第9話 夜明け
トウゾクカモメの切り札と機転により、ドラキュラから勝利をもぎ取った2人。
手に汗を握る激闘の結果を見届け、互いに喜び合うのも束の間の事。モスマンが計画する「試練」への参加を提案された少女たちは果たして──。
「人質ぃ!?」
「乗組員にしてやってもいいが、まだ子供だからね。人質の方がちょうどいい」
「面白そうじゃない?」
「ちょ、何でノリノリなの」
「内容を書いた資料は撒いてある。エキストラがやってくるぞ!って添え書き付きだ」
「ん…?それって初めっから参加前提じゃないの?」
「予定が変わりまして…は信頼を削るが、言ってもボクは大丈夫だよ?」
「続けて?」
「彼らにも伝えるが…君たち二人を、パーク側が飛ばしているヘリにまで乗せるか、撃墜された場合身柄をスタッフの元まで連れてきて初めて探検隊の勝利とする」
「アレねっ!危険な場所に取り残された人を助け出す想定の訓練!」
「ああ。ドラキュラが口すっぱくして重要性を語ってた奴だよ」
「映画のヒロインみたいになれるのよルナ!」
「ちゃんと出来るかなあ」
「簡単だけど難しい仕事よ、人生で最も命を守る時よ」
* * *
「…よし。最終調整は終わった」
「そろそろ出発するの?」
「ああ…支度しろ。そこのエレベーターで下に降りて、ハンガーに行け」
「ボクも合流するが、そこに移動用の母船『Ulula』がある。そこで現地までひとっ飛びだ」
研究所の中が一気に騒がしくなる、モスマンはすぐに奥の方へと引っ込んでいったが何をする気だろうか。
ミナも真っ先にモスマンの作品が入った箱を物色しており、ミステリアスな雰囲気を漂わせているではないか。
その風景を見ながら、瑠奈も自分の鞄を覗いて中身を確認しておいた。
青く光る雷の石は、まだその力を残している。
きっと何かの助けになってくれるはずだ、と信じたかった。
「あれっ…一応確認なんだけど、モスマンの試練っていつからなの?」
「今日の午後2時からの開始だ。すでにパークに対してアポを取ったがリマインダーをする」
「ここが夜だからすごく違和感…」
「うっかり眠っても、ボクが起こすさ」
「あの…電話してる暇ってない?」
「無い。軽いリマインダーだけドラキュラにする」
「さてはあんたこれギリギリの工程だったの?」
「言っただろう。時間はいつも足りないんだ」
そこで、玉座の間に赤い映像が映し出される。
戦いを終えた三人の前に。
『やあやあ余韻もあるだろうにすまないがなあ勝者の2人とも!』
「この声は…モスマン!」
「瑠奈はどうしてますかー!?」
『彼女とならまあ…それなりに。ちゃんと話し合ってきたよ。とても良い時間だった』
『…ってちがーう!!そうじゃない!えーと…はっはっは!2人の身柄はいただいた!』
映像に映るモスマンは二人の子供を抱きながら、悪どい笑い声をあげてみせた。
だがどうにもその悪い高らかな笑い声には今更なような感覚がそのばの全員に走る。
「えー、どう言うことですか」
『僕らはこれからパークセントラルに向かい、探検隊に試練を与えるぞ!』
『ボクの秘密兵器を倒し人質を救出するミッションを果たしてクリアできるかな?!』
『君たちも勇気があるのなら、滑走路においてある戦闘機に乗り込んで向かってこい』
『お前たちの挑戦を待っているぞ、はっはっはっ』
まるでアトラクション解説のような語り口調で一方的に捲し立てたのち、その赤い映像は綺麗さっぱり消える。
モスマンからしてみれば自分を誘拐犯のようにみせたかったのだろうが、どうにもしまりきらない空気がその場には漂っていた。
「…ふむ、なるほど」
「どうやらモスマン、探検隊相手に試練を与えにいくらしい」
「ルナとミナも、急遽人質役として参加したようだ」
「なんで???」
「子供になんでは通用しない。モスマンも含めてな」
「案外、話し合って和解した結果かもしれん」
「それはまあ…見ててわかるわ」
「仲良いのは結構なんですが、早いとこ救出しないと。いくらモスマンが頭いいからって戦いの場に子供がいるのは危ないですよ」
「ふん、子供がいては危ない…か」
「ラビ、機体のチェックを済ませよ。ヤツの罠があるかもしれない」
「がってんでさー!」
* * *
ドラキュラへの衝撃的な報告(本人談)を経て、モスマンが座っている場所は操縦席へと変わっていた。
彼女の目の前にある計器類の全ては人類のプラットフォームとは異なり、よく見たとしてもその仕組みと操作法を理解するのは困難だった。
「さて…しばらくの間空の旅を楽しんでいただきたい」
「エーリス航空196便、パークセントラル行き、発進と行こう」
無音の状態で空を飛行しているUFOの船内に、静寂が走る。
こだまする声はモスマンのみで、残りの2人は呆然としたまま周囲の構造を見渡していた。
2人が黙ってしまうのも無理はない、いざ自分の目に焼きつけた光景は子供にはあまりにも硬すぎる食べ物、咀嚼するのには時間がかかるだろう。
「なんて感想だしていいかわかんなくなって来た」
「すっごーい、でいいんじゃない?」
「夏休みの日記にUFOに載りましたって描いたらどうなると思う?メンインブラックに連れてかれて記憶処理なんだけど」
「それは良くわかんないわ」
「おばあちゃんかよぉ」
「あっ、そうだ!ミナ!」
「なあに?」
「せっかくだから話をしようよ」
「…ミナの昔のこと、聞いていいかな」
会話の中で尋ねられたことに、少し躊躇した様子のミナからはのっぴきならないような事情が感じられた。
彼女が抵抗し突っぱねるのならそれまでだ、と考えていたが次の言葉は違うものだった。
「…どうして聞きたいの?」
「…時々、ミナに置き去りにされてる気がするの」
「こう、ミナだけ、急に大人になったっていうか」
「そうなったのには、ミナの昔のことにカギがあるんじゃないかって」
「あー…んじゃあせっかくだし、話しちゃうわっ」
「やったあ!」
明るい会話の空気のまま、次に彼女が語ったことはやはり衝撃的なものであった。
「実を言っちゃうとね、私にはパパとママが居ないのよ」
「え…なんで?」
「居ないってよりなんだろ、気づいたら知らない人に連れてかれた感じよ」
「…も、もしかして、ユーカイ…?」
「多分そうじゃないかな、それに…私がいた方が、フレンズを捕まえるのもやりやすいって、思ったとか?」
「…世界は、そう言う人もいるの」
「そう言うことをしなきゃ、生きられないと宣告されてしまった人」
「私を攫った人もお金が欲しかったんでしょうね、それも必要に駆られてだった」
「そうでもしないと、きっと家族もろとも人生が終わる状況だったんじゃないかしら」
「…ミナは、そう考えてたんだ」
「そう。でも伯爵は違った」
「私は、それが嫌だった。目の前で誰かが死んじゃうのも、誰かが死なせようとするのも、どっちも見たくなかった」
「槍を構えた伯爵の前に飛び出すなんて流石に無茶だったかなって思うけど」
「そんな昔話があってね…?」
「る…ルナ?」
「なんで、そんなに笑ってられるの」
「なんでそんなに平気そうにできるの!?」
「誘拐されてパパとママとも会えなくされて!知らない場所に連れてかれて、知らない人たちに囲まれてさあ!」
「怖くなかったの?!寂しくなかったの!?」
「私なんて、聞いてるだけで耐えられないもん!私の知らないところで、友達がそんな辛い目に遭ってるなんて!」
「どうして、なんで……」
「なんで…なんで……」
「…そりゃ、最初はすごく怖かった、知らない人しかいないしね」
「どうしてこうなったのって、早く帰りたいって」
「でもそれよりもっと…パパとママが心配だったの」
「え…?」
「最後にパパとママと一緒に居た…と思う日ね。大きな大きな音があちこちでしたの」
「光って、うるさい音がして、そうするたびに誰かが叫んでて、建物が崩れてて」
「覚えてる最後の顔は、必死に守ろうとしてる2人の顔」
「気づけば、パパとママがいなくて、気づけば、誘拐されてた」
「だけど後になって、その人たちは…あの時の音とは全然関係なかったってわかった」
「それからは、どうやって帰ろうかなってことばっかり考えてたのよ」
「辛かったなあ…思えば、ほんと辛かった」
「……」
「…ごめん、ルナ」
「…泣いていい?」
「うああああああああん」
「ええっ、なんでアンタが泣くの!?」
「ミナも泣いて゛よお゛お゛いっぱいな゛いて゛いいんだよ゛おお゛…!」
「もう我慢してるの見たくないよ゛お゛お゛…!」
「別に我慢なんかしてないのに!」
先にわんわん泣きじゃくる友達のことを、強くしっかり抱きしめる。
別に慟哭でぐちゃぐちゃになる顔を見せてもよかった、と思っていた。でも抱き合っていた方が、一番安心する。
必死にしがみついてる友達が自分のためにいっぱい騒いで泣いているのを側で聞いて、何かが溢れる気がした。
気づけば、2人で一緒に泣いていた。
* * *
一方、エーリス公国敷地内にある滑走路へと向かう三人。
急いで跡を追わねば、2人の身が危ないのだ。
早速、トウゾクカモメとウェアウルフは戦意もあらわに歩き続けていた。
「無理はするなよ、まだ完全に疲れは癒えていないだろう」
「気にしないでちょうだい」
「心配せずとも、ミナと瑠奈は無傷のまま助け出してみせますよ」
「期待している」
ここで人狼に、ある一つの疑問が浮上した。
「…思ったのだけれど、どうしてミナはパークに一人いるのかしら」
「あの子の匂いからは、ここにいるフレンズの匂いしか混ざっていなかった」
「父と母の匂いはなかったのよ」
「ミナに親はいないよ。今はな」
「今の保護者は、かつて串刺し公と呼ばれたこの私ということになる」
「本当なの、それは」
「いつからいなかったの?」
「…」
「一年前?二年も前?…それとも、初めから?」
ドラキュラは肯定するように、静かな笑みをかけたまま首を揺らした。
「偽りもない。私が初めに見たミナの姿を教えてやろう」
「生贄だよ」
「…!」
「島を侵そうとした人間たちが…自らの命を乞い、投げてよこしたのがミナだ」
「奴ら、賢しいことに…私におそれを抱いていたのだよ」
「きっと私が本物の人智と人理を超えた龍そのものだとしても、奴らは同じことをした…その結果がミナだ」
「…フレンズ相手なら、子供を盾にすれば対処がしやすいと考えていたのでしょうね」
「だが彼女は、それで闇に染まることはなかった」
「あの子は、自分勝手に元の生活を奪われ、挙句利用されようとしていた…」
「そんな度重なる不幸など意に介さないように、ミナは輝き続けていたんだ。空を青く染める太陽のように」
「親も友も、故郷さえも無くして今なお…ヒトとして生きようとする、哀れでみじめな、美しい”人間”なんだ」
「だが…あまりにも脆く幼いのだ」
「だけれど、あなたは…そんなミナに敬意を持っている」
「だからあなたは、自らの全てを彼女に捧げようとしているのね」
「正確には、この国とミナにだ」
「それこそが、きっと私がここに現れた理由なんだ」
「ミナは、私がそうしたいと思ったのだ」
「後ろに銃、正面に鬼を見て…幼いながらに、自分を攫った人間を庇ったのだよ」
「眩しかった。白で覆われた空の、陰鬱な白黒の世界に太陽が現れた様だった」
「私の死がやってきたのかとさえ、ね」
「日の光とは、美しいものだ」
「それは、温もりを平等に与える輝きなのだ」
「彼女が居なければ今頃生きていないのだから、彼らもある意味ではいい選択をしたのだろう」
「ただしそれは、ただの”奇跡”でしかないんだ」
「私は今でも彼らのことは、心の底では認めてはいない」
「だが、その奇跡というただ一つのチャンスを掴み取り、歩き出している姿には敬意を示す」
「これ本人の前で言わないでくれるな」
「言わないわよ、誰にも」
「ワタシもですよ」
「…私たちを招き入れた理由も、そういう事なのでしょうね」
「私たちを試そうとした」
「私たちだけじゃない、瑠奈やミナのことも」
「あなたはまだ分かっていない。あの子たちの強さを」
「そして、あの子達を信じる自分の勇気」
「…だけどそれらがどう転ぶか、あなたにさえわからないんでしょう」
「確かめたかった、そうしなければ安心もできないものね」
「…」
「……それを、悟らせてはいかんのだよ」
「…例え、私そのものが迷える子羊だったとしても」
「たとえ、私が自らを正しいと思えなくとも」
「…恐れと不安を見せてはならんのだ」
「子供は疎い。だが、子供が親しむ者の異変には、敏いのだ」
「いつものように、傲岸に不遜に笑い導かねばならない」
「そんなことを続けていたら、疲れるでしょう」
「……私はもう死んだ身だ。どうと言うことはないよ」
「今は生きているでしょう」
「貴殿にはそう見えるのだね」
「生きているから、あなたはそこまで努力ができたのよ」
「…真摯に向き合い、周りの環境さえも変える気概でなければ、ヒトの子は真っ直ぐ育たんよ」
「それに、私をそうさせたのは…ミナ自身の輝きだ」
「自由という名のそれに、人間の真の強さを見出した」
「人間であることに耐えられなかった俺が、遠い無くしたものだ」
「お前は言ったな、フレンズとなった以上…私もまた望まれてここにいるのだと」
「…私にとっては、それが恐らくミナの存在だと、思っている」
「…これから先、ミナの幸せは続くのか?」
「私は危惧するのだよ。ミナが望む世界の全ては、全て薄汚い裏切り者なのではないかとね」
「ミナを救えるのが、この世でただ一人私だけだとしたら。あの子にとってそれは惨たらしい悲劇ではないか」
「…ミナの初めての友達は…私たちだから」
「少なくとも、全てとはならない。断言する」
「これからミナが掴み取っていくものを信じなさい」
「…いえ、信じたいから、私たちを呼んだのでしょう?」
「…」
「ありがとう」
「…私たちを信じてくれて」
「私たち三人を招き、向き合おうとしたあなたの勇気に…感謝するわ」
「…我が国を立ち去れ、勇者たちよ。お前たちが“ここ”で、出来ることは、もう無くなった」
「賢者は力を解き放った、成果を試すべくフレンズたちに挑戦するだろう」
「子供を伴って、な」
「霧を破り、ここを立ち去れ」
『みなさーん!機体の動作チェック問題なし!すぐ滑走路に向かって!』
「…ラビ、操縦はお前に任せる。彼女たちを送り届けてやれ」
『あいあいさー!』
「また来るわね」
「ここの空気は…正直、良いところだと思った」
「人とフレンズが増えれば、きっと良くなっていく」
「フン。太鼓判を押すのなら…居を授ける代わりに我が城で力となってもらおうか。彼らのようにな」
「考えておくわ。ちょうど、引っ越し先で悩んでいたから」
* * *
「…ずびっ、ごめん…ごめんね…さけんじゃって…」
「そんなつらいのに、ずっとがまんしてたって、思ったら…」
「大丈夫だよ、ちゃんと…理不尽だなって憤りはあるもの」
「だからこそ今を幸せにしたかった」
「…でも、そんなことがあったんだ」
「昔の話よ。本当に昔のね」
「…その人たちって、今は…」
「ん。エーリスで働いてる。そのうち…自分たちの道を見つけ出せると思うわ」
「犯罪を犯す人ってさ、衣食住が足りないからそうなるの」
「それさえ足りてれば、人は犯罪を犯さないもんよ」
「ほんとに助けられない悪い人ってのは、恵まれてるのに誰かを傷つけちゃうような人だと私は思うから」
「やり方を赦すつもりは無いけど、心まで腐っていないのなら、また歩いて行けるはず」
「私たちにできるのは、突き放すか、信じるかだけなのよ。…それでも…」
「…昔はきっと優しかった子が、悪い人になってしまうのは、凄くつらいかな」
「…エーリスアイランドを出たのってどうして?」
「旅がしたかったからよ。自分の足と目で、知らない世界を見に行きたかった」
「たとえそれが無謀だとしても、それは私の歩みを止める理由になんかならない」
「なんていったら、モスマンがこうやって乗せてくれたのよね」
「言っとくけど、その件もドラキュラには報告してるからな」
「あらそうっ。好きにしなさい」
「…あんなことあったんじゃ、ドラキュラも止めたでしょ」
「パパみたいなもんじゃん。もう。そりゃ心配するよ」
「百も承知。実際そうなった時、私はこう言ってやったわ」
「わたしは自由、だから、ヒトでいられるんだって」
「何をするのも、何を選ぶのも自由。足元には人間が食べきれていない、限りない大地が広がってるんだから…てね」
目の前を見つめる友達の目は、どこまでも輝きが続いていた。
太陽への道が分かつ、暁の海のように。
はじめて見るような輝かしい目を見て、ただただ、すごいと思わされるのだ。
「…楽しんでるんだね」
「せっかく生まれてきたんだもの!楽しまなきゃ損よ」
「ミナって、誰かを笑顔にできるぐらい、キラキラでいっぱいなんだね」
「…知らなかった」
「ごめんね。ルナ…会って間も無いのに、こんな話しちゃって」
申し訳なさそうに眉を下げながら笑う姿に、その顔はやめてほしいと思った。
そっちが罪悪を感じる理由などこれっぽっちもないのだから。
「ねえ、ミナはさ」
「パパとママ、見つけたいの?」
「うん。バケツリストにも書いてあるわよ。ほら」
「…もし、見つからなかったら?」
「それこそ、パパとママを見つけるだけよ」
「????」
「私と血が繋がっている大人が、もういなかったとしても…自分が暮らしていける居場所を見つける」
「一人だとしても、大人が一緒にいてくれるとしても」
「そういう目標が、私に自由を与えてくれるの」
「…ミナにとって、自由って何?」
「自分にとって大事なことを、自分で決められることだと思う」
「見なさいよ、私たちの目の前には…たくさんの道が広がっているの」
「結果がどうなろうと、人間はどんな人生も作れるのよ」
「あっそうだ、一個消さなきゃいけない場所があったんだ」
「…親友を作る…?」
言葉に重ねるように、ミナが近づいてくる。
肩同士がくっついたあと、幼い手が肩に回された。
「だってもう。私の親友は、今こうやって一緒にいるじゃない」
「…!」
その時には、泣いていた少女の姿はどこにもなかった。
目元が赤くなりながらも、安心させられるような笑顔を投げかけられた時…自分は無力だと思ってしまう。
泣いていた頃、どうやって励まそうかと考えていたが、この子はそうやって転びながら歩き続けるのが得意なんだと、思わされた。
ただ、今までずっと泣かなかったであろう彼女が、自分の前で泣き出したことを考えれば、おそらく自分は彼女にとって泣くことができる人物には慣れたのだろう、と。
肩を抱いて、ゆっくりと考えついた。
「…色々終わったらさ、一緒に遊ぼ」
「ミナと一緒の思い出、作りたいよ」
「ありがとう」
ふと目を見上げれば、モスマンがこちらを見ていて、すぐに正面を向いた。
確かなことは言えないが、一瞬だけ…優しい笑みを向けていたような気がした。
それがすぐに隠れると、いつもの声色が届いた。
「月島瑠奈、ミナ」
「支度をしろ。もうすぐパークセントラル前に着く」
『警告!けものプラズムの強力な発散を確認。ビースト出現の可能性あり』
その警告を聞いて、ハッとなったようにモスマンを見上げる。
彼女の身体からはすでに、赤色に光る雷が迸っていた。
そう、彼女がその野生という力を解き放った瞬間なのだ。
「さあ。飛躍の時だ」
「次のレベルへと、我らは進むのだ!」
二人一緒に立ち上がって、手を繋ぐ。
その先にある顔を互いに見つめる。
笑い合って、いざ光の元へと旅立った。
* * *
霧深い空へと向かって旅立つ飛行機を見送り、吸血鬼はその場に一人座り込む。
思えば随分と久方ぶりの、孤独の時間。
一人になれば思い出す情景も様々。
だが、先ほどふと漏らした言葉から始まった話題のせいだろう。自分の頭の中には、あの少女をミナと認識した瞬間の光景が、鮮明にも写っていた。
あの時の空気も、侵入者の恐怖も、彼女の涙の匂いさえも思い出せる。
曇り空が世を白黒に染めるあの日の自分は、確かに串刺し公爵であったのだ。
それと同時に、血を吸い人をボロ雑巾に変える鬼。
それを前にして、小さな少女ただ一人が、両手を広げて後ろの簒奪者たちを庇っていた。
「その三人は、お前にとって価値があるとするか」
「たすけるのにりゆうなんていらないわよっ!」
「いなくなってほしくないもんっ、くるしんでほしくないもん…!」
「あなたにもそういうことしてほしくないよ…!」
その時の彼女が、私はどうしても理解ができなかった。この状況にあって自分を誘拐したであろう人間を庇うなど正気の沙汰ではない。その思考だけは、私がどうしようもなく普通であった部分だろう。
そして、それは彼らも同じであったようだ。
「な…なんで俺たちを、庇うんだ!」
「お前は、俺たちが攫ってきたんだ。その強そうなアニマルガールにくっつけば、俺たちを倒せるハズなのによ!」
彼女は、もはや消沈したならず者に振り向き、恐ろしい化け物に背を向けた。
この時点で、とんでもないお転婆な子供であると確信できた。
ああ、恐怖も死も、彼女を縛る鎖にはなり得ない。
その時彼女が叫んだ言葉、それを彼女がどんな顔で言っていたのか?
「わたし、パパとママとはぐれてるの」
「だからあなたたちにふねにのせられたときね、このひとたちにもパパやママ、おにいちゃんおねえちゃんとかいるハズだとおもったの」
「あなたたちのかぞくがかなしむようなことはしたくないのっ!」
その言葉を聞いてから、視界に映る少女が変わって見えたような気がした。
多少ボロボロだが、その身なりは育ちの良さを感じさせた。
今の言葉で、それは見てくれだけじゃないと分かった。
見た目のみならず、心の中まで立派な淑女であると。
小さい子供がそんなことを大声で言うもんだ、それを見せられた彼らにも、私と同じように動く何かがあったのかもしれない。
「…あんたの名前を、聞かせてくれ!」
「──」
それは偶然か必然か、それともどこか遠い縁と所縁があるのか。
かつて、私が血と共に求めたあの人間と似た名を聞いたのはそのときだった。
──そして名前を聞いた時、ひどく腑に落ちた。
彼女の中で光る、黄金の様な輝きがある事に。
彼女がその小さな手を差し伸べた結果、始まった付き合いを経て彼らは変わった。
すっかり罪に頼らずとも生きようともがいていられるようになったのだから驚きだ。
それらがただの奇跡の産物でしかない事は分かっている。
それらが「話せば分かる」を肯定するものになりえないことも。
ただ、その輝きは、私には眩しすぎた。
鬼として見る今際の際に輝く日の光のように。
誰に対しても与えられる慈愛、誰かの隠し事を思い測れる知性。それらを併せ持った、善なる輝き。
それがあっただけで、世界は平和になると限らない。
たった1人の善が世界を救えるのなら、ただ1匹の孤独なリクガメが滅びるはずはない。
なぜ、どうしてそんな心でいられるのか。
そこまで考えて、自分の心が今、ぐちゃぐちゃに崩れ落ちていると、やっと気づいた。
その純真さに呆れ、その人好しな面に反骨し、失われぬ輝きを妬み、
──それら全てに、どうしても、ヒトとして見出してしまう誉れがあった。
きっと彼女は、その時からもう「自由」だったんだ。
彼女の中には、きっと今でも責務などは背負っていない。
人類の意識を変え、世界を救うために優しいわけではない。
彼女自身が人間を導くために、世界に与えられたわけではない。
「ただ自分がそうありたい」からこそ、その輝きは身を焦し、心を焼くほどに眩しくなったのだ。
その時に確信した。
この島に与えられた私の全ては、ミナのためにあるのだと。
彼女が普通に生きるために、捧げるべきものなのだと。
例えそれが、本来の意味と違っていたとしても。
私は、そうあれかしと自らに叫んだ。
私にその輝きを見せてくれた、ミナのように。
「……お前たちは、ほんとうに、いつも…そうだ」
思いだせば、物となって溢れて止まらない。
彼女は本当に大きくなった。あの時と比べて、よく、生きていてくれた。
だから願わずにはいられなかった。
どの様な形であれ、彼女が元気に笑っていられることを。
そう願うからこそ、私は、フレンズでいられるのだろう。
あまりにも歪な、怪しいけもの。
それをこの地は、受け止めて、置いているのだ。
「…日が昇る」
「…夜の終わりか」
* * *
光から大地に降り立った瑠奈。久しぶりに嗅いだような気がする草の匂いが肌を撫でて、原動力となる。
目の前の人の集まりに混じる、両親の元への燃料だ。
「ママ!!」
両親に思いっきり抱きついて、その身の安全を精一杯アピールする。
視界を上げれば父。そして自分と同じように美人の、童顔の母の姿があった。
「おかえりなさい!どうだったの?楽しかった?」
「うんっ!お友達もできたのよ!」
自分の後ろの方で、友達がその赤いドレスを摘んでお行儀良くお辞儀をしてみせた。
「初めましてっ」
このまま自己紹介といきたいところだったが、それは後の機会にやるべきであろう。
瑠奈が振り絞るように離れると、言葉を放った。
「ごめんねママ、あともーちょっとだけやらなきゃいけないことがあるの」
「あたし達の試練に関係があることだよね」
「隊長さん、それにドールさん!」
「人質役として登場する特別ゲスト…あいつめ、一体何考えてるんだか」
隊長が連れてきた面々は、おそらく所属している仲間の全員であることが分かる。それほどまでの大所帯だったのだ。黒い鳥に狐たち、梟たちと、クマのフレンズまでもが、この場に集合している。
これから起きることはきっと壮大で大掛かりなのだと、否が応でも思わされた。
そんなことを考えている最中、大人のパークのスタッフさんたちの目線がミナに集まっていることに気づいて、ハッとなった。
そういえばこの子、もしかしたら世紀の来園者じゃない!
「それよりあなた…どこからきたの?」
「エーリスってところよ」
「いえ、どこからこのパークに入ったのかを聞かせてくれる?」
「あなたが来園したっていう情報はどこにもないから…」
「んん…それ話すとすごく長くなるから、全部終わってからでお願いっ…!」
手を合わせ上半身を下げて、それだけはどうかと嘆願するミナの姿から、それが心からのものだと思わされる。
桃色のスタッフさんが慌てるように、それをやめさせるまでに時間はかからなかったが、なかなかのインパクトを瑠奈は感じていた。
「…もしかして、お手伝いの件かしら」
「そうよ!もうすぐ来るはずだけど…あ!」
この昼の青空にあっても大きく目立つ光の中、ゆったりと羽ばたきもせずに降りてくる黒い姿があった。
カバンの中のラッキービーストがブルブルと震える。
紛れもなく、その力の全ては解放されていたのだ。
「うわーお」
「Holy shit…」
母国語と思われる言葉をしゃべったミナに目を配った間に、ゆったりと脚が地面につく。
降り立ったモスマンは奇抜な挙動で直立不動に姿勢を戻した。
ラッキービーストの警告といい、見ていて心配になるが…今はモスマンを信じる他に、二人はなかった。
その姿を見て、スタッフたちが一斉にその目をモスマンに集めた。
「二日ぶり…でしたっけ、ええとお名前は…」
金髪のスタッフ──カレンダが、その黒い獣の正体を一発で当ててみせた。
おそらくは初対面で、見た目の特徴から。
「モスマン!」
「アメリカで有名なUMAで、正体はフクロウだとも、宇宙から持ち込まれた生物とも言われる大きなけむくじゃらの生き物よ」
「モスマンと呼ばれる前はバードって風に呼ばれていたこともある、そうでしょう?」
「キミの動物の知恵には賛美を伝える他ないな」
「こんなところで出会えるなんて…!もうちょっと近くに寄ってくれない?あなたの姿はっきりと見たいの!」
「ダメだ。遊ぶために来たわけじゃないのさ。これからやる事を手短に済ませよう」
「ええと…モスマン!あたしたちとちからくらべはいいけど…それより聞きたいことがある!」
「アルゲンタヴィスの事とか、いったい何をしようとしているのかとか!」
「それならちょうどいい。これからボクが説明しよう」
徐に、その両手をあげる。すると彼女の背後、遠い遠景が強烈な光を放った。
翼を震わせ、黒が空へと舞い上がると、その光はより目立つものとして実態を持ち始める。
「さあ、衝撃に備えろ」
ハチドリのドローンに運ばれ、子供二人が宙に連れていかれる。
三人の行き先は当然、その大きな光の中だった。
誰もが止める間も無く人影が光に飲まれると、それは雲を纏って空を貫かんばかりの大きさになっていく。
そう、それはまるで竜の巣のように。
* * *
パークの洋上を飛翔する逆ガルの古めかしいプロペラ機が、主砲二つと爆弾のようなカプセル、それに狼を乗せている。
その鉄の鳥からでも、パークに立ち込める巨大な暗雲は良く見えた。
「凄まじい力ね…見かけだけは自然災害にも見える」
「モスマンは神話の生物ではないのよね、どうしてあんな力を持っているの?」
「モスマンは自分が知っている物なら架空のものだろうと生み出すことができるのだわ」
「あの大きな黒い雲も、おそらくはアルゲンタヴィスの雷雨が元かも」
「ちょいちょいちょい、それこそ意味不明ですよ!モスマンってそんな凄い動物なんですか?」
『そもそものモスマンのフレンズが、人間たちの想像によって生み出された存在の意味合いが強いのだわ』
『その出自は少なからず輝きにも影響を与えるから、モスマンはそこに目をつけて今の形にまで練り上げていったみたい』
「あれも研究の産物ですか」
「私たちが思う以上に、努力を重ねているようね」
『何もなかったから、あの子は自分の力を、自分で作ることに固執した』
『そしてその努力の種が、いまベールをぬごうとしているのだわ』
大空からの衣が少しずつ消えると、そこにはすっかり現実のものとなった幻が立っていた。
黒く塗られたレンガに身を固める、難攻不落の城塞。
その形を持った人型の”怪物“が、白日の元に現れる。
探検隊たちはその大きさから、自分たちが戦ってきた巨大セルリアンたちを想起した。
その大きさが物語る、モスマンの本気もまた明白なものだった。
「す…すっごーーい!!!」
「ホントの巨大ロボット!すごいよー!!」
「ありがとう、子供たちよ!」
「君たちの声が、ボクらを強くするのだ!」
自然には絶対に溶け込まぬであろう威容は、青空の下、緑地の上に立ちはだかった。
どこまでも高く、どこまでも大きくのびる、人のような巨城。
それは彼女の熱意と責務そのものだった。
聳え立つ鉄の城を前に、大勢は現を忘れて息を呑んだ。
「…嘘でしょ」
「で、でっかい…ロボットお…!?」
「いえ…アレは怪物よ」
『その通り!これが機動城砦フランケンシュタインだ!』
あれこそが、守護の砦。
入り口こそ違えど、パークの守りであらんとした彼女の答えそのものだった。
「さァ…どうする!?」
モスマンは叫ぶ。自らに叩きつけられる“返答”を待ち侘びるように。
その赤いまなこには、一切の妥協も入ってはいなかった。
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