第8話

 孝介の初七日のお参りも終わり、親類も皆帰った。 可憐は気疲れして、ソファに座ってワインを片手に好きな洋画のサスペンス物を見ていて、いつの間にか寝入 ってしまった。


 深夜の1時、ふと冷たい風に起こされた。閉めたはずのリビングのカーテンが開いていた。 閉めようと近づくと、庭木の下にぼんやり人影が見えた。 一瞬、泥棒かと思った。急いでテーブルに置いてある携帯を掴んだ。そして振り返って窓を見ると顔中血だら けの女が窓外ギリギリに立っていた。そして、自分をその真っ白い目で睨んでいた。血だらけの顔、真っ白い 目に流れる真っ赤な血、ぼろぼろに引き裂かれたようなワンピースに青白い素足。ガラス窓を突き抜けている 青白い人差し指が私を突き刺そうとゆっくり迫ってくる。

「ぎゃーっ」と叫んで気を失った。


 誰かに身体を揺すられた。

「きゃっ」と悲鳴を上げて起き上がる。

「どうしました?」

振り返ると家政婦の宮崎さんが心配そうな顔をして自分を見ていた。

「あっ、宮崎さんかあ、びっくりした」

「びっくりしたのは私ですよ。奥様がこんなところに倒れてるんですもの。具合でも悪かったんですか?」 可憐はそれで夜中の事を思い出した。

「いやあ、夜中に、窓の外に血だらけの女の人見た気がして、気絶しちゃったみたいなの」 半分照れ笑いしたが、半分はあの恐怖心が拭いきれなかった。

「お疲れなんですよ!旦那様が亡くなって寂しい気持ちと相まって、そんな怖い夢をみたんだわ」 そう言って宮崎さんは笑い飛ばした。 そうだと思った。自分を憎んで出てくるような女に心当たりが無かった。夢だ。そう自分に言い聞かせた。 窓ガラスは割れていなかった。


  夜、可憐は夕食をとると二階の寝室のベッドに腰かけ、洋画のサスペンスを見ていた。サイドテーブルには ワイングラスを置いていた。 午後8時過ぎに、遅出の立花さんが、帰ります、と声を掛けて玄関から帰って行った。 適当に酔いが回り、2カ月程先に手に入るはずの保険金の計算をした。2億円だ。彼女と半分にして1億円。 しらずしらず、口元が緩む。ふふふふ、殺人は成功した。自然に笑みが漏れた。 この家は一人じゃ広すぎるから、マンションにでも引っ越そうかと幾つか貰ってあるチラシに目を通していた。 そしてウトウトした。


 冷たい風が頬をなでた。時計は1時だと言っていた。 可憐はドキッと目が覚めた。閉めたはずのカーテンが開いていた。 閉めようと近づいたとき、外に人影が見えた。 えっと思ったが、ここは二階。いるはずは無かった。 しかし、ぼやっとした影が近づくにつれしだいに濃くなってゆく。 庭の木の上に立っている?

目が離せなくなってきた。

女だ!昨日の血だらけの女だ!

「うわ~」悲鳴を上げてカーテンを閉めた。 窓は閉めていたはずだったが、風が、冷たい風が可憐の長い髪を逆立てるように吹き上げる。 「冷たい!」カーテンは閉めたが窓が開いていると思って、一度カーテンを開けた。 目の前に、窓のすぐ外に顔中血だらけの女が立っていた。幽霊じゃない!足がある。 真っ白い目からも涙のように血を垂らし、真っ赤な口元からも血を流している。青白い人差し指が窓ガラスを 突き抜け、自分を刺し殺そうとするかのようにゆっくり自分に向かってくる。そして血だらけの青白い足先が ガラス窓をゆっくりすり抜け部屋に入ってくる。

「ぎゃあーあーっ」力いっぱい叫んで意識を失った。


「奥様あ!」大声で目覚めた。

見上げると、大きな顔が目の前にあった。

「きゃー」悲鳴を上げて、壁際まで逃げた。 「奥様!私です。宮崎です」そう言われて、改めて顔を見ると、家政婦の宮崎さんだ。

「なんだ、あなたか、驚かせないでよねぇ」

「奥様、どうしたんですか?昨日もですよ」 「知らない女が、血まみれで窓の外に立ってたのよ。でも、幽霊じゃないのよ、足あった」

「夢ですよ。また見たんですよ。生きた人間は二階の窓外にたてませんから」そう言って宮崎さんは笑い飛ば す。

可憐が窓を見ると、窓はきちんと閉まっていた。

「宮崎さん、窓閉めた?」

「いえ、来た時から開いてませんでしたよ」怪訝な顔をして宮崎さんは部屋からでていく。

「ご飯支度できてますから、食べて下さいね」そういいながら階段を下りる宮崎さんの足音が遠のく。

その日の夜。立花さんは午後8時には帰った。


  9時過ぎに電話が鳴った。隅田礼子だ。

「もしもし、どうした?」

「そっちへも警察行ったでしょ?」

「え~もう三日くらい前よ。あそこで買った服見せたわよ」

「そう、それはいいの・・・」

「礼子!何かあった?」

「可憐は何もない?」

「えっ?まさか・・幽霊?」

「やっぱり。可憐のとこにも出たの?」

「礼子のとこも?血だらけの顔?」

「なんで?なんで私らのとこにでるの?」

「礼子は、あれが誰だか心当たりある?」

「私は無い。可憐は?」

「私も無い。決まって夜中の1時」

「えっ、私も1時よ」

「もしかして、会社の経理の女。ラブホで顔をテレビに叩きつけられたっていう」

「ん~と、津川って言ったかしら?」

「そうそう、津川、津川敦子じゃなかった?」 「そうだわ!顔に酷い怪我したと聞いた。あんたの旦那の昔の女でしょ?」

「どうしてその女が私らの前に出てくるの?」

「彼を殺したからよ。きっと」

「やなこと言わないで。だって、そんなこと知らないでしょ」

「相手は、幽霊?いや生きてるから、生霊ってやつだから、分かるんじゃないの」

「どうしよう。何かされるのかな?」

「分かんないけど。私明日お払いに行ってくるわ」

「私もそうしよう。怖いね」

「え~怖い」

「でも、話出来て少し落ち着いた。ありがと」

「わたしもよ。じゃ、おやすみ」

「おやすみ」

電話を切ってから、改めて明日はお払いに行こうと決めた。


 ひと寝して、また、冷たい風で目が覚めた。時計は1時を指していた。

起き上がって窓を見ると、カーテンは閉まっている。気のせいかと思って横になった。 「きゃあー」悲鳴が口をついた。心臓が止まるかと思った。

真上に、天井に血だらけの女がいた。 急いでベッドから降りようとした。が、身体が動かない。えっと思うが、本当に動かない。夢じゃない。 じたばたしていると、女が、顔から、目から、口から血を滴らせながら降りて来る。

「やだーっ、こないで~っ!」叫んでも声がでてない。恐怖で涙が流れる。

「お前が殺した・・」腸の奥底から響くような声がそう言った。

「お前が殺した!」また繰り返す。

「私じゃない!殺したのは礼子よ隅田礼子よ!」必死で叫ぼうとするが声はでていない。目を瞑った。

「死ね!お前は死ね!」顔にぽたりと何かが落ちた。薄く目を開ける。

「キャー」声のでない悲鳴を上げる。血だらけの顔が10センチも離れていないところにあった。真っ白な目、血を滴らせている。

気絶したいと思ったが、しない。 可憐の身体がふわっと浮いた。勝手に自分の身体が立ち上がった。そのまま空中に浮いていた。えっと思う間 もなく、身体が大の字になって、そのまま顔が、身体が、猛スピードで壁に激突した。「ぎゃっ」と短く呻く。


 「奥様!大丈夫ですか!」悲鳴のような声で可憐は気が付いた。 救急車のサイレンが聞こえた。そしてまた意識が消えた。


 再び気が付いた。薬品の臭いがする。辺りを見回す。病院のようだった。 先日家に来た。丘頭警部の顔があった。

「あっ、警部さん」

「どうです、怪我の具合は?」

「そう言われて初めて気が付いた。顔中ひりひりと痛い。私、どうした?」

「家政婦さんの話だと、全身打撲して、顔にもひどい怪我をして床に倒れていたそうなのよ」 それで思い出した。

恐怖が蘇ってきた。

「助けて!私、殺される!ねぇ助けて!」可憐は警部の服を掴む。 警部はそっと手を布団の中に戻して

「教えてください。夕べ何があったのか」 「顔中血だらけで、真っ白い目とか真っ赤な口から血を流していて、ボロボロのワンピースを着て、手足が青 白い女が、天井から現れて。・・私、身体動かせなくって、女がゆっくり降りてきて、顔の上10センチまで 近づいて、お前が殺したって言うの、そして死ねって。何が何だか分からない!・・・昨日は昼間も、冷蔵庫 を開けたら血だらけの女の顔が入ってるの、押入れを空けても、トイレに入るときにも、毎日血だらけの女。 もう、耐えられない」

丘頭警部は、まただと思った。二カ月ほど前に死んだ川岸陽介も同じことを言った。

「それで、その女があなたを?」

「そう、身体が勝手に空中に浮きあがって、勝手に立ち上って、大の字になって、そして、そのまま壁に向か って真っすぐ飛んで激突した」

 警部はその話を信じるしかなかった。壁にこびりついていた毛髪は床から2メートルも上の位置だ。そこから 床上50センチの間に血痕や皮膚片、服の切端がこびりついていたのだ。壁もその間が壊されていた。

「あなたが、襲われる理由に心当たりは?」

「あの女よ、津川敦子!孝介の昔の女」

「どうしてそう思うのかしら?」

「孝介が殺された恨みを晴らすためよ!」

「あら?あなたが孝介さんを殺したのかしら?」

「い、いや、そうじゃないけど・・・」

「あなた!事実を言わないと、我々はどうしようもありませんよ!」口調を強めて警部は言う。

「私じゃない、私は・・手を下してない!」怯え切って唇を震わせながらいう可憐。

「じゃあ、誰が手を下したんですか?」

「そんなの、知らないわよ」そう言って可憐は布団を被ってしまう。

丘頭警部は、会話から阿蘇木可憐ともう一人共犯者がいて孝介氏を殺害したと睨んだ。 「じゃ、明日また来るから、それまでに決心して、誰が犯人なのかを教えてくださいね!」 そう言って丘頭警部がドアを開けようとしたとき

「待って!お願いよ!待って!話すから!」 そういうので警部はにたりとしてベッド脇の椅子に腰かけた。

可憐は夫の殺害計画について話した。ただ、協力者の名前については明日まで待ってと言った。 阿蘇木孝介の殺人は、妻のカレント共犯者の仕業だった。警部はその事情を護衛する4人の刑事に話して、逃走の警戒も忘れないようにと付け加えて可憐を託した。 川岸のこともあるので、可憐が寝たらネットを被せて身体が浮かないように指示した。


 その夜、1時。

「キャー」という可憐の悲鳴で事件は始まった。 警官が部屋に入ると、可憐が天井を指差し戦慄している。血だらけの女と叫んでいる。

「降りて来ないでぇー」と泣き叫ぶ。

「私と、礼子で孝介を殺した!許してぇ!ごめんなさい!」涙を流し叫ぶ。 すっとベッドが持ち上がる。4人の警官は慌ててベッドを抑えた。 ベッドが勢いよくぐるりと横に回転して4人もの警官を弾き飛ばす。そしてひっくり返り、可憐を下にして、 勢いよく窓に向かって飛ぶ。そしてガシャーンとガラス窓を壊してベッドごと外へ飛び出した。 病室は5階だった。数秒後ベッドの壊れる音と、グチャという気持ちの悪い音と、短く「ギャッ」と呻きが聞 こえて、静かになった。

一瞬の出来事だった。

呼び出された丘頭警部が目にしたのは、コンクリートに叩きつけられ原型を留めていない可憐の顔。あらぬ 方向へ曲がった手足。腹からはみ出し辺りを汚している内臓。

丘頭警部は、これもまた自殺か、と自分の力のなさに血涙を絞った。 しかし、事件はまだ終わっていなかった。

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