第1話②名取柚李はただのコンビニ店員である。

 平日のスタバは激混みというほどではなかった。


 どちらかというと中途半端な時間であったし、通勤前のラッシュは過ぎていた。


 男は車があったが、柚李が乗るのを拒んだので徒歩で向かった。


 途中、男は麻路あさじと名乗った。既婚で中学生の息子がいるらしい。


 朝食に、ソーセージパイを奢ってもらった。フランスパンの中にソーセージが入ったものも美味しいのだが、フランスパンがどれくらいパリパリか硬めかで少し変わってくる。逆に、パイはサクサクしていて歯応えが好きなのだ。ソーセージの味とパイの絶妙な甘さが混ざってより美味しくなる。


 麻路は食事は何も注文せずに柚李と向き合う形で席についた。


「スタバって高くない? きみいつもこんなところで朝ごはん食べているの?」

「いつもではないですけど、大体は」

「今どきの子はみんなお洒落なお店でご飯を食べるんだねぇ」

「田舎から出てきた人みたいになってますけど、話ってなんですか」

「あぁ、そうそう。それねぇ」


 まるで本題をすっかり忘れていたかのように、目を見開く。


「名取くん、一人暮らしかな?」

「そうですけど……」


 あ、個人情報。

 と思ってももう遅い。柚李の正面に座る男はにこやかに微笑んでいる。


「そりゃあいい。きみに頼みがあるんだけれど——」


 柚李はごくりと唾を呑み込んだ。


「猫を、貰ってくれないか?」


「……は?」


 一瞬、時間が停止したような気さえした。だが麻路の表情は変わらない。

 が、冷や汗をかいていた。


「もちろんタダだよ?」

「え、いや……」

「顔を見てから決めてくれてもいいよ?」

「そう、じゃ……」

「あぁ、今すぐってわけじゃなくてね」

「ストップストップ!」


 柚李は半分残っているソーセージパイをお皿に戻す。麻路としっかり目を合わせると、彼は首を傾げた。

 どうしたの? と純粋に不思議そうに。


「あ、そういえば、さっきの自己紹介の続きといこう。私の職業をまだ言っていなかったかな」

「はい?」

「私は自営業でブリーダーをしているんだよ」

「はあ……」


 拾った猫をあげるならまだしも、ブリーダーがタダで猫をあげるという話は聞いたことがない。

 しかも猫。犬じゃないのかよ……。


「ペットショップで売れ残ってしまった猫ちゃんを引き取ったんだけれど、今月中に飼い主が見つからないと殺処分されてしまうんだ」

「売れ残るってなんか訳ありなんじゃないですか」

「訳ありというかねぇ、逆に聞きたいね。どうして売れ残ってしまうのか。だって、白いスコティッシュフォールドだよ? 買うと高いんだから」


 スコティッシュフォールド。耳が折れているのが特徴的な、かつその耳こそが可愛らしいとされているかなり高い猫種。

 愛らしい瞳を持つ彼らの場合、五十万する子もいるのだとか。


「猫ちゃんって、性別や色で値段も変わるんだ。高くて五十以上、安いと七万」

「安いと七万!? スコティッシュが?」

「あの、私が言っている猫ちゃんはタダだからね?」

「……その子は、あるんですか」

「彼はスコティッシュフォールドでありながら、んだ」


 スコティッシュフォールドは、折れ耳が人気の猫種。

 立ち耳のスコティッシュフォールドは、折れ耳ほど売れない。

 なるほど、と柚李は思う。オスで立ち耳か。そりゃ売れないのもわかる。


 それが、猫をタダであげるという理由。だいたい、安いものには訳がある。

 ただ……。つい先程、麻路が言った言葉が頭の中を反芻する。


 いま、自分が引き取ると言わなければ、麻路は別の人のところへ行くだろう。だが、その別の人が、必ずしも引き取ってくれるとは限らない。

 有名な種類なだけあって、耳の件や性別で一瞬でもがっかりしようものなら…………?



 がっかり?




 自分はがっかりしたか?




 いいや、していない。



 柚李にとって、耳は重要ではない。そもそも折れ耳というのは病気になりやすいといわれている。


 その点、スコティッシュフォールドだけど立ち耳だから病気になりにくいと思考を変えれば、その猫は価値あるものになってくる。それに、雄やメスなどの性別をとくに気にしたことがない。


 どうかな、と麻路は申し訳なさそうに笑う。


「別に、きみに押し付けてるわけじゃないよ。名取くんがそういう人だとは思ってないけど、不本意な引き取りは虐待を生むから——」


「…………僕が、引き取ります。引き取らせてください」


 麻路は瞳を震わせて今日イチの笑顔を見せた。二人は固い握手を交わしたのだった。


 その三日後、柚李は猫を見に麻路の店を訪れた。対象の猫の可愛さに惚れ、そのまた一週間後、柚李の家に一匹の猫がやってきたのだった。



 そう、


 名取柚李はただのコンビニ店員である。

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