第7話 ファイナルラウンド


 いつの間にか眠ってしまっていた涼平は、ぼんやりとその意識を取り戻した。

 こういう場所は窓が厳重に閉まっていて、時間がわからない。涼平はベッドの時計を見た。夕方の5時だ。

 ゆっくりとした寝息の音に、ふと意識を隣へ向ける。

 

 ……すべて終わってから、涼平は真理子の手首を拘束していた紐を外してやった。

 優しく真理子の体を抱きしめて、頭を撫でてやる。

 真理子はしばらくされるがままにじっとしていたが、シャワーを浴びる、と言ってベッドから立っていき、真理子と交代してシャワーを浴びた涼平が戻ってくると、真理子はもうぐっすりと寝入っていた。

 隣に横になって、しばらくその規則正しい呼吸を聞いていたが、間もなく自分も寝てしまったらしい。

 

 その寝顔は無防備だった。顔を横に向けて寝ているので、肩を覆うくらいの髪がばらけて、わずかに涼平の肩に触れている。

 涼平は頬杖をついてその顔をまじまじと見ながら、……こんなふうに、いくつもの全く違う表情を持つ目の前の相手に思いを馳せた。

 

 つい1時間前、涼平の手と唇の動きに感じ、恥ずかしさと、期待と、快感に頬を染めていた真理子。

 性器だけでなく、その眼も、あとその体も、全身を濡らしているかのようで、……湿り気を帯びた熱気と、その甘くて隠微な香りに、何度もショートしそうになりながら、何とか理性を保つのに必死だった。

 吸い付くような肌の感触や、今日初めて味わった真理子の蜜壷の絡みつく触手のような感覚。

 

 ……やばいぞ、と涼平の心の奥底で、何かの声がする。

 マジで、このまま行くと、戻れない、……無傷では。

 真理子の期待通り、言葉と体で真理子を弄んで、……それでも、真理子の体をどんなに屈服させても、どんなに愛撫しても、どこかが常に渇いていた。……体だけじゃなく、真理子の心もすべて自分のものにしたい、という欲望で。

 

 けれど、それは叶わないと最初からわかっているものだ。

 真理子には決まった相手がいる。自分とのことは、真理子にとって火遊びのような、……あまり褒められたものじゃない、こっそり楽しんで終わり、ただそれだけのもの。

 体だけなのだ。真理子が自分に求めたものは。……それだけなのに。

 

 この渇きを潤せないまま、そしてこの関係に先はないとわかっているのに、予想外の速度でこの体に溺れていく自分を感じていた。

 このまま行くと抜け出せなくなる。……そして抜け出せなくなった先に、どんな結末が待っているのか、涼平には予想もつかなかった。

 正確に言えば、考えたくなかったのだ。

 

「……んん」


 そのとき、真理子が目を開けた。ぼんやりと涼平のほうを向く。


「……寝ちゃってた……」


 言いかけたが、フワアアァ、と顎が外れそうな大欠伸をして、伸びをする。

 さっきまでの淫靡なムードとはかけ離れたその仕草に、涼平は思わず吹き出しそうになって、腹筋に力をこめて耐えた。

 うーん、と真理子は寝返りをうった。なかなか思考が起きてこないらしく、しばらくうつ伏せで枕を抱きしめてじっとしている。


 と、真理子は突然上半身をもたげると、その顎を涼平の胸の上に乗せた。

 涼平は、どきっとしたその心中が顔に出ていないことを願う。


「……ね、涼平」

 

 ――なに?と涼平は平静を装って答えた。


「涼平って、これまで何人とエッチしたの?たくさん?」

 

 うーん、と涼平は軽く過去を振り返りながら答える。


「別に、そんな多くないよ」


 真理子はちぇー、という顔つきをした。心中の不満がそのまま顔に出たようなその表情に、また笑いをもらしそうになる。


「男の人って、絶対こういう質問はぐらかすんだよね」


 興味津々といった光をその眼に光らせながら、真理子は続けた。


「すごいたくさんなんでしょ?やり手なのはわかってるし」

 

 涼平はたまらず笑った。


「――なんでそんな自信満々なわけ?

 やり手って何だよ。違うよ。まさか。 

 両手の指の数におさまるくらいだよ」


「ふーん。そうなんだ。

 ……でもその数も決して少なくはないよね」


 何事か考えこんでいる真理子に、涼平は質問を返した。


「何でそんなこと聞くの?

 ――真理子こそ、どうなの」


 真理子は途端に、うっという表情をした。

 こんなふうに、くるくると変わる真理子の表情が好きだ。

 真っ直ぐに、気持ちを自分まで伝えてきてくれるから、……その気持ちが、自分には向かっていないことを思い知らされたとしても。


「……私はぜんぜん多くないよ。

 片方の手で余裕でおさまるわよ、どーせ」


 涼平はくっくっと笑った。


「経験豊富に見えるんだけどね。一見。

 びっくりだよ。ローターも知らないんだもん」


 確かに、真理子の体が予想以上に開発されていないのには驚いた。

 その反応は新鮮で、余計に涼平の気持ちを煽った。

 確か、今の相手とは数年単位で付き合っているはずなのに。定期的にセックスをしているはずなのに、驚くくらいその体はうぶだ。

 そういえばさっき、真理子は、ドライなのしかしないから、とぽろっと口にした。

 それは、祐輔とのセックスが真理子の体を開花させるようなものではないということなのか……。


「俺がやり手なんじゃなくて、むしろ真理子がオクテなんだと思うけど」


 涼平の胸から顎を下ろし、布団にもぐりこみながら、真理子はぼそっと言った。


「すごい気持ちよかったから、びっくりしちゃって。

 ――くせになりそうで困る」


 冗談で言ったらしい最後の台詞に、涼平はずきんと胸を刺されたような痛みを覚えて、……もう何度目か、表情に出ないように、平静を装った。

 涼平の様子にはまったく無頓着に、真理子は布団を体に巻きつけながら、きまりの悪そうな笑顔を顔に浮かべ、

「……ね、あのローターもらってもいい?

 開拓するから」


 涼平はゆっくり真理子の体に覆いかぶさって、キスをした。

 その恥ずかしそうな呟き声に、また自分の体の奥底に火が点いたような感覚。

 涼平は真理子の体に巻きついた布団をはがして、体を絡めた。

 

 と、涼平の舌に真理子のそれが絡みついてきて、ぞくっとどこか鳥肌が立った。

 自分をがんじがらめに絡め取り、身動きがとれなくなるような、その熱。

 また、引き返せなくなりそうな恐怖とともに、……どこか苛立ちを覚える。

 

 なんのつもりだ?

 ……うぶなふりで、自分を弄んで楽しんでるのか……?

 最初の宿直のとき、自分が言った言葉を、真理子はちゃんと理解しているのか?

 人を振っておきながら、自分の動作がどのくらい相手を魅惑するのか、理解しているのか。

 

 その表情や仕草はどこまでも自然だ。……自分で気付いていないのか、それとも確信犯なのか、わからなかった。

 真理子の肌を全身で感じて、もうどちらでもいい、と思い始める自分がいる。

 そんなふうに流されてしまう自分に、余計イライラするまた別の自分。

 

 んん、と涼平の口の中に真理子の声が振動した。唇を離すと、はあっとこらえていたらしい息が漏れる。

 その表情は、また唐突に、涼平の腕の中で溶けそうに震える女のそれに変貌していた。


「――くせになっちゃ駄目だから」


 涼平はあらん限りの理性を総動員して、言葉を発した。


「月曜からは、もうもとの同僚に戻るよ」


 その瞳に、――なんで?という疑問が一瞬よぎったような気がして、涼平の胸はまた震える。

 踏みとどまらなくてはならない。ここで線を引いておかなかったら、もう止められない。

 こんな関係が、どう見ても許されるものではないことは明らかだった。

 これ以上、真理子に祐輔を裏切らせたくない。

 もう十分に祐輔を裏切っている。それは涼平にもよくわかっていた。自分の意志の弱さや、ふがいなさも。

 ……けれど、今ならまだ元に戻れる。

 ちょっと火遊びもした、と懐かしく思い出せる日がくるかもしれないのだ。

 

 ――それに、もう自分自身も限界だった。

 真理子の気持ちはここにはないとわかっているのに、これ以上真理子を平然と抱くのは無理だ。……真理子のこの眼を見、声を聞きながら真理子を抱いて、体だけだから、と自分を律することなどもうできない。


 真理子も、こんな関係は長く続けるべきではないと理解しているようだった。

 少しだけ眉を寄せ、その表情を曇らせながら、……しかし、何も言わず、こくりと頷く。

 

 もう、これで最後だ。

 

 理性を超えたところで、涼平の全身に冷たいような、悲しいような、何かが押し寄せてきた。

 最後に、思いのたけ真理子を抱きたい。

 それで、もう自分の気持ちにもピリオドを打つのだ。


「――ファイナルラウンド」

 

 涼平は囁いた。 




 くせになっちゃ駄目だから、と涼平が言った瞬間、思わず真理子は、涼平の次の言葉を遮りそうになって、ぐっとこらえた。

 そんな自分に自分でも驚く。

 涼平の表情からは何も読み取れなかったが、その瞳に一瞬だけ、切羽詰った光が走ったように思った。何かを必死で耐えているような、……自分がそう思いたかっただけかもしれないけれど。

 

 何となく成り行きでここまで来てしまったが、結局、自分がわがままを言っただけなのだと思う。

 優しい涼平は、自分の要求に付き合ってくれた。恋愛感情とは違う問題だということもわかってくれた。……そして、もうこれで最後にしようと言う。

 それはそうだろう。こんな関係、続けたくないと思うのが普通だ。

  

 それでも、自分に正直になると、これで終わりなんて嫌だ、と思っているのがよくわかった。

 そんなふうに思ってしまう自分に、また驚きや罪悪感を抱きながらも、この正直な気持ちは変えようがない。

 ……もしかしたら、涼平も、ほんとうは真理子とこの関係を続けたいと思ってくれているのだろうか?


 でも、こんな関係は、あってはならないものだ。涼平もこのことを言いたいのに違いなかった。

 ……真理子は、黙ってこっくりと頷いた。


 ――でも、なんであってはならないんだろう?

 心で愛し合うことと、体で愛し合うことは常に同義なのか?

 恋人とはセックスする。

 同僚とはセックスしない。


 男と女が、恋愛抜きの「仲間」であるためには、いくつかの不文律がある。

 そのくらいのことは真理子にもわかっていた。

 好きにならないこと。

 体を合わせないこと。

 この二つは、その筆頭だ。

 けれど今真理子は、同僚である涼平と体を合わせて、高みにのぼらされ、その境界線が曖昧になっている自分を感じていた。

 

 祐輔は恋人だ。

 祐輔とはセックスする。

 涼平は同僚だ。

 涼平とはセックスする。

 この二つの事実の、どこがどう矛盾しているのか、……おかしいとはすぐに思うけれど、でも説明してと言われてもできない、……もう、何が何だか、よくわからない。


 ――ファイナルラウンド、と涼平が耳元で囁いたとき、真理子の頭の中は真っ白になった。

 真理子は考えるのをやめた。

 とにかく、今この瞬間だけを感じていたいと思ったのだ。


 


 涼平はぎゅっと真理子を抱きしめた。

 あまりの力の強さに息が止まりそうになる。

 二人は何も身につけていなかった。

 涼平は膝で真理子の脚を割った。太腿の内側に涼平の肌の感触を感じ、その部分が火照ってくるのがわかる。

 さっき、あんなに全身を愛撫されたのに。

 だからこそかもしれない。早くも真理子の体温はあがってきていた。


 涼平の手と唇が体に触れるたび、真理子は小さな声をあげた。

 だんだん、その声が大きくなっていくのを止められない。

 全身がびりびりと鳥肌をたてて、涼平の愛撫を受け入れていた。じんじんとその下腹部の痺れが増していく。


 ……と、涼平がその指を真理子の中に突き入れた。

 もうびちゃびちゃに濡れていたそこは、あっさりとその指を受け入れる。


「あっ、あうん!……はあっ、はあっ……」


 ぴちゃぴちゃと音をたてて、涼平は真理子の中をかき回した。

 真理子は無意識のうちに腰を浮かせて前後にゆっくり動かしていた。


「ああ……奥……奥が、あっ……」


 開きっぱなしの口から、息と声が漏れる。そしてそのことにももう気付かないくらいに、頭の中が真っ白だった。


「……どうして欲しいの?」


 涼平が囁く。

 真理子は真っ赤な顔で、いやいやをするように顔を振りながら、それでも答えた。


「ほ……欲しい……」

「何が欲しいの?言って」


 真理子は顔を横に向ける。


「や……恥ずかしい……」

 

 と、涼平は指を真理子の中から引き抜いてしまった。


「言わないとやめるよ」


 真理子は、中途半端に捨ておかれたその熱にたまらず身を捩る。


「や、いや……」


 顔がさらに火照るのを感じながら、それでも、消え入りそうな声で続けた。


「涼平の……入れて欲しい」


 さらに、じわっと液が秘部から流れ出すのがわかった。

 

 涼平は息をつくと、自分の体を回転させて、真理子の口元に自分の性器を持っていった。


「……舐めて。

 上手に出来たら、入れてあげる」


 真理子の目の前に突き出された涼平のものを、真理子は両手で包み込むように持ち、口に含んだ。

 手でしごきながら、ペニスのカリの部分にそって舌でゆっくり舐める。

 竿の部分を根元から上まで舐め上げると、それが更に固さを増したのがわかった。

 睾丸の部分もひとつずつ口に頬張り、口を唾液でべたべたにしながらころころと転がす。

 

 ……と、突然、真理子の性器を涼平がぺろっと舐めた。


「きゃあっ!」


 真理子は思わず涼平のペニスを口から離し、身をよじった。

 涼平は手で真理子の脚を開いて押さえつけ、さらに刺激を加える。


「ひゃ、ひゃあ、やめて、ああんっ……」


 急激に上り詰めてしまいそうな感覚。


「舐めて。やめないで」


 涼平の声に、また真理子は涼平のペニスを口に含み、懸命に舐めようとするが、自分のものへの激しい刺激に、びくっ、びくっ、と震えるのを止められない。

 真理子の脚にぎゅっと力が入った。


「だ、だめ……ああ、ああん」 

 

 真理子が限界を超えてしまいそうな予兆を涼平も感じたのか、涼平は急に体を起こして真理子から離れてしまった。

 一人残された真理子は、直前で行為をやめられた焦れったさに身をよじった。

 はあっ、はあっ、と息が漏れる。


 ……と、涼平が真理子の腰を掴んで、乱暴に持ち上げると、その体をうつ伏せにした。

 そして真理子の後ろから、涼平は自分のものを一気に真理子に差し込んだ。


「はっ、はああっ!」


 突然真理子の秘部に満ちたその感覚に、真理子は背中を反らせた。

 真理子を四つん這いの状態にしたまま、涼平は真理子の尻を掴んで乱暴に突き上げる。


 もちろん、後ろからのセックスも何度かしたことはあった。

 しかし、今後ろから涼平に突き上げられる感覚は、それとは全く違うものだった。

 お尻を突き出して、されるがままになっている自分。

 犯されている、という感覚が真理子の頭をめちゃくちゃにする。

 内側を擦るその感触に、さっき直前まで高められた真理子の下腹部のうねりが、また激しくなっていくのがわかった。

 ぎゅうっ、とその秘部がしまっていくのがわかる。涼平もたまらずはあっと息を漏らした。


「あああっ、あっ……い、いく……」


 声を絞り出すと、真理子は絶頂に達した。ビクンビクンと体が痙攣する。

 その場所がきゅうっと締まり、その締め付けに涼平も耐えられず、射精した。

 どく、どく、と涼平のものが収縮する。


 涼平のものが抜かれ、やっと体が自由になった真理子はベッドに倒れこんだ。

 涼平も上から折り重なるように横になると、真理子をぎゅっと強く抱きしめた。

 その体の線を、自分の体に彫りこもうとしているかのように。

 真理子も力のたけをふりしぼって、涼平の背中に回した腕に力をこめる。

 ……なんで自分は、何だか泣きそうになってしまっているのだろう?


「――最高」

 

 やがて静かに吐き出された涼平の言葉は、

 けれど、その言葉とは全く違う意味を持っているように聞こえて、

 さよなら、と、脳裏に響いたような気がした。

 

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