第10話

「あんたと俺は同じ穴の狢だよ」

 全裸で微笑む堂島の姿に和田は少しの違和感を感じた。

 歪む唇を開き和田が小さく呟く。

「何故そう言える?」

 イカ臭いこの部屋で互いに分かり合うことのできない見た目の両極端の者同士が。一方は狂いとして、やはりもう一方も別種の狂いとして。お互いに映った互いの光景。

「俺は断言できる、特別な人間なんてものは自分のことを特別だと思っていない劣等種だ。一種の障害を持ってこの世に産み落とされた劣等種。殺処分されなかったのが不幸中の幸い、赤子の首を捻る文化など今の時代とうの昔に消え失せた。世間は寛容な世界へと変貌しつつある。俺は断言できる、俺自身が劣等種の塊で、目の前のお前も劣等種の塊だ」

「詭弁だな。自己中心的な考えがそうさせるのか? 劣等種などありはしない、世界はいつだって平等だ」

「黙れ!」

 空気が振動し渇いた空気がやはりイカ臭い。

「堂島さんでしたかな? あなたの言うようにこの世界にある種の障害を抱えた劣等種が存在するとしましょう、だから何なんです? 人は人でしょうに、あなたは人が犬猫に見えるのですか?」

 和田の頭部が微動している。やはり微塵も恐れてなどいない。

 ニヤけながら言葉を発する堂島。

「俺は悟ったんだ、異常なフェチズムを有する人間に寛容な世界などありはしないと。だからさ、もう自分が世界の中心でいいんじゃないかなって思ってさ、俺側がスタンダードであってその他大勢そちら側がアブノーマルな世界を生きている。黄金が金色に輝くゴールドが、それこそスタンダードな世界になればいい。普通なんて言葉は反吐が出るね、普遍的なものに俺は魅力を感じない、個性的な世界が次の世界への第一歩だ、没個性を排除せよ、劣等種側が全ての権限を握ればいい」

 呆れ返った表情で目の前の堂島を見つめる和田。冷静に言い返す。

「それもやはり詭弁だな。自分の存在を正当化するのも大概にした方がいい、それはかの有名なドイツのあの人本人ではないか、浅はかな考えや思想を持つのはよした方がいい。それに伴うカリスマ性を君は持っているようには見受けられない、ただの痛い人、頭の狂ったヤバイ奴にしか僕の目からは映らない。スタンダードな世界はスタンダードなりに苦労しているはずさ、別の側面や視点で物事を見ようとしない君とは議論の余地はまるでないな」

 不適な笑みを浮かべて素っ裸の堂島はこう言った。

「お前は誰だ?」

 やはりこちらも不適な笑みを浮かべてこう言った。

「探偵だ」

 顎に手をやり考えこむ様子を見せる堂島。

「あんた直感能力に優れているだろう? 俺には分かるぜ、そして頭の震え、それは持病か何かか?」

「特性――とでも答えておこうか」

 小さく嘲笑う堂島。

「あんたやっぱり劣等種だよ、可哀想にそんなに頭を揺らして、これまでに色々な苦難があったに違いない、俺とあんたはやはり同じ穴の狢だ、きっと分かり合える」

 鼻で笑いながら首を振る和田。

 玄関先が異様に慌ただしくなる。一気に人がなだれ込んできた。見慣れた制服の警官達が勢揃いで、阿鼻叫喚の室内の光景に困惑している様子だった。

 すぐさま警察の手によって保護される小学生男の子。

「あんたが追う者だとしたら俺は追われる者か? 妙な気分になってくるぜ、性癖がまた一つ俺の中に加わりそうだ、存分に追い回してくれ、そして俺を思う存分蹂躙し犯してくれ」

 毛むくじゃらの尻を和田に向ける。放屁を放ち、振り向いた顔で中指を立て舌を出す堂島の姿。

 顔を顰める和田。眉間にシワが寄り嫌悪の表情を素直に浮かべた。

 警官数名に拳銃を突きつけられる全身肌色の悪魔。取り囲まれた堂島に逃れる術はないかのように思われた。

 両手を上げるポーズを示す堂島。

 黒革のソファに腰を下ろし降参の構えを見せる。不適に笑みを浮かべる堂島に和田の頭部が微かに揺れた。

 悪魔の口元口角が若干上がる。

 一瞬強めた脚力。警官の脇をすり抜けるようにして堂島が疾走する。割れた窓に向かって猪突猛進の勢いで堂島は走り出した。名ラガーマンを彷彿とさせる華麗な抜き去り、ベランダの柵を軽々と飛び越えて衣服を何も身に纏わない堂島が全力疾走を見せる。

 慌てふためき後を追う警官数名。警官の一人が腰にぶら下がった拳銃を抜き取り構える。

「止まれ! 打つぞ!」

 走るスピードを緩めない堂島の姿に躊躇なく拳銃の引き金を引く決心を見せた警官。指をかけた引き金が一瞬の静寂の間に引かれる。

 堂島の右腕上腕二頭筋部分を確かに貫いた。警官は二発目の引き金を引く準備をしている。

 走り続ける堂島の視線の先には黒子がいた。警官は苦い顔をしながら両手で構えた拳銃を下ろした。

 腕を振り全力疾走を続ける堂島は、黒子の側を走り去り田園地帯国道をひたすら全力疾走し続けた。

 一瞬の出来事。横からの追突。

 黒塗りのRV車が猛スピードで横から突っ込み堂島の身体を跳ね飛ばした。

 何事もなかったかのように堂島は起き上がり長閑な田舎道を腕を振りながらただひたすら走り続ける。

 走るたびに揺れる極太のホース。やはりエレクトしていた。

 RV車の運転席には関口の姿があった。唇を舐め、眼光鋭く全裸状態の男の背面を見据える。力強くアクセルを踏み込むと車は急発進し堂島の元に一瞬で追いつく。

 後方から追突された堂島は僅かな距離を宙に舞い硬いコンクリートに打ち付けられた。

 動く様子を見せないうつ伏せ状態の堂島に車は横付けし、関口は運転席から反対側へと回り込む。そのまま車両後部座席に堂島の身体を強引に押し込み、急いで運転席へと戻った。

 アパート付近にいた和田と黒子はその光景をただ見続けるしかなく、走り去っていくRV車の後ろ姿が狂人をも凌駕する異端の何かに思えて。和田の頭部は過去類を見ないほどブルブルと振動し。その振動はやがて全身にも及び和田はその場で卒倒した。

 硬いコンクリート地面に横たわった和田の姿は糸の切れた道化人形を彷彿とさせ、黒子の呼びかけにも一切応答せず、暗い闇の中へと潜る格好を見せた。

 ――依頼を受けた日の電話口での会話が今では鮮明に思い出せる。

『大家さんと関口さんは面識はありますか?』

『いえ、ありません』

『最寄りの探偵事務所に頼まれなかった理由などはありますでしょうか?』

『いえ、友人から和田さんの噂を聞いておりまして、出張費交通費は全額こちらが持ちます、是非とも何もない田舎町ですが和田さんに来ていただきたいのです』

 和田一という探偵に依頼しなければいけなかった必要性。全ての依頼を直感で解決する類稀なる能力者。直感能力を有していなければ全てのパズルのピースがハマらない光景。やはり全ての依頼を直感能力で解決するこの男でなければいけなかった必要性。

 推理をしない上での事件解決。推理をしてもらっては困る者がいた。矛盾する未推理と事件解決という点と線。

 依頼者である関口が望んだもの。

 恋人である梨花の捜索依頼。この限界集落で密かに忌み嫌われている要注意人物を殺人犯に仕立て上げる。殺人の容疑をあちら側へと向かわせる。しかし迂闊だったのは探偵和田の推理力。序盤も序盤で真犯人をいとも簡単に言い当てた。

 推理をしない探偵が必要だった。余計な詮索をしないで回答だけを明確に提示してくれる道化人形が必要だった。

 誤算だったのは探偵のシックスセンスの精度があまりにも的確で、やはり思った通りにはパズルのピースはハマらなかったということ。強引にパズルピースをはめる為に警察監視下の元、車で連れ去りという大胆な犯行に至った関口。幸いにも警官数名に関口の姿は微かに見られただけ。

 この限界集落では知り合いの知り合いは自身の知り合いになる。知り合いになり得る。

 三竦みの歪な点が交錯しない像となって真っ暗闇に点在している光景。

 三者三様卓越したある種の特性を持ち合わせた彼ら達。

 やはりこの世界に没個性はいらない。異端であり続ける必要性。狂気にも似た非凡な才能を常に欲する。

 まだ真昼の現在のアパート周辺。

 あと数時間後に世界は暗闇に覆われて異形の者が姿を現す時間。

 黒子は晴れ渡った青空を見上げる。

「こんなに空は青いのに、この村は空気がちっとも美味しくない」

 顰めた表情で目を細める。

 地面に倒れた和田は起きる気配がまるでない。それをやはり上から見下ろす黒子。

「東京にはいつになったら帰れるのかしら、もう私この田舎町飽きちゃった、何もなくて退屈」

 和田は答える気配がない。

 黒子は和田のそばで屈んで遥か彼方の田園風景を静かに眺める。

 空気の中に湿り気が出始めていた。田んぼのカカシがこちらを向いている。

 警官達が慌ただしく動く中、静かに佇むことしか出来ない和田と黒子。やはりあちら側のカカシがこちらをじっと向いているような気がする。

 不気味に思った黒子は思わず顔を伏せた。

 カカシでさえも黒子の風貌がこの田舎町に似つかわしくないと理解できたのだ。あの突っ立っているだけのカカシの人形でさえも。

 目立った行動は慎むようにと和田には言われてはいたが、この村全体が現在お祭り騒ぎの渦中にいる。それに妙に馴染んでいる和田と黒子でさえも何の特徴もないスタンダード側の人間だとはっきりと理解でき、そのことをまるで理解しようとしない黒子もまたはっきりとスタンダード側だと認めるべきであって。

 風が吹いた。ような気がした。

 空気の循環が著しく滞っているこの限界集落の田舎街で、一人の探偵とその助手がこれから訪れる災難に、災難の渦中に身を投じるとはこの時はまだ露知らず。

 やはり風が吹いた。ような気がした。大きい風だった気もする。

 無風状態の雪景色が一番芯から冷える。そんな今の気候は六月の初旬、雪なんてどこにも降ってはいない。

 この村には風は吹かない。

 コンクリート地面に横たわる和田はゆっくりと意識を取り戻し重いまぶたを開けた。

 両の眼に映るのは晴れ渡った快晴の青空で、雲一つない目の前の光景に、和田は限界集落の深い闇を垣間見た気がして身震いがした。

 自然の中で共生するように暮らす人々。僅かばかりの天災に常に左右される、それが田舎町の定め。美味しい空気、豊かな大自然、人の温もりのある現地の人々とのコミュニケーション。そんなものには大して意味がないと知り、上空の晴れ渡った青空でさえもやはり限界集落の深い闇となって静かに点在している。

 黒子が意識を取り戻した和田に静かに話しかける。

「先生大丈夫? 大丈夫?」

 まだ本調子ではない表情で黒子を見やる和田。感情を何処かへ忘れてきたかのような声で一言呟く。

「亜種が」

 眉間にシワを寄せ首を傾げる黒子。

「亜種?」

 またもや先ほどと同じような声色で和田は呟く。

「三つ巴。三竦み。トライアングル。同族嫌悪」

 困った表情を見せる黒子は辺りを見渡す。黄色い規制線が貼られたアパート一室に出入りする警察官達。何事かとアパート周辺には近辺の住民が集まってきていた。

 次第に顔色が戻ってきた和田は黒子に向かって核心を突く言葉を述べる。

「常識に囚われた硬い脳では先の光景を見ることは叶わない、この限界集落には狂いが二つ存在している。何ら歪な光景には映らない、全ては必然であり、同類が同じ空間を共有していても違和感などは微塵も感じない」

「先生は狂いではないわ、私の目からは正常な人間に映る」

 小さく鼻で笑った和田。

「まあそれはそうとして、黒子よ、僕の直感能力は二人の行方を上空から俯瞰して見るように把握できる、鷲の目で全てを見渡すことができる。しかし追ったところでどうなるわけでもない、探偵である僕が警察に負けたくないという思いからこの事態に首を突っ込んだわけだが、どういう結末となれば事件解決かという疑問が生じてくる。あの二人を追って何ができるかという自分への自問が、答えのでないまっさらな回答を提示してくれているよ」

 黒子のアーモンド型の瞳を真正面から見据える和田。

「全ては黒子の判断に任せることにする、こういう時に助手である君が僕を適切な方向へと誘導するんだ」

「先生は前に進めと言って欲しんでしょう?」

 悪戯っぽく微笑む黒子。

「やっぱり先生には私がついていないと駄目みたいね、ここぞという時に尻を叩く者が必要みたい」

「僕はMじゃない、尻を叩かれるなんて――」

 苦笑いを浮かべながら上空の青空を見上げる黒子。

 上を向いた少女の真っ白な喉が綺麗な流線形を描き、顎ら辺に妖艶さが渋滞を起こしている。そのまま流線形は鼻筋を通り丸いおでこを通り、つむじ辺りでまたもや渋滞を起こし、そのまま背中を通って柔らかい尻の上を通り、長い脚を降りていき地面へとゴールテープを切る。

 少女の容姿は良い言い方をすれば極上のモデル体系。悪い言い方をすれば巨人の国のお姫様。異様に長い脚と腕、綺麗にパーツが配置された整った顔面、それと対を成して存在している妖艶な長い黒髪。そのどれもが黒子という人物を構成せしめる一つ一つの重要な要素。

 この限界集落ではやはり異質に映る黒子の他を圧倒する強烈な容姿。腰の曲がった爺婆の楽園には到底似つかわしくはない。

 黒子は思う。

 自分のこの身体的特徴が一種の特性なのだとしたならば。大地を蹴り上げ大腕を振って躍動する自身の身体を。ある人は必要としてくれている。独活の大木同然の人生を送ってきた自分を拾い上げてくれた人がいた。大して役にも立たなそうなこの自分をその他大勢から直感で選択し。拾い上げてくれた人がいた。

 使い道の存在しない盾として今の自分は存在しており、使い道がないのであればそれは別にフライパンの蓋でも事足りる、それを分かった上で盾として左手で力強く握ってくれている人が存在する。

 小さく言葉を紡ぐように黒子は問う。

 ある種の特性を好き好んで贔屓にしてくれる人間は本当にいるのか? この世には様々な特性を有する人間が存在してる。その出っ張った部分を愛し愛でてくれる他者は本当に存在するのか? 劣等感の塊で出っ張った部分を好きになれなかった自分。己の中の歪な部分を他者が積極的に愛してくれる。そんな空想の世界。

 ある人の見方からすると劣った部分は大変優れた部分にも見えたりもする。それを決めるのは己自身ではなく第三者の他者であり、客観的に自分を見ることなどは到底不可能、結局は自分の目は自分の目であり他人の目ではない。

 何本も引かれた直線の中に一本だけ歪な線が存在していても。それは他を圧倒する力強い線ともなり得る。

 スタンダードを嫌う人の略称を天邪鬼な性格と呼んだりもする。ひねくれ者という誤解を招きやすいこの性格。天邪鬼という言葉の対義語に素直というものがある。つまりは世の中のスタンダードな一般的人間は皆素直であるとも言える。

 世の中という画一化された世相に、争わずに黙って落とし込まれたスタンダードピープル達。右を向けば右、左を向けば左、生きろと言われれば生き、死ねと言われれば死ぬ、そんな面白味もない画一化された一般人達。

 一種の狂気にも映りさえする。画一化という名のある種の狂気。この世は狂い人によって構成されている。その他諸々の事情でそんな狂気じみた世界に産声を上げ反発する者達。人は彼らを異常者と呼び、徹底的に排除しようとする。是が非でもスタンダード側に矯正しようとする。病気扱いされ強制入院を余儀なくさせられる人もいる。

 黒子や和田でさえもスタンダード側の人間。

 それらの線引きをする者は己以外の他者であり、懇願されない、ある種のお願いもされない、希望も夢も無いそんな世の中を歩まされる。

 和田の背中を見やる黒子。

 正気を取り戻した探偵は背筋を伸ばして青空に自身の掌を掲げる。雄大な空に比べて掌を掲げている者はちっぽけで小さな存在、二空間の対比である空から見た和田の姿と、和田から見た空の姿。

 和田の目からは目の前のそれらは空にしか映らない、しかし空側から見てみれば見下ろすそれは微動する何かとしか捉えることはできず、やはり微動する何かとしか捉えられない。

 ――微動する何か。


 振動数――。

 無機物有機物関係なく、モノには振動数というものが存在している。公園のベンチや天高くそびえ立つ新宿のビル群も同じように振動数を保有している。

 振動していないように見えてしっかりと振動している。素粒子。物質を構成する最も基本的な小さな粒子。その素粒子が集合し世の中のあらゆる物質は形作られている。そしてこの素粒子は常に振動しエネルギーを発生している。科学の世界ではこの素粒子の謎を紐解けば宇宙が知ることができるというほど、素粒子はあらゆる存在の構成物質の要であり基本でもある。

 人間も素粒子の大きな塊だといえる。

 人間の素粒子と、宇宙を構成している素粒子は実は全くの同じもの。人間は宇宙エネルギーの塊だとも言える。

 そしてこれは人間だけに限らず。森羅万象。万物の全てがこの宇宙と同じ素粒子で構成され。振動している。

 ――振動している。

 振動数が上がれば物事は上手く運び。振動数が下がれば不幸が訪れる。だからこそ人間は唯一この生態系で文明を持てた。

 我々人間は鳥を見て。飛んでみたいと思い。本当に鳥のように飛ぶ。そして鳥より遥か高く宇宙まで飛んでいった。猿は鳥を見ても飛びたいとは思わない。でも人間は空を飛びたいと思った。この振動数の違いが進化の違いに繋がっている。

 歴史上のあらゆる発明は全て、異常な興味、好奇心、遊び心という振動数が高い時に生まれた。振動数が高い時に人は進化や発展などの前進行動として如実に己自身に現象となって現れ続けてきた。

 森羅万象全てのモノは動き続けている、故にこの星のルールでは、振動が出来なくなったモノは存在することが許されない。

 振動数が高くなると良いことが起き。振動数が低くなると悪いことが起きる。

 運や不運は全て振動数が関係してくる。振動数こそがこの世を司る目に見える数値だともいえる。

 振動は微細な動きとして人間の体に現れている。ほぼ全ての人は微細。その他大勢の人は微細。ある特定の疾患者の場合は除いて。

 ――本態性振戦。振動数が常時針を振り切った状態の者。測定不能な異常な数値。

 異常な震えを有し、エネルギー体の塊だともいえる本態性振戦。望んで手に入れることのできないユニークな特性。天武の才だともいえる。

 ある者は透視能力を身につけ。ある者は時間の概念をねじ曲げたりもする。そしてある者は異常な直感能力を有する。

 震えは恐れなどではない。暗闇に佇む異形の者など本当はいない。やはり恐れなどではない。この震えに怖がっているのでない。有り余るパワーが目に見える形で己の体に体現する現象。

 震えこそ世界であり、震えのない世界など存在はしない。


「し尿処理場」

 和田が小さく呟いた。

「彼らの行方、し尿処理場へと向かっている、僕の直感力が100パーセントの正答率を持って大胆に発言ができる。戯言を言っているのではない、僕は至極真っ当な答えを正直に披露している」

「先生の言うことを信じようにも私達には足がないわ、この田舎町では私達の足は使い物にならないただの飾りみたいなもの、田舎町は車社会の究極系なんでしょ? 私達には足がないわ」

 和田と黒子の元へ一台の軽自動車が近付いてくる。運転席側の窓が開き、見覚えのある顔に和田は頬を緩めた。

「乗ってく?」

 小学校へと乗せて行ってくれたあの男性が、何の縁か和田と黒子の足がわりとなって颯爽と登場した。

「先生、これはどういうことですか?」

「だから私は推理小説家泣かせだと言っただろう、我々はフィクションの世界を生きているのかもしれない、でなけりゃこんな好都合なお話ありっこない。いいか黒子、この世界は作られた世界である、全てが紛い物の寄せ集め、真剣に悩んで生きていてもしょうがない、もっと自由に大胆に、荒唐無稽な潔さ、イマジネーションの塊だ、ぶっ飛んだ考え方で世界は構築されている」

 乾いた笑いを浮かべる黒子。

「本当に推理小説家泣かせだわこんなの、推理もしないご都合主義の駄作と認めるべきだわ。きっと作者も苦肉の策だったのでしょうね、物語終盤への架け橋を強引に作り上げた、きっと死ぬほど申し訳ないと思っているに違いないわ」

「いいや、黒子よ、この作品は駄作なんかではないよ。こんな大胆なご都合主義を君は見たことがあるかい? 作者は自分のことを天才だと思っている痛い奴さ、何せ登場人物のこんな発言を容認し黙認しているんだ、それを半ばどうにでもなれと思って書いている。奇を衒った効果的な打撃はその名の通り奇を衒わなくてはならない、予測できるお話に何の意味がある、そんなものにきっと意味なんて存在はしない」

 軽自動車に乗り込む和田と黒子。

「目的地はし尿処理場でお願いします」

 ご都合主義の権化でもある男性が静かに頷いた。ゆっくりと車は発進する。

 後部座席に二人仲良く並んで座る和田と黒子の二人。

 長閑な田園風景が窓の外には続いており、変わり映えのしない光景に両者は窓の外を眺めもしない。和田は運転席シート裏を真正面から見やり、黒子は助手席シート裏を黙って静かに見るのみ。

 不意に黒子が口を開いた。

「先生はこの物語の結末をどう予想しますか? 今私達が遭遇しているこの事件のゆく末はどうなると思いますか」

 微かに微動する頭で和田は答える。

「結末はきっと誰もがあっと驚く結末にはならないだろうね。断言できるよ、驚くような結末にはならない。この物語の結末は名残惜しいものにはならないよきっと。僕が握る黒子の弱みを少し披露してこの物語は終わるだろうね、それを面白いか面白くないか決めるのはやはり他者なのだから僕らがどうこう言おうが物語の本質が変わるわけでもない」

「私の弱みを物語終盤で披露する必要性はあるんですか? それは私の知られたくない部分なのでは?」

「そんな大そうな弱みでもないだろう、聞いた者は拍子抜けして残念に思うようなチンケな弱みだ、それを知る僕でさえくだらない弱みだと心の中では思っているよ」

 運転手男性がサイドボード上のタバコを手にする。

「吸っても構いませんか?」

「ええどうぞ」

 シンクロするように和田と黒子の互いの声が重なる。同じ言葉を同時に発してしまい俯いてバツの悪い格好になる両者。

 男性は運転席側の窓を開けタバコに火をつける。白い煙が軽自動車後方へともやもやと伸びてゆく。副流煙の充満した車内で澄まし顔を決め込む和田と黒子。

 午前中から色々なことが立て続けに起こり、問題の解決しないこの場の状況に夕陽のオレンジ色が和田の右頬を染める。

 日の暮れ始めた田舎町はあと数時間後に漆黒の闇夜をへと変わる。軽自動車は長閑な田園地帯をひた走り、田んぼのカカシが一種の狂いを連想させ、異形の者が訪れる明かりの灯らない闇夜が向こう側へ存在しており。和田はやはり運転席シートの裏側を見つめたまま密かに揺れていた。


 日が完全に暮れた午後七時過ぎ。

 隣町のし尿処理場へと到着した和田と黒子を乗せた軽自動車。和田は黒子に車内で待っているように指示した。

「僕がもし死ぬようなことがあったとしたならば、君の弱みを知る者はこの世には存在しなくなり、掌で踊る犬は解放され自由が約束される」

 口角が上がった笑みを浮かべ黒子は小さく呟く。

「冗談の言える先生は私の目からはロボットには見えない、ちゃんと血の通った人間に見える」

「黒子よ冗談で言っているのではない――」

 座高の高さから幾分見下ろされてる感覚に陥る和田。黒子は背中を丸めてどうにか上目遣いで目の前の人物と同じくらいの目線になりたいご様子。しかし何をどうやったって和田を斜め上から見下ろしてしまう。

 困ったような表情で黒子は静かに呟く。

「本気に捉えないでとは今この場では言えない。言えそうな雰囲気じゃない」

 押し黙った和田に斜め上からの視線を送る黒子。

 軽自動車から降りその場をあとにする和田。

 目の前にはし尿処理場の開け放たれた大きな扉が存在しており、地獄の入り口にも似たそれは来る者を拒まず去る者を追いもせず、ただそこに静かに鎮座していた。

 大きいような小さいような。そんな和田の背中に視線を送り続ける巨人の国のお姫様。彼女からしてみれば視線の先に存在する男性は紛れもなく大きな大きな男だった。

 し尿処理場施設内に侵入する和田。

 バキュームカーが数台停まっており、微かに分かる独特な臭いがこの場に微小に存在し、施設内奥まった部分を抜けると、そこは事務所として使われている六畳程の小部屋が存在していた。

 素っ裸の堂島が椅子に括り付けられており、口と目元をテープで塞がれ、その横に関口が物言わぬ顔で静かに直立していた。

 和田は関口を見据え。関口は和田を見据え。互いに目元の力を強めていた。

 対峙する両者。椅子に縛りつけられている堂島を含め三人がこの場に揃い踏みし、目元の力を強めていく和田とは対照的に冷徹な微笑を不適に浮かべる関口。

 目隠しされ口を縛られている堂島は声も発せずその場に存在するだけだった。

 静かに呟く関口。

「さすがの直感力だな、こうもいとも簡単に」

 し尿処理場の屋根に大粒の雨が落ちており、呟く声の波紋を僅かながらに打ち消していく。

「計画が狂ったよ、この変態野郎に罪を擦りつける予定だった。大幅に狂った、捜査してくれなくていい結論だけズバリと言い当てて欲しかった、そのために和田さんあんたの能力が必要だった」

「あんたは誰だ?」

 和田がそう関口に問いかけた。

「お見事」

 関口が和田に拍手を送る。パチパチ叩かれた掌が頭上の雨粒にも似て妙にシンクロする。 蔑んだ目を関口に送り続ける和田。

 ――核心を突く言葉を探偵である和田が静かに発する。

「堂島さん、拍手はもういいよ」

 場を一瞬の静寂が支配する。外の豪雨の存在さえも消し去る場の一瞬の静寂。

 嫌味な笑いを浮かべながら口を開く男。

「これも直感力の賜物ってわけか、よく俺っちの正体が分かったな、いや大したもんだ、人生のあらゆることを己の直感力で解決できるのならば、和田さんあんたは将来的に成功者になり得る」

「褒められるのは苦手でね、賜物なんてそんな大袈裟なものじゃない、一種の精神疾患が故の賜物だ、それ相応の地獄は経験してきた」

 直立不動の堂島の横に椅子に縛られた堂島が存在する光景。

「そっちの男が本当の関口さんだろう、あのアパートの窓を打ち破って突入した時に妙だなとは思ったのさ、無精髭に角刈り頭の真っ裸の男にはっきりと既視感を覚えた、それもそのはず、あんたと関口さんの容姿は酷似していた、年齢の違いはあれど同じ髪型に髭を生やせば印象が近しいものになるのも当然」

 毅然とした態度で和田は言い放つ。

「アパートの表札を入れ替えたのは恐らく僕と黒子があんたの部屋に泊まった深夜、不眠症で寝れないと僕は自分自身思い込んでいただけで、しっかりと意識を失っていた時間はあったらしい」

 俯いて苦笑する堂島。

「和田さん、あんた寝言でうなされていたぜ、ゲコゲコって何だよ」

 堂島の拍手していた手が椅子に縛られている関口の肩を優しく包む。

「意図して容姿を似せたわけではないよ、これは本当に偶然たまたまだ」

 乾いた笑いを浮かべ和田が唇を歪ませる。

「だろうね、僕ならその髪型には絶対にしない」

「どこら辺まであんたはお見通しなんだ? 全ての真相を今ここで語れるか?」

「ああ、可能だとも、僕は全てを知っている」

 互いに睨みを利かせる両者。頭上の雨音が強くなってきた。少し声を大きめに和田は静かに口を開いた。

「関口さんはスカトロというフェチズムとペドフェリアというフェチズムを持った哀れな男に過ぎない」

 ほうといった表情を見せる堂島。

「堂島さん、あんたはスカトロというフェチズムとロリコンというフェチズムの両方を併せ持つ人物だ、小学生女児が暴行された事件の犯人は堂島さんあんただ」

 和田の目の奥が焦げるくらいに燃えている、温度の低い炎となって冷静に目の前の対象と対話している。

「一つ妙な点がある、和田さん、あんたの言うことが正しければ事件を未然に防げたんじゃないのか? 驚異的な直感力はまさに全知全能の力だろ、俺っちが青い果実を喰らうことをなぜあんたは未然に防げなかった?」

「直感力とは瞬間的な直感のことだ常に力が働いているわけではない」

 破顔し馬鹿笑いを始める堂島。

「事件が起きてからではないと動けない力か、あんまり警察と変わらないな」

 そう言われ露骨に嫌な表情をする和田。

「ということは俺っちとあんたが初めてあったあの駅舎内では、あの時あんたは俺っちのことを本当に関口だと思っていたわけか」

「ああ、あんたのことを関口だと信じ込んではいたが、あの時点でスカトロマニアだということには気付いてはいたがね」

「ん? 何故だ?」

 和田は自身の口を指差す。

「あんたの口の匂いだよ、日常的に得体の知れないモノを好き好んで食っているのだろう、丹念に歯を磨いていても僕の鼻はごまかせない、感覚が過敏になった僕の嗅覚からは逃れる術はない」

「お笑い草だな、まさに犬じゃないか、警察とどちらが優秀だ?」

 またもや露骨に嫌な表情を浮かべる和田。

「あと、スカトロマニアという言い方はよしてくれないか、崇高な趣味人である俺っちの尊い尊い黄金趣味だ。他人に理解されようとは微塵も思ってはいないが、俗悪なその他諸々のフェチズムと一緒くたにしてもらっては困る。スタンダードな世の中がこちら側に歩み寄ればいい、スタンダード側が亜種であり狂いなのだ、世界は黄金で包まれ新たな一歩を歩み始める、亜種を脱却し向こう側のこちら側の世界を一眼垣間見ればそれはもう一瞬で虜にされる、虜にされるに決まっている」

 和田が自身の側頭部に指を当てる。

「堂島さん、あんたの頭はきっとおかしい、狂ってさえいる。それは一種の病気だ」

 馬鹿にした様子で軽く笑う堂島。

「和田さんよ、狂気の先に正常が広がるんだよ、正常の先に狂気は広がりはしない。いつの時代だって混沌や狂気の先に正常な世界が広がるんだ、その辺を勘違いしてもらっては困る」

「是が非でも自分は病気だと認めないつもりか?」

「他人がどうして他者をカテゴライズできる? 正常、非正常は誰が決める? 俺っちはこう思うんだ、自分で判断し己を正当化しさえすればそれこそがスタンダードになり得る、俺っちは俺っちのことを己自身として認識している、俺っちは他人でもないし己の中に存在する自我は俺っち自身だ、俺っちが俺っちである証明、それを俺っちはよく理解している」

 嘲笑うように笑みを称える和田。小さく呟く。

「詭弁だな」

 堂島が語気を荒げ噛みつく。

「あ? 何が詭弁なんだ? どういうことだ、説明してみろ、明瞭に分かりやすく噛み砕いてお前は自分自身のことを説明できるとでも言うのか」

 し尿処理場の屋根に大粒の雨が打ちつけており、和田は声を大きく発言した。

「正常か非正常かはやはり他者が判断するものだ、自分の視界に自分の姿は映りはしない。鏡などの紛い物ではなく、自分の目からは自分は見えないように設計されている、それは何故か? つまりは自分の目から自分がもし見えたとしても、だからどうしたと一脚されてしまう、見えたところで何が変わるわけでもない、何か得をすることもない、不必要だからそんな機能が備わっていないだけのお話。自分が正常か非正常かを判断できる人間なんてこの世には一人も存在はしない、その為に心療内科や精神科が日本各地に点在している、他者に判断を下してもらう為に」

 頭を掻く和田。

「堂島さんと関口さんは同じ種類の人間だと言える、しかし堂島さん、あんたの方がやや厄介かもしれませんね、なんせ人を二人も殺している、黄金趣味と青い果実、それに加え快楽殺人鬼、矯正のしようがありませんな、一言で言い表すのならば実に哀れです」

 堂島が椅子に縛られている関口の頭を思い切り叩く。気持ちのいい音が事務所内に響いた。

「恋人である梨花を殺して殺人というフェチズムが俺っちの体に新たに宿った、その後も衝動が抑えられなくなりSNS上で若い女を捕まえては殺し、黄金と殺人という二つのフェチズムの融合に俺っちは成功した、糞塗れの名前も知らないあの女に俺っちはイケないことをした。高みを目指す為に俺っちは今後、黄金と青い果実と殺人の三つを融合したフェチズムを新たに会得しようと思っている。なあ和田さんよ、見逃してくれないか、この椅子に縛られている関口という男に全ての罪を被せて俺っちは新たなフィールドへと旅立ちたい」

 閉口したまま静かに俯く和田。その仕草を見て堂島は、もう一度椅子に縛られている関口の頭を叩く。

 目元と口元を塞がれている関口は全裸の状態のまま股間をエレクトさせている。生粋のドM性も兼ね備えた痛いのが好きな男。

 俯いたまま言葉を発する和田。

「黄金と青い果実と殺人の融合ですか、あなたは正真正銘のクズのようだ、そのような考えを思いつく時点であなたは他者を凌駕し続けている、もっと自分の異常性に気づいた方がよろしい」

「そんなに俺っちが他者より優れていると? 煽ても何も出てきやしないぜ、一応褒め言葉として受け止めておくよ」

 苦笑する和田。

「この椅子に縛られている男を見てみなよ和田さん。マジもんの変態だぜ、俺っちには男の子を好きになる感覚は分からねえな、どこがいいんだそんなの」

 もう一度関口の頭を叩く堂島。

「人にはその人独自の趣向があります」

 和田が堂島を真正面から見据えて静かに言った。

「堂島さん、あなたの趣向も人に自慢できるものではない、あなたは先程から関口さんの頭を叩いているように私の目からは見えますが、非常に不愉快だ、もう一度頭を叩くようなことがあれば僕は――」

 和田の発言を遮るように堂島は思い切り関口の頭を叩いた。乾いた音だった。

 言葉を発するのも諦めたのか和田は天井を仰ぎ見た。腰に手を当て少し捻る。ボキッと心地よい音が鳴った。

「もう一度頭を叩くことがあれば何だ? 俺っちと殺ろうってのか? やめておけ、あんたは探偵だ頭の中で事件を解決する、肉弾戦で勝負するタイプには到底見えない。お得意の頭を使ってこの場の状況を好転させることはできるか? そもそも先の展開がどうも見えてこない、俺っちはこの関口という男をどうすればいい?」

 三竦みのこの状況。決着がなかなかつかない今の現状を和田はいじらしく思っている。

 三点を直線で結び綺麗なトライアングルが出来上がる。一点をズラしてもそれは三角形といえる。一点加えればそこには四角形が出来上がる。しかしどう頑張っても丸い円形上には形成しない。丸の出来ない今の現状。

 正解の丸を提示してくれない三者三用の三竦み。正解は三角形であり円形上の丸など存在しない。

 場面は移り替わりし尿処理場外の黒子の様子を映してゆく。

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