第4話義姉妹の契り
「『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」
今日が初陣の優香は、なんとか詠唱を噛まずに言えたことに安堵した。彼女の武器は杖だ。身の丈ほどある木製のそれから放たれた白い光が、前線で戦う戦乙女の体にあたり、腕に刻まれた傷をみるみるうちに治した。
「おー! ありがとう後輩ちゃん! 評判に違わない腕前だね!」
「恐縮です!」
「後ろっ! なんか来てるぞ!」
「優香、3時方向に敵!」
「うんっ!」
優香は幼馴染の言葉を信じて、素早く左に避ける。遅れて、衝撃。どこからともなく現れた蛇型の化け物が、優香たちのいる後方まで突っ込んできていた。
「優香に近づくな! はああああ!」
果林の槍が唸る。それは的確に蛇の胴体を捉えると、一撃で絶命させた。
「優香、怪我はない!?」
「うんっ、ありがとう、果林ちゃん!」
「へへっ、少しはあんたのこと守れたかな」
得意げにしていた果林だったが、すぐに真剣な表情に戻り、辺りの警戒と近づいてくる敵の殲滅に戻る。
「すごい……」
優香にとって、初めて見る戦場の光景。それはあまりにも鮮烈で、凄惨だった。
幸いにも、優香の視界の中では戦乙女は一人も犠牲になっていないようだった。
常に五人のグループで戦っている戦乙女たちは、生存を第一の目標にして戦っているようだった。
突出しない。無理しない。負傷者があれば、全員で引く。堅実な戦い方だったが、それは同時に戦場に残って戦い続けている戦乙女の負担が重くなっていくことを示していた。
「……あの人は、大丈夫なのかな……?」
優香が不安げに呟く。その視線の先には、いまだ孤軍奮闘する天塚燐火の姿があった。
「──」
遠くで戦っている彼女が何を言っているのかは、ここからは聞こえない。けれど、その戦い方がどこまでも自分の被害を度外視した無茶な戦い方であることはよく分かった。
前提として、彼女の得物は短すぎるのだ。60cm程度しかない、二本の刀。それを敵に当てるために、彼女は常に敵の懐まで潜り込んでいた。
拳でもぶつけるように接近しての、攻撃。当然、繰り返せば反撃はゼロではない。時折たたらを踏む様子から、少なくないダメージを受けているのは見て取れる。
「まるで、何かに駆り立てられているみたい」
いっそ強迫的なその姿からは、焦燥のようなものを感じ取れた。
──治してあげたい。
遠くから見ていた彼女は、漠然とそう思った。
その傷を。その痛みを。そして、心を。
放っておけなかった。優香が人を癒す力に目覚めたのはつい最近だが、傷ついている誰かがいれば救いたい、という想いは幼い頃からずっと持っていたものだった。
ここに来る前、彼女はいじめられる子がいれば前に立って守り、悩んでいる子がいればそれとなく話を聞き、寂しそうな子がいれば傍にいた。
光井優香が人を救うのは、治癒魔法に目覚めたからではない。救いたいからだ。
持って生まれた優しさは、傷ついている人を救えない気質を持っていた。
そしてそれは、不幸にも希代の被虐趣味者にも適用されてしまったのだ。
「おい! もう十分だ! 防衛壁まで戻るぞ!」
この場の実質的なリーダーである黒崎夏美が大声をあげる。ハリのある、良く通る声だった。それを聞いた戦乙女たちは、素早く集結し、後退を始めていた。
「おい、私たちも戻るぞ。これだけ押し返せば、防衛壁でも守れるだろ」
夏美が素早く辺りを見渡す。もう戦っている戦乙女はいない。……ただ一人を除いて。
「おい馬鹿! 帰るぞ!」
「……」
燐火は、他の戦乙女の動きには目もくれず、目の前の敵と切り結び続けていた。
「燐火! 戻れ!」
夏美が再び叫ぶ。名前を呼ばれて、ようやく燐火はハッとしたような顔を見せると、素早い動きで『魔の者共』の前から離脱した。
「……もう終わり?」
燐火はわずかに不満げだった。その顔は、もっと戦いたい、と言っているようだった。
「足並みを揃えろ、馬鹿。いくらお前でも、死ぬぞ」
「そう」
興味なさげに呟くと、燐火は学校のある方へと歩いていった。
「わ、私、ちょっと追ってくる!」
「ちょ、ちょっと優香!?」
急に駆け出した優香を制止しようとした果林だったが、彼女は素早い動きで燐火の後を追ってしまった。戦いの後で疲労もある果林は、少し考えてから彼女を追うことを止める。
その様を見た夏美は、呆れたように深いため息を吐いた。
「……黒崎先輩って、天塚先輩と仲良かったんですか?」
突然、果林がそんなことを問いかけた。それに対して、夏美はキッと眉を吊り上げる。
「私とあいつが仲が良い? なんだその冗談は。つまらないぞ」
ギロ、という視線には、怒りが籠っていた。歴戦の戦乙女に睨まれた果林は、その威圧感に怯えながら謝る。
「ヒッ……すいませんすいません。いやでも天塚先輩のこと名前で呼ぶ人ってほとんどいないなって思いまして。もしかして黒崎先輩は仲良いのかなとか思ったり」
動揺しながらも、果林は必死に弁解していた。
実際のところ、戦乙女の間で天塚燐火は恐怖や畏怖の対象だった。それは同級生でも、上級生ですら同じだ。皆が距離を置いて、簡単には話しかけられない人。果林はそういうものだと認識していた。
果林の言葉に、夏美は不機嫌そうに答えた。
「チッ……昔、同じ義姉に師事を受けていたんだよ」
「えっ、そうだったんですか!?」
「この話はここで仕舞いだ! 帰るぞ!」
果林は先を聞きたそうにしていたが、夏美は強引に話を打ち切ると、背中を向けた。その様子に、果林は諦めたように肩を下げた。
◇
「天塚先輩! 待ってください!」
優香の制止する声に、燐火は怪訝な顔をしながら振り返った。
「はあ……はあ……どうして戦乙女って皆そんなに足速いんですか……」
「……あなたも戦乙女だったはずだけど?」
息を切らす優香に、燐火は無表情に問いかけた。
「はあ……私、どうも皆よりも力に恵まれなかったらしくて、新人訓練でもいつもビリだったんです」
「それは災難だったね」
今日初めて戦場に立った優香だが、訓練自体は前から受けていた。優香の身体能力は、決して常人に劣るようなものではなかったが、戦乙女の中では下から数えた方が早いような有り様だ。
「でも、あなたの治癒能力は歴代の戦乙女の中でも図抜けていると聞いた。そのために期待されているとも」
「い、意外と詳しいですね。そうなんです。なんかどんどん持ち上げられちゃって、『いつか死者も蘇らせるに違いない』とか言われちゃって……」
彼女の言葉に、燐火が少しだけ目を見開いた。
「って! 私のことはどうでもいいんですよ! 天塚先輩、怪我してますよね!」
「え? ……ああ、よく分かったね」
今の燐火は血塗れだ。そこら中に返り血を浴びているせいで、濃厚な血の匂いを纏っている。
「切り傷が多数、頭部に出血、肋骨も折れかけていますね。……どうしてそんな傷放置していたんですか! 重症じゃないですか!」
その問いに、燐火はなぜか薄くほほ笑んだ。
「これが私の宿命だから」
確固たる物言いに優香は少し気圧された。けれど、そんな彼女を放っておけなくて、優香は言い募る。
「でもっ! あんな戦い方していたらいつか死んでしまいます!」
燐火の顔には、微笑みが浮かんだままだった。
「心配してくれるの? ありがとう。でも、私は強いから」
「……先輩は、なんだか放って置けない人ですね」
「そんなこと後輩に言われたのは初めてだよ」
優香はそれ以上何か言うことはなく、無言で杖を構えた。
「『いと気高き癒しの光よ、彼の者に安寧を与え給え──ハイキュア』」
詠唱を終えると、優香の杖から飛び出た光が、燐火の体を優しく包んだ。その途端、燐火の体中についた傷口は、次々と治っていった。その様は、まるで傷口の時間を巻き戻したようだった。
「これは……すごいね」
思わず、燐火は呟いていた。
「もう痛いところはありませんか? 治し残しは?」
「十分だよ、ありがとう」
優しく微笑みながら、燐火が礼を言う。いつも無表情な彼女が見せた柔らかい笑顔に、優香は少しだけ頬を赤らめる。
「い、いえ。私なんかの力が役に立ったなら何よりです」
「私なんか、なんて言う必要ないよ。凄い力じゃないか」
「そう……なんでしょうか?」
「ああ、優香ちゃんは知らないのか。戦乙女の治癒能力者っていうのは、本来こんなに簡単に傷を治せないものなんだよ」
燐火は優しい目で優香を見つめたままで話を続ける。
優香は、その視線にどこか落ち着かないような気分を味わっていた。
「学校で待機してる治癒能力者でも、せいぜいできるのが、止血とか、これ以上ひどくしないための対症療法なんだよ」
燐火は滔々と語る。彼女はやたらと治癒能力について詳しかった。
曰く、戦乙女は医者の代わりにはならない。出血を止めることはできても、傷口を完全に塞ぐことはできない。
簡単な切り傷くらいなら治すことはできる。でもそれは、従来の医療でもできたことだ。
たとえば、切れた腕をくっつけるだとか、大傷を負った戦乙女を一瞬で戦場に立たせるだとか、そういう奇跡のような現象は起こせないらしい。
優香は改めて聞く治癒能力者の現実に驚いた。同時に納得する。それは、自分の能力が持て囃されるわけだ、と。
優香の魔法のような治癒は、かつて切断された腕をくっつけたことがあった。しかもそれは、優香が戦乙女として目覚めた直後にやってのけたことだ。力を磨けばできることが増えるかもしれない、と学者からは説明されていた。
「だから、優香ちゃんの力はこれから戦乙女の間で重宝されると思うよ。重症を負って、学校まで帰ることができずに息を引き取った戦乙女も多いからね」
なんでもないことのように言った燐火の言葉に、優香は息を呑んだ。やはり。ここでは人が死んでいるのだ。
予想はしていたことだが、改めてそう思うと暗い気持ちになってくる。今まで普通の女子高生として暮らしていた優香にとって、その事実は胸に深く突き刺さった。
優香が落ち込む様子を見て、燐火は珍しく表情を変えて慌てだした。
「あ、ああ、でも最近は死者も全然出てないんだ! 大穴ができてもう四年だからね。戦乙女の間でも戦い方が確立されてきて、死亡率は激減してるんだ。君が今日見たように、五人一組で戦うのも策の一つさ」
五人一組での戦闘が確立されたのは、黒崎夏美が実質的なトップになってからだ。それまでは、ツーマンセルやスリーマンセルが主流だった。
「……先輩は一人で戦うのに、ですか?」
「うぐっ」
痛いところを突かれた、と言いたげに燐火が呻く。
「わ、私はあまりチーム戦が得意ではないからね。仕方ないのさ」
明らかに動揺している燐火。心なしか、その声は震えていた。
「ふふ……あははははは!」
思わず、優香は笑ってしまった。ちょっと前まで凄く強くて孤高の人だと思っていた燐火が、思ったよりも人間らしい人だと分かったからだ。
「わ、笑うことないだろ……!」
燐火が少し頬を赤らめながら言う。その様は、とても『
接しているとどんどん人間性が見えてくる燐火の姿に、優香は気づけば夢中になっていた。
「……君は、私のことを怖がらないのだな」
ポツリと、燐火が呟く。
「はい。噂を真に受けていたら、こうはならなかったかもしれませんね」
確かに普段の燐火の振る舞いはとっつきにくい。佇まいには隙がないし、戦い方は荒々しいし、表情に変化がない。でも、今優香の目の前にいる彼女は、普通の女の子に見えた。
「優香ちゃん、君さえ良ければだけど──」
唐突に、燐火が真剣な表情を浮かべた。その様子に、優香も思わず姿勢を正す。
「──私と、義姉妹の契りを交わしてくれないか?」
まるで告白でもするみたいに真剣に言った燐火は、右手をそっと差し出した。
「義姉妹、ですか?」
優香が困惑する。この学校に来て初めて聞く言葉だった。
「ああ、今は形骸化した制度なんだけどね。簡単に言うと、まあ、ちょっと仲の良い先輩後輩くらいの意味さ」
そういう割には、燐火の表情は真剣だった。
けれど、この不器用そうな先輩の頼み事なら聞いていいような気がする。優香は、不思議とそう思えてしまった。
「はい、よろしくお願いします、先輩」
がっちりと、握手を交わす。燐火の手は、優香のそれよりも少しだけ大きかった。
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