篝火焚火は図れない
人に舌を見せる自己紹介は恐らく、十中八九、失礼に値するのだと思う。
しかし私達は舌を見せることが証明になる。だから相手に舌を見せるし、そこに浮かぶ印を強調するのだ。
迷いなく見せられた夕映さんの舌には、杖のような模様が入っていた。
「自分は
夕映さんの瞳が笑う。男性的な感じも女性的な感じもない、よく分からない雰囲気の人。髪型も服装も相まって、私は目の前の人を彼でも彼女でもなく「夕映さん」と表現するしかない。
夕映さんの黒い目は私の隣へ移動し、シェイクを飲んでいた人がストローを離した。
図書館の人は手帳を開いてボールペンを走らせる。白いページに綴られた字は驚くほど達筆だった。
出された長い舌には、壊れた塔の印が浮かんでいる。
「俺は
……は。
ほむらてんめい。
ホムラテンメイ。
焔……天明?
〈
「あ"」
「ん?」
図書館の人――もとい、焔天明さんの片頬が意地悪く上がる。私の全身からは冷や汗が吹き出しており、昨日の一人感想大会が脳裏を駆け巡った。
「昨日は大変失礼な感想を口にしてしまい、」
「いや、あの感想が一番嬉しかったから謝らないでくれ」
早口に謝罪を告げようとすれば、片手を上げた焔さんに静止される。
あの感想が嬉しい? そんなことあるのか? お世辞にしても許しにしても限界があるだろ。
しかし焔さんの表情は確かに告げている。私の荒唐無稽な感想が自分の喜色スイッチをぶち抜いたと。
「ありがとう、俺の字を怖がってくれて。最高に嬉しかった」
冷や汗の止まらない私は、彼の瞳孔が細くなったように感じる。目元も赤くなっている気がする。
あぁ、食われる、食われる、頭のてっぺんから首の真ん中まで。ガブリと一息に食いちぎられる。
完全に尻尾を前足で押さえられた。逃げられない。この人から、私はどう足掻いても逃げられない。
「これからよろしくな、エンちゃん」
だから誰だよエンちゃんって。
指摘できない私は曖昧に笑い、この人の皮の下には化け物がいる気がしてならなかった。
「さ、次はタキビちゃん、どうぞ」
笑顔の夕映さんが私に標的を向ける。この状況で「さぁどうぞ」の雰囲気をよく出せるな、この人。
私は口を引き結んだ後、控えめに舌を出しておいた。
「
すぐに舌を引っ込めると、夕映さんの背後にニヤニヤという効果音が見えた気がした。何考えてる。貴方も貴方で大概だ。腹の底が全く読めなくて怖いだろ。
「ねぇ焚火ちゃん。昨日、殺したバクの皮を剥いだのは何故? あの行動が自分は一番面白かったんだけど」
銀のスプーンがパフェの生クリームとバクを混ぜ、夕映さんの口に運ばれる。焔さんは口角を上げ続けるばかりで目元は相変わらず楽しそうだ。
話の種にしてはつまらない所を選ぶものだ。そんなの聞いて楽しくもないだろうに。まぁいいか、聞いたのは相手だ。
私はじんわりと口角を上げて、理解されないと分かりながら目を細めた。
「化け物が化け物であることを確認しただけですよ。化け物の皮を被ったやつの中身は、確かに化け物
私の解答に夕映さんが吹き出して、焔さんが息を吸って笑う。何やら底の見えない二人のツボを押したらしい。私は相手の変な所を踏み抜く才能でもあったのか? いらねぇなぁ。
肩を震わせる夕映さんは笑みを堪えきれていなかった。銀色のスプーンはゆるりと私に向けられる。
「バクが化け物だなんて一目瞭然じゃないか」
「分かりませんよ。中に何が入ってるかなんて。中身と外見は違うかもしれません」
「ははっ! ちなみに中身はなんだと思ってたの?」
「私が化け物だと納得できる何かです。黒い無機物で本当に良かった。もしも内臓らしきものが出てきていたら、化け物が生き物になって後味が悪いですよね」
だから私は剥いだ。化け物は中身も化け物であると証明する為に。
別にバクの中身を真心くんに詰めようだなんて思ってない。あれは詰めれば化け物ができる。私は化け物が欲しいのではなく、温かい心が欲しいのだ。心が宿る何かを作りたいのだ。
バクの皮を剥いだのなんて、その場の安心材料でしかない。
「あぁ、面白いなぁ焚火ちゃん。君はほんとに面白い」
「そうでしょうか」
「そうともさ。アルカナが消えたら素手で殴るほど殺すことに執着してる。いや、君が執着してるのは中身か」
「殺すことも執着はしましたよ。もしも生きていて、また追ってこられたら怖いので。確実に殺さないと」
夕映さんの指摘に少しだけ視線を逸らす。焔さんは再び視界の外に追いやった。
夕映さんは、そこで合点がいったように目元を溶けさせるのだ。
「だからガントレットを選んだのか。確実に、
「その方が安心ですから」
温かいカフェオレのカップに手を添える。冷えていた手は暖によって緊張を解され、痛まない指関節に視線を向けた。
刀や斧では駄目だ。弓や銃でも駄目。私が、私の手で確実に息の根を止めたと実感できる武器が良かった。
だからガントレットを選ぶ。拳から相手が事切れたことが伝わる近距離武器。防具であり武具。とても魅力的だと思うんだけどな、伝わらないか。
レリックはまだ知らないが、少なくともバクは化け物だ。化け物の皮を被った正しい化け物。それが私を追ってくる時点で疲れているのに、倒したと思った化け物が倒せてなかったかもなんて不安は残したくない。終わらないお化け屋敷かよ。
殺していいとユエさんは言った。
ならば私は躊躇なく殺す。
そうすれば私の怖いは終わるんだ。化け物は消えるんだ。
夕映さんは細い三日月のようになった目で問い続けた。
「そこまでして、君は
「己の願いの為ならば。レリックにもバクにも殺されたくないですし」
「そっか、そうか、はは、そっかそっか!」
夕映さんが快活に笑う。少し店内に響く笑いだが、柔らかいBGMや他の客もいるので雑多に消えた。何が面白いのか私には理解しかねるところだ。
一応確認すれば、焔さんも耐えきれないと言うように笑っていた。彼は声を出さないように息だけ吐いた笑いをし、小刻みに体が震えている。
「いいなぁ、エンちゃん」
目尻に滴を溜めた焔さんが私を射抜く。彼が口を開いたのは久しぶりだ。ずっと黙ってくれてていいのに。
「これくらいでないと、昨日の感想は浮かばないよなぁ」
焔さんが目元を赤くして片頬を上げた笑みを浮かべる。私の背中には冷や汗が溢れて、夕映さんは満面の笑みでパフェを食べていた。パフェの横にはタルトが並び、テカリを見せる果物は美味しそうだ。なんて現実逃避にもなってない。
私を見ながら抹茶シェイクを飲み干した焔さんは、手帳に〈かがりびたきび〉と平仮名を書き殴った。
「俺の文字の奥には何がいるだろうなぁ、エンちゃん」
「……表面とだいぶ温度差があるものがいそうですよね」
諦めを込めて感想を述べる。焔さんは何度もボールペンで手帳を叩き〈カガリビタキビ〉と綴っていた。この人なんなんだろう。怖すぎ。
そんな私の内情を見透かしたように、夕映さんはパフェを頬張った。
「天明くん、何やら気分が高揚しているようだね。少し落ち着かないと焚火ちゃんが怖がってしまうよ」
「あぁ、怖いか? 怖がらせる気は全くなかったんだ、すまない」
嘘だろお前。怖がらせる気しかなかっただろ。どう見ても好奇心と言う威嚇満載だったじゃねぇか。
私の口と目が糸になって硬直する。言葉がないまま焔さんの方を向いていれば、夕映さんが指摘した。
「猫と鼠、蛇と蛙。鷹と兎? なんでもいいが、今の君達は傍から見ると通報一歩手前かもしれないね」
いっそ通報してくれ。この人に接近禁止命令だしてくれ。マジで頭の螺子が吹っ飛んでるこの人は怖くて殴りたくなってしまう。
「通報か。それは前にも言われたことある」
「なんだ、天明くんは前科持ちだったのかい?」
「いや? ただ少し友人に相談した内容が過激だったらしく、心配されただけだ」
「そうか、ならいいや」
何もよくないが?
私は目力を込めて夕映さんを見つめるが、相手は柳のように無視しやがった。畜生。この場に私の味方はいねぇのか。いや、今までの人生で味方なんていなかったのか。そう考えると今日も今日とて通常運転だって? 駄目だもう泣きたい帰りたい。
肩を脱力させてカフェオレを口に含む。やはりバクの味がして、カフェオレの味も忘れる未来が見えた。
「ねぇ焚火ちゃん。先輩面をしたい自分からの提案があるんだが、聞いてくれるかな?」
夕映さんの声は常に明るい。快も不快も与えずに、まるでそうあるべきだとでも言うように接してくる。
そうだった。今の私は頭の螺子が吹っ飛んでる人と、腹の底が見えない人と話してるんだった。
「なんでしょう」
聞く姿勢を見せれば、夕映さんのパフェの器が空になる。スプーンを置いた夕映さんはタルトにバクをかけ、銀のスプーンを突き立てた。
「自分達と共に行動しようよ。広い広いハイドの中、自分だけが灯になってバクを集めるのも、突発的にレリックと出会うのも怖い事だと思うよ」
夕映さんの言葉に少しだけ頬が痙攣する。三日月形に目を細めた夕映さんはタルトを容赦なく切り分けていった。
「自分はバクを適当に狩って、レリックを壊して、念願が叶えば良いと思ってる。けどまぁそれは今すぐに渇望してる訳でも無いし、いつか成せたらいいなくらいの軽さなんだ」
「そうですか」
「そうだよ。それよりも自分はハイドで会う光源の人達を観察したい。知りたい、探りたい。
夕映さんの目元が微かに紅潮する。男性か女性かも分からない相手は、自分ではない光源を探りたいなどと。それを面白いと言うなんて。
十分あんたも曲者だよ。自覚しろよ。鏡見れば腹が捩れるほど面白いだろうよ。なんて、口が裂けても言えねぇか。
無言の私をどう思ったのか、夕映さんは微笑みながら手を振った。
「あぁ、勘違いしないでね。自分は気に入った光源にしか声を掛けないよ。天明くんも面白いから時間があった時に一緒に行動してるんだ」
指でさされた焔さんはニヤニヤしながら手を振っている。私は二人を交互に見て、少しばかり歯噛みした。
螺子が吹っ飛んでる人と腹の底が読めない人と一緒に行動するのは得策か? 一人でいるのは確かに心許ないだろうが、この二人といるのもどうなんだ? いやしかし、昨日夕映さんがいなければ炭にされていたのも事実……うぅん。
「……検討しても良いですか」
「勿論。ありがとう」
満足そうな夕映さんは椅子に深く座り直し、珈琲とタルトを嗜んでいる。私は肩の力をゆっくりと抜き、カフェオレを持ち上げようとした。
「なぁ、エンちゃん」
揺れた机に驚いて、カフェオレは飲めなかったのだが。
今まで我慢して我慢して、ついにゴーサインが出たように焔さんが前のめりになっている。ボールペンを持っている彼は白紙のページにペン先をつけて、煌めく瞳で覗き込んできた。
「かがりびたきび、その漢字をここに書いてくれよ」
「……どうしてでしょう」
「俺はエンちゃんの字が欲しいんだ」
訳わかんねぇ変態かコイツ。
私の全身から再度冷や汗が吹き出す。夕映さんは「天明くーん」と笑っているが、呼ばれた本人の視線は私にしか向いていなかった。
私は平静を装うフリをして目と口を糸にし続ける。それからボールペンを貰って名前を書けば、焔さんは目元を染めて口角を上げていた。
「篝火、篝火……はは、焚火。火ばっか。燃えてるなぁ、燃えてんなぁ。優しくねぇ火が燃えてんなぁ」
「……」
「火が三つ。やっぱい~い名前だなぁ、エンちゃん」
……だからエンちゃんではないってば。
全身が微細動しそうな私は、帰りにすり鉢とすり棒を買って帰る事だけ決めていた。
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