第6話 霧が守る紅月の都



「…ふう。ごちそうさま」

「おにぎりもう食べた?」

「ええ」


潮風とともに運ばれる、人ならざる怪しい空気。

何かがやってくるかもしれない、という警戒の意思で毛が逆立つ。

だが同時に、この空気は、自分が最も慣れ親しんだものだとも感じていた。

自分たちのような、幽鬼ともいうべき存在が親しむこの空気の先には、自分にとって暮らしやすい場所があるに違いない。

相反する感情の中、ウェアウルフは時を待っていた。


「…なんだか不気味ですねえ、ウルフさん」

「そうね…」


「私たちの故郷と…同じ匂いがする」


「なんだか霧に覆われてない…?」


霧が濃くなる海原を見て、腕を組みながら答えたのはミナだった。


「エーリスアイランドは秘密の場所なの」

「私の見立てだと、ここは「幻の島」って環境をパークが再現した場所だって思ってる」


「幻の島??」

「そうね…みんなはサンディ島って知ってる?」

「何それ?」


ミナが赤いドレスを翻し、自信を持った顔で口を開いた。


「昔存在していた…って言われてる島で、1792年に初めて言及された島」

「だけどそれから約300年後の2012年、海洋調査に出てた船によって実は存在しないってことが確認されたの」


彼女がもたらした言葉に、驚きの声をあげたのはトウゾクカモメだった」


「そんなに長い間あるって思われてたのにですか!?」

「海図にも記されたけれど結局、そこに島はなかった。正体は蜃気楼か軽石か、はたまた時の流れに連れ去られた島か」

「かつての人があると信じて地図にも書き記した幻の島は他にもある。そして、それぐらいヒトにとって馴染みのある場所なのよ」


「パークが再現するのもおかしくない、てのは分かったけど、足場がないってことになったら大変なのでは?」

「大丈夫。これから行くとこはちゃんと歩けるどころか住めるからっ」


赤い少女の講釈が終わったタイミングで、ただ一人の船乗りのウサギが割って入った。

運転席からフリフリと、大振りの長い袖が姿を見せる。


「そのとーり。エーリスアイランドは歩ける場所もある歴とした島!」

「不思議な霧が外からの発見を防ぎ、出入りできるのは民と認められた人物と…凄いけもののアイテムを持ってる人たち。あとは島の位置を記した海図を持ってる人たちだけなのだわ」


「その海図を持って、ラビが案内してくれるから大丈夫って訳なの」


とはいったものの、船の周りに漂い視界を隠す濃ゆい霧は、かなり不安があった。
海の中に入って逃げてしまいたいと思うぐらいに。

それに伴って、世界も少しずつ、暗がりを纏うようになっていった。

おおよそ、それが普通に生きてたら目撃することのない現象であると分かった。


「この霧の様子だと、幻ってより幽霊船ですね」

「ちょっと怖い場所の匂いがするかも」

「だいじょーぶ。セルリアンも湧いてこないし引きこもる分にはめちゃくちゃ最高だウサ」

「そんな場所に本当に行けるんですかね?」

「大丈夫、ラビを信じるのだわ!」


霧の中にあっても変わらず、賑やかな談笑の空気は無くなることはなかった。

ウェアウルフだけは沈黙を貫いていたが、孤独というより、子供達を見守る意思がうかがえる。

あるいは話題に入れるだけの経験がないのかもしれない。よく思い出せば、彼女は公園で自分たちと過ごす時も口数は少なかったことに瑠奈は気づく。

それが彼女なりの過ごし方なら…と目を合わせ、笑いかける以上のことはしなかった。

ウルフもまた、同じように黙って笑いかけてくれた。すごく大人な対応だと、また一つ憧れが強まっていく。


「む!前方になにか見えてきましたよセンパイ」


陸地をめざとく捉えたのはトウゾクカモメだった。

目の前に見えてきた景色は、一転して別の国へ旅立ったような威容を持っている。

あたらしい世界を前に、今朝のワクワクが一気に目覚めた。

そして自分を動かすたった一つの小さな舵を握り、声を上げる。

あの光の世界を求める、好奇の号令を。

船とモノレール、そしてバス。それらに腰を下ろした思い出が燃料となって、恐怖さえもいつのまにか同じ炎に焼べられていた。


「あっ、なんだかでっかいお城が見えてきた!」

「灯台も街並みもありますね、もしやあそこが…?」


船の中も俄に色めきたつ。

窓の外から見える世界に硬い石造りの港が大きく変わるたび、その声は大きくなった。

ウェアウルフの尻尾も、その精悍な顔立ちの裏で輝きを伴うような心を記した。

対するトウゾクカモメも、ここぞとばかりにカッコつけながら真っ先に、島の先端の港に足を下ろした。

そこが、我々にとっての最初に旗を刺した場所だ。


「船旅お疲れ様でしたなのだわ!」


港はしっかりとした足場に整備されており、すぐ近くの光伴う城下町の風景が出迎えてくることもあって、港湾都市の様相を醸していた。

だが違和感がある。街並みと共に出迎えたものは、携帯に表示される時間に反した月の光る夜空なのだ。


「…もう夜になったの?」

「あー大丈夫よ。伯爵が居る時はたまにこうなるの」


彼女が語る伯爵とはなんなのか。固い唾が喉を通りながら、街中に入っていく。

そうだ、自分たちもまた、この島にとっての新しい食べ物なのだ。

ちょっとした緊張を伴って、好奇の目はあちこちに向けられた。

街の外観は歴史を感じさせる形の建物が多く、さながらロンドンの街並みを旅している気分になった。

しかしどうやら、そこを出入りする人は居ないようだが…。


「なんだか…思ったより人がいない」

「だけど、なんだかワクワクしてきますね…!」


輝きが奪い取られているわけではない。トウゾクカモメの発言からもそれは明らかだった。

ラビの言う、セルリアンが湧かないという話もあながち与太話ではないのかもしれない。

踊るように青いドレスを揺らして、ラビは語る。


「そりゃ、今までちゃんとここに上陸できた子はいないからウサ」

「誰にも見つからないのを逆手にとって、お客さんをおもてなしできるような準備を進めてる最中なの」

「てことは将来的に、フレンズに住んでもらうの?」

「基本はそうなるウサ」


「お客さん第一号だなんて、皆さん"持ってる"ウサね」と、煽てるようなラビの語り口を前に、随分と商売上手な話術だと思わされた。

これから先、観光客やフレンズが取れる旅先の選択肢の一つにここが加わるのであれば、相応のトークスキルも要求されるのだろう。

今まで掘り出されることのなかった、彼女たちの努力がうかがえた。


「ラビっ。良かったら私が案内代わる?」

「いえいえ。今回はぴゅーってお城に直行するからガイドツアーはなしだウサ」

「なんだ残念。でも案内する楽しみが出来たわっ」


赤と青のコントラストのうち、赤の方を見て疑念が出てきた。

よく考えてみれば、ミナの纏う衣服はこのロンドンのような街並みに雰囲気があっているようだった。

まるでそこで暮らしてきたかのような、溶け込みっぷりがそこにあった。

彼女だけが、ここの住民であるかのようだった。


「ミナも随分ここのこと知ってるのね」

「だって!ここに住んでるんだものっ」

「住んでる…?いつから?」

「ざっと…どれぐらいかしら。6年ぐらい?」

「ミナセンパイは今何歳なんですか」

「ルナと同じぐらいよ。8さい」

「えっ…」


彼女の発言に、その場にいた全員は沈黙に包まれる。

足が石を鳴らす音も止んで、視線が自分に集まるのを感じたミナ。

「ごめんね。あとでちゃんと話すからっ」。と、声をかけ、一同はまた歩き出す。

その中でも、瑠奈は考え事に呑まれていた。


(そんなに長い間…ここで暮らしてたの?パパとママも一緒なのかな)


考えに耽りながら街並みを歩く最中で、ふと大きくなりながら映る城を見上げる。

その城を黒く照らしているのは他でもない。

霧の中にあって、煌々と大きく輝く赤い満月だ。

その妖しげな空を目の当たりにして、西洋の怪物が今にも現れそうな雰囲気であった。


「…あんなでかい満月が観測できるなんて、なんなんですか…?」

「あの月の影になってるのがカステルル・フィアーラ。通称フィアーラ城なのだわ」


そう言うことを聞いているのではない、と言いたげな目がラビに刺さった。

だが、それは詮索することでもないのだろう。

トウゾクカモメはそれ以上秘匿を破るようなことはしなかった。

後ろをみやれば、さっきからだんまりを決めているウェアウルフを、羨ましそうに見上げていた。


「あそこが今回の目的地ね」

「ささ、もうちょっとで着くウサよ〜!」


城下町からも見えるほど大きな城。街を一区切りとした壁に存在する城門が、大きな低音を奏で開かれれば城はもうお出ましだった。

大きな川が出来上がりそうな、深ぼりの溝に囲まれた西洋風の豪勢な城。

それをつなぐ橋はこちら側と向こう側の崖から迫り出し、一つとなって開通する。

そこで初めて、大きな正門が開く。


「わああ…!!」

「すっかり気に入っちゃって」

「雰囲気を大事にしてるから当然なのだわ」


街の外観だけで沸き立つ自分を見てか、ミナの顔が少し自慢げだった。

だが自分の中にある冒険心を刺激されるのも、無理もないことだ。

今度はもっと自由に時間のある場所で探検してみたい…そう思わされる場所だ。

それがサファリとはまた違った、ファンタジーの世界故の魅力がもたらすもの。

こんな場所まで再現したパークに、改めて感嘆の意を覚えるほかなかった。


「さあ、いよいよフィアーラ城に潜入よっ」


城門を開くと本丸ともいうべき城との間に、かなり大きな広場が立っていたのだ。

そこでまず目の当たりにしたのは、大きな石造の巨人だった。


「うわあ!?何これ、車よりでかい石像!!」

「あっ、モスマンが試作してたマスコットじゃない」

「ま、マスコット!?マスコットって言うにはだいぶカッコいいんだけど」

「こいつは『フランケンくん』よっ。この国というか、エーリスアイランドの守りのシンボル…でいいのよね?ラビ」

「その通り。だから石で出来たみたいに仕上がってるのだわ!」


広場のど真ん中で腕を組み仁王立ちを決め、まるで城を守るゴーレムのように佇むそれ。

石造りの見た目にロボットアニメに出てきそうなデザインは、思った以上に融和し合っていた。

それは周りの城砦の風景とも仲良く共存し、そこにいても歴とした納得を与えてくれるものだ。


「だんだんファンタジーっぽくなってきた気がする…!」

「ハロウィンの季節に人気が出そうね」

「ハロウィンといえばジャック・オー・ランタンだよーっ!!」

「うわっびっくりしたあ!?」


骨太のマスコットキャラに黄色い声を上げた中、突如現れたのはかぼちゃの帽子を被った少女だった。

植物のようになった髪を見るに、どうやら彼女もまたフレンズのようだった。

その面影から、アイスキャニオンで出会った不思議な雪のフレンズが思い出される。

カボチャの少女はぐるりと回って、楽しげに続けた。


「キャハハ!実はずっと前からレイアウトのアドバイスしてたんだよね」

「ダークな雰囲気を持ちつつみんなに楽しんでもらおうとするなら、やっぱり親しみやすさだよう!」


彼女の手を握るキラーラビット。そこにはいつものフレンズ同士と何ら変わらない平和なやりとりが続いている。

よく見れば、それっぽいカボチャも城にこっそりと存在している。

この夜と霧に包まれた世界であっても、ここはジャパリパークという場所なのだと改めて感じさせてくれた。

異国情緒あふれる世界で、ひとまずの安堵と郷愁を得たのは、このくだりをみて初めてのことだ。


「ランタンちゃん、いつもありがとうなのだわ!」

「気にしないで気にしないで!じゃ、わたし次のハロウィンの準備に戻るからね〜」


「手伝ってくれる子がいっぱい居るんだね」

「おかげさまでウサ」


ラビが両手を上げて扉の前に立つ。

そしてまるでガイドのように、盛り上げる言葉を掲げ始めた。


「さあてみなさん!心の準備をして!これより我らが国の城に入り込むのだわ!」


大きな声を上げたラビに応えるように、黒鉄の大扉が開かれる。

中にはひたすらの闇が広がっていた。

自分たちに待ち受ける、未知という闇が。

そこに足を踏み入れれば、途端に「わかった」ように、闇から絢爛な内装が曝け出されていった。


「すごい…!」

「目一杯それっぽくなるよう頑張ったのだわー」


まず目に写るのは黒い壁を基調に象られた絵画、装飾の数々だった。一眼見てそこは、ファンタジーの世界に登場するような大きな城と理解できるような内装であったのだ。

瑠奈の頭には、詳細までは分からずともそれがとにかくすごいものであることは確かで、すごい場所に呼ばれたと固唾をのんで再確認した。


「さあさあ!直行便のエレベーターがあるのだわー」


赤い絨毯が伸びる先、壁の真ん中にある扉が開かれる。

それはまるでエレベーターのようであり、その内装もまた周りの雰囲気に合ったものだ。

「パーテルノステルがモチーフよ」…とミナが語る。


「結構広いですね」

「私たちが入っても余りあるわ」


「なんだか…扉がちょっと不思議よね」

「昔のイギリスで流行ったエレベーターがモチーフなの。ただ見た目だけで、中身はそのまま今のエレベーターだけれどね」


エレベーターが最上階まで付き、金網のような扉が開かれる。

その先は廊下が広がっており、大きな窓ガラスが奥の扉まで何本も光を照らしていた。


「さ、全速力で行くわよっ」


一番先に走り出したのはミナだった。

楽しそうに走り出していく彼女に、半ば振り回されるような形で後を追った一行。

その中で瑠奈は、何度も窓から見える赤い月の美しさに目を取られていた。

まるで自分は魔王の城に乗り込んだ勇者のようだった。

今度遊びに行くときには勇者に扮してみようか…と考えるのも束の間、目の前にコウモリを模したマークの描かれた巨大な扉が現れる。

ここがどうやら玉座の間のようだった。


「ここはラビが…!」


ラビが扉の前で、扉に描かれたエンブレムの形をした宝石のようなものを掲げる。

すると扉が反応するように、自らに描かれた国章を光らせてから、その身を半分に開く。

その奥に、ようやく玉座の魔がお目見えとなった。


「伯爵ー!ドラキュラー!!」

「たっだいまー!!」


ミナが読んだ名前に呆気に取られるのも束の間。彼女が走り出し、玉座に座る存在に飛びつくまでそう時間はかからなかった。

呆気に取られた後、その足跡を追いかけていく。

玉座に座っているものは座する姿勢を崩さず、淡々と少女の突撃を受け止め抱き寄せてみせた。

黒いタキシードのような袖と手袋に包まれた手が、ミナの金髪をくしゃくしゃと撫でていく。


「…漸く、懐かしい声が聞けたな。ミナ」

「言っても二日でしょ」

「二日って結構なげーのだわ!48時間なのだわ48時間!」


瑠奈、ウェアウルフ、トウゾクカモメが揃い踏みする頃には、ミナは地面に優しく戻されていた。

自然と、その目の前には、どこかコウモリくさい風貌のフレンズが立っていた。

その肌と髪の毛は驚くほどに白く、双眸は鮮やかなまでに赤い。

まるで、ミナが呼んだドラキュラそのものの風体だったのだ。

ドラキュラがゆっくりと立ち上がる。そのしなやかないでたちには、どこか人間ならざる迫力と、気品を持って私たちの前に現れていた。


「冒険が楽しいのは結構だが、私を待っていてくれてもいいだろう?」

「それはホントにごめんあそばせっ」

「あの後すぐに帰ったんだ。棺桶まで引きずって」

「なんで!?」

「お前を中に入れて身柄を確保するためだよ」


アイスキャニオンのホテルで見た大荷物のお客は、彼女だったのか…と変なところの納得がいってしまった。

その納得が、思わず口に出る。


「あっ、え…あの時のでっかい荷物のお客さん!」

「そうだ…立派なものだな。ルナ。名を知る前から私を覚えていたと見える」


そういう相手は自分の名前を知っていた。いったいどこから仕入れてきたのかは、この際何も言わないことにした。

目の前にいる存在なら、多分そういうことも平気でできるんだろう。

そんなオーラを彼女は惜しげもなく披露していたのだ。


「して、その二人がお前のともがらか」


「…ええ。名前はもう知っているんでしょう」

「もしやワタシの名前もですか??」


フレンズ二人、子供一人の注目を浴びた吸血鬼のフレンズは、静かに立ち上がり、大きなステンドグラスからの光の影となった。

そして、コウモリのようなティアラを手に取り、胸に添えて、意外にも礼儀正しい所作の辞儀を交わした。


「私がこの城を預かる…ドラキュラだ。ミナが世話になったな」

「歓迎する」


低くも芯の通った少女の声が、自分たちの中に侵入して溶け込んでいくのを感じる。

心なしか精神が直に揺さぶられるような、どこか危うい匂いの声。

それを強調するような格調高い格好からは、精神を自由に歩き回られていくような怪しい色気が垣間見えた。

それはとりわけ彼女が操ろうとしているわけでもなく、おそらくウェアウルフと同じ純度の高い幽鬼の一つであることを、瑠奈は感じさせられる。


(マジでドラキュラのフレンズなの…っていうか、そんなのもフレンズになっちゃうの!?)

(ジャパリパーク、実は怖いんじゃ…)


「あのー伯爵!これからモスマンに進捗確認しに行ってくるのだわ!」

「ああ。ご苦労。ヴィクターを労ってやれ」

「それが済んだら客人らにおもてなしをするんだ」

「ウサ!んむー…了解なのだわ」

「ねえ、ヴィクターって誰よ」

「モスマンの事ウサ」

「えっ!」


モスマンもこの島に居る…というのは予感していたが、よもや彼女もまたこのドラキュラの仲間だったというのだ。

その事実につんのめって、瑠奈が口を開く。

彼女とは一度話を聞いて秘めている狙いを確かめる必要があるからだ。


「瑠奈たちもモスマンのところに行かせてもらえる?」

「いえ…ルナ。今は彼女との挨拶を済ませるのが先よ」

「でも!」


引き止めるように握る手の感触、その先にトウゾクカモメが立っていた。

思い出したようにウェアウルフを見ると、その黄色い目だけがこちらを捉えていた。

立ち止まりなさいと言い聞かせるような目に、この場はしょげていくように黙るしかなかった。


「センパイっ。多分あれキングですよ、ここの。礼儀はしっかりしないと」

「だったら私が行ってくるわっ。後から来てよね」


ミナがそう言って、こちら側に向けて、軽妙に片目を瞑って見せた。

あとはこちらに任せて、と言わんばかりに。

思えば、一緒に遊んでいた昨日までとは打って変わって、エーリスでの彼女はまるで大人の一人であるかのようだった。


「いいでしょ?ラビも一緒にいきましょ」

「作業はみんなで分担しよう!あなたが決めたことよ。伯爵」

「…好きにしなさい。だが連絡は欠かさないように」


ミナが笑顔を見せる。そうして、赤い布を揺らしながらラビとともに部屋を走り出ていった。

扉が閉まった後の沈黙に、最初になった音はドラキュラのため息だった。


「…苦労してそうね、伯爵」

「あの子は昔から、何も変わっていないんだ」


呆れたような物言いを、伯爵はこれまた気品交えて吐いてみせた。

その顔に貼り付けられた笑みの真意は知るところではない…と初めは思わされた。

ところが、その笑みは見れば見るほどこちらへの優位性を誇示しているものにも見えてきた。

まるでミナのことを知っているのは私だと言わんばかりに。


「むっ…!なんだか凄いマウント取られてる気がする!」

「それはさておいて…私たちをここに招いた理由は何?」


「…簡潔に言おうか」


ドラキュラは再び玉座に腰をかけ、目を閉じる。

そして、再び、目が「鋭く」細められた。


「私にその武を示すんだ」



* * *


玉座の間を出てすぐの廊下。

二人だけの世界で、ミナは今更ながら謝意を抱いていた。

忙しい忙しい、と可愛らしい声が聞こえそうな様子で並走してるラビを見て、口から言葉が漏れる。


「色々とごめんねラビ」

「いやもう気にしてないウサ!ミナが無事で何よりウサよ」

「流石に次はちゃんと二日とか無いようにするから」

「なるにしてもちゃんと申請してほしいのだわ。事前報告は社会人の必須スキルなの」


二人が他愛もないような話を交えて向かい、図書室に足を踏み入れた頃だった。

部屋のどこかから音漏れが聞こえてくる。

二人は慣れたように驚くこともなく、ある本棚の前に集まる。


「…ねえっ。なんか研究所から音楽聞こえるわね」

「多分モスマンが研究してるんだと思うのだわ」

「音楽つけながら…?」


研究所と呼ばれる部屋までの道は怪奇なものだった。

図書室の隠し扉を経た先の、近代的な昇降ケージに乗りこみ、部屋に着くまで待つという比較的シンプルなものだが、西洋風の城の中に突如として現れる近未来的な外装の研究施設は、異様と言うほかなかった。

そして目の前にあるハッチも、奇怪な印象づけを手助けしていた。

何度も訪れているはずの扉も、いまだに慣れないでいるミナ。

その扉を開く手の動きは、まるで罠を警戒する盗賊のようだった。


「この音楽って…洋楽ね」

「ノリノリで踊ってらっしゃる」


扉が開かれ、音も光も開放される。まるでディスコエリアの中に入ったのかと疑うようなライトショウがチカチカと目に入り、思わず目が顰められる。

その中で珍妙な踊りのような動きをするモスマンに、ラビが膝裏を突いた。


「ちょん」

「おわあああ!?」

「あー。今日のおやつはホルスタインさんのミルクバニラアイスなのだわ!」


そしてどこから取り出したのか、ひんやりとしたアイスを片手に佇む姿が光の収まった風景の中に現れる。

その時の僅かな沈黙ときたら、ほんの少しの気まずさがあった。


「…お前さ。ボクがデザート食うと思ってるのか」

「毎日食ってるウサ」

「ああそうさ。お前の持ってるソイツが欲しい。お前が作るやつ美味いし!!」

「それはさておいて、今お城にウェアウルフ一行様が到着したのだわ」

「あんたんとこにもリマインド来てると思うけど」


モスマンがモニター下のキーボードに触れ、監視カメラのような映像が映し出される。

そこにはちょうど、ドラキュラと対峙している最中のエーリスアイランドツアー御一行様が映し出されていたのだ。


「…確認した」

「ということで、あまり面倒は起こさないで欲しいのだわ」

「はあ…運命ってこういうことするよなあ…ああ。わかった。こっちもそろそろ最終段階だと伝えてくれ」

「おっけー!それじゃあお二人でごゆっくり…!」


急ぎ目に外に出ていくラビを見て、慌ただしい子だと思った。その裏で、彼女が行く先はおそらくさっきの部屋だろう、となんとなく察しがついた。

子供心にも彼女たちが裏でこそこそやっているのはわかっていたのだ。

そんな感傷とともに声をかけたせいか、モスマンが少し申し訳なさそうな雰囲気を見せていた。


「モスマン」

「…すまないねえ、申し開きのしようがない」

「私をほったらかしだなんていい度胸じゃない」


「代償に教えなさい。あなたがやってることを全てね」

「…」


言葉を閉ざしたモスマンは、何も言わず先ほどもらったデザートを差し出した。

だがミナはそれを突っ返すように口を開き、毅然と断りを入れた。


「いや要らないわよ。あなたのモノなんだから」

「くそー。ダメか」

「さっき、アルゲンタヴィスと何をしていたの?」

「あなたが最近作ってる、“最終兵器”と何か関係はあるのかしら?」


モスマンの赤いグラスが、煌めいて揺れる。

そこには何の迷いもない目つきがあることを、ミナの幼い心にも知らしめた。


「試練だよ」

「我々の飛躍のために欠かせない、自然からの試練さ」

「それに勝ったがために、彼女のビーストとしての体を分析する機会に恵まれた」


指をさしたところには、アルゲンタヴィスがポッドの中で眠っていた。

ふっかふかの素材のベッドを内包した棺桶状のカプセルの中に羽を閉じた彼女の姿と、いくつかのかじり掛けのジャパまんがミニテーブルに置いてあった。

正直に言って快適そうな有り様は、少なからず衝撃を与えた。


「アルゲンタヴィス…!」

「今は回復ポッドの中で眠ってるよ。戦いに勝った褒美に色々と調べさせてくれたんだ」

「もうすぐ起きるんじゃないかな、彼女は十分に休息を得て、今やフルチャージさ」

「話をするなら、月島瑠奈を呼ぶようドラキュラにメールしとくか」

「個人的に縁があるんだ、決着をつけたく思う」


一人、何かの決意を秘めるモスマンにかけられるミナの目は、少しだけ疑わしいものがあった。

彼女は一体何を企んでいるのだろう。それがあったとして、馬鹿正直に瑠奈に話してくれるのだろうか。

しかし今自分に出来ることは、この場には落ちていようはずもない。

ただ、彼女への疑念を取らないに止めた。

研究所の奥に密かに見える、大きな影を一瞥し、ミナは口を閉ざした。


* * *



「力を示すって…何をすればいいの?お手伝い?」

「いいや。我が王国騎士とちからくらべしてもらおう」


武勇を見せろというニュアンスから察せられたが、やはりという答えが帰ってきた。

見ればドラキュラの目は先程の怪しい雰囲気を捨て、一国の主とも言うべき目となっていた。

そんな折に扉がちょうど開かれる。

扉の音の後、足音が部屋に響く。戻ってきたのは白いウサギのフレンズだった。


「伯爵ー!お待たせしたのだわ!」

「流石の速さだな、キラーラビット」


ドラキュラの前で敬礼したウサギがくるりと回って、虹色の剣をこちらに掲げる。

その重厚な西洋風の剣は、可愛らしい彼女も立派な騎士の風格を持たせるのに一役買っていたのだ。


「同じ王国騎士のアリコーンはパークの哨戒でここに居ない。キラーラビットがお相手しよう」

「ラビって騎士なの!?すごい!」

「それほどでもあるってわけなのだわ」


ぐるりと剣を振って、誇りいっぱいに胸を張るラビ。

そんな彼女と誰が戦うのか?…そんな気がかりはウェアウルフも抱いていたようで、自分の考えを読まれたような問いが響く。


「私たちの誰と戦うつもりなの」

「トウゾクカモメだ。お前の力を試させてもらう」

「私は感じているんだ。お前が持つ、他の誰とも異なる個性を」


意外にも、ラビとの前哨戦の相手としてトウゾクカモメが選ばれた。

瑠奈が声を上げる前に、指名された本人が驚いたように翼を広げた。


「ちょい待ち、いくらワタシが有能なフレンズだからっていきなり指名ですか」

「私とは…あとから一騎討ちで潰すつもりね?ドラキュラ」

「想像に任せよう」


ウェアウルフは変わらずドラキュラと睨み合っている。思い返せば、二人には少なからず因縁のようなものがあるように感じられた。

その由来は知るよしもない。関係性を知っていたとしても、西洋の妖怪で最も有名な三人組のうちの二人といったイメージしかないのだ。

こんな時にミナがいれば茶々と説明を入れてくれたかもしれない。


「じゃあ瑠奈、ここで応援してる!」


意気揚々と、彼女たちに負けぬよう声を上げたのも束の間だった。


「ルナ。お前はモスマンのもとへ向かうんだ」

「えっ!?」

「連絡があった。研究室まで来いとな」


ここに来てモスマンとの接触の機会がやってきたのだ。

機会とはつねに、唐突にやってくるもの。

現れるチャンスの常として、選択の自由は取り上げられていくものだ。


「…大丈夫だよ、二人とも!」

「瑠奈、ちゃんと戻ってくるから」


自分の身を案ずる二人に、心配をかけまいと力強く答えるのが精一杯だった。

ほんの少しの不安と緊張はあるが、これが自分の冒険の終着点となるかもしれないことへのものだった。

万一の時に鞄に忍ばせたラッキービーストも居る。

悟られぬよう、裏打ちされた笑顔を持って、玉座の部屋から飛び出した。


「……」

「なるようになれですよ、ウルフさん」


残された二人にも自ずと未来は決まった。

トウゾクカモメを切欠に、時は進んでいく。

それを夜の王が、指を鳴らして告げた。


「…さて。これより親善試合を始める」

「両者共に配置につけ」

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