


「なんだ?」


「心はどこにあると思いますか?」


 問いながら焔さんを見上げる。彼は私の瞳を見下ろして、悩む素振りなく答えをくれた。


「言葉の裏」


 私は微かに目を見開く。そのまま焔さんを凝視して、自分にはなかった発想を咀嚼した。


 言葉、言葉……言葉かぁ。


 言葉って、どうすれば剥げるのかな。


 私の探究的道のりは、まだ長そうだ。


――――――――――――――――――――

これにて「心を切望した豪風少女編」閉幕。


次話より新編「墨に溺れた烈火の少年編」を始めます。


視点は焚火ちゃんから、天明くんへ。

時は焚火ちゃんがユエさんと出会う、半年前より。

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