第7話
それから、ひと月が経っ頃、丘頭警部は見舞いに行った。津川敦子は相変わらず意識が無い。口や鼻、腕な ど何本ものチューブなどが敦子の身体に取り付けられていた。幾つかの機械がグラフや数値を表示し、ピッピ ッピッピッと機械音を出している。
午後5時、丘頭警部は阿蘇木社長宅に捜査員や鑑識と共にいた。 夕方4時ころ、阿蘇木物流の田崎専務が電話で指示された資料を持って浅草の社長の自宅を訪れて、社長がベ ッドで胸を刺されて死亡しているのを発見したのだ。専務はその場から110番した。 社長は朝、一旦は出社したものの体調を崩し、昼前に運転手に送らせて自宅に帰った。社長から専務に電話が 入ったのは午後1時、明日の会議資料を見たいというものだった。玄関は開けてあるので、入ったら二階の寝 室に居るから持って来てくれと言われていた。
専務が社を出たのは午後3時半公用車を使っているから間違いはない。
家政婦はこの日早出で朝7時には阿蘇木宅に出勤していて、夕食の支度をして午後2時に帰った。その時に社長に声を掛けたら返事があったという。具合も大分良くなったと言っていたという。
鑑識は死亡推定時間を午後2時から4時の間という。凶器の包丁には指紋は無かったし、一般的なもので購 入者を洗うのは無理だと伝えられた。
丘頭警部は全社員のアリバイを確認するため、佐藤刑事を向かわせた。 電話で急を知らせた妻が6時頃帰宅した。遺体は既に解剖に回されていた。警部は可憐も捜査対象としてアリバイを聞き取りした。可憐がいうには、お昼過ぎに家をでた。その時にはまだ主人は帰ってなかったという。 それから翌週の社長夫人の集まりのために、丸山富士山デパートでショッピングをしていたと供述した。警部 は捜査員をその店に向かわせた。1時間後、捜査員から応接した店員の証言で裏が取れた、と報告が入った。
さらに1時間後、佐藤刑事から、社内でアリバイが無い者はいない、全員社内で仕事をしていた、と報告が入 った。
それで捜査範囲を関連企業まで広げた。専務から取引先について聞き取りした。特に、過去にトラブった先 などについて訊いた。専務は腕組みをして考えている様子だが、それらしき名前は浮かばなかったようだ。丘 頭警部はあとでもいいから何か思い出したら連絡を欲しいといって、専務を返した。
2日して専務から電話が入った。ひとりの社員と話をしていて思い出したという。 丘頭警部は佐藤刑事を連れて会社へ向かった。 専務が言うには、数年前、個人でトラックを所有して阿蘇木物流から仕事を貰っている友田蓮(ともだ・れん) という男を思い出した。友田と仕事上のトラブルがあったと専務は述べたが、詳しくは聞いていないと言う。 丘頭警部は友田の住所を聞いて辞去、今日は休みだと言う友田蓮を自宅に訪ねた。 丘頭警部が挨拶のあと
「阿蘇木物流さんとのトラブルについて教えてください」 そう話しかけた。朝から友田は酒を飲んでいるようだ。赤ら顔でアルコールの臭いを漂わせている。
「え~なんでよ~そんな昔話」
「聞いてませんか?阿蘇木社長が殺害されまして、関係者全員にお話を訊いてます」
「えっ、何時よ」
「二日前の午後2時から4時の間です」
「ってことは、俺のアリバイってことか?」 「はい、そうです。が、その前にトラブルについてお願いします」
「お~そうだったな。あれは突然仕事を減らしてきたからよ。文句を言いに行っただけよ」 「は~、どうして仕事を減らされたんですか?」
「その前に二回続けて、約束した時間に荷物を届けられなかったのよ。それだって、天気悪くって、道路が片 側交互通行になってて、時間がかかったってだけなんだ」
「二回ともですか?」
「もう一回は、俺の不注意で、時間勘違いしてて2時間遅れただけだぜ」
「それで、仕事を減らされたんですね。お宅を切ろうとした訳じゃないんですね?」
「だろうな、今でも仕事はくれるからな」
「わかりました。次に、アリバイをお願いします」
「お~、二日前は休みの日で、栃木の親の家だわ。体調あまりよくないから見舞いにな。親に聞いたらはっき りする」
「それは、ひとりで行ったのですか?」
「いや、女房も一緒だ。今、パートに出ている」
「一応、親御さんの連絡先教えてください」 その後、県警に連絡して確認してもらったが、間違いなく実家に帰っていたようだった。
次の日、丘頭警部は再度会社へ向かい社員に何か思い出したことはないか聞いて回った。台所で喋っていた 女性に声をかけると、その女性が囁くように
「大きな声では言えないんですけど、浅草でブティックを経営している隅田礼子(すみだ・れいこ)という女性が社長の愛人なんです。皆知ってるけど、亡くなった人の事なので言いずらかった」と教えてくれた。
さっそく部下の佐藤刑事とそのブティックに向かった。 浅草のその店は、こぎれいな感じの、雰囲気の良い店づくりをしている。中に入って女性に用件を伝えると、 応接室に案内され「少々お待ちください」といって下がっていった。数分待たされて隅田礼子と対峙する。身 分を明かす。見た目の隅田礼子は派手そうな女で、十分すぎる色気を漂わせている。これが阿蘇木孝介の好み なのかと思う。
「早速ですが、阿蘇木孝介さんが殺害された事件でいくつか質問よろしいですか?」 そう訊くと、礼子の眉が一瞬ピクリと動いた。
「私と彼が付き合ってたことを知っての上で・・・かな?」そう言っていやらしい微笑みを顔に貼り付けてい る。
「まあ、何時からのお付き合いで?」
「そうねえ、彼が結婚して4、5年してからだから、もううん十年になるかしら」
「奥様はご存じで?」
「え~、去年かな、ばれました」
「それで、別れ話がでた?」
「あっちがね。彼は私とやり直したいといってたわ」
「ほ~、で、殺害時、三日前の午後2時から4時の間なんですけど、どちらに?」
「私のアリバイってわけね・・・三日前なら、そうそう確か、店を女の子に任せて丸山富士山デパートへ行っ たわね」
「そうですか、何をお買いになったんですか?」
「婦人服を視察よ」そういう礼子の顔は当たり前のことを訊くなと言いたげである。
「なるほど、競争相手の情報収集という訳ですか。誰かとお話には?」
「いや、商売敵と話なんかしないわよ」何とも生意気な口ぶり。丘頭警部の堪忍袋がうずく。
「そうですか、では、アリバイがあるとは言えないですわね」丘頭警部の目が光る。
礼子の顔が急にパッと明るくなる。
「そうだ、私、あいつを見たわよ。阿蘇木の妻。何か買ってたなあ。・・・」 礼子は思い出そうとしてるのか?適当に誤魔化そうとしているのか?丘頭警部は疑いの眼差しを向ける。 「そうだ、ワンピースよ!多分シャネルのコットンワンピースで色はパステルグリーンだったかな。そうそう、 それとディオールのミディアムバッグの色は黒いやつ、確かそれを手に持ってた。買ったかどうかは知らない けど。贅沢な奴よ、旦那が殺されてるって時にそんな買い物!」
「そこへは良くいくんですか?」
「だ~か~ら、敵地視察よ。そこだけじゃなく、あちこちのデパートへは行くわよ。見るだけだけど」
「なるほど、ブティックへは?」
「行くわけないじゃない!そんなとこ行ったら、同業者だもんすぐばれる」 そろそろ限界を感じた警部は腰を上げることにした。
「なるほど、今日はこれで、ありがとうございました」 そう言って警部は店をでた。
「ったく、何よあの女偉そうに・・」
「警部、まあまあ落ち着いて、気持ちはわかりますから・・」そういう佐藤にキッと厳しい目を向ける。
「あら、随分と大人なこというじゃなあい?いつから私より偉くなったのよ」
「ははは、警部らしくもない。あとで仲見世でなにか食べましょう。そしたら落ち着きますよ」
「そうねぇ、ご馳走様。悪いわねぇ、かつ丼でもバクバク行こうかしら。勿論、可憐夫人のとこへ行ったあとでね」
「はいはい、分かりました。ふふふ」
「笑うな!」
その足で、阿蘇木の妻を尋ねた。結果は、確かに隅田礼子の言ったものを買っていた。女性服やブランドに 疎い佐藤刑事は、夫人の言葉とメモしていたカタカナ名と一文字ずつ確認していた。 可憐は始め愛人のアリバイを証言するのは嫌だと言っていたが、警部が30分も説得して買った現物を見せて 貰うと、正に礼子の言った通りのものだった。
署に戻った警部は、阿蘇木の妻と礼子の関係を洗わせた。共犯の線があるからだ。 しかし、社員の話では、会社でたまたま一緒になると、離婚しなとか別れなとか、いつも口喧嘩していたとの ことだった。
共犯の線は薄く点線になった。
そして初七日の夜から事件が始まった。
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