第42話彼女たちが立ち上がる理由
戦いが終わり、淵上高校に撤退していく戦乙女たちの雰囲気は、重苦しいものだった。
誰もが無言で足を引きずるように歩いている。先ほどの戦いが厳しいものだったのはもちろんのこと、何よりも戦場全体に響き渡った悪魔の言葉が衝撃的だったのだ。
天塚燐火は死んだ。もういない。反射的に嘘だと思っても、光井優香が抱きかかえてきた彼女の遺体が何よりの証拠だった。噂は静かに広がっていき、やがてほとんどの戦乙女に知れ渡った。
黒崎夏美が、傍らを歩く光井優香を見る。
優香は、目を閉じ動かない燐火の体を、大事な宝物のようにしっかりと抱きかかえていた。
「……光井。私が運ぼうか。重いだろう」
「いいえ、大丈夫です」
優香の声は静かだった。それは、諦観の底に沈んでいるというよりはむしろ荒ぶる感情を必死に抑えているようだった。
しかしそれを聞く夏美は彼女の様子に気づく様子すらない。彼女の中にあるのは、あまりにも深い絶望だった。
夏美にとって、桜ヶ丘真央と敵対するということの意味はあまりにも重かった。
彼女と刃を交えるだけでも精神を疲弊し、今の彼女はもうサーベル持ち上げる気力すらないほどだった。
そして訪れた、天塚燐火の死という出来事。何よりも、誰よりも仲間を大事にしていた夏美にとって、それはあまりにも耐え難いものだった。いっそ全部投げ出せたらどれだけ楽だろうか。夏美は、みんなを導いていた時には一度も考えたことがないことを本気で考えていた。
いつもの覇気がなく、まるで抜け殻のような様子の夏美に、優香は静かに語り掛けた。
「黒崎先輩」
「……なんだ」
夏美の声は、まるで決められた音声に応える機械のようだった。
「本当に、何もかも終わりだと思って諦めているんですか?」
その言葉に、夏美が顔を上げる。それは、図星を突かれて居ても立っても居られなくなった、というような様子だった。
「――仕方ないだろ! 燐火は死んだ! あの化け物は未だ健在だ! 燐火が死んだ今、一番強い戦乙女である私があいつを倒さなければならない! ――無理なんだよ! 私は、燐火のように怖いもの知らずの鋼の精神を持っているわけじゃない! 真央先輩みたいに研ぎ澄まされた心を作れない! ――怖いんだよ! あいつに、破滅級なんてあんな化け物には勝てないと心の奥底で思っている! 私はっ、みんながいないと何もできない臆病者なんだっ!」
薄っすらと涙を浮かべた夏美は、荒くなった息を整えるように言葉を止めた。
しかし、またすぐに激しく言葉を吐きだす。
「さらに! 真央先輩は私たちに復讐したがっている! 私があの時先輩を助けられなかったからだ!」
黒崎夏美にとって、桜ヶ丘真央の最期に立ち会えなかったことは何よりも大きな傷になっていた。彼女のために何もできなかったという負い目。
そして、その後真央の後を引き継いでからも、ずっと自問自答してきた。どうして自分が先頭に立っているのか。どうして真央先輩がいないのか。先輩が今の自分を見たら、どう思うのか。
「……先輩が私を否定するのなら、私がやってきたことに意味などなかったのだ。みんなをまとめたことも、全部無意味だったんだ。やはり私は間違っていた。あの日真央先輩を死なせてしまった時から、ずっと間違っていたんだ」
夏美の独白を、優香はじっと黙って聞いていた。しかし夏美が黙って俯いたしまったことを確認すると、口を開いた。
「……どうして先輩たちは、そんなに死んでしまった先輩に囚われてるんですか?」
「なに?」
夏美の声が大きくなる。しかし優香は、それに全くひるまなかった。
「燐火先輩も黒崎先輩も、それにほかの先輩たちも、まるで神様のことでも語っているみたいに桜ヶ丘真央先輩のことを語ります。でも」
優香は、そこで言葉を切り夏美の顔をじっと見た。
「先輩たちは、死んでしまった人を乗り越えられる力を既に持っているじゃないですか」
優香の瞳は澄んでいて、自分の言葉を確信しているようだった。
「それに、燐火先輩にも黒崎先輩にもこんなに好かれていた桜ヶ丘真央先輩が、あんなこと言うと思いますか」
「しかしあれは……」
「黒崎先輩だって、違和感を覚えていたんじゃないですか? 戦う姿や立ち振舞いは、本当に生前の彼女と同じでしたか?」
瞬間、夏美は自分の中に蓄積していた違和感について思い出した。
真央と相対した時のこと。
「真央先輩は、もっと強かった。単に技術的にではなく、精神的にも強かった。あんな……あんな憎悪に支配されるはずがない」
天真爛漫に感情を露にする普段と違い、ひとたび弓を持てばどんな状況でも冷静沈着だった。
その弓から放たれる矢は鋭くて、そしてたとえ間合いに踏み込まれたとしても、近接戦闘で対処してきていた。
「――それでも、あれが本当に真央先輩だったのなら私はどうしたらいいんだ」
怖いのだ、と夏美は先ほども吐いた言葉を繰り返した。
自分がもっとも尊敬していた義姉に刃を向けるなど、考えたくもない。彼女の瞳はそう語っているようだった。
けれども、優香は揺るがない。
「一つ、確かに言えることがあります」
「……それは?」
夏美の言葉は、微かに期待が混じっていた。
「桜ヶ丘真央先輩がどれほど素晴らしい人だったとしても、黒崎先輩のやってきたことが否定されるわけではありません。私は知っています。先輩は、十分胸を張れるだけのことをやってきたじゃないですか」
怖い、と口にする彼女は、自分を卑下しているように見えた。
けれどそうではない、と桜ヶ丘真央を知らない優香だからこそ言える。呪縛を、解ける。
「過去の亡霊が否定するのなら、自分たちのやってきたことを声高に主張すればいいんです。自分の行いは正しいんだって堂々と言えばいい。――それに、あの桜ヶ丘先輩が言ったことが確かなら、なおさらあの人は偽物の可能性が高いです」
「と言うのは?」
「『魔の者共』は人間が恐れた化け物の顕現。そういう仮説自体は、前からありましたよね。それが事実なら、桜ヶ丘真央先輩に化けていた怪物がいたとしても不思議じゃありません。化け狐や化け狸みたいに、そういう伝承はいっぱいありますよね?」
立て続けに提示された、夏美が諦めない理由、それに何よりも、優香の静かながらも確かな自信にあふれた声は、少しずつ凍り付いた夏美の心を溶かしていた。
夏美は悟る。自分は今、目を曇らせて現実逃避していたのだと。
「ああ。認めよう。確かに私は、目を曇らせていたようだ……ありがとう。正直、あの日初めて戦場に立った光井からは、今のお前は想像できなかったよ」
呪縛から解き放たれた夏美は、清々しい顔で言う。
夏美の印象では、光井優香は気弱で戦いに向かない戦乙女だった。誰かと話す時は言葉尻が震えていて、戦場に立つ時は足が震えていた。
それが今では、戦乙女として多くの経験を積んだ夏美をも越える胆力を発揮した。それは、恐るべき成長を遂げたと言えることだっただろう。
「私が桜ヶ丘真央先輩を知らないっていうのが大きいと思いますけどね。……でも、一番は、大好きな人のために何かしたいっていう想いです」
「……しかし、燐火は」
「黒崎先輩。私が入学してきた時、なんて言われてたか覚えてますか? ――私の治癒魔法なら、死者蘇生すらできるかもしれない。今日、想いの力でそれを実現してみせます」
◇
淵上高校の前、普段出撃する際に集っている広場には、肩を落とした戦乙女たちが所在なさげに集まっていた。誰もが俯き、言葉を発さない。
重い雰囲気が漂うその場に、夏美と優香が連れたって現れた。戦乙女たちの視線がそちらに向く。優香の抱きかかえる燐火のぴくりとも動かない姿に、沈痛な表情を見せる。
しかし夏美は、毅然とした前を向いたままでよく通る声を発した。その姿には、もう先ほどまでの気弱な姿は見られない。
「みんな、聞いてくれ。知っての通り、状況は絶望的だ。破滅級の出現。敵の想像以上の練度。何よりも、天塚燐火の死。すべてを諦めたくなる状況だ。私だって、さっきまでは諦めかけていた」
改めて現状を確認した戦乙女たちがうつむく。
「だが、それでも私は言おう。――諦めるな。希望を胸に、この現状を自分たちが変えてやろうという気概を以って戦え」
「そ、そんなの、できるはずがないっ!」
立ち上がったのは、数少ない三年生、『太陽が没した日』の生き残りの戦乙女だった。
「黒崎だって見ただろう! あの日以来の大軍勢は、戦略的に動いて私たちを翻弄した。いったい何人の戦乙女が重傷でこっちに運ばれたのかお前は把握しているのか!? 未だに死者が出ていないのはまさしく奇跡だ! きっと次はこうはいかない!」
数人の戦乙女が静かに頷く。同僚が倒れる姿を直視した彼女たちは、既に戦う勇気を失いつつあった。喜悦の悪魔の策略通り、絶望に囚われた状態と言えよう。
「黒崎は未だ誰も倒したことのない破滅級を、この状況で倒せると思っているのか!? 真央はもういない、天塚ですら敵わなかった! こんな状況で、どうやって希望を胸に戦えと言うんだ!」
彼女の激しい言葉に、複数の戦乙女が静かに頷いた。それは、今日を生き抜いた彼女たちの総意とも言える言葉だった。
絶望が彼女たちの胸を蝕み、力を奪っていく。感情こそが力の源である彼女たちは、もはや『魔の者共』一体も倒せないほどに弱っていた。
――だからこそ、黒崎夏美が発破をかけなければ。みんなの太陽であった義姉のようになると誓った彼女が。一度諦めて、後輩に叱咤されて、これで奮起しなければ何が『
「私たちがこれまでにやってきたことを思い出せ! 真央先輩が死んだ時、どうやって立ち直った! 私たちはあの日、今日以上の絶望を経験して、それでもなおここに立ち戦っている! わかっているからだ! 私たちがやらなければ、多くの人が死ぬ! 世界が終わってしまう! ――それに、隣に立つ大切な人すら死んでしまう!」
最後の言葉に、幾人かの戦乙女が顔を上げた。そして、数人が顔を見合わせる。
「死なないために、死なせないために希望を捨てるな! どれだけの絶望の底にいようとも、一握の希望を手にするために死力を尽くせ! 私たちは戦乙女! 人類最後の希望にして、隣にいる誰かの明日のために戦うどこにでもいる女子高生だ!」
夏美の言葉に、俯いていた戦乙女たちが顔を上げる。世界を救うために戦っている。それは紛れもなく彼女たち戦乙の真実だが、同時に彼女たちは元を正せば普通の少女だ。そしてだからこそ、隣にいる誰かのために頑張れる。世界を救うという崇高な目的よりも、友達のため、好きな人のためという卑俗な目的の方が、彼女たちには合っていた。
そして、彼女たちの希望はもう一つ。それは、圧倒的な強者の存在だ。例えるなら真昼に燦燦と輝く太陽のような、例えるなら夜空に堂々と光る一等星のような、そういう存在こそが彼女たちを勇気づけてきた。
「――そして、私たちの仰ぎ見た一等星は今一度蘇る」
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