第41話戦乙女の絶望
優香は、かつてこんなにも混沌とした戦場を見たことがなかった。
「先輩、ケルベロスが抜け出します!」
「人数をかけて絶対に阻止しろ! 天塚と黒崎のところに近づけるな!」
「はいっ!」
黒崎夏美は、目の前にいるかつての義姉をけん制し続けながら、後ろにいる仲間たちに指示を出していた。
後ろに控えていた彼女たちのもとには、『魔の者共』が大群で押し寄せてきていた。ちょうど、喜悦の悪魔と戦う燐火を守るような形での戦いだ。周囲から押し寄せる敵を燐火に近づけさせないように、彼女らは必死に戦う。
夏美もまた、目の前にいる桜ヶ丘真央を止めるのに必死だった。連続して矢を放つ彼女はなかなか接近する隙を与えてくれず、夏美のサーベルが届かない。――もっとも、夏美が相手を傷つけるのを躊躇っているというのもまた事実だ。
黒崎夏美の戦いから一旦目を離し、優香は自らの義姉を見る。
「燐火先輩……」
彼女らの戦いが報われるのかは、ひとえに燐火が破滅級を倒せるかどうかにかかっていた。
「光井さん! 松原さんが怪我してる! お願い!」
「はいっ!」
すぐに意識を切り替え、優香は駆け出し、負傷者の元へと駆け寄る。
しかし走る彼女のもとに、背後から迫る影があった。
「ッ!」
優香の後ろから音もなく忍び寄った巨大なカマキリが、前脚の刃を振りかぶる。人間以上の大きな体躯のそれは、優香の細い体など一撃で真っ二つにしてしまいそうなほどの迫力があった。
しかし、素早く振り返った優香は身をかがめ刃を回避。腰の捻りを利用してフルスイングした杖が、カマキリの頭をあっさりと潰した。
轟音を立てて倒れ込む巨大カマキリ。
それに目もくれず、優香は負傷者のもとへと急いだ。
「大丈夫ですか!? 今治癒を!」
「あ、ありがとう……」
少女は、足に大きな傷を負いその場に寝かされていた。
優香が詠唱する様子を黙って観察する戦乙女。周囲では、変わらず他の戦乙女が押し寄せる『魔の者共』相手に奮戦していた。
「ねえ、光井さん。この戦い、勝てると思う?」
負傷した少女がポツリと呟いた言葉は、少し震えていた。
「……勝てます。燐火先輩なら」
優香は信じている。自分の義姉を。
「……でも、今日の天塚はどこか動きがおかしいよ。それに、さっきの真央先輩の言葉が本当だったら……」
「そんなわけ、ないです!」
優香の声が少し大きくなる。けれど、上級生はそれに完全に納得できていないようだった。
「けど、あなたは知らないかもしれないけど、真央先輩は本当に明るくて素敵な人だった! みんなの憧れだった! そんな人があんなこと言うのなら……それは、それは……」
「……」
狼狽する戦乙女の瞳は、大きく揺れていた。今のエースと、かつてのエース。どちらを信じていいのか、分からなくなっているようだった。
優香は桜ヶ丘真央の与えた影響を改めて実感した。彼女を知る者たちにとって、その存在はあまりにも大きすぎたのだ。
「痛みはすぐに引くと思うので、少し休んでいてください。私は燐火先輩のところに行きます」
優香が立ち上がる。その目線の先には、燐火の姿。過去最悪の敵と戦う義姉の援護をするために、優香は再び駆けだした。
目先には、片腕で器用に槍を扱う悪魔の姿があった。その動きに迷いはなく、一撃一撃が苛烈だ。仮に優香が一人で正面に立ったなら、三合と保たずに切り捨てられるだろう。
あの燐火ですらも、悪魔の槍術に手を焼いているようだった。二つの小太刀は悪魔の体を捉えんと激しく振るわれているが、当たっている様子はない。
急がなければ。先ほどの上級生も言っていたが、今の燐火の動きはとても危うい。いつもの彼女とは明らかに違う。ずっと彼女を見てきた優香には、それがよくわかった。
普段の燐火の雰囲気が頑丈で切れ味鋭い日本刀だとすれば、今の燐火は氷でできた剣のようだ。脆くて今にも崩れてしまいそうな雰囲気。
そして、優香が近づく前に決定的瞬間は訪れた。
「燐火先輩!?」
燐火の体に、槍が直撃する。悪魔がにやりと口角を上げた。
一撃で倒れ込んだ彼女の体に、二つ、三つと槍が突き刺さる。どれも体の中心に刺さっている。――燐火の顔は、少し笑っているようにも見えた。
悪魔は、投げ捨てたそばから新たな槍を生成し、燐火に向かって投げつけていた。倒れ込む燐火の体は、さながら剣山のような有様だ。
数多の槍が突き刺さった体から血だまりが一瞬で広がり、燐火はぴくりとも動かなくなった。
「ッ……待っててください! 今治癒を……」
「無駄ですよ」
答えたのは、喜悦の悪魔だった。
話しかけてきた敵に、優香は杖を油断なく構えながら近づく。近づけば分かる。その体からは禍々しいまでの圧力が放たれていて、相対しているだけでも正気を失いそうだ。
「彼女はもう死にました。私の槍に籠められた呪いに、彼女は耐えられなかったのです」
「そんなわけ……」
仰々しく、まるで舞台役者のように悪魔は語った。誇らしげに掲げる槍は禍々しい雰囲気で、たしかに呪いが籠められいるようにも見えた。
「ああ、都合の悪い事実は見ない。信じない。これこそまさに愚かな人間の習性というべきでしょうか。それならば、自分の手で触れ、確かめればよろしいのではないでしょうか?」
悪魔は少し下がると、優香に道を開けた。訝しみながらも、優香は燐火へと近づいていく。たとえ罠であろうとも、治癒をかける機会を見過ごすわけにはいかなかった。
燐火の体に手を当て、優香は怪我の状況を確認する。腹部に大量に空いた穴。それらから血がだくだくと流れ出して――
「……鼓動が、ない?」
嘘だ、と反射的に思って、優香は燐火の手首を掴む。冷たくて、脈が感じられない。呼吸の音が聞こえない。
「う、嘘だ、噓だ、嘘だ!」
優香が杖を構える。ありったけの想いを籠めて、治癒を始めた。
「『いと気高き癒しの光よ、彼の者に安寧を与え給え、ハイキュア』 ……そんな」
光が燐火を包み込む。傷がすぐに塞がるが、燐火の体はピクリとも動かないままだった。心臓に手を当てるが、鼓動が感じられない。呼吸の音がない。
「そんなっ、はずはっ!」
再び、詠唱。光は間違いなく燐火の体を包み傷を癒しているはずだったが、彼女は全く動きださない。
「クッ……アッハハハハ! 最高ですよ、人間! あなたのその無様な狼狽は最高に滑稽です!」
悪魔の哄笑が響く。優香はそれに、きつく唇を嚙み締めた。まるで、目の前が真っ暗になったような感覚だ。全身から力が抜ける。
「最高の喜劇を見せてくださったお礼に、この世界の秘密を教えて差し上げましょう。――他の有象無象どもも、聞け」
悪魔の声は、異様によく通った。戦場にいる戦乙女たちが顔を上げる。『魔の者共』も、自分たちの主の言葉に耳を傾けているようだった。
聞きたくなくて聞かずにはいられないような、不思議な響きを持つ音。しかしそこには、隠そうともしない嘲りの色が含まれていた。
「貴様ら戦乙女の力の本質は、感情、想いの力だ。希望を持てば持つほど力が増し、絶望を抱けば抱くほど力が弱まる。貴様らが『特徴』と呼ぶものは、それが顕著に表れた例にすぎない」
悪魔が語っているのは、あくまで真実だった。人間の英知、科学すら明かせなかった事実を。事もなげに言い放つ。
それは傲慢さの発露というよりもむしろ策略だった。
「私が何を言いたいかわかるか? 貴様らが頼りにしていた最強の戦乙女、天塚燐火は死んだ。そこの回復術者ですらもう治せない。貴様らはその事実を嚙み締めれば嚙み締めるほどに、絶望するだろう。なにせ、私を倒せる戦乙女はもう存在しない。絶望しろ。そして、絶望すればするほどに貴様らの力は弱くなっていくという事実に打ちのめされろ。私は人間の絶望が大好きだ。そのように語られたからな」
悪魔はそこで言葉を切ったが、誰も反応することすらできなかった。
「――明日の夜。私たちは再び攻め入り、淵上高校にいる人間を皆殺しにするだろう。そしてその勢いのまま、この国を蹂躙する。その時を、雪山で死にゆく登山者のように震えながら待て」
それだけ言うと、悪魔は翼をはためかせて去っていった。その背中には未練など欠片も見られない。今ここで立ち去って、絶望を噛み締めた戦乙女を踏み潰す方が容易い。そう考えているのだろう。
他の『魔の者共』も、それに追従するように撤退していく。
「……」
後の残ったのは、戦乙女たちの重い沈黙だけだった。
誰もが下を向き、目の力がなかった。天塚燐火は死んだ。その事実は、戦乙女たちに大きな衝撃を与えたのだ。皆の支柱、黒崎夏美すらも黙っている。
絶望に体が重くなる。諦観に息が詰まる。
――けれども、光井優香だけは。天塚燐火唯一の義妹だけは、まだ目に希望を宿していた。
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