第43話私のものです
「光井。死者蘇生の魔法について、今一度説明してくれるか?」
「はい」
先ほどまで声をあげていた夏美に代わって前に出たのは、燐火の遺体を抱えたままの優香だった。たくさんの戦乙女たちに視線を向けられる状況は以前までの彼女なら物怖じしそうなものだったが、彼女は堂々と立っていた。
「まず前提として、悪魔の言った戦乙女の力が感情を元にしているという話は真実です。希望は戦乙女の力を強め、絶望は私たちを弱くします」
動揺が広がる。それが事実なら、彼女たちの士気の下がった現状はかなりまずい。
「先ほど顕現した私の『特徴』においても、感情は重要な要素です」
優香の言葉に戦乙女たちがざわめく。『特徴』の顕現。それは、燐火や夏美などの限られた戦乙女のみが会得している奇跡の力だ。かつてない治癒魔法を操る優香の『特徴』とは何なのか、戦乙女たちの注目が集まる。
「その名前は、『想い束ねる祈り人』。人の正の感情、すなわち想いを束ねて奇跡へと転化する力です。端的に言えば、死者蘇生の奇跡を起こすために皆さんの祈りを貸して欲しいんです」
何だか分からないが、他ならぬ燐火が蘇るのなら、協力するしかない。戦乙女たちの顔はそう語っているようだった。
優香は彼女たちの様子を確認すると、静かに燐火の遺体を地面に横たえた。丁重で、まるでガラス細工でも扱っているかのような手つきだった。
「祈りと言っても、何か決まった所作があるわけじゃありません。祈るために必要なのは、皆さんの真摯な感情だけです」
優香の目が、集った戦乙女たちを見る。優香はひどく落ち着いていて、超然としているようですらあった。
「思い浮かべてください。皆さんが常に背中を見ていた、燐火先輩の姿を。戦場において最も強かった戦乙女の姿を」
優香が杖を両手に持ち、燐火のもとにひざまずく。静かに目を閉じる彼女は、確かに真摯に祈っているようだった。
それに習い、戦乙女たちは各々が思う祈りの姿勢を取った。ある者は両手を合わせ、ある者は目を閉じ、各々が燐火への想いを胸に浮かべた。
「『これより始めるは、神の如き御業。我が力を以って人智を越えた奇跡を起こさん』」
厳かで、確固たる自信に溢れた優香の詠唱が夜の空に響いた。途端、優香の体からぼんやりとした光が立ち始める。それは普段治癒をする際に出ている光によく似ていたが、しかしその濃度は圧倒的に今の方が高かった。
祈り、と言われてもあまりピンと来ていなかった戦乙女たちは、その光を見て自分たちがなすべきことを理解した。
あの光は、優香の純然たる祈り、正の感情から発生しているものだ。本能的にそれを理解したのだ。
「『我ら守護者たる戦乙女、ここに祈りを束ね奇跡の糧とせん。我らが力の根源たる想いを贄とせん』」
既に、戦乙女たちは誰もが夢中で祈っていた。自分たちの希望たる一等星を、もう一度蘇らせるために。
すると、優香以外の戦乙女たちの体からも、少しずつ光が漏れ出るようになった。優香が魔法を使う時と同じ光だ。それらは宙に浮かぶと、優香の元へと集まっていった。
「……ッ」
祈りが、優香の元へと集約する。優香は、今までぼんやりと感じていた魔力の流れというものを改めて感じていた。優香の体に祈りは集約され、そしてそれは杖の先にゆっくりと束ねられていた。
「『願う奇跡は人体蘇生。道半ばで沈んだ戦乙女を、今一度蘇らせたまえ』」
それは、既に奇跡と言って差し支えない光景だった。その場に集う百人に近い戦乙女全員の体から光が溢れ出し、優香へと集まっていく。
優香の体から漏れ出る光は、既に直視できないほど眩いばかりになっていた。
「『束ねよ。束ねよ。束ねよ。祈りは一つに、想いは一つに』」
祈りを捧げる戦乙女の一人、黒崎夏美は、自分がずっと見てきた燐火のことを思い浮かべていた。
一年生の時に初めて会った時のこと。自分が敬愛する真央と仲良くするのを邪魔する存在だとしか思っていなかった。けれども、彼女は誰よりも勇敢だった。その蛮勇の内面を、結局彼女は測りかねていたが、しかし確かに分かることが一つあった。
燐火は、自分以外の誰かが傷つかないために頑張っていた。その根底には、優しさ、自分たちに傷ついてほしくないという想いがあった。
だからこそ、黒崎夏美は祈る。燐火に。勇気あるようで、実際は脆くて、自分に厳しく他人に優しい彼女のために。
「『今ここに我らの祈りを結実させ、奇跡を顕現せん!』」
凝縮された光が、ついに解き放たれた。眩くて温かいそれが、燐火は体を包む。集った戦乙女たちは、自分たちの祈りの行先を固唾を飲んで見守った。
「……あ、れ?」
燐火がゆっくりと体を起こす。それを見た優香は、目に涙を浮かべながら、彼女に抱きついた。
◇
起き上がった燐火は、ひとまず体に異常がないか確認するために保健室のベッドへと連れていかれていた。
集まっていた戦乙女は一旦解散し、寝床へと戻っている。しかしそれは、諦観というよりも明日に備えてのことだった。
奇跡を目の当たりにした彼女たちは、既に先ほどまでの諦めはなかった。
自分たちが願えば、奇跡は起きる。それを確信できたのだ。
ベッドに横たわる燐火に、脇にいる優香が覗き込むようにして近づいている。
「……ちゃんと傷は塞がってますね。よかった」
てきぱきと触診を済ませた優香は、そう言って燐火の体から手を離した。
まだ力が戻らない燐火は、横になったままだ。あるいは、起き上がる気力すらない、と言った方が正しいかもしれない。
「優香ちゃん、あの時私は確かに死んだはずじゃ」
燐火の顔には、隠し切れない落胆が隠れているようだった。
それに対して優香は、わずかに顔を下に向けて答える。
「はい。確かに燐火先輩の心臓は一度完全に止まっていました。でも私の『特徴』のおかげで、奇跡を起こせました」
「そっか」
傍迷惑な奇跡だ、とでも言いたげな素っ気ない言葉だった。
「燐火先輩、らしくないですね」
優香の言葉もまた、冷え切っている。いつもの温かい雰囲気とはまるで違う会話は、きっかけがあればすぐに爆発しそうだった。
「らしくない? 優香ちゃんは、私の何を知ってるの?」
「何をって……燐火先輩はあの時話してくれたじゃないですか。自分の本心を。内心の奥底を」
あの日、優香が桜ヶ丘真央の真実を暴いた時、彼女はたしかに燐火のことを分かったはずだった。
しかし、根っこのところで誤解があった。燐火の中にある自己否定は、未だに彼女の奥底に根付いたままなのだ。
「違う! 本当にわかっているのなら私なんかについてきてくれるはずがない!」
燐火の声に感情が灯る。普段他人に激しい感情を向けることなどほとんどない彼女の激昂。しかしそれは、迷子になった幼子のように頼りないものだった。
「どうして醜い私を晒したはずなのに信頼の目を向けてくるんだ! どうして私なんかを肯定するんだ! どうして、どうして、どうして!」
「……燐火先輩がそんなことを言いだすのは、あの桜ヶ丘真央先輩に何か言われたからですか?」
「ッ!」
図星を突かれた燐火が一瞬言葉に詰まる。しかし、すぐに己のうちにある心を吐き出した。
「そうだよ! 真央先輩が、初めてこの私を肯定してくれた真央先輩が、他ならぬあの人が私を恨んでいたのなら、私にはもうすでに価値なんていないんだよ!」
「……たとえ、私があなたを肯定すると言ってもですか?」
「違うんだ! 違う、違うんだ……優香ちゃんがどうとかじゃなく……真央先輩が、真央先輩が……」
燐火の頭は、もう既にまともな思考能力を残していなかった。他ならぬ真央に否定されたという事実が、彼女を自己否定の渦へと巻き込んでいた。
その様子に、優香は今ここで桜ヶ丘真央が偽物である可能性を指摘しても無駄であると確信した。
「やっぱり、燐火先輩は本当の意味で桜ヶ丘先輩の死から心を解放できたわけじゃなかったんですね」
優香のために生き、そして死ぬと決意した燐火だったが、真央本人が目の前に現れるという事態を前にして、再び決意が揺らいでいた。
そんな燐火の様に、優香は耐え難い感情に襲われた。優しい彼女が今まで無縁だった感情。愛というには醜くて、ドロドロとした感情。──それは嫉妬、あるいは独占欲だった。
「やっぱり、私はあの時に死ぬべきだったんだ」
「お姉様」
優香の声に、かつてない感情が籠る。艶やかで、重苦しくて、複雑な感情の籠った声。茫然自失だった燐火ですらも、思わず優香の顔を見た。
「そんなに、前のお姉様が忘れられませんか?」
「ゆ……優香、ちゃん……?」
燐火の顔に、優香の顔がぐいと近づいてくる。燐火の目に映る優香の瞳の中には、ドス黒い炎が渦巻いていた。
「私があれだけ想いを伝えたのにまだ分からないっていうのなら、まだ生きることからの逃避を考えるっていうのなら──私が、ゆるしません」
燐火の目が大きく見開く。優香の両手が、燐火の柔らかい頬をがっちりと固定し、逃げられないようにする。
ゆっくりと近づいてきた優香の唇が、静かに燐火の唇を奪った。
「ッ──」
視線が交錯する。驚愕する燐火の瞳。微笑むように細められる優香の瞳。
唇を交えて、何秒経っただろうか。静かな息遣いと衣が擦れる音だけが保健室に存在していた。
「ッはーっ」
「ッ……はっはっ……」
激しい息遣い。頬を薄っすら赤く上気させた二人は、熱っぽい視線を交錯させる。
「ゆうか、ちゃん……?」
茫然と、燐火が問いかける。けれどその様子は、先ほどまでの絶望に我を忘れている時とはまた違ったものだった。
「お姉様の物分かりがあまりにも悪いから、初めてのキス、しちゃいました」
優香が妖艶にほほ笑む。
「な、なんで……」
「──これで、お姉さまはもう私のものです。たとえ愛するあなたであろうとも、勝手に死なせるのはゆるしません。……もう、私のものです」
その言葉を聞いた瞬間、燐火の胸中には激しい衝撃が走った。
所有権を主張する、まるでモノを扱うが如き物言い。それは今までの優しい優香とは明らかに違う踏み込み方だった。
「優香ちゃんの、もの……」
燐火の被虐趣味が激しく刺激される。優香の目は、嗜虐的な光に爛々と輝いていた。
「はい。私のものだから、勝手に死ぬのはゆるしません。勝手に傷つくのはゆるしません。傷つけていいのは、私だけです」
瞳を潤ませた優香が、燐火の顎をそっと持ち上げる。奇しくも、それは燐火がかつて優香にした仕草だった。
「燐火先輩。あの悪魔を倒せたら、私がとっておきのお仕置きをしてあげます」
「おし、おき……」
それは、燐火にとってあまりにも甘美な響きだった。鼓動が早くなる。想像が、妄想が頭を駆け巡る。
「だから燐火先輩、死ぬのはゆるしません。もう、私のものですから」
優香の熱のこもった瞳が優香を捉える。燐火は、それに熱の籠った目線で応えていた。
この瞬間、二人は本当の姉妹のようで、同時にそれ以上に深い関係だった。
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