第2話 名取柚李は猫を飼う。
「へぇ〜、名取くんネコ飼い始めたんだ〜」
レジのお客さんがいなくなったタイミングで話が戻る。
隣のレジを担当していた、柚李よりも二、三歳ばかり年上の女性店員、
焦茶の長髪をお団子にして、両サイドの触覚はくねくねとアイロンがかけられている。
「名前は何ていうの?」
「ルカです」
「メス?」
「オスです」
「かわいい名前だね」
「僕がつけたんじゃないんですよ」
「名取くんのネコじゃないの……?」
「そうなんですが……」
あれは、白いスコティッシュフォールドを家に招き入れた日だった。
ペット可のアパートでよかったと思ったのは束の間、餌、トイレ、キャットタワーなど、調べれば調べるほど必要なものが増えていって、支出が重なった。
「もしもしー」
もしもしー、と機嫌の良さそうな声が返ってくる。
「ちょっと頼みがあるんだけど」
『電話してくれるのいつぶり? 二週間? わー、久しぶり〜声聞けて嬉しいよ〜』
「たった二週間でしょ」
『我が愛しき弟の頼みならなんでも聞いてあげたいね。言ってみたまえ』
急に偉そうなんだけど。相手は5歳年上の姉。現代ファンタジーのアニメばかり見ているせいか、ノリが異国になっていた。だがそんなことも恥じない姉だった。
「猫、飼うことにしたから、今月の家賃払えないんだ。お金貸して」
『そんなことだろうと思ったぁぁぁ。猫? 猫もかなりの金額でしょ。わたしがお金出すよ?』
「いやそれは問題ない。でもこのままだとあなたの愛しき弟は野宿になりかねない」
『ならうちにおいで? わたしのマンションは愛しき弟が万が一家を失ったとしても住めるよう、常に一部屋空いているのだから』
「なんかそれ寂しすぎない? それに、姉ちゃんのマンションペット不可だろ」
あああああっ、と電話口から頭を抱えているかのような声が聞こえる。
しばらくして、ごほんと咳払いして、声が近くなった。
『わかった。家賃のお金は出してあげるね。それから、柚李が生活できる分のお金も』
「ありがとう、助かる」
『猫の写真送ってよ』
「はーい」
すぐに猫の写真を送ると、名前はと訊かれ、まだ考えていないと答えたら、『この子の名前はルカよ! 我が愛しき弟に劣るとも勝らない可愛さ!』とほぼ強引に決められた。
せっかく命名してもらったわけで、姉の気持ちを無下にも出来ず、結局ルカという名前に決まった。
「——ってことで、僕は書類を書いて提出しただけです」
「へぇ、名取くんお姉さんいたんだー意外。下がいそうなのに」
そうですか? と首を傾げてみせたが、正直柚李の姉・
時に幼く時に大人っぽくなる彼女の扱い方は柚李が一番よくわかっている。
そして少々過保護というべきか、ブラコンというべきか、いつもお金を借りたいだけに電話をするのだが、これがとても喜ばれるのだ。
「でもそんな今すぐ十万借りれますみたいな即日融資のホームページじゃないんだから、もっと人間扱いしてあげないと」
「人間扱い、ですか?」
「そうだよ、人を銀行だと思ってるでしょ」
「思ってるわけないでしょ。誰が金の亡者ですか」
「え、ちがうの?」
「違います! 僕そんな悪そうな人間に見えます?」
「そういうこと言う人はだいたい悪いって聞いたことがあるけど正直言って名取くんにそんな度胸も勇気も悪知恵もそもそも悪の心というものもないように思う」
「サラッと悪口言いました? なんか胸が痛いなぁ」
「あら、救急車呼ぼっか?」
彩乃が、スマホを取り出したので、そこまでじゃないです、と遠慮すると、お客さんが商品をレジに持ってきた。レジ袋は、持っているようだ。
弁当、パン、飲み物。
「あたためますか?」
「いえ」
「ストローお付けいたしますか」
「お願いします」
わお、一切目が合わなかった……。こういうとき、少し落ち込むんだよなぁ。
「ありがとうございました〜」
自動ドアが開き、お客さんは駐車場へと消えていった。
「——つまり、金の亡者くんはその可愛らしい猫に心を奪われていると、そういうことなんだ?」
「心はここにあります」
「なにその名言。例えじゃん。たとえとか冗談通じない人社会でやってけないよ?」
「知るかよ」
「でも柚李くんは殺処分寸前の猫を引き取るとか面倒くさがりそうなのに」
たしかに、彩乃が不思議に思うのも当然だろう。実際、自分でも変わったなと思うところがある。
それに、麻路はよく来てくれる常連客だ。丁重になる必要がある。
適当に断ったとして、その後の関係に傷がつくことは避けたい。
別に猫が好きだったわけではないのに、可愛くて撫でちゃうのは不可抗力……。
「まあ、臨機応変ってとこですかね」
「ん? なんの話?」
「彩乃さん、せめて自分が言った言葉くらい覚えといてくださいよ」
「努めます」
その日、柚李がバイトしている時間に麻路は顔を出さなかった。
会えたら、いろいろ聞きたいことがあったのだけど。
🐈⬛
猫のいる生活は、正直なところ、快適としか言いようがなかった。
初めはトイレを変えたり餌をあげたり面倒くさそうだと思っていたけれど、それさえ楽しくさせてくれる可愛さがルカにはあった。
特に夜はルカの両目がぐっと大きく開くから、昼間よりもさらに可愛らしいことこの上ない。
ルカはどんどんと育っていった。
柚李の手からキャットフードを食べていた頃から、9ヶ月が経った。
姉から毎月の支援をもらうことは習慣化され、そのおかげで毎月必ず姉と電話をするようになった。
ルカのいる日々に、慣れてきっていた。
二つの季節がすぎ、まもなく夏が来ようとしていた。
変わらず柚李はコンビニで働いており、麻路とは連絡先を交換する仲になった。
その日も、いつも通り、夜の六時過ぎまで働いて、普通に帰宅した。日が伸びて、まだ明るかった。
帰宅後、ダイニングに向かうと、柚李は衝撃を受けることになる。
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