第16話
朝。いつもより早く起きた。思原との約束のためだ。途中、店に寄ってから行くことにした。
学校に着くと、思原は既にいた。屋上の鍵も持っている。予定より早く来ていた様だ。
「当番の先生から借りてきた。行くぞ」
「うん、ありがとう」黙々と歩く。
ガチャ、ギィィ。
ドアを開く。そして、光が落ちた、というところまで思原に連れられ、近づく。
「ここだ」
近づいてみても、普通なら乗り越えないだろ、という手すりしか無く何も残っていやしない。
ただ澄んだ空気だけが広がっていて。これには虚しくもなる。
「猫間は、お前を恨んでなどいなかった。笑って『ありがとう』と言っていた。信じるかはお前次第だ」そう言って思原は薄く笑う。
「うん、わかった」何故そんなことを知っているのか、思原は何者なのか。それはわからなくても。嘘をつく人でないのはわかる。僅かに心が軽くなった。
「じゃあ確かに伝えたぞ」
「教えてくれて、ありがとう。…でも、少し寂しいな。こうやって、みんな忘れていってしまうなんて」
「そうだな」思原は、遠い記憶を見る様に目を細める。
「何か、できないのかな」
「さあな。…だがお前が憶えていればいい、猫間の生き方全て」
「…大役だなぁ。でもそうしよう。…ねえ、光はまだここに、居るのかな」
「…いや、居ないだろう」
「そっか。…光。君がどこに居るのか、…居ないのかわからない。でも、聞こえているといいな。助けられなくて、ごめんね。苦しかったかもしれない。…でも僕は。押し付けかもしれないけど僕は、君といられて楽しかった。僕の方こそ、ありがとう。だから、君は幸せになってね。もしいつか、生まれ変わったとしたら。その時はまた出会って、もう一度友達になろう。約束だ。…じゃあまたね。さようなら」何とかそう言い切って、僕は道すがら買ってきた花を置く。
勿論返事はない。でも、この一方的だが確かな約束を抱いて、僕はまた歩き出せる。生きたくとも生きられない光のことを思えば、どうして生を投げ出すことができようか。
「済んだのか」
「うん。付き合ってくれてありがとう。庭にも行っていいかな」
「ああ」
僕らは庭へ降りた。光が落ちたのは、花壇だったと聞いていた。
「この花壇だ」思原が教えてくれる。
僕は袋から花を取り出す。
すると思原は、表情に戸惑いをにじませた。
「お前、ここに植えるつもりなのか」
そう。思原の言うように、屋上の花は普通の切り花だが、これは花の苗なのだ。
「うん。花壇と聞いていたから。この方が長く咲くでしょ」
「まあ…そうだが」少し呆れているような。
「ほら、スコップも持ってきたし」
「用意がいいな」
少しして、苗を植え終わる。すると。
「ならば水もやらないとな」足音がする、と思ったら思原が、ジョウロに水を入れて持ってきてくれていた。
「っあ、ありがとう」僕の感傷みたいなものを、理解して肯定してくれるとは思わなかった。
ジョウロを持ってきた思原は、こちらに差し出したまま動かないでいる。
「早く受け取ってくれないか」
「え、うん。ありがとう」慌てて受け取る僕。
「でも、思原がそのまま水をあげてくれてもよかったのに」
「…それは無い。その花は、お前が猫間を思う気持ちがこもったもので、俺なんかが手を出していいものではない」
「…そうなんだ」光はそんなことを気にしない気もするが。でも渡されたからには役目を全うしよう。
「よし、これで大丈夫だね。…このジョウロ、どこにあったの?」
「昇降口の横の掃除用具入れだ。中に戻るついでに返せる」
思原がそう言ったので、僕らは歩き出した。陳腐な言い方で良いなら、僕は、いつか光に逢うための未来へと、歩き出したのだった。
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