第11話 怪しい追跡者

 玄関のドアが薄く開いていることに貴士は気づいた。部屋に入った時、貴士はしっかりとドアを閉めたことを覚えている。閉めたドアが勝手に開くほど老朽化してはいない。勝輔が帰ってきたのかとも考えた。勝輔はしおりの護衛のため、清麗女子大学まで迎えに行っている。

 だが、玄関先にふたりが帰ってきたような感じはない。誰かが気配を殺して隠れている。そう直感した。

 貴士は圭子に向かって、人差し指を口の前に立てて、黙っているように合図した。そっと立ち上がり、足音を立てないようにゆっくりドアに近づいた。

 身を低くかがませ、タックルのようにドアを突き開け、外へ飛び出した。案の定だ。

 壁ぞいに黒縁メガネの男が中を窺うような格好で立っていた。

「なんだてめえ!」

 叫ぶなり貴士は左ローキックで足払いを掛けた。男は声を発する間もなく、でんとその場にしりもちをついた。

 部屋の中から、圭子が小走りに出てきた。

「今村君! 大丈夫⁉ 怪我してない?」

「うん! まずは一回、緑川さんを守れてよかった!」

 貴士は圭子の方に顔を向け、ニコッと笑った。


「お前、カツキって奴なのか」

 男を部屋に引っ張り上げて、貴士は訊いた。

男には正座をさせている。若い。貴士たちと同年代だ。

「カツキ……? だっ誰のことだ」

 そいつは言った。とぼけている様には見えなかった。

「違うのか。じゃあお前は誰なんだ。なんのつもりでこんな真似をした? ええ?」

「ボ、僕は、西田、西田浩一。二年四組、圭子さんの隣のクラス……」

 浩一は話し始めた。浩一は高校入学時より圭子のことが好きだった。その圭子が最近、いつも同じ男子生徒と一緒に登下校しだした。気になるやら、悔しいやらで、ついつい後をつけてきたのだと言った。「……そうしたら、このアパートの一室に入っていく君たちを見たんだ。中を覗いてみたら、なんだ、なんということ! き、き君たち同棲中なのか! いいのか⁉ いや、よくない悪い。私服に着替えて、嬉しそうに語らいながら、お茶なんか楽しんで。不潔だ。ここは肉の欲望にまみれた不潔で汚らわしい愛の巣だ! ボク明日、絶対、担任の先生に言うもん!」

 浩一は顔に血を上らせ、興奮気味に、一気にまくし立てた。

「どうしようか、こいつ」

 貴士は浩一をちらと一瞥して言った。

「どうしましょう……。でも、異元人でなくてよかったわ」

 圭子もほっとするやら、とまどうやら……。

 とにかく、浩一を納得させて、帰さなくてはいけない。

「なあ、西田。お前、緑川さんを困らせたいか。違うだろ」  

 貴士は一計を案じ、話し出した。「それと、もひとつ。俺と緑川さんはお前が思ってるような関係じゃねえし、ここは、そんな場所でもねえよ」

「本当かぁ。そうかぁ」

 浩一は当然、疑いのリアクションだ。

「嘘は言ってねえって。お前、田辺エレクトロニクスって知ってるだろ」

「もちろん。仔猫を使ったCMやってる大企業じゃないか」

「そうだ。緑川さんはな、その田辺社長の、人に言えない子供なんだよ。お妾さんに産ませた子」

 貴士は何とか浩一を関わらせまいとしていた。

「そういえば、この部屋の表札が田辺ってあったなあ……」

「だろ。お前、このことを学校で言いふらして、緑川さんを悲しい、辛いみじめな気持ちにさせるのか。学校に居づらくなるようなことがしたいのか。違うだろ。なあ」

「……う、ん……でも、なんか作り話っぽい……」

「オイオイ、バッカだなー。どっこが作り話っぽいのよー。すっげーリアルじゃん。俺、今、本当のことしか言ってねえから」

「だからこのことは、絶対に誰にも言わないでいて欲しいの」

 圭子も浩一にすがるような目つきで芝居を打った。浩一のそばに近寄り、正座の浩一と同じ目線の高さまでしゃがみ込み、肩に手を当て、言った。「ね。お願い。西田君」

「は、はい。もし、その通りなら、誰にもボクは言いまっしぇん」

 憧れの圭子に近距離で話しかけられ、舞い上がった浩一のろれつが回っていない。

「で、この部屋は、そんな特殊な事情の父と娘が、月に一度くらいは、親子水入らずで過ごせるようにと、田辺社長が借りてるんだ。今日がちょうどその日なんだよ」

 貴士が言った。

「うーん、じゃあ、君がここにいる理由って何なんだ。別にいなくていいと思うんだけど」

 浩一が貴士に訊いた。

「あ、ああー、それね、えー……」

「あ、あたしと父さんが会う日以外は、この部屋が空いているのは無駄でしょ。だから、日頃は彼に、今村君に貸しているのよ」

 圭子が知恵を出した。

「そそ。一人になれる勉強部屋がちょうど欲しくってさ。俺が借りてんだ。俺んち、貧乏で自分の部屋なんてねえもんでさ。さっ。じゃあ、家に帰るとするか。おい、西田、お前も帰るぞ。さー立て立て」

 貴士は通学用のスポーツバッグを肩に引っ掛け、浩一にも外に出るよう、促した。

「うん、分かった……。けど、カツキって?」

 浩一がふと思い出したように言った。

「ああ、悪いわるい! それ、完全な人違いだわ。気にすんな気にすんな。ははは」浩一の肩を、ポンポンと叩き、貴士は浩一を引き連れて、部屋を出ていった。ふたりは各々の自転車にまたがり、懐風荘を後にした。

 

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