篝火焚火は光源と出会う
――気づいたら吹き飛ばされていたという経験は、怖すぎてしたくないランキング上位に食い込むと思う。
呆然と白紙の空を見上げていた私は、ユエさんの苦悶の声で目の焦点が合った。
「あ"、あ"ぁ"ッ!! ぁつい、熱いぃ……ッ」
両肩を抱き締めて悶えるユエさんが倒れている。彼女の体からは微かに黒い煙が上がり、足元からは黒い液体が流れていた。私はと言えば、壁の壊れた建物の前に倒れているらしい。
荒い呼吸のユエさんに対し、私は全くもって痛くない。なんで意識を飛ばしていたのか朧げな思考で思い出そうとすれば、体の上に金色の球体が近づいてきた。
それは金色でコーティングされた眼球。赤い瞳が私を見下ろし、金の瞼で瞬きする。普通なら神経があるであろう背面は人魂のように揺らめいて、瞳の赤が輝いた。
あ、
私は反射で眼球を殴り飛ばした。ガントレットの肘から風が吹き出し、一瞬で最高速度が出る。
アルカナで私が想像したのは殴れる形。鎧の
それでも、具現化された私の
銀色の拳は金の眼球を吹き飛ばし、潰していた。
潰れた眼球が発火する。赤々と空気を焼く炎は、吹き飛ばされる瞬間に見た灼熱と一緒だった。
「あぁ……いた、かった……」
煙の止まったユエさんが覚束ない足取りで立ち上がる。私もすぐに体勢を整え、微笑む
金の眼球は彼のアルカナ。属性はどう見ても火。浮かぶ眼球は火炎放射器のようだ。
足がふらついてしまう。ここにいることが心許なくて、朱仄さんの考えが読めないせいもあるだろう。
お前、同じ光源だと言ってたじゃねぇか。ならば私達がアルカナを振るうべき相手はバクとレリックだろ。なのにどうして私は吹き飛ばされた。どうして私達は燃やされたんだ?
ユエさんを見る。彼女なりの出血だと思う黒い液体の噴出が止まり、焦げていた皮膚も治っていた。破れた服はそこかしこにある影が縫い合わせ、美しく修繕されている。焦げていた三つ編みの先も直ってた。良かったね。
私は自分の服を見た。ユエさんと同じような場所が焦げており、スカートの丈は一センチ以上短くなっている。ローファーと靴下も焦げた、というより溶けたので頬が痙攣した。制服って安くねぇんだけど。予想外の出費はいらねぇんだわ。
「制服代、請求しますよ」
「いいよ。当然のことだもんね」
朱仄さんの奥で
なんだよそれ、どういう関係だよ。
朱仄さんの表情は変わらない。出会った時から口角が柔らかく上がり、目尻は悟りのように穏やかだ。
でも、していることは明らかな攻撃。私を害する、私を傷つける、最悪をこの人はしてるんだ。
しかし次の行動が読めない。この男から一切の悪意を感じられないから。
見えない底に何を抱いてる。その仏のような皮の下には何を隠してる。お前の中身は一体なんだ。
得体の知れない、目的も分からない相手に心拍数は上がりっぱなし。道を歩く小鳥のように早く、工事現場のドリルのように重低音を奏でている。
眼球は目視できるだけでも五個。
全部殴れるか。相手の方が早いか。
私は、相手の皮を剥がせるか?
「焚火ちゃん、逃げて」
理解できない相手に焦点を絞った瞬間、ユエさんに腕を掴まれて集中が切れる。
朱仄さんの目はそこで初めて細められた。ユエさんに視線を向けて、底冷えする感情を態度に表しながら。
長い髪を億劫そうに手に絡め、払う姿は重々しい。朱仄さんの周囲に漂う赤い瞳は輝きを増し、その奥に炎の揺らめきを見た。
「影が人に触るなよ。寄生虫」
「なんですって! ッさっさと止めなさいよ
「ごめんね焚火ちゃん。でも、光源を
ユエさんの鋭い声を無視して、朱仄さんの揃えられた指が私をさす。同時に全ての眼球が私に狙いを定め、空気の爆ぜる匂いがした。灼熱が私の体を撫で上げる。
やば、反応、足ッ
「――邪魔するよ」
咄嗟に交差させたガントレットが焼けた時、真上から降った声がある。
しなやかな尻尾に三角の耳。細い体躯はユニセックスの服を纏い、声は高くも低くもない誰か。
白く切り揃えた短髪を揺らした人は、私の背中と膝裏に腕を回していた。
「我慢してなよ、アルバ」
頭が回らない内に炎の海から救われる。私を抱えた人は鼻から上を覆う猫のお面をつけており、口元も猫のように弧を描いていた。
猫の人は白紙のビルの壁を蹴り、軽々とした様子で屋上に飛び出す。かと思えばいきなりトップスピードで駆け出した。私と猫の人に釣られるバクを横目に見つけたが、それらを追いていく速さに私の心臓も置き去りにされそうだ。
屋上や屋根を何度か跳躍し、朱仄さんから確かな距離が取れた時。猫の人は小さなビルの屋上に私を下ろし、一息つきながらお面を外していた。
「やぁ、ご無事かな? お嬢さん」
揃った白い前髪を揺らして、白い猫目に微笑を貰う。
顔も声も中性的で性別の判断が出来ない人だ。綺麗なのに格好いいような、凛としているのにしなやかなような。先程まで私を抱えていたと思えば男性なのか、しかし物腰がどことなく女性的でもあるからして……?
混乱に困惑を極めている私の腕からガントレットが風となって消えていく。目の前の人の手からもお面が風となって消え、背後には黒いローブの
頭の先から足の先まで深淵のローブで覆い、微かに見えた青白い顎は細い。傷を知らなさそうな指は体を摩っており、お面の人はあっけらかんと笑っていた。
「ごめんごめん。アルバ、熱かった?」
「熱くて痛い」
「緊急事態みたいだったからさ」
白い瞳が私を見て、その後ろに焦点が合う。私はその視線を追うように振り返った。
「……ユエさん?」
「だぁいじょうぶよ、大丈夫」
明るいユエさんの声を聞き、渇いた喉が生唾を飲み込む。
私の視界には、微かに煙を上げるユエさんがいた。
さっきよりもドレスの損傷が激しく、屋上の柵にもたれた姿からは覇気が感じられない。深く呼吸するユエさんは爛れた腕を撫でていた。
「焼けるって、痛いのねぇ。でもだぁいじょうぶ、大丈夫。私は問題ないわ。焚火ちゃんも、全然痛くなかったでしょう?」
笑ったユエさんの頬も焦げて、破れたドレスはやっぱり影が直してる。
私は思わず彼女の前に膝を着き、傷一つない自分の体に寒気を覚えた。制服の損傷はより激しくなったのに、私はどこにも痛みを感じていないのだ。
「ユエさん、あの、ユエさん、ユエ、さん……」
「聞こえてるわ、焚火ちゃん」
私の手がゆっくりと顔に爪を突き立てて、髪を巻き込み掻き毟る。ユエさんが「ふふふ、変な痛み」と笑ったから爪を立てるのはすぐにやめたが、私の冷や汗は引かなかった。
私に向かった業火の眼球。私を包んだ灼熱は、しかし私に痛みも苦しみも与えなかった。
それが、怖い。
最初もそう。私の足元を破壊するほどの熱量を受けたのに、私は衝撃で意識を一瞬飛ばしただけ。痛みなんて微塵も無くて、ユエさんの声で意識を取り戻した。
私は痛みを感じない。怪我だってすぐに治る。それはユエさんに奪われたから。ユエさんが私の痛みを肩代わりしているから。
でも、それだと私は、自分の危険に気づけない。痛みが無いと実感できない。自分に迫る恐怖と悪意が読み取れなくて、判断が鈍る未来が見えた。
私の知らない傷で、ユエさんが悲鳴を上げてるなんて吐きそうだ。
だってそれは、私の痛みじゃないか。
「落ち着いて、焚火ちゃん」
ユエさんの冷たい手が私の頬に添えられる。そこで私は自分が泣いていたと知り、喉からは変な音がする呼吸をしていた。背中にはユエさんではない人の手が添えられており、見るとお面の人がしゃがんでいた。
「うんうん、ゆっくり呼吸するのがいいよ。その様子だとハイドへ来るのは初めてかな?」
「ぁ、あぁ、はい。はじめて、です」
「そうかそうか。痛みはない、アルカナの使い方もよく分からないのにバクは寄って来る。かと思ったら同じ光源に攻撃されて……疲れたねぇ」
私の呼吸を整えさせるようにお面の人は状況を整理してくれる。その間にユエさんは元気を取り戻しており、アルバと呼ばれた
「自分は
お面の人――夕映さんが安心させるような笑みを浮かべる。まるで私を哀れむような目。
その目は嫌いだ。私は、哀れまれることなど何もない。
呼吸を整えた私は背筋を伸ばし、描きやすい笑顔を浮かべた。
「先程はありがとうございました。助かりました」
「あぁ、良いんだよ。面白い事柄に釣られただけだし」
……面白いってなんだよ。
喉まで出かかった疑問を飲み込んでおく。人懐っこく笑う夕映さんは私の様子を観察する。据わりの悪い私は短くなったスカートを揺らし、目も口も糸にした。
「ユエさん、さっきのバク、回収してないですよね」
「そうなのよ~、回収する前に
「なら、また新しくバクを狩らないといけませんね」
どこからか近づいて来るバクの音がする。光源を見つけて、嗅ぎ取って、集まる音が聞こえてくる。
ビルを上ってやがる。ならば私は殴らないと。殺さないと。
「アルカナ」
風が腕に巻き付いた時、ビルの柵を飛び越えてくるバクがいる。バスケットボールくらいの大きさがある蜘蛛のようだ。気持ち悪いな、ぶっ潰そう。
「アルカナ~っと」
背後で告げた夕映さんの顔上部に猫のお面が現れる。腰からはしなやかな尻尾が伸びて、立ち方まで猫のように見えた。
私は自分の腕を覆った風がガントレットとなった瞬間、飛び込んできたバクを叩き潰す。視界に入った数は六。動きは早いけど私の拳の方が早い。
肘から吹き荒れる豪風で勢いをつけ、バクを屋上の床に潰していく。一を潰して二を潰し、三も潰して、四、五、六ッ!
叩いて潰して、床にめり込んで痙攣していることを確認する。
駄目だ、まだ動く。
私はもう一撃ずつバクに拳を叩き込もうとしたが、突如ガントレットが風となって霧散してしまった。素手が現れて腹部が鳴る。私は前触れない空腹に驚き、夕映さんの声を聞いた。
「バク不足だね、タキビちゃん」
夕映さんは両手に二体ずつバクを捕まえており、鋭い切り傷がバクに刻まれている。白い目は私を食い入るように見つめるから、私は拳を固く握りしめた。
「バク不足」
「そう、アルカナの源はバクだからね。食べれば食べるだけ強いアルカナを使える。反対に、バクをあまり摂取できてないとアルカナも持続しない……タキビちゃんの
「……
「あら、そうかしら?」
苦笑した夕映さんからアルバさん、ユエさんに視線を移していく。銀髪の
全部まだ痙攣中。完全には壊れてない。
だから私は、素手で直接バクを殴った。
「お、」
夕映さんの声がしたが無視して殴る。ガントレットがあれば威力があったのに、なくなったのなら仕方がない。目の前の化け物はまだ死んでいないんだから、死ぬまで殴らなければ気が済まない。
体重を乗せた拳を叩きつけ終わった私は、動かなくなったバクを見下ろした。
「すご~い焚火ちゃん! 六体もバクを倒しちゃった。今日の晩ごはんは豪華よ~」
ユエさんが動物を褒めるように私の頭や顎を撫でる。私は蜘蛛の首を千切って中身を見たが、今度は粘着力の強い深淵が出てきた。バクによって中身違うのか、気持ち悪いな。
「タキビちゃんさ、今日が初めてなんだよね? アルカナ使うのも、バクを相手にするのも」
夕映さんに問われて振り返る。アルバさんにバクを渡す夕映さんは食い入るように私を見つめていた。お面は風となって宙に消える。
その目に敵意はない。私を観察している。ただただ、観賞物のように観察している。
だから私は目を糸にして笑ってやるのだ。
「はじめてですよ」
「そっか、うん。いや、それにしては対応が素晴らしいからね」
夕映さんは顎に細い指を添えている。私の背後では嬉々としてバクを拾っていくユエさんがおり、空腹は続いていた。
「対応……?」
「そう。アルカナが使えなければ素手でいく。既に戦意喪失しているバクを完全に潰す。その執着的な対応力には恐れ入ったよ。面白い」
肩を竦めた夕映さんが私の拳を指す。少しだけ擦りむけた関節には気づかなかったな。目の前で治っていったけど。
「怖くなかったの?」
なんとなく、夕映さんの声に興味が乗っていると伝わる。
私は顔面に浮かべた笑みを絶やさず、両手を軽く開いた。
「息の根を止められない方が怖いんで、平気です」
「もう動かなかったじゃないか、タキビちゃんの一発でバクはノックアウトさ」
「でも死んでませんよね」
夕映さんの口が弧を描いて閉じられる。私は微かに目を開けて、ユエさんの腕で動かないバクに安堵した。外見も中身も化け物であるバクは、もう死んだ。
「確実に、自分の手で殺したって伝わらないと怖いじゃないですか」
殴った瞬間、相手が絶命したと分からなければ。
潰した瞬間、この手の下からぬくもりは消えたと確認しなければ。
もしかしたら、再び私を襲ってくるかもしれないじゃないか。
真っ黒なストーカーは確実に動かなくなるまで殴ったから仕返ししてこなかった。でも、あの場で容赦があれば私はもっと害されていたに違いない。
そんなの怖い。人間の皮を被った化け物だもの。何するかなんて分かったもんじゃない。
バクも一緒だ。化け物の皮を被った化け物。生粋の化け物だ。その息の根を止められないなんて怖いったらありゃしない。
「アルカナがなくても拳があります。ガントレットの方が威力あるし、直接殺したって感触も伝わって良いんですけど。バク不足は知らなかったので仕方がないですね。学びました。ありがとうございます」
目を見開いた夕映さんと視線が交差する。
これはきっと、私にしか分からない対処法。私だけの気持ち。
化け物が怖いんだよ。怖くて怖くて堪らない。
私の視線の先では、夕映さんの口角がじわりじわりと上がっていく。
かと思えば、高い笑い声が白い空に響き渡った。
……なんだ、この人も怖いな。
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