第30話ドSとドMが出会うとき、決闘が始まる

「燐火先輩……」


 地面に倒れ込んだ優香ちゃんが、俺の名前を呼んでいる。しかしその声は震えている。体には多くの傷跡。

 見るだけで怒りがふつふつと湧いて来た。優香ちゃんはこんな目に遭っていい子じゃない。

 さらに近くには、もう一人の戦乙女がうずくまっている。どちらも、この危険な目をした転校生がやったのだろう。


「エルナ・フェッセル。お前の蛮行の報い、その身に教えてやる」


 小太刀を構える。一本は投擲したので、手元には一本だけ、けれど、それで十分だ。身の内にある怒りを目の前の女に叩きつけるのに不足はない。


「ハハッ! それは素晴らしい! しかし、そんな貴様に一つ提案があるぞ」

「聞きたくもない。黙れ」

「いいや、私にもお前にも得のある話だ。──三日後、衆人環視の中で私とお前で決闘をするのはどうだ? 有象無象どもに、どちらが上なのかハッキリと見せつけてやるのだ。敗者には屈辱を、勝者には栄誉を与える素晴らしい提案だと思うのだが、どうだ?」


 エルナの話に、俺は少し黙った。

 確かに、今ここでコイツをぶちのめすよりも力の差をハッキリさせる方が効果的かもしれない。今後もこういったことがないように釘を差すことができる。


 そしてなによりも。

 ──敗者には屈辱を、か……興奮するな。


 皆が見守っている中で突然現れた転校生に敗北を喫す俺……アリだな。おお、なんか想像しただけで興奮してきた。

 というか、エルナの言葉の端々に嗜虐心のようなものを感じる。

 ……もしやコイツ、ドSなんじゃないか? 俺のドMアンテナが激しく反応している。だとしたら、まずい。俺の性癖を抑えられる自信がない。


 努めて冷静な顔を作って、俺は転校生と会話をする。


「いいだろう。ただし、お前が負けたら今度校内で一切暴力沙汰を起こさないことを約束しろ」

「構わん。それでは、貴様が負けたらそこで這いつくばる回復術者を手放せ」

「……なに?」


 優香ちゃんを手放す? それは、聞き逃せないな。


「あの能力は素晴らしい。人類のために、最も強い者の後ろにいるべきだ。貴様もそう思ったから、あれと義姉妹の契りを結んだのだろう?」

「……否定はしない。しかし、お前の優香ちゃんの自由意志を認めないような物言いは気に食わない」


 コイツは、まるで義姉妹のことを奴隷か何かだと思っているようだった。


「ハッ! 自由意志! 戦場と化した世界において、己の意思を突き通せるのは強者のみだ。弱者に許されるのは、強者に守られるか死ぬかのどちらかのみだ」

「そんな自分勝手な理屈を振り回していたから国に見捨てられたんじゃないか?」


 俺の言葉を聞いた途端、エルナの目に激しい怒りが籠った。


「国が私のことを認めなかったのは、あいつらが馬鹿だからだ! 連携連携と口うるさく弱者の理論を振りかざし、私の献身を認めようとしなかった! この国ではそんなこと言わせない。最強と言われるお前を打ちのめして、私が正しいと証明してやる」


 激しい憤りの籠った言葉を聞いていた俺は、なんとなく彼女のことが分かってきたような気がした。

 彼女にとって、信頼できるのは強さだけなのだ。人との信頼関係や、友情、愛情のような一切が信じられない。そのありようは、あまりにも痛々しくて──


「哀れだな」


 思わず口をついて出た言葉に、エルナは凄まじい表情になった。メラメラと燃える激情の炎を内包した瞳が、俺を睨む。


「貴様……貴様も私を憐れむのか? ──許さん」


 言葉に籠る激しい熱。彼女にとって、憐れみの感情を向けられることは何よりも許容できないことのようだった。


「三日後に力の差をハッキリと見せつけてやる。血塗れでこうべを垂れる貴様に謝罪の言葉を言わせてやる」


 背後を向き、その場を去ろうとするエルナ。

 しかし、俺は最後に言葉を投げかけた。


「エルナ・フェッセル」

「なんだ、まだ用か──」


 駆け出す。振り返ったエルナに肉薄し、小太刀を一突き。切っ先は、エルナの太ももを軽く抉った。真っ赤な血が噴き出し、エルナの顔が歪む。


「グッ……」

「決闘前に、義妹の痛みを少しでも返しておく」


 三日も復讐を待てるほど、俺は大人ではないのだ。俺が傷つくのは構わないが、優香ちゃんが傷ついたのは許容できなかった。


「次はこうはいかんぞ」

「知っている」


 それ以上何かを言うことはなく、エルナは少し足を引きずりながらその場を去った。





 転校してきて数日で暴力沙汰を起こしたという『狂犬フェアリクターフンド』エルナ・フェッセルと淵上高校の誇る最強の戦乙女、『血みどろ一等星ブラッディエース』天塚燐火が決闘する、という情報は瞬く間に学校中を駆け巡った。


 人同士で戦う、などという蛮行に眉をひそめる者もいたが、多くの戦乙女は決闘を楽しむことにしたようだ。

 なにせ、戦場を縦横無尽に駆け回る天塚燐火の本気が見られるかもしれないのだ。苛烈で華麗な彼女の戦う姿は、実情を知らない戦乙女たちにとって憧れの的なのだ。





 決闘の場所に選ばれた場所、淵上高校の体育館には、既に多くの生徒たちが集っていた。淵上高校の体育館は特別性で、戦乙女の身体能力で暴れまわっても簡単には壊れないようにできている。

 だだっ広い一階の空間をぐるりと取り囲むようにして作られた二階デッキには、多くの生徒が集っていた。

 ぐるりと輪を描き下を見下ろす生徒の中央には、堂々たる立ち姿をしたエルナ・フェッセルの姿があった。


 一見なんでもないように立っているが、その姿には一切の隙が見えない。

 きっと、彼女を取り囲む生徒に突然襲われても何とかしてみせるだろうという威圧感があった。


「待ったかな、『狂犬フェアリクターフンド』さん」


 『狂犬』とは、エルナがドイツにいた頃に呼ばれていた二つ名だ。獣の如き勇ましさから、そういった名前をつけられたらしい。


「ああ、待ちくたびれたぜ。さっさと最強の看板を明け渡して欲しいものだね」


 エルナのもとに歩いて来たのは、二本の刀を鞘に納めた戦乙女、天塚燐火だ。いつも無表情で感情の読みづらい彼女だが、今日の様子は少し違った。

 観衆は、それを敏感に感じ取っていた。端的に言えば、無表情の中に怒りのようなものを感じ取れたのだ。


 事情通の生徒は、その様子にやはりか、と頷いた。

 そもそも天塚燐火が決闘することになったのは、大切な義妹を傷つけられたからだ、というのは情報収集に勤しむ生徒なら知っていることだった。


 孤独に戦っていたエースが、唯一傍にいることを許した戦乙女、光井優香。

 星を落とした女、などと冗談めかして語られる彼女が、天塚燐火に殊更に大事にされていることは淵上高校にいる生徒ならほとんど知っていることだ。


 そんな彼女が害されて、天塚燐火は怒っている。そういった外野の予想は、概ね当たっていた。


 常ならば怒りなどまず見せない燐火だが、優香を傷つけられたことには人並みに腹を立てていた。エルナにはきっちり落とし前をつけさせてやる、と思っている。


 けれど、威圧感の正体はそれだけではなかった。


 ──彼女は、サディストと合法的に戦えることに興奮していたのだ。


 ヤバい、エルナの怒った目が俺を見ている。ああ、早く俺のことを痛めつけてくれないか!? メス豚と詰ってくれないかなあ!? 


 その情熱は外へと漏れ出し、前のめりな姿勢はエルナへの怒りだと解釈された。

 それも当然だろう。燐火の凛とした表情には、邪念や下心など一切見受けられない。ひそかにドキドキしながら痛めつけられるのを待っている女には、全く見えなかった。


 一番近くで見てきた優香でさえも、『燐火先輩気合入ってるな……』くらいにしか思っていなかった。


「随分と情熱的じゃないか、エース様。そんなに私が憎いか?」

「まさか。多少怒ったりはしたが、憎むなんてとんでもないよ」

「チッ……相変わらずいけ好かない奴だ」


 むしろ憎んでほしいのはこっちだ、と燐火は思った。憎しみの目でこちらを睨みつけながら、頬でもビンタしてほしい。そしてお前は阿呆だと罵って欲しい。

 今日の彼女の頭は、ずっとお花畑のままだった。



 燐火が、エルナから十歩程度離れたところで立ち止まる。その途端、おしゃべりをしよう、という雰囲気は一瞬で消え去った。

 それは、嵐の前の静けさによく似ていた。


 エルナは静かに二丁拳銃を胸のあたりまで持ち上げる。隙のない構え。銃口は真っ直ぐに相手に向いている。

 今の彼女なら、飛んでいる羽虫すらも撃ち落すのではないかと思わせた。


 対する燐火がゆっくりと抜刀する。二本の刀をだらんとぶら下げて、目線だけエルナに向ける。ただならぬ雰囲気の姿は、日本一有名な剣豪を彷彿とさせた。


 沈黙。オーディエンスすらも、ただならぬ緊張感に押し黙った。

 誰かが唾を飲む。息をすることすら憚れるような静けさが、体育館を支配した。



 ──決闘の開始を告げたのは、エルナの罵声だった。


「いくぞマゾ豚ああああああ!」

「フヒッ!?」


 燐火の情けない声は、鳴り響く銃声に掻き消された。

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