第12話
「こちら側に少しでも歩み寄ってくれた和田さんのお心遣い感謝致します。どうですか糞の感触は? あなたのお尻部分に今でもあるんですよね? どうです、もういっそこちら側に落ちてみては?」
ボクサーパンツの中で形を保っているであろう和田が生み出したモノ。少しでも歩けば形が崩れズボンの裾部分から落ち出てしまう。直立不動にはちゃんとした訳がある。動きたくても動けない理由。
堂島が口元に笑みを湛える。笑顔のまま非情な言葉を和田に一言投げかける。
「糞漏らし」
それを聞いても表情一つ変えない和田。事務所入り口付近で崩れている黒子は咄嗟に苦い顔をした。
「糞漏らし」
もう一度和田にその言葉を言い放つ堂島。面白いおもちゃを見つけたような幼顔で目元をキラキラ輝かせている。
「何も言い返せない糞漏らし」
挑発を続ける堂島は渾身の言葉を和田に向かって投げつける
「あんた臭いな、うんこみたいな匂いがするぞ」
ピクッと和田の右頬が動いた。
悪魔のような微笑みでなおも和田を見続ける堂島。
探偵の弱点部分が匂いとなって露わになる光景。陰湿な悪魔の化身はその部分をいちいち刺激してくる。弱点部分を覆って隠すことなど不可能。匂いとなってしっかりと存在している。
言葉を発しようとしない和田は目の前の堂島を真正面からジッと見続けるのみ。
床に崩れている黒子が涙声で和田に懇願する。
「言い返してよ! 何か言い返してよ! そんなのカッコ悪いよ!」
頭部部分のみを動かし静かに黒子を見やる和田。
仏頂面とも取れる表情をゆっくりと笑顔にしていく。ぎこちないその笑った表情が異様に不気味で、本人は懸命に笑顔を作ろうとはしているのだがやはり異様にぎこちない。
安堵することのない黒子の心情。先生と呼ぶ探偵男性がぎこちない笑顔を自分に振りまいている。黒子は内心分かっていた、これは無理をしている時の先生の表情。
反論をしてこない和田につまらない印象を受けた堂島。隣の椅子に縛られた関口を思い切り掌で叩く。
「こいつの方がよっぽど面白いぞ、叩けば射精するおもちゃなんだ、俺っちがこいつの頭を叩けば白濁液を噴出するんだ、和田さんあんたよりもよっぽど面白いよ」
頭を叩かれた関口は摩訶不思議な嗚咽を吐きながら白いモノも同時に吐き出す。
その光景を見て黒子は顔を伏せた。
やはり室内は異様な様相を呈し、イカ臭さと人糞の合わさった独特な匂いを醸し出していた。容易に形容できそうもない、本音を言えば吐き気をもたらす酷い匂いにこの場の四人は慣れてしまっていた。
黒子が顔を伏せたままで小さく呟く。
「最低。こんな異常な状況は他にはないわ、それに慣れてしまっている私も最低」
苦悶に満ちた表情に変わってゆく黒子の表情。いまだかつてない酷い陵辱を受けているかのようなそんな顔面。
顔を伏せている黒子の様子を伺うことができない探偵和田。優秀な直感力を有していても助手の現在の心情は把握できないでいた。
外が騒がしくなる。
お犬様御一行の御到着。鋭いサイレンの音を響かせながら足音が段々と近づいてくる。
開け放たれた事務所室内の扉。
ドア付近に崩れている長身の女性、その斜め横には直立不動の糞の匂いを放つ探偵がおり、その斜め横には見た目に特に印象のない普通の男が佇んでおり、その斜め横には全裸姿で椅子に縛られイチモツからとろろ芋のような形状のモノをだらんと垂らしてる変質者がいた。
犬同士顔を見合わせる。明かに異様な光景。
二人の警察官が腰付近のホルダーから拳銃を抜き取る。同時に構えるも標準の向ける先に困る駄犬。
「動くな! 打つぞ!」
「こいつに拳銃を向けるな!」
警官の方を向いて咄嗟に叫ぶ和田。
和田が叫ぶのと同時に堂島は動き出していた。
関口同様に往年のラガーマンを彷彿とさせる軽い身のこなし、スルリと警官二人の横を突っ切ると猛ダッシュで駆け出していた。
反応速度の遅かった警官二人は、一秒という長いようで短い時間のあとに身を翻し堂島の行方を追う。
ズボンの裾から形容し難いモノを落としながら和田も走る。それを追って立ち上がった黒子も走る。事務所内に残されたのはこちらも形容し難い何かで、いまだエレクトし続ける全身海綿体の血肉の塊だけであった。
事務所内を抜けて堂島が向かった先は汲み取り車が格納されている屋内駐車場だった。
バキュームカーが三台横並びで停めてあり、車両タンク内には人の糞尿が沢山詰まっている。タンク内にはメタンガスが発生している。
タンクを背にしてニヤリと微笑む堂島の姿。駆けつけた警官二人は堂島に拳銃を向けた。
「こいつに拳銃を向けるな!」
和田の絶叫が屋内駐車場にこだまする。
警官は銃を下げようとはしない。国家の犬は頭の賢い忠犬。もし何らかの場合があった場合躊躇なく発砲する。
バキュームカータンクを背に堂島、警官二人、和田と黒子の順で互いに牽制し合う。警官達の斜め横に位置している和田と黒子の両名。和田の直感力がこの場が凄惨なモノになることを予見していた。
万歳のポーズで和田を見やる堂島。
「ご希望とあらば望んだ未来にすることが可能だ、俺っちは黄金に塗れたい、埋れたいのよ、それを俺っち背後のこのタンクが可能にする」
和田が静かに笑う。小さく呟く。
「埋もれたあとはどうする?」
和田の問いに答える堂島。
「糞に塗れて死ねれば本望だ、望むモノなど何もない、埋もれた後は死んで結構、紛うこと無く黄金の世界へと旅立つことができる。好きなことで死ねる幸せは異常だ、狂ってさえいる。分かるか? この異常性が? 人糞に埋もれて死ぬ、これ程の幸福はこの世には存在しない、きっと神様とやらは黄金に輝いている」
「詭弁だな」
和田がキッパリと言い放つ。被せ気味に堂島が口を開く。
「あんたその言葉好きだな。詭弁という言葉はそんなに便利か? 頭の良い人が使う言葉のイメージがある。和田さんあんたには似合わない言葉だな」
馬鹿と言われている気がして和田は内心怒っていた。心の中で静かに怒る。
「先生、これは陽動作戦よ、先生を動揺させようとしている」
「言われなくても分かっている」
和田は目元の力を強め目の前の堂島を睨みつける。余裕の表情を見せる堂島は口元が緩み万歳ポーズが滑稽にも映る。
堂島が魔法の言葉を言い放つ。
「――糞漏らし」
拳銃を向けていた一人の警察官がピクリと反応する。顔面に脂汗が浮き出て青い表情に途端に変わった。
「糞を漏らした悪い子はだ~れだ?」
その瞬間に警官の幼少期の苦い記憶が蘇る。あれは小学校三年生の時。給食時間に朝から調子の悪かったお腹はひょんな弾みで決壊し、盛大に漏らした思い出。それ以来うんこマンというあだ名で小学校卒業までの日々を過ごす。
給食時間のあの時の皆の視線が忘れられない。熱の籠もっていない温度の低い視線が多方向から注がれて。一気に自身の心臓を突き刺した。あれは人間の目ではなかった。いまだから言えること。確かにあの場に人間という類は存在していなかった。小学三年生の悪魔達。子供ほど残酷な生物はいないのだ。正直な子供心がそうさせる。
まさに生贄の羊である。ある者を悪とみなし全てのストレスの吐口をそこに集中させる。粗相をした悪い子というレッテルが貼られ、吐口にされてもしょうがないと皆に思われてしまう。事実糞を漏らしたのは本当のことである。子供の目線で考えてみると人の出した汚物ほど強大な悪はない。すべての悪の根元を排泄物に投影してしまう。人は皆そうやって育ってゆく。
それは数多くの者が、誰かの犠牲の上に立って容易に幸福を手に入れる方法。そしてその実は、生贄の羊の存在によって自分達の安価な幸福があがなわれていることは全く気づきはしないのである。
「うんちを漏らした悪い子は君だ~!」
警官を指差す堂島。その瞬間。拳銃の引き金は引かれ弾丸が堂島の顔面横スレスレを通り過ぎ。タンクに着弾した銃弾は摩擦で火花を散らし。メタンガスに一気に引火した。
――大爆発を起こした屋内駐車場内。
一瞬の出来事。
飛び散る茶色の絵具。到底金色には見えない形容し難いモノが辺り一面に飛び散る様。
突き抜けて何か――。
突き破り何か――。
赤黒く血塗られた筋組織表皮から這い出るようにしてズルンとこぼれ落ちる何か。明かに血に塗れていると分かる。
赤子のように身体を縮こまらせ微動する頭部。
平均体温を常時三十八度前後で保っているこの物体。
やはり突き抜ける何か。突き破り何か。謎の内側に物語の本質は眠っており、断じて物語の内側に謎が眠っているわけではない。
這い出たソレは微動する小鹿のような足元でヨロヨロと立ち上がり前方へと進む。祈るような格好で胸の前で手を合わせる。
眼前に映るのは大きな大きな少女の横たわった姿。
こちらもやはり血塗れ状態で微かに息をしている状態。
屋根部分割れ目からの土砂降り雨が両者の赤色を次第に落としてゆく。雷鳴が轟き稲光が天地を駆け抜ける。一瞬の光の束。煌々と光り輝く両者の姿に、安堵の表情を互いに浮かべる盾と太刀。
追われる者の消滅したこの世界。跡形もなく消え去り平穏が訪れた歪な光景。
盾が息も絶え絶えにこう呟いた。
「未来予知は本当にあったんだね」
太刀の方も息を切らしこう呟く。
「僕は先見の明を持っている、あの時君を拾い上げておいて正解だった、やはり僕の直感力は素晴らしい」
雨は勢いを増し両者を叩きつけるように雨粒が弾けた。
バケツからひっくり返したかのような豪雨がこの村を襲い、ぬかるんだ田んぼの畦道は泥水でいっぱいになり溢れ、黒い長靴を履いた国家権力の末端が右往左往するこの現場。
黄金に血塗られた――黄金に。
形容し難い何かという名の黄金。
黄金に塗れて黄金に埋もれて。
何か臭う――酷く臭う。
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