第2話 君の笑顔だけが

 かくして、俺は不治かつ不死の人間となった。可奈はそのことを知らない。知らないままで、彼女は俺の恋人になった。


「だって、龍くんたら危ない道にすぐ行っちゃうとこあるんだもん」

 手を繋いで土手を歩いているとき、可奈は笑いながらそう言った。

「そうか?」

「そうだよ。まずは授業をちゃんと受けたまえよ」

 教授のような、ふざけた口調を作って、可奈は俺を見つめた。

「君が心配なんだ」

 俺はたまらなくなって、可奈の頬にそっと触れた。

「分かったよ。……可奈も取ってる授業は、欠かしたことないだろ」

「……うふふ、そうだね」

 幸せな時代を、俺は離したくないと願った。叶わぬ願いだ。俺は痛みに耐えきれず、足繁く大学横の橋場神社に通った。その度に痛みは消えた。それに比例して、胸は痛んだ。俺はもう人間じゃない。人間じゃないままで、可奈と付き合っている。彼女は歳を取る。俺は望んでも、もう加齢することはない。

 そのことを悟られる前に、彼女の前から消えられたらよかった。あの日、神社からの帰りに告白をされた。それを拒めなかった俺の弱さを、俺は責めた。光の中ではにかむ彼女と共に生きていきたいと思った。次の日検査に行った彼女は、病が完治したと、俺に電話口で伝えた。それだけで報われたのに。彼女は言った。

「……明日、龍くんの家に行ってもいい?」

 俺は逡巡した。これ以上距離を縮めてしまうと、別れが辛くなる。……飼っているアロワナを一緒に眺めるくらいなら。

「ああ。三限終わりに待ちあわせ、な」

 嬉しそうな可奈の声を、全身を震わせながら聴いた。感情が残っていたのが幸いだ。まだ他人と心を通わせることのできる人間で、可奈と共に歳を取れると錯覚できるから。

 電話を切ったあと、しばらく窓の外を眺めていた。思えば、彼女と出会ってから、全てが変わった。読書だけが趣味のぱっとしない生活を送っていた俺を、外に連れ出してくれた。弾けるような笑顔で俺の目を真っ直ぐ見てくれるだけで、世界がいっそう明るくなった。もう何を見ても、彼女と結びつけて考えてしまう。彼女のいない生活など考えられない。だからこそ、俺は彼女の亡き後に意図的に死のうと考えていた。増加する痣をそのままにしようと。

 翌日、部屋にやってきた彼女は、手料理やアロワナにひとしきりはしゃいだ後、俺の目を見つめて言った。

「ねぇ、龍くん」

「なんだよ」

「変なこと言うみたいだけど、あたしの病気が治ったの、さ。龍くんが何かをしてくれたの?」

 ……ありえない。なんて洞察力だ。

「……何、馬鹿なこと言ってんだよ。そんなこと、あるはずがない」

「目、泳いでるよ」

 可奈はぐいっと顔を近づけた。思わず動揺して後ずさる。なんで。

「……なんでそんなこと思ったんだ」

「だって、私が完治したことを電話口で言ったときさ、もう知ってるような声色してたもん。それに、あんなに……苦しかったのに、嘘みたいに急に楽になったんだよ。常識じゃ考えられないことだけどさ、龍くんが何かをしてくれたとしか思えない」

 可奈は真剣だった。心を全てぶつけてくれる誠実さに、俺はなすすべなくあらましを打ち明けた。

「可奈を助けてくれるように、橋場神社に手を合わせに行ったんだ。そうしたら、本当になった」

「代償があるはずでしょう。昨日から龍くん、どっか苦しげだもん。何を対価にしたの」

 今さらだが、俺達の学部は日本史学科である。可奈の専攻は伝承や民話だったはずだ。知識に裏打ちされた推理に、俺はまるで太刀打ちできなさそうだ。しかしこちらにも意地がある。

「……答えられない」

 そういう契約があった訳じゃない。でも、ここで全てを打ち明けてしまうと、可奈がなんらかの行動を起こす恐れがあった。可奈は絶望したように真っ青になると、俺の肩をつかんだ。

「んもう、馬鹿! なんで一人で背負い込もうとすんのよ! あのね、私の病気なんかより、龍くんが不幸になるほうが私にとって有害なのよ! 何故ってあなたは」

 そこで可奈は瞳を潤ませて言葉を切った。そしてキッと俺を睨む。

「私にとっての、光なんだもの」

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