篝火焚火は趣味に勤しむ

 私が影から生えたと女と邂逅するに至った経緯を説明しよう。家に帰って趣味に勤しんでいたら突然私の影から生えた。以上!


 と言っても私自身整理がつかないので、少し記憶を遡ってみようかな。現状理解には丁寧な整理が肝でしょうから。これはやっぱり自分の為ってね。


 ***


「趣味はなんですか?」


 この質問が私は嫌いである。大がつくほど嫌いである。なんなら趣味を問うてきた奴から発せられる言葉全てを憎悪するレベルに達している。初対面で趣味を聞いてきた奴には二度と話しかけないと固く心に誓っているほどだ。


「読書ですかね」


「筋トレかな~」


「映画鑑賞!」


「登山。休日には絶対山登るよ」


「絵を描くのが好きで……」


「ゲームかなぁ。時間があれば大体してる」


「カフェ巡りに凝ってるんだ」


「写真撮るのが趣味でこの前もカメラ買っちゃった」


 趣味という広大な範囲での問いかけには十人十色の回答が返ってくるだろう。質問した相手は自分と似た趣向のものであれば目を輝かせるが、全く興味のない分野だと「ふーん、そっか」で終わらせたりする。聞いたのテメェだろ。もっと返事に心血注げや。


 趣味を聞くことは相手を「こういう奴だな」と分類するのに適した問いだとは思う。陰キャか陽キャか。アウトドア派かインドア派か。大勢が好きか一人が好きか。見た目とギャップがあるのかどうか。


 しかし、だ。


 趣味を聞かなければいけない間柄の相手に本当の趣味を語れる人間がどれだけいると思う。出会った瞬間から「私の心はオープンです!」なんて奴はそうそういねぇだろ。完全にいないとは言い切れないが、大概の場合は「まぁこれくらいで」と回答を選ぶものだ。


 初めての来客にちょっと良い感じのカップと飲み物を出して愛想笑いかますのと似ている。その飲み物を一口舐めて残されたら虫唾が走るだろ。だから心血注げって言ってんだ。


「篝火さん、ノートよろしく~」


「はーい」


 案の定、クラス替えがあった四月の交流時間、趣味を聞かれて「読書ですかね」と返した私は「真面目ちゃん」認定された。なんで読書=真面目になるんだよ。しかも真面目=断らないから使っていい認定される意味が分からない。絶対イコールではないだろ。等式の意味を調べなおせ。


 五月も中頃になればクラスの空気が固定されて学校も落ち着いてくる。慣れが見え始めた廊下をクラス分の提出物を抱えて歩いていれば、他クラスの生徒にも私は「そういう係」なのだと映るだろう。まぁ別段そこに怒りはない。苛立つとすれば廊下を横並びで歩いてる奴らだ。そこ退け邪魔だわ。


「失礼します、二年の篝火です。提出物を出しに来ました」


「おー、はいはい、いつもありがとね~」


 提出物を届けたのは社会の先生。ちょっと猫背で常にジャージの人だ。丸い眼鏡とヘラヘラした感じで授業中は少し騒がしくなりやすいが、授業は分かりやすいので好きですよ。もう少し提出物減らして欲しいけど。みんなにはバエセンとか呼ばれてたっけ。変な渾名だ。名前覚えてない私が言えたことではねぇな。


 読書が趣味になっている私は教室に戻ると文庫を開いて目を通す。本は良いぞ。私ではない誰かの記録をなぞるようで魅力ある暇つぶしになる。時々どうしようもなく憤りが湧いて読むのをやめることもあるけど。


 今日も放課後まで良い子だった私は軽い足取りで帰路に着いた。今日は待ちに待った第三水曜日。私が趣味を行うと決めている日だ。


 寄り道するのは〈INABI〉と看板を掲げたショップ。幅広い年齢層を対象にした衣服と雑貨を売っている。一店舗展開だが全国からお客さんが足を運ぶので人気なのだろう。可愛いから格好いいまで揃ってるもんね。分かるよ分かる。


 私は外開きの扉を開け、店内に響いた優しいベルの音に破顔した。


 顔見知り程度にはなった店員さんと微笑み合って雑貨コーナーに向かう。第三水曜日には雑貨コーナーの人形が変わるのだ。


 私はその中で着飾った黒髪の人形を手に取る。柔らかい布製の人形は青いボタンの目でこちらを見上げており、私の口角はますます上がった。


「この子、ください」


「はい、いつも、いつもありがとうございます」


 レジに立ったのは私より背の低い女の子。時々学校の制服のままお店のエプロンを着けているので、このお店の娘さんだということは分かる。名札に〈稲光いなび〉ってあるからね。


 私は目と口を糸のようにして笑う。常にこんな顔だから学校ではノートを積まれるのかもしれないが、笑っていないと「暗い子」っていうレッテルまで張られるからな。それはなんだか癪なのである。


 人形の青い目はお店のロゴが入った紙袋に入って見えなくなった。稲光さんはポイントカードにハンコを押してくれる。


「あの、あの、ポイントが貯まったので、次回はお値引き出来ますからね」


「わぁ、ありがとうございます」


 稲光さんはいつも私の目を真っ直ぐ見て話してくれる。潤いと輝きが満点の目に見つめられると少々緊張してしまうんだよな。慣れねぇ。まぁ仕方ない。


 私は喜んでポイントカードを財布に仕舞い、人形の入った袋を抱えた。


 さて!!


 スキップでもして帰りたいところだが我慢してアパートに戻る。部屋は簡素な方だろう。まぁそこはいいのだ。


 靴を揃えてブレザーをハンガーにかける。お店の袋を逆さにして折り畳み机に人形を落とせば、可愛いドレスの裾が広がった。頭から落ちちゃったけど問題ない。


 綺麗に装飾された人形を座らせる。私も彼女へ対面するように座り、線にしていた目を開けた。


 私の笑顔を「描きやすそう」と言ったのは、一年の時に隣の席になった美術部だった気がする。二年になってクラスが分かれたので名前は忘れてしまったな。顔文字みたいだと笑ったのは誰だったっけな。失礼な奴だと思って二度と視界にいれないと決めたのは覚えているんだけど。


 あ、私の視界にいないなら私の世界に存在しないのと一緒か。これは殺人罪かしら。なんてな、ボケるのもいい加減にしよう。


「さてさて、はじめましてお嬢さん。大変綺麗な見た目に素敵なお洋服。良いですね、良いですね」


 人形の深緑色のドレスを撫で、艶のある黒髪に指を絡める。柔らかい手をつまむと中には真っ白な綿が詰まっている感触がした。


 でも、それは本当だろうか?


 中に綿が入っているとは私がそう判断しただけで、本当にそうとは限らない。事実は小説よりも奇なりと言う。私は見たものしか信じられない。


 だから私は人形の首を千切るのだ。


 頭と胴体を掴んで引き離し、糸が切れて中から白い綿が溢れてくる。


 私は柔らかい綿を指先でつまみ、まずは胴体の方から引き抜いた。ずるずると出てきた白く柔らかい物体を机に広げ、頭の方も同様に内容物を抜く。


 折り畳み机には人形に入っていた綿と中身を抜かれた胴体、頭が並んだ。皮は凹んで数分前までの可愛らしさは喪失してしまったが、それは人形であったという事実を証明した結果だ。


「貴方は間違いなく人形だったんですね。よかったよかった」


 胴体と頭に分かれた人形の皮を持って笑ってしまう。部屋に一つだけある押入れには今まで人形だと証明してきた皮を飾っているのだ。横断させた紐に洗濯ばさみをつけて、そこに皮を挟んでいる。


 私は新しい子も丁寧にはさみ、押入れを閉めた。机に残した綿は一つに集めて「真心くん」へ投入だ。


 真心くんは触り心地がいいと思った布で自作したアザラシの抱き枕である。お腹につけたファスナーを開ければ今まで人形から取り出してきた綿が詰まっており、今日も新しく追加した。


 まだまだ真心くんの肉感は薄く物足りないが、いつかは抱き心地も肌触りも満点の抱き枕になってくれることだろう。サイズはちょっと私が欲張ったせいでもあるし。


 真心くんを抱いた私は暫し深呼吸を繰り返し、前触れなく両目から涙を落とした。一粒一粒零れたと思ったらダムが決壊したようにボタボタと勢いがつくのだ。


 これが、私の趣味である。


 人形を買って、中身が認識と一致することを確認して、真心くんを抱いて泣く。それが私の趣味なのだ。一言では説明しきれないし、恐らく理解もされないだろう。それくらいは分かっている。涙が出る理由なんて私だって知らないのだ。


 私は、外見と中身が認識と一致しないと不安になる。


 怖くて怖くて堪らない。見えてる皮が正常でも、中身は気味の悪い何かかもしれない。アイツもコイツもソイツも、中身は両親のように化け物に乗っ取られているかもしれない。黒い男のようにいつか化け物が目を覚ますかもしれない。私は無意識にそんなことばかり考えているようなのだ。


 私は、外と中が一致するものを傍に置いてないと気持ちが荒れ果ててしまう。

 自分を絶対に傷つけないと思える存在を置いておかないと不安になる。


 だから人形で始めた。きっと綿が入っていると思える人形を集めて、中身が綿だったと確認して、安心するなどという趣味を。


 部屋の隅で、まだまだ薄い真心くんを抱いて涙を垂れ流す。なに泣いてんだよって自分に呆れるのは何回目だっけ。真心くんが濡れちゃうだろ、ばぁか。


 私はハンカチを真心くんにかけて涙の浸透を防ぐ。大事に大事に、大事にしよう。


 絵本では、大切にした人形に心が宿ると書いてあった。付喪神という概念だってある。


 だから私は真心くんに心が宿るよう、人形の綿を詰めるのだ。ただの綿ではない。人形の心が宿る筈だった綿を詰めれば、大切にすれば、真心くんにも心が生まれると仮説を立てたんだ。


 心はある。善悪や感情を発生させる器官として心はきっと存在する。


 どこにあるのだろうという漠然とした小学生の疑問は捨てた。


 今の私は、冷たい心と温かい心という分類が気になっている。思いやり、優しさ、気遣い、温もりエトセトラ……。


 私は、温かい心を見つけたい。温かい心に触れてみたい。この欲求がどこから湧くのかは知る気もないが、私は温かい心が欲しいのだ。


 しかしそれはきっと無償ではない。有償のものだ。だから手作りしようと地道に綿集めに勤しんでいるのだが、これが花開くのはいつなのか。いつ、真心くんは私を抱き締め返してくれるのか。


 数分して涙の勢いが落ち着いてきた頃、鼻を啜って息を吐く。顔も疲れて表情筋は動かなくなっており、これは寝るまで五分もないなと予想がついた。フローリングで寝ると体を痛めるから、ベッドに移動しないと。ここから泥のように眠るまでが私の趣味だ。


 そう、そこまではいつも通りだったのに。


 そこから先は、全く持っていつも通りではなかったわけだ。


「貴方、とっても面白いわぁ」


 ――私が嫌いな言葉は「突然」「不意に」「唐突」である。


 全て私の想定するいつも通りから外れた何かが起こったことを指すから。こんな言葉を使わない日々でいいのに。


 それは突然起こってしまった。


 不意に言葉が背筋を撫でた。


 唐突に、彼女は私の背後に現れた。


 脊髄反射で振り返った先に見たのは、黒。窓から射し込む明かりを全て飲み込む漆黒の女。


 黒い目隠しに銀色の短髪。うなじの辺りで揺れるのは細く編まれた銀の三つ編み。青白い肌は首から手の先まで黒いドレスのような物を纏い、足は……足は?


 見る。


 彼女の足が、私の影から生えている様を。


 広がったドレスの裾が私の影に同化している様子を。


 一気に体温が引いて額だけ熱くなる。思い出したのは、玄関を開けた先にいた黒い巨人。私の不注意が招いた黒歴史。


 真心くんを手放した私は、防衛本能として拳を握っていた。


 が、両手足首を黒い紐状のなにかに巻き取られて動けなくなる。両手は背後で縛られ、両膝がぶつかる体育座りを強要される。


 倒れかけた私を女は抱き留め、冷たい掌で口を塞いだ。


「だぁいじょうぶ、大丈夫、痛いことなんて何もないわ」


 歌うように女は笑う。私を壁に凭れさせて、風船のように揺れながら。


「ねぇ、貴方には、どうしても叶えたいことってある?」


 ――そこから彼女は強要した。私がどんな人間か語ることを。私とは何か、私が何を考えて生きているか、私を知りたいのだと女は告げた。


 だから語ってやれば、どうだろう。


 疲れて床に倒れた私の前で、徐々に女は高笑いをやめていく。かと思えば再び頬を撫で始めたので虫唾が走った。


 化け物は嫌いだ。人の皮をコイツも被ってるようだけど、その中身はなんだ。何を詰めて私に触ってる。


 軽蔑する私の視線を諸共せず、女は綺麗な唇を開けていた。


「あぁ可愛い。これならきっと、次は大丈夫」


 女の言葉の意味が分からない。コイツは何を言ってるんだ。何がしたいんだ。圧倒的に説明が足りてないだろ。


 私は視線で問いかければ、女はズレた回答をした。


「普通はね、、焚火ちゃん」


「はい?」


 女が私の髪を撫でる。父に似て黒く、段違いにした髪を。それはまぁいい。それよりも、語らないってなんだよ。


「いや、違うわね。語れないのよ。だいたいは私の登場に驚いて、動転して、こっちの話なんて聞いてくれないの。言葉のキャッチボールって言うの? そういうの出来なくて困るのよねぇ」


「そうですか。反応なんて十人十色ですよね」


「そうね。そして私は今回、良い色を引けたみたい」


 音符でも飛ばしそうな女の雰囲気に辟易する。私に語らせて勝手に結論を出してる化け物に、どうしてこちらが付き合わねばならぬのか。私はお前に言われた通り語ったんだ。ならば次はお前の番だろ。願いの話をしろよ、早急に。


 こちらの気持ちも知らず、女は私を仰向けに転がした。


「決めたわ、決めた。貴方に決めた。だからあげるわ。ザ・ムーンのアルカナを」


 女の口から出てきたのは黒い舌。そこに刻まれたのは白い三日月。


 息を呑むように美しい刻印に見入った私は、女の行動を止められない。


 自分の唇を黒い舌にこじ開けられた瞬間、体の末端まで駆け抜けた冷たさに思考が止まった。


 何もできない、何も考えられない。体の動きも頭の働きも女に掌握され、朦朧とし始めた意識が警鐘を鳴らしている。


 重たい体から力を抜いた私は、抗う間もなく意識を手放した。

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