第29話危険な転校生
うだるような暑さにも、いい加減慣れてきた頃だ。九月の頭の頃、優香は幼馴染である果林と一緒に廊下を歩いていた。今日は燐火との合同鍛錬もなし。一日フリーの日だ。
寮までの道を、果林と優香の二人が歩く。
久しぶりに幼馴染と二人っきりの時間を確保できたことに少し浮かれていた果林は、優香に最近仕入れた噂話について語っていた。
「転校生?」
「うん。皆噂してるよ。なんかドイツから凄い人が来るって。たしか、『エルナ・フェッセル』って言ったっけ」
「へえ、海外からなんて珍しいね」
国家防衛の要である戦乙女が渡航することなどほとんどない。多くの国において、戦乙女は厳重に管理されている。国によっては、軟禁に近い状態におかれている戦乙女もいるくらいだ。
「噂によると、実力はあるけど協調性に難があって、そのせいでこっちに追い出されてきたんだって。……なんだかどっかのエース様に似ているね」
「あっはは……果林ちゃんは燐火先輩にあたりが強いね」
「だって! 優香と知らないうちにどんどん仲良くなってるんだもん! 私の方が先に仲良かったのに!」
果林は頬を膨らませてみせた。優香はそれを受けて、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
「それでその、ドイツから来たフェッセルさんは『ここで一番強い奴と決闘したい』って言ってるんだって。だから、そう遠くないうちに天塚先輩とぶつかることになるかもね」
「随分血の気の多い人なんだね……」
そんなセリフ、漫画の中の不良くらいしか言わないと思っていた、と優香は呆れる。
しかし自らの義姉の名前を挙げられては自分も無関係とは言えないだろう。頭の片隅くらいには置いておこう、と彼女は考えていた。
この時まで、優香にとって転校生の噂は他人事のようなものだった。
「おい」
話をしている二人の前に、一人の生徒が立ちふさがった。
「ッ!」
その姿を見た瞬間、優香は思わず息を飲んだ。
見事な金髪の女生徒が、少し上から優香たちを見下ろしていた。堂々たる立ち姿。ウェーブのかかった髪。キッと吊り上がった碧眼には威圧感がある。腕組みをしているので、豊満な胸部がいっそう強調されている。
「光井優香はお前か」
「え? はい、そうですけど……」
困惑しながら返答する優香。
「天塚燐火を呼べ。私と決闘させろ」
あまりにも唐突な物言いに、優香は何と返せばいいのか分からなくなってしまった。
「きゅ、急に失礼じゃないですか? あなた、転校してきたっていうフェッセルさんですよね!?」
困惑する優香に代わって声をあげたのは、果林だった。
「優香だって困ってるじゃないですか! それに、急に来て天塚先輩と戦わせろって……手順ってものがあるでしょ、手順ってものが!」
金髪の生徒、エルナ・フェッセルは、話している果林を上から睨みつけた。その瞬間、果林は言いようのない恐怖に襲われた。例えるなら、腹をすかせた猛獣がこちらを見ているような、そんな根源的な恐怖だ。
果林の体が小刻みに震える。『魔の者共』との命懸けの戦いを最前線で経験してきた果林をもってしても、目の前の少女の殺気は耐え難いものだった。
「あ、あの。燐火先輩を呼びつけて一体どうしたいんですか? 決闘、なんて言ってましたけど、それをやったら燐火先輩が何か得をするんですか?」
「……ほう」
果林が怯んでしまった威圧的な瞳に対して、優香は毅然と自らの意見を口にしていた。それを見たエルナが、獰猛な笑みを浮かべる。
「その胆力に免じて答えよう。私と戦うことで、どっちが最強なのかハッキリさせることができる。ここで一番上の奴か誰なのか分からなくては、有象無象が誰に従えばいいか混乱するだろう」
「皆のことを有象無象なんて呼ぶ人に、誰も従わないと思いますけどね」
反論されて尚、金髪の女生徒の獰猛な笑みはまったく揺るがなかった。
「いいや、従う。人は、命の危機に瀕した時には絶対的強者に縋りたくなるものだ」
ああ、この人は、燐火先輩とは似て非なる人だ。優香は直感した。
どちらとも強くて、確固たる己を持っている。
けれど、その根底に優しさがあるか否か、そこが決定的な差異だ。
金髪の女生徒には、冷たさしかない。
「それで、お前には天塚燐火を呼ぶ気があるのか、ないのか。どっちなんだ」
「会わせるのは結構ですが、少し待ってください。私と燐火先輩にも、予定というものがあります」
「──ダメだ」
突然、どん、という音がした。やや遅れて、優香はエルナが拳銃を持っていることに気づいた。オートマチック、黒塗りのそれは、戦乙女の武器だろう。
銃痕は、優香の足元。銃口からは薄っすら煙が出ていた。
「ッ!」
事態に気づいた瞬間、優香と果林は己の得物を構えていた。果林は槍の穂先をエルナに向け、優香は杖を手に取る。
「いい反応だ。しかし、私とやり合うのは少々役不足ではないか?」
にやりと笑い、二丁の拳銃を構える金髪の女生徒。片手に一丁ずつ構えられた銃口は、真っ直ぐに優香たちの頭に向いている。
しかし、果林は銃口にも全く怯むことはなかった。
「いいこと教えてあげますよ、外国人さん。日本語の『役不足』は、元々『楽勝だ』って意味ですよ!」
果林が勢いよく飛び出す。会話していた時と同じ間合いであれば、果林の槍の方が早い。踏み出す足と同時に、穂先が太もものあたりを狙う。
「ふんっ……甘いな!」
弾丸が飛ぶ。一瞬で銃口の向きを変えたエルナの放った銃弾は、果林の腕を捉えた。
「ツゥ……」
「ははは! いい顔だ! もっと見せろ!」
先ほどまでの冷静な様子から一転、昂った様子で叫ぶエルナ。どうやら彼女は、人を傷つけることがひどく好きなようだった。
「果林ちゃん! 『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」
しかし、優香の杖から光が飛び出すと、果林の腕にできた傷口を一瞬で治した。
「優香……ありがとう!」
「ほう……これは凄まじい力だな」
優香の治癒魔法を見たエルナは、目を見開いた。優香の人を瞬時に回復させる力は、世界的に見ても珍しいものだった。
エルナが何かを思いついたような顔をする。彼女は、敵対する二人を前に断言した。
「決めたぞ。天塚燐火が私よりも弱かったら、お前を私のシュヴェスターにしよう」
「シュヴェスター?」
「貴様らは義姉妹、と呼んでいたものだ。戦場において共に行動する、姉妹に似た固い結束を持つペアのことだ」
「そ、そんなの勝手に決めないでください!」
それは、燐火とだけ結んだ大事な関係だ。優香は、大事なものを奪おうとする目の前の女に動揺した。
しかしエルナは、あくまで余裕の表情で答えた。
「お前のように優れた者は強い者のために力を振るうべきだ。そうすれば死ぬ人間を減らすことができる」
「ッ!」
咄嗟に言い返す言葉が浮かばなかった優香は、少し黙った。
しかし代わりに、槍を構えた果林が声をあげた。
「それで、あんたは本当に天塚先輩よりも強いわけ!?」
「試してみるがいい」
果林の体が舞う。彼女の動きは、既に優香が初めて見た時よりもずっと洗練されていた。果林とて、天塚燐火や黒崎夏美には及ばずとも、強くなるために努力してきたのだ。
基礎トレーニング。武器の扱い方。実戦経験。黒崎夏美のチームにつきメキメキと頭角を現している彼女は、次世代のエース候補とすら持ち上げられることすらあった。
「はあああああ!」
果林の槍が飛び出す。切っ先は一瞬で目標へ。弾丸の如き勢いは、生半可な防御では防ぎきれないだろう。
その一撃は、少しでも近接戦闘に覚えのある戦乙女なら見事、と称するだろう会心の一撃だ。
しかし、相手が悪かった。
間合いのうちまで迫ってくるのをただ見ていたエルナは、そこで初めて動きを見せた。
「ふっ」
槍の動きをギリギリまで見極めていたエルナは、最小限の動きで突きを避けると、左手の拳銃を果林の腹にめり込ませた。
「ぐふっ!?」
遅れて、射撃音。果林の体が、軽々と吹き飛ばされた。
「果林ちゃん!」
弾は貫通していないらしい。(戦乙女の武器は、通常の物理法則で動く武器とは異なる。例えば銃弾の威力を調整する力を持つ戦乙女も珍しくない)
「ごほっ……」
果林は腹部を抑えてうずくまってしまった。優香は治癒魔法をかけたが、果林はなかなか立ち上がれずにいた。
優香の治癒魔法は瞬時に傷を癒すが、痛みまで消すわけではない。強烈な一撃をもらえば、回復しても戦闘不能になる、ということも珍しくない。
──回復されればどんな傷を受けていても戦えるのは、ドMの変態くらいのものだ。
果林が倒れ込んでいる様子を見て、エルナが凄惨な笑みを浮かべた。
傷つけることそれ自体が目的であるかのような表情に、優香はうすら寒いものを覚える。
「くっ……」
果林が脱落し、一人になった優香が杖を自分の体の前に構える。その構えは、燐火との鍛錬の成果から隙のないものになっていた。
「ほう……ただ強き者に守られるだけかと思えば、案外戦えそうだな」
しかし、悠然と近づいてくるエルナは、それ以上に隙のない立ち姿だった。二丁の拳銃は優香にピタリと合わされているが、発砲する気配はない。むしろ、優香が近づいてくるのを待っているようだった。
エルナの身から湧き出る暴力的な香りが、優香の精神を蝕む。それは、意思なき化け物である『魔の者共』と戦っている時には決して感じることのできない代物だった。
「……ッ!」
睨み合いに先に痺れを切らしたのは優香だった。あるいは、エルナの雰囲気に圧倒された、と言ってもいいかもしれない。
杖を真っ直ぐにエルナに向け、詠唱する。
「『ホーリーレイ』!」
杖から飛び出した光線は、エルナの打ち出す弾丸にも近い速度だった。しかし、目線と杖の向きから軌道を読んでいたエルナは、横に逸れることでそれを回避すると、一瞬で優香に肉薄した。
優香の杖が動くよりも早く、エルナの拳銃が優香の腹部に押し込まれた。ちょうど、先ほど果林が倒された時と同じような構図だった。
「まずっ……!」
「沈め」
射撃音。途端、優香の腹部に凄まじい痛みが走った。槍にでも貫かれたような痛みに、優香はその場に倒れ込んだ。
「ぐ……」
呼吸が苦しい。腹部の違和感に頭がボーっとする。
ああ、燐火先輩はいつもこんな痛みを抱えながら戦っていたのだろうか。優香は朦朧とする意識でそんなことを考えた。
「……ほう、いい顔をするな」
エルナは倒れ込んだ優香に近づいていくと、その顎をぐいと持ち上げ、優香の顔を観察し始めた。
「回復術者。もっと苦しそうな顔をしろ。私は貴様らが苦しむ顔こそみたいのだ。悶えろ。懊悩しろ。絶望し、床に額を擦りつけろ。──ああそうだ。どうせ治せるのならもう少しやってもいいか」
乾いた銃声。それは優香の手のひらを貫いた。
「あ、ああああ!」
優香が痛みに絶叫すると、エルナは恍惚とした笑みを浮かべた。
「ああ、いいぞ! そうだ! その表情だ! もっと見せろ!」
再びの銃声。それは優香の太ももを貫いた。
「うっ……あああああ!」
「はっ……アッハッハッハ! そうだ! 泣け、喚け、私の力に怯え跪けええええ!」
高笑いするエルナの頬は真っ赤だった。その目には薄っすら涙すら浮かんでいて、彼女の興奮具合が見える。──エルナ・フェッセルは、どうしようもないほどのサディストだった。
「これで力の差は分かっただろう? お前は、私のものだ」
エルナが優香の髪を乱暴に掴む。優香のうめき声に、エルナは高揚感に浸っていた。
ああ、これこそ自分の求めていたものだ、と彼女は一人ごちる。己の力を存分に振るい、他人を従える。これ以上の幸福がこの世にあるだろうか。
しかし、彼女の時間は突如として終わりを告げる。
「私の義妹から離れろ、転校生」
底冷えするような声が、その場に響いた。憤怒と殺気の混ざった、凄まじい迫力のある声だった。
同時に飛来した小太刀が、エルナの頬を掠めた。
しかし最初から攻撃されたことを分かっていたように悠然と振り替えったエルナは、堂々と闖入者に問いかけた。
「お前が、天塚燐火だな」
いつになく冷たい表情をした燐火が、そこに立っていた。
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