第12話 黒鬼面

『ツキネ、ヌイの所に持って行け』


 外の窓越しに控えていたツキネと呼ばれた白狐に、凪が鏡を手渡す。


『承知いたしましたー』


 パクリと口にくわえて風のように夜空を駆けていく。

 桃花は取り戻した。これでとりあえずは一安心か、と思うと途端に力が抜けていく。


 鬼面をつけた時から己の身体が別人のようだ。

 身体は軽いし思っていた以上に素早い動きが出来る。


 ただ、その反動として常に全速力をしているかのように、全身の血流が脈打ちだっている。

 身体中が燃えるように熱い。

 正直立っているのがやっとの状態なのに、身体はまだ暴れたりないと、握りしめた刀を振り回したくて仕方ない。


 桃花をさらった小太りの男は斬った。

 実体ではなく、男の内に潜む鬼だ。


 こと切れて倒れている男は、眼が覚めたら邪心を抱いていたことすら忘れているのだろう。

 桃花にしたことすらも。

 そう思うと、腹がたって身体に刀を突きさしてしまいたい衝動に駆られるが、まだ陽斗の中には良心が残っていた。


 けれど、鬼面をつけたとたんずっと声が聞こえてくる。


 ――ヨォウ、人ヲ斬ルノハタマンネェヨナ。

 ――斬リタクテ斬リタクテ、身体ガ疼クヨナァ。



『なー、陽坊はるぼー、初めて斬って興奮してるんだろ? ちょっと相手してやってもいいぜ』


 凪は知っているのだろう。

 陽斗の内に潜む鬼の存在を。



**


 夜も深くなり白月神社の境内は、切れかかっている蛍光灯の外灯が不規則に瞬いている。


『そんなに我慢しなくていいぜー。俺を斬っちゃいけない良心っての? おめぇさん程度に斬られるほど俺弱くないしぃー』


 真剣勝負などしたことがない陽斗ではあるが、そこは初めに説明された通り、鬼面が勝手に身体を動かしてくれる。

そのせいもあって、普段から活用していない筋肉がすでに悲鳴を上げている。


 それでも、自制心とは裏腹に、眼の前の子供を斬り刻む想像をするだけでアドレナリンが放出される。


(ころ……、だめだっ! そんな、ことっ!)


 ――ウルセエナ。オメェハ俺サマノ言イ成リニナッテレバイインダヨ!

 ――アア、アイツノ、生ッ白イ肌ヲ赤ク染メテエヨナァ!


(だめだっ!)


 そう陽斗が止めようとしても、身体は勝手に走り出していた。

 真正面に構える凪は余裕綽々で柳のごとく受け流す。

 紙一重で、右に左に上に下、時には揶揄からかうように頭上に手を乗せひらりと身をかわす。


 小柄な凪は息も上げることなく、軽やかにステップを踏む一方、素人の陽斗は先ほどまでの威勢とは裏腹に精密さに荒が出てきている。


 フラフラと、追い付けない筋肉が震えあがっている。


『もう限界か? そんなんじゃ俺は殺せないぜ?』


『うるせぇえっ!』


 面に潜むモノに引っ張られて、口調が荒げる。

 陽斗とてしたくはない。けれど、抑えつけようとする感情とは別に理性が膨れ上がってくるのだ。


『ダメだっ!』


 猛々しい攻撃の精細さが欠け、動きが鈍くなる。

 肩で息をするほどの荒い呼吸で体力は底をつきていた。


『もう限界か? おめぇさんは、よー頑張ったよ。さてと、もう辛いだろ? 俺が引導を渡してやるよ。鬼は斬らねぇとな』


 鬼になったら斬られるのだと。それが追儺師の仕事だ。

 

 ――オイ、少シハ抵抗シロヨ。コノママジャ、ヤラレルゾ。


 最後の抵抗だと言わんばかりに、陽斗の意思とは関係なく無理矢理に身体が動く。


『往生際が悪いなぁ』


 しゃん、と鈴の音が響いた。

 その瞬間、首筋に冷たい一太刀を浴びた気がした。



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