第11話優香の覚悟

「い、いやっ! 来ないで! ダメ! 無理だよ! こんなの違うって!」

「わあああああああああ! 来るな来るな来るなあああああ!」

「皆さん、落ち着いてください!」


 優香が治療していたチームを襲ったのは、人の身長の二倍はある巨大なムカデの形をした化け物の群れだった。


 最悪の光景だった。ムカデたちの巨大な触覚とうねうねと動く足は、年頃の乙女が生理的な嫌悪を抱くのに十分すぎた。

 戦乙女たちの動きが鈍る。その隙を狙って、ムカデたちがうねうねと地を這いながら彼女らを襲った。


「ほ、『ホーリーレイ』!」


 優香が詠唱と共に杖を向けると、白色の光が一体のムカデに飛び、それを吹き飛ばした。

 優香の杖ができるのは、何も治癒だけではない。治癒魔法の練度には遠く及ばないが、彼女もまた攻撃手段を有していた。


「皆さん、落ち着いて戦いましょう! 決して勝てない相手ではないはずです!」

「……そうだね」


 一人の少女が呟く。目の前で優香がムカデを吹き飛ばしたことで、幾分か冷静さを取り戻したようだ。

 武器を構えるチームは、ようやく冷静さを取り戻していた。

 剣を振り回す少女。アサルトライフルを連射する少女。槌で虫を潰す少女。

 元々、ムカデ型の化け物は戦闘能力自体は大したことがなかった。緑色の血をまき散らしながら息絶えていく姿はグロテスクだったが、少女たちに動揺はなかった。


 そのまま、戦闘は順調に進むかに思えた。 


「……地震?」


 優香が足元の揺れに気づいた時には、それは既に迫っていた。


「ぶるううううううう!」

「がぁ……!」


 地面が突如として盛り上がる。優香の足元から突然現れたモグラのような化け物が、彼女の体を上空に吹き飛ばした。


「新入生! ……クッ」


 チームの面々は援護に向かおうとするが、依然としてムカデ型の化け物の数が多く、思うように動けない。


「がっ……」


 地面に叩きつけられた優香の口から、酸素が吐き出される。朦朧とする視界のうちで、体長二メートルはあろうかというモグラ型の化け物がこちらに駆け寄ってきている姿を確認する。


 逃げようとして、自分の体に力が入らないことに気づいた。痛みに痺れる体が、手足が、反応しない。


「な、なんで……なんで動かないの!?」


 その事実に、優香の胸に絶望が広がる。そうしている間にもモグラは猛然とこちらに走ってきていた。その前足には、人の首程度容易く切り裂けるような巨大な爪。


 ──殺される。


 優香は直感した。このまま、痛みのあまり地面にうつ伏せの自分は、モグラの鋭い爪に切り裂かれて、死ぬのだ。


「い……いや……!」


 そう思うが、体は動かない。手足はピクリとも動かず、魔法を使うこともできない。

 きっとこれは、恐怖だ。

 動けない原因にはもちろん痛みもあるが、それ以上に怖いのだ。


 自分を殺すつもりで迫る化け物がいるという状況が、たまらなく怖い。地を蹴り、目を殺意にギラギラと輝かせ、鋭利な爪を振り下ろす瞬間を今か今かと待っている『魔の者共』が、恐ろしい。


 目を閉じて耳を塞いで、現実逃避したくなる。


 ああ、結局自分は力を持っても臆病なままなのか、と絶望したくなってしまう。

 人生の最期の予感に、回想が始まる。臆病だった幼少期。幼い正義感に突き動かされ、皆を救おうとした頃。自分が人よりも出来が悪いことに気づいて、自信がなくなった頃。


 それから、ここに来て、不器用なお姉様に出会ったこと。

 ──そこまで考えて、彼女の言葉を思い出した。


「──戦場に立つ以上、君は殺すか殺されるかの選択を迫られる時が必ず来る。その時に勇気ある選択をできる戦乙女だけが、戦場の英雄になって、多くの人を救えるんだよ」


 燐火の言葉がリフレインする。殺すか、殺されるか。死ぬか、生きるか。自分は、今まさにその分岐点に立っている。

 この場で大人しく殺される。そのことに思いをはせた時、優香はここに立つ時に胸に抱いた己の想いを思い出した。


 戦場の英雄になるために、不器用で強い天塚燐火のために、ここで出会った人たちのために、大穴に怯えながら過ごす人たちのために、──何よりも、もっと多くの人を救うために。自分はここにいる。

 ──であれば、死ぬわけにはいかない。


 体に力が戻ってくる。しかし、まだ鈍い。手足はノロノロと動くだけ。このままじゃ間に合わない。

 死の恐怖に慄く体。それを叱咤するように、優香は喉が張り裂けるほど叫んだ。


「あ、ああ……あああああああああ!」


 立ち上がる。杖を構え、視線は前へ。大丈夫。燐火先輩の二振りの小太刀ほどに怖くはない。

 モグラのような化け物は、優香の首程度容易く千切れそうな鋭い爪を振り下してきていた。


「ああああああああ!」


 細かい技術は必要ない。戦乙女の武器である杖は、『魔の者共』相手に絶大な効果がある。

 身を屈め、爪の一閃を避ける。突風が優香の首筋を撫でた。

 敵の攻撃を潜り抜けた優香は、両手で振りかぶった杖を、最大限の力を使って振り下ろした。


 ボゴ、という嫌な感触。杖の先がモグラの頭に突き刺さり、頭蓋骨をへこませていた。頭部への強い衝撃に、崩れ落ちるモグラ。その瞳は、もう光を映していなかった。


「や、やった……」


 呆然と呟き、その場に座り込む優香。手のひらには、まだ嫌な感触が残り続けている。けれど、確かに成し遂げた。自らの手で、彼女は『魔の者共』を殺めたのだ。


「……」


 しかし、優香の胸に浮かんでいたのは達成感というよりもむしろ後味の悪い感触だった。呆然と、先ほど杖を握っていた両手を眺める。


「優香ちゃん、お疲れ様。かっこよかったよ」


 そんな彼女に、近づいて来た燐火がそっと声をかけてきた。

 いつもの平坦な声にわずかばかりの優しさを乗せて、彼女は優香をねぎらった。


「先ほどのチームの皆さんはもういいんですか?」

「うん、片づけた。……こんな時まで他人の心配? 本当に、優しい子だね」

「いえ、優しくなんてないですよ。だって、私は今、確かに一つの命を終わらせたんです」


 思い出す。優香に襲い掛かって来たあのモグラ型の化け物は、確かに生きていた。表情を作り、目に力を籠め、呼吸をしていた。ひょっとしたら、笑うことだってあったかもしれない。


「きっと、こんなこと考えてる私の方が馬鹿なんだと思います。『魔の者共』は人類の敵。戦うべき相手です」

「ううん。それで思考停止しないで、自分の頭で命の重さを考える優香ちゃんは、本当に優しい子だよ」

「……先輩、ありがとうございます」

「それに、優香ちゃんみたいなことを考える人だっている。たとえば、夏美なんかはそうだった」

「黒崎先輩が……?」


 正直、今の勇ましい姿からは想像できないことだ、と優香は思った。


「それに、私のお姉様も最初はそういうこと考えてたってさ」


 お姉様、と口にするとき、燐火は今まで見せたことのないような表情をしていた。


「皆優しすぎて生きづらそうだね。──ちょっと妬ましい」

「え?」

「それじゃあ、私についてきて。大丈夫、試練を乗り越えた優香ちゃんは、もう一人前の戦乙女だから、自信を持ってね」

「……はい! ありがとうございます!」


 返事をしながら、優香は真っすぐな笑みを浮かべた。燐火はそれを、少し眩しそうに眺めていた。



 結局のところ、その日の戦闘における人的被害はゼロ。最強の戦乙女、天塚燐火に付き従い、数多の戦乙女の傷を治した優香の名前は、戦場の聖女として皆の頭に刻まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る