第28話背負ったもの
真央先輩のもとで、夏美と一緒に切磋琢磨していた時のことは、たまに思い出す。
あの頃の夏美は、俺に突っかかってくることも多かったが、その瞳の奥には俺への信頼のようなものがあったように感じる。
だから俺は、その信頼を裏切ったこといつまでも忘れてはならないだろう。
六月の雨が、ざあざあと降っていた。俺と夏美は、学校の玄関で呆然とそれを眺めていた。今日の合同鍛錬は中止、と先ほど真央先輩から連絡のあったところだ。真央先輩を待っていた俺たち二人は、突然手持ち無沙汰になってここに佇んでいる、というわけだ。
「夏美。今日も眉間に皺寄ってるね」
「放っておけ。そういうお前は、相変わらずの無表情だな」
二人の間を取り持つように巧みに会話を回している真央先輩がいないと、元々口数の多い方ではない俺たちの間にはあまり会話は生まれなかった。
でも、それでいいと思った。目の前では、地面を穿つ雨音。沈黙を取り持つように音を鳴らす雨が、ひどく心地よかった。
「夏美は、さ」
「ああ」
心地よい雨音の間を縫うように、俺は言葉を紡ぐ。
「真央先輩のことが大好きなんだよね」
「ッ……ゴホッゴホッ……ああ、好きだが」
突然の言葉に動揺した夏美が顔を逸らす。その頬はわずかに赤い。
「じゃあ、私は邪魔? 真央先輩と二人っきりになれないから嫌い?」
きっと肯定されると思った。でも、肯定してくれれば俺も諦めが付くと思った。価値のない俺と、実直な夏美。どちらが真央先輩にふさわしいのか、なんてハッキリしていたからだ。
でも。
「いいや。真央先輩はきっと、私もお前もいる方が幸せだと思う。だから、お前がいてもいい。……いや、いた方がいい」
「……」
意外だった。きっと夏美は、俺の事が嫌いだと思っていたからだ。
「夏美は、本当に真央先輩のことを考えているんだね」
「お前だって大して変わらないだろ」
違うよ。俺は俺のために生きているどうしようもない人間だ。
俺は、夏美の期待しているような人間じゃないんだ。──真央先輩が死んだ日、夏美はそのことを悟ったのだろう。
◇
「燐火先輩、今日の放課後、屋上にきて下さい」
朝登校すると、先に登校していた優香ちゃんにそんなことを言われた。いつもは俺が彼女を待ち伏せしている(一緒に来る優香ちゃんの幼馴染には威嚇するように睨まれる)ので、意表を突かれた形だ。
「何か用があるの? 今聞いてもいいけど」
「いいえ。その、先輩に会って欲しい人がいまして」
「それは随分珍しい話だね」
優香ちゃんがそんなこと言ってるの聞いたの、初めてだ。また彼女の新しい顔が見れたかもしれない、と少し嬉しくなる。
いつも通りに授業をボーッとしながらうけ、放課後は屋上へ。すると俺は、思ってもみない人物と遭遇した。
「夏美……」
「燐火」
硬い表情で優香ちゃんの隣に立っていたのは、かつて同じ義姉を仰いだ黒崎夏美だった。
「優香ちゃん、夏美と話をするなら私はここにいない方がいい」
足を扉の方へと向ける。きっと優香ちゃんは何か勘違いしているのだろう、と思った。
でも、優香ちゃんは引き下がらなかった。
「待ってください! 今日は、燐火先輩に黒崎先輩と話し合って来てもらったんです!」
「え……?」
見れば、夏美はその言葉を驚きもせずに聞いていた。どうやら彼女はそれを了承しているらしい。
その事実に、俺は何よりも驚いた。夏美が俺と向き合って話をしようとするなんて、考えてもみなかった。
夏美が口を開く。その瞳は、真っ直ぐに俺を捉えていた。
「燐火。私とお前は、ずっとあの日のことから逃げ続けていた」
「それ、は……」
夏美にその事実を突きつけられて、俺は息が詰まった。確かに、俺はずっと真央先輩の死から逃げ続けていた。彼女が死んでないと思い込み、想像上の彼女と会話すらしていた。
「燐火……お前のそんなに動揺する姿、初めて見たな」
夏美が不器用に笑う。
「でも、私は向き合うと決めた。お前はどうだ、燐火」
「……夏美がそう言うのなら」
けれど、自信はない。他ならぬ夏美と腹を割って話すことを、俺はこれ以上なく恐れていた。
そんなことを考えていると、ふと優香ちゃんの顔が目に入った。
「燐火先輩、黒崎先輩にもう一度歩み寄ってみてください」
「──そんなの、ゆるされていいはずがない」
言葉は、俺の口から自然と出たようだった。
「え?」
「ゆるされていいはずがない。だって夏美は、大切なものを失った」
俺にとって真央先輩が太陽だったように、夏美にとっても彼女は大好きなお姉様だったはずだ。その想いは、ひょっとしたら俺以上だったかもしれない。
けれど、優香ちゃんはあくまで優しい表情で俺に語り掛けてきた。
「……燐火先輩は、いつも難しく考えすぎだと思います」
「難しく……?」
「はい。ただ、黒崎先輩は燐火先輩を赦すタイミングを探していて、燐火先輩は黒崎先輩に負い目を感じている。それだけなんですから、ちゃんと話し合えばいいだけだと思います」
夏美の顔を見ると、彼女はただ静かに頷いているだけだった。どうやら、彼女も同意見らしい。
どういう事情なのか知らないが、二人は十分話し合った上でこの場に臨んでいるみたいだ。
夏美の鋭い目が俺を捉える。懐かしい、睨むような目。下級生にはよく勘違いされている目だ。
けれどその中には、俺を責めるような色はなかった。
「燐火。私はかつて、お前を殺そうとした」
黙って頷く。
「……あれは、私が間違っていた。お前の言葉を真に受けて、冷静さを欠いた。もっとお前の話を聞くべきだった」
「──それは、違う!」
声が荒れる。今の夏美の言葉は、俺にとって看過することができなかった。
「あの時、私は真央先輩を殺した! 私のせいだ!」
「それでも、私にそれを咎める資格などなかった……! 私とて、お姉様を守れなかった一人なのだから!」
「ッ!」
夏美の顔は、後悔に満ちていた。その表情に、俺はひどく衝撃を受ける。
ああ、夏美もまた、真央先輩の死に責任を感じていたのだ。
もっと自分が強かったら、真央先輩に頼ってもらえたら、あんなことにならなかったのに。そんな想いを抱えながら、今日まで生きてきた。
結局、俺と同じだったのだ。
「夏美……あの時は、怒らせるようなこと言ってごめん」
半年以上出てこなかった謝罪の言葉は、存外すんなりと出てきた。
「私も冷静ではなかった。お前が誰よりもお姉様の死を悲しんでいることくらい、分かったはずなのにな」
力なく笑う夏美。いつの間にか、目の険は取れていた。
「でもね、夏美。私があの時言ったことは、嘘じゃない。自己満足のために戦っているのは本当」
これだけは、はっきりと伝えなければ。
「ふん、それは真実で、そしてお前が皆に傷ついて欲しくないのも真実だ。違うか?」
「……いいや、違うとは言えない」
皆が傷つくのは、気持ち良くない。彼女らには、俺が傷つく様を見て顔を曇らせるくらいの小さな不幸が似合う。それを優しさと言えるのかなんて分からないけど。
でも、夏美は俺の内心を見抜いているような顔をしていた。
「なら、それで十分だろ。それなら、私からこれ以上言うことはない。……もとの関係に戻ろう。いい加減、お前をゆるさないのも疲れたんだ」
「そんなに……そんなにあっさりとゆるされていいものなの?」
「自分の義妹にも言われていただろう。お前は難しく考えすぎる。──いいんだよ。お前だけがお姉様の死を背負わなくて」
「夏美……」
ああ、君のそんな不器用な笑み、初めて見たな。常にしかめっ面で、真央先輩の前でだけ輝くような笑みを見せていた彼女は、初めて俺に本当の笑顔を見せてくれた気がした。
「ありがとう」
礼を述べる。不器用に唇を上げて、夏美に歩み寄る。
──未だに胸の奥に巣食う罪悪感を覆い隠しながら。
ああ夏美。あなたは本当に優しい人だ。
でも、俺は真央先輩の死を背負わずにはいられない。たとえ君がゆるしてくれても、だ。
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