名取柚李はただのコンビニ店員である。

絃琶みゆ

第1話①名取柚李はただのコンビニ店員である。

 ミルクフランスパン、チョコクリームちぎりパン。

 チョコホイップロールパン、シュガードーナツ。

 アイスコーヒー。

 電子決済。問題なし。


 レジカウンターを隔てて、スマートフォンを片手に持った背高の男性がにっこり微笑む。


 柚李ゆうりは一般男性のなかでも標準的な身長だが、この人を前にすると見上げてしまう。


 この人いつも甘いパンしか食べないんだよな。とくにチョコレートが好きっていうのは商品を見れば大体わかるけど。そのくせコーヒーはブラックなんだな。


 ただのコンビニでプレゼントの購入は珍しい。時と場合によるだろうが、大抵は自分の買い物をしにくるから常連さんの好みは覚えてしまう。


名取なとりくんはいつも手際がいい」


 個人情報がダダ漏れの名札をつけているから客に名前を覚えられてしまった……。さすがにキャバクラのようにニックネームやあだ名の書かれた名札をつけるわけにもいかず。


「いつもご利用いただきありがとうございます」


 柚李は軽く頭を下げた。

 分が悪い。向こうは自分の名前を知っているのに、こちらは客の名前を知らない。

 全くフェアじゃない。こちらだけ本名が開かされているのは腑に落ちない。

 だが仕事。無心でレジに立ち、無心で棚卸をし、時々防犯カメラを確認する。


「名取くんは八時までだったかな。少し話をしたいんだが、そこで待っていてもいいかな」


 男は左手――引っ掻いたような傷が幾つもある――でイートインスペースを指す。三席しかない小さなイートインだ。


 どんな用事か知らないが、揉めてクレームが入るのは嫌だ。逆に断ったとして、ここの店員は融通がどうとか言われても困る。しばらくここで働いているが、他に職を探すのも面倒くさいし、安定が一番だ。


 話を聞くだけだ。そんな気持ちで柚李は了承した。



 朝の客が引いてくる。交代の高校生のバイトがやってきた。今日は創立記念日で休校らしい。


「休校なら夢の国とか行ったらいいのに、って顔してますけど、オレは別に興味ないんで。いや、彼女なしで夢の国とか地獄過ぎません? 普通に」


 何も言ってないしそんなこと思ってない。夢の国って何だ。


 簡単に引継ぎを終えて、早朝にいた店長からの伝言を言う。


「業務中にFPSするなって言ってたよ。お客さんからクレーム入ったらしい。ちなみに七回目だからね」


「ラッキーセブンっすね」


 喜ぶところじゃない。へらりと笑ってかわしたバイトは制服に着替えてスマートフォンを片手にレジに立った。


 柚李は制服を脱ぎ、支度をしてスタッフルームを出る。すぐそこに、男性が座っていた。


 彼がやあ、と片手を振ったから、柚李は会釈を返した。


「それで、お話とは?」

「あー、長くなっちゃうけど、ここでする?」

「少し話があるって言ったじゃないですか」

「いや、こういうのは初めてだからいろいろ話したくなってしまってね」


 きみガード堅そうだし、と困ったような顔でハハハと頭を掻く。


「朝ごはん食べた? せっかくだから奢るよ」

「いやそれは」

「名取くんの時間をいただくのに十分な金額だと思うけど」

「僕はキャバ嬢でも風俗でもないんですけど」

「私、名取くんが勤務中に動物の写真眺めてるの知ってるよ?」

「えっ」


 今度はふっふっふと悪魔のようにニヤリと笑う。

 こいつ……と思いつつ、反抗心も諦めに変わってきていた。

 ここは流されておこう。


「じゃ、スタバで」

「もちろんだよ」


 さすがに写真見てるのは誰にもバレてないと思っていたのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る