篝火焚火は帰りたい
『いやぁ、面白いねぇタキビちゃん。君はとても、面白い』
白い空に響く夕映さんの声が鼓膜に残っている。
ユエさんが指を弾いた時、私達はジキルに戻された。立っていたのは色の着いたビルの屋上であり、悪意なく不法侵入していた訳である。
『ユエさん、私はレリックやバクと戦いはしますが、犯罪者になる気はないんですよ』
『あらあらそうね、ごめんなさい』
ユエさんにはハイドで家まで帰り、そこでジキルに戻してくれと伝えた。そうする間に夕映さんは屋上の柵の上に立って猫のお面を被っていたな。ジキルでもアルカナって使えるらしい。ユエさんは本当に説明不足すぎだろ。
猫の尾を揺らす夕映さんは他人に見られることなど微塵も危惧せず、緩やかに口角を上げていた。
『タキビちゃん、よければ明日、会えないかな? 君が面白すぎるから先輩風を吹かせたくなってしまった』
『はぁ、』
『これ、自分の連絡先ね。タキビちゃんは高校生かな。そっかそっか、自分は専門学校に通っていてね、明日の授業は――……』
流れるように明日の連絡を取り付けた夕映さんはジキルの夕暮れに消えてしまった。私は猫のような背中をぼんやりと見送り、ユエさんは静かにバクを出していた。バク不足である私がこのままハイドに行くのは危険なのだろう。分かってる。頭では分かってるよ。分かってるから口にそのままのバクを押し付けるのやめてくれ、ユエさん。
私はユエさんからバクを受け取り、収穫したばかりの化け物を目を瞑って咀嚼した。触感はぐちゃぐちゃのくせに美味しいんだから腹が立つ。何でこれが美味しいんだよ。
食後はハイドを駆け抜けた。寄ってたかるバクはガントレットで殴り潰した。お陰で帰宅時間は大幅にずれ込むし、制服はボロボロになって初日から最悪だ。
溶けたローファーや靴下をゴミ箱に突っ込み、焼けたスカートも捨てた。ワイシャツも焦げてるし、とりあえず捨てる物は中身の見えない袋に入れて口を縛った。……スカートの予備はあったハズ。靴は運動靴でいいだろ。
夕映さんの連絡先を登録しながらベッドに倒れ込む。そこで、私はやっと肺の奥から息を吐けた。
締めつけのない部屋着の裾を触り、足を無意味にバタつかせる。ベッドの柔らかさが全身を包んでいた。
『またね、タキビちゃん』
またね、などと言われたのはいつぶりだろうか。
私は真心くんを掴み、瞼の裏に浮かんだ夕映さんを思い出す。彼とも彼女とも言えない人は風の属性がよく似合う人だったな。
記憶を整理していれば、不意に浮かんだ金の眼球に寒気を覚えた。
「……こわかったなぁ」
言葉にする。感情を、感想を口にする。
そう、私は怖かった。怖くて堪らなくて、でも、でも、なんとかした。ちゃんとバクは倒せた。潰せた。あぁでも怖かった。
疲弊しきった体が重いし瞼も怠い。眠気が募る私は、瞼を静かに閉じた。
「あら! 寝ちゃうの? 焚火ちゃん!」
「……寝ます」
「え~! ご飯は? ご飯はぁ~? お腹すいてるでしょ!」
「屋上でバク食べました……」
「でもその後もアルカナ使ったじゃない! お腹すいてるでしょ~? ねぇ食べて~焚火ちゃん。まだバクは残ってるわぁ」
「貯蓄と言う考えを持ってくださいよ」
「鮮度がいいに越したことないじゃない!」
……一向に引かないな、この化け物。
軽く呆れながら目を開ける。根負けしたと言っても正しいかもしれない。
貯蓄は自分の中にすればいいのか。バク不足、もし次なったら危機を感じるし。私の不手際で私の願いが叶えてもらえないなんて最低だ。
願いを叶える。何が何でもこの化け物を自由にする。だから叶えられるものならば、私に温かい心からの接触をくれ。それを叶えてもらう為だけに私は貴方に付き従っているんだから。私の願いと貴方の願い、天秤が均衡を取れているなんて微塵も思わないけど。
これでは、どっちが
私は真心くんを離し、晴れたように笑うユエさんを見た。……。
ベッドを下りた私は食べたくもないコーンフレークに牛乳を注ぎ、ユエさんが千切り入れたバクを見下ろした。
「はい、あーん」
「嫌です自分のタイミングで食べますって、嫌だちょ、怖い怖い怖い嫌だッ!!」
叫ぶ私の口が影の紐で無理やり開かされ、食道にバクが飛び込んで来た。
***
夕映さんとの待ち合わせは駅前のカフェだった。カフェなぞに興味のない私は入口近くの看板を凝視する。美味しそうな新作や季節限定商品が並んでいるが、どれもバク味になるのだと思うと残念でならなかった。
そういえば、カフェで待ち合わせする時って先に入っていいものなんだろうか。入口って邪魔になるのか? 駄目だな、待ち合わせってしたことないから作法が分からない。まぁいいか、突っ立っていれば。
「やぁ、お待たせ。タキビちゃん」
新作の物色に飽きて空を見上げていれば、ふと目の前に人が立つ。惚けていたせいで反応が遅れたが、声は夕映さんだった。
目の前には黒く切り揃えた短髪の人がいて、サルエルパンツにオーバーシャツという出で立ちだ。その姿が流行などに即しているのかはよく分からないが、夕映さんには似合っていた。
が、しかし。
私は夕映さんの姿以上に見なければいけないものがある。者がいる。
夕映さんの斜め後ろに立っている高校生。近くの私立高校の制服で、背は周囲より頭一つ分抜けて大きい。襟にはⅢのバッチがあり、今日も片頬が上がった笑みを浮かべていた。
心臓が縮み上がる。
内臓が緊張する。
立っているのは、私を頭から食べそうな人。
図書館で出会った顔見知り。
あぁ駄目だ。私はまた、鼠になりそう。
「エンちゃん」
「人違いです……」
指をさされて喉が萎縮する。
エンちゃんって誰。完全に人違いですけど、私と彼が赤の他人かと言われれば首を捻ってしまう。自己紹介はしてないので知人ではないが、エンちゃんなどと間違われる覚えもないのでやはり他人か。
いや、広義的に言えば全人類みな他人なんだけどさ。この人はなんかちょっと知人にしたくないじゃん。頭の螺子が吹っ飛んでそうだから。物理的に食われそう。
私が警戒レベルを静かにあげる中、図書館で出会った人は夕映さんに視線を向けた。
「この子のことか? 面白い子って」
「そ、この子だよ。面白い子」
面白い子。
言われ慣れていない言葉ランキング上位に食い込む語句に頬が引き攣る。
図書館の人は私を見ると、人懐っこそうに口角を上げた。
「知ってるぞ、この子が面白いって」
「なんだ、そうだったのか。それは話が早そうだ」
目を細めた夕映さんも私の方へ顔を向ける。二人から面白い認定をされている私ははたして、二人の中での面白いの意味が同じであるのか判断しかねていた。
図書館の人が知るのは完全に不気味ちゃん発言をした篝火焚火であり、夕映さんが知るのはハイドの篝火焚火だ。どちらも面白くはないだろうに。そのランキング間違ってますよ。壊しましょうよ即刻。
「こんにちは、夕映さん」
私は黒髪黒目の夕映さんにだけ挨拶する。私を凝視する図書館の人の目が完全に猫なので意識を向けたくないんだよ。
大丈夫? 私ちゃんと二足で立ってる? 四足でチューチュー鳴いてない? ……鼠も二足で立つか。
夕映さんは不思議そうに瞬きをしていたが、図書館の人は喉の奥で笑うだけだった。
この図書館の人、けっきょく誰なんだろう。夕映さんが連れて来たってことは光源の人なのだろうか。
光源の遭遇率どうなってるんだとか考え出したら面倒なのでやめた。こうして芋づる式にあと十七人の光源の人に会っていくとか? 勘弁してくれよ。また朱仄さんみたいな訳わかんないことする人だったらと思うと冷や汗が止まらないだろ。
据わりが悪くて視線を逸らす。かと思えば夕映さんは私の視界に入り、力を抜くように笑っていた。
「立ち話もなんだし、お店に入ろうか」
「はい」
夕映さんに着いて入店し、隅の席で向かい合わせに座る。私はソファ席を勧められ、夕映さんは正面。図書館の人は私の隣に座りやがった。どうして。
完全に逃げ道のない方に誘導されたのが怖い。席を変えてもらえませんでしょうか。無理か。
私はカフェオレを、夕映さんは珈琲とパフェを頼む。図書館の人は抹茶シェイクだって。……意味あるんだろうか。
会話を始めたのは夕映さんだ。
「学校終わりってお腹すいちゃってさ、糖分が欲しいんだよねぇ」
「そうですね」
「あ、タキビちゃんもパフェ食べる?」
「いいえ」
「そっかー、あ、タルトもあった。あとで追加しよ。タキビちゃんって高校何年生?」
「二年です」
「二年生か~、いいね、先輩も後輩もいてちょっと煩わしいけど青春真っただ中だ。自分は専門学校二年なんだ」
「そうなんですね」
「そ、服飾系だから周りが凄く奇抜なんだけど、そっちの方が浮かなくて楽なんだよね」
「そうですか」
「そうなんですよ」
メニューを流し読みしていた夕映さん。視線は手元だがそれ以外の意識はこちらに向いていると分かる話し方だ。メニューは会話の為の道具であり、私とのお喋りが目的みたい。何も面白い返しなんてできないんですけど。
図書館の人もそうだ。夕映さんと私の間に声を挟むでもなく、よく分からない笑顔を浮かべたまま座っている。私など無視してスマホでも何でも触ればいいのに、そんな素振りは一切ない。真横から凝視される私の身にもなってくれないだろうか。
注文したものが運ばれてくると夕映さんは本当にタルトを追加していた。やっぱり意味は分からないな。
私達が何を食べたところで、感じるのはバクの味だけではないか。
「はい」
夕映さんが百均にあるような調味料の小瓶をこちらに向ける。中には黒コショウのような物が入っていた。それが私のカフェオレに振りかけられ、夕映さんもパフェと珈琲を黒くする。珈琲は元々黒いのだが、振りかけられたものの方がよっぽど黒かった。
図書館の人は何もせずに私を見ている。いや、シェイク飲めよ冷や汗出るだろ。お前の食べ物は私じゃなくてシェイクだよ。
私は微妙に彼を視界の外に追いやり、夕映さんに問いかけた。
「これは?」
「お、初めて質問してくれたね」
夕映さんの肩が上がり、顔に晴れた笑みが咲く。何がそんなに嬉しいんだろう。私の会話ってそんなに素っ気なかったか?
私はカフェオレに視線を落とし、黒い物が少しずつ沈んでいく様を見ていた。……まさか。
「これはすり潰したバクだよ。ほら、昨日タキビちゃんと取ったやつ。あれを帰ってすり鉢で粉にして持ち運んでるんだ」
振られた小瓶を見て、沈んだ粉――バクを確認する。バクって溶けるのかな。取り敢えずカップを揺らしておこう。
「分けて頂きありがとうございます」
「いいや、こっちから誘ったんだしね」
珈琲に口を付けた夕映さんを真似てカフェオレを飲む。カフェオレだと思って飲む。
しかし広がったのはバクの味だ。今まで飲んだ中で最も美味しいと思わせて、今まで食べた何よりも再び食べたいと願ってしまう味。
母のような奴が作った料理の味は既に忘れてしまっていた。
思考がぐるりと溶けそうになった時、視界の外側で腕が動く。
思わず目が釣られると、図書館の人が笑顔でシェイクの上に手をかざしていた。
彼の手の中を見る。
そこには大きく焦げたダンゴムシのようなバクが握られていた。
何をするか分かる。嫌でも分かる。この人が完全に光源で確定とか、それどこに隠してたんですかとか問う以前に、これから目の前で起こることが分かる。
私が目を逸らす前に、図書館の人は笑顔でバクを引きちぎった。
繊維が切れる音だとか、変な鳴き声がするわけではない。それでも明らかにそういった音が聞こえそうな動作に鳥肌が立つ。私の頭の中でしか効果音は存在しないが、言うなれば「ブチブチッ、ミ"ッッ!」という感じではなかろうか。
……食欲がマイナス値に到達した。やっぱりこの人イカれてる。
図書館の人は細かく千切ったバクをシェイクに入れてストローで雑に混ぜる。その動作の度に私の頭はいらん効果音をつけて勝手に吐き気を覚えていた。この人が怖いんでもう帰ってもいいだろうか。無理か。いやこの人が帰ってくれねぇかな。無理だな。
隣で慈悲のない味付けがされている中、夕映さんは素知らぬふりをしてカップを置いた。
「それでは改めまして、自己紹介から始めようか!」
「あぁ、はい」
図書館の人がストローを唇に当てながらこちらを見ている。
夕映さんはやっぱり男性とも女性とも取れる雰囲気で場を取り持つ。
かく言う私は、目の前の人達の皮の下が気になって仕方がなかった。
……光源って、イカれた人か読めない人しか選ばれないんでしょうか。
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