守護竜と携帯電話
◆「9-30 守護竜と携帯電話」より
カーテンの隙間から到来した朝日に目を眩まされる。まぶしい。
昨日の起床時間もなかなか早かったが、今日も早いらしい。
ふと腹に感触がないので見たが、インはいた。
ただ俺とインの間には隙間がある。珍しいことに。
……いや、そうだった。昨夜寝る前にインは魔力の供給量を半分にすると言ってきたんだった。
右腕を上げる。転生前より多少たくましい、見慣れた腕だ。だるさなどはなく、とくに何も問題ない。目覚めもいい。爽やかな目覚めだ。
もし魔力が足りなかったら俺はもう少し遅く起きるか、アレクサンドラとの夜の時のように体はろくに動かないだろう。
昨日は死の手のトロンボーン戦やらピリピリした話し合いやらで疲れたが、帰宅後に睡魔に抗えないなんてこともなく、寝るまではいつも通りだった。治療の成果は出ているんだろうか?
当初は延命にそこまで強い気持ちがあったわけではない。
インは俺の延命に迫真だったものの、いきなり寿命を延ばすと言われてもどうやって実感を得ることができるだろうか? 死にたくないのは間違いないんだが……。
でも健康なのはいいことだ。なんにしても。
健康? うーん……。まあ、健康には違いない。パワフルすぎるけどな。色々と。
腕を降ろす。
「起きたか?」
「うん。おはよう」
「うむ。……体の調子はどうだ? 昨日は疲れておったようだが」
「いや。いい感じだよ。調子は全然」
インが満足気に頷く。俺的にはいつもより調子が良かったように思うが、イン的には疲れていると受け取ったらしい。
でも、疲れたのは確かだった。会社の定例会議では、課長から愚かな意見が出ることはあっても怒鳴る奴なんていなかったものだ。
「起きるのも早くなってきておるしの」
それでも睡眠時間は転生前と比べて長いとは思うけど。
体を起こした。
「7時くらい? 今」
「そのくらいかもしれん。ディアラとヘルミラが訓練から戻ってからたいした時間は経っておらんしの」
インが寝ころんだまま腹に触れてくる。
魔力でも調べてるんだろう、インはしばらく身動きを取らずにいたがやがてふむ、とこぼした。聴診器みたいだな。
「魔力も落ち着いておるな。よいよい」
インはそう言って首を縦に数度動かした。
合格らしい。手が離される。
「今日はどうするのだ?」
「んー」
今日はグライドウェル傭兵派遣所に行くことと、あとはガルソンさんの店にアクセサリーができたか見に行くくらいか。また訓練場を借りられるのなら借りて、巻物の習得をしておくのもいいだろう。
上記のことにくわえて、旅に必要な品があれば買いに行くことも伝える。
「買い物ばかりだのう」
「おおむね必要経費なんだけどね」
散財してる自覚はあるが、無駄な出費ってなんかあったっけか。
「人の暮らしは金がかかるの」
まあね。
無駄な出費について少し考えてみたが、錬金術グッツぐらいしか浮かばない。
食費や宿泊費が比較的高くついてることは仕方ない。普通の暮らしがしたいし。
「何かしたいことあればするけど」
「ん〜……」
インは口をへの字にして考え込んだ。自分で言っておいてなんだが、インのやりたいって……なあ?
「私は肉と美味い料理が食えればそれでよい」
ですよね~。そういえば、フリドランの件はどうするんだろう。
「そういえばフリドランに行くって話はどうなったの? ネロは治療の日にって言ってたもんだけど」
「さすがに控えさせてるぞ。ダイチは現在養生の身だからの。あやつはちゃ~~んと言っとかねばなにかと誤解するからのう……」
現に連絡は来ていない。誤解というか、無視してるだけじゃないの?
でも一昨日は買い物がギリギリ許されて、公開処刑を見るのは止められたくらいだ。見たいとも思わないけど。
俺の方もエルフの都市に行ってテンションが上がらない自信はない。王都の時のように教会内で話が終わるなら話は別だが、ネロは俺がエルフの都市の街並みを見てみたいという意思は伝わっているだろう。
「でもまぁこの調子ならもう問題なかろうな。ネロと会うのは今日か明日か、ケプラを発つ前にしようと思うが問題ないか?」
むしろケプラを発ってからどうするのかが気になる。ネロだけじゃないだろうし。街に宿泊してる時になるのかな?
「問題ないけどさ。他の八竜とも会うんだよね? そのうち。その時はどうするの? 街にいる時に行くの?」
「そうなるだろうのう。野営している時に姿をくらますのはな。2人にいないことがバレたら心配するだろうし。ルオとフルもダイチが街におる時だけにすると言っておった」
俺にばかり合わせてもらって申し訳ないが、仕方ないか。
姉妹に俺が八竜だとばらすわけにもいかない。それに旅路では他の面子もいることだろう。
「ネロの次に会うのって誰?」
「ルオだろうの。青竜教の最高司祭と蒼杯の縁者だな」
ソウ……蒼杯?
「縁者ってことは」
「ルオがかつて助けた魚人族と人族との混血の娘だな。覚えておるか?」
「覚えてるよ」
王、いや、バラルディ公じゃないんだな。
内心で湧いた俺の疑問に答えるように、「コロニオ公も来るかもしれん」とインは続けた。訊けばコロニオ公とはバラルディ公のことらしい。
「その蒼杯の縁者がいるのはジュージア島だっけ」
「うむ。コロニオから船で東に少しいった沖にある島だの。コロニオはスザラというコロニオ公のおる都市が一番大きいが、祝福を授ける時や青竜教の重要な行事を行う時にはジュージア島にみんな行っておるな」
祝福に行事か。
「祝福って?」
「新生児が誕生した時、成人した時、結婚した時、信徒が叙階した時などのめでたい時にまじない程度の魔力を分け与える儀式だな。まあ葬式の時にやった餞みたいなものだ。基本的に我らが直接授けるわけではないし、あれほど大規模でもないんだがの」
あ〜サクラメントみたいなもんか。
「国の精鋭部隊の隊長――オルフェなら七星や七影だな――に祝福を授ける場合もある。ネリーミアの奴は青竜の祝福を授かっておるぞ。あの者は生粋の水魔導士だからの。すぐに分かった」
ふうん。祝福の有無ってどうやって分かるんだろうな。ルオの魔力を感知できるとかおおかたそんなとこだろうが……ん、守護竜は国に1体だったよな。コロニオはオルフェの属国のようだし、カウントされないのか?
「守護竜って国に1つだよね」
「うむ。そうだの」
「オルフェにはジルがいて、コロニオにはルオがいるけど。でもコロニオはオルフェの属国だよね」
あ。
「インも含めたら3体じゃん」
「そうだの」
いやいや。
インはそれがどうしたと言わんばかりに頬杖をついた。いまさらではあるが、年端もいかない少女にしては貫禄がありすぎる頬杖だ。
本来なら外見年齢的に「つまんない〜」とか言いそうだけど。
「つまらん〜」と言うインを想像した。とくに違和感はなかった。そもそも長話の時はすぐに幼児退行してだれているものだった。
「オルフェには守護竜が3体いるってことになるけど……」
ああ、とインはようやく納得した素振りを見せる。
「我々はよほどの理由がない限り住処を移動せん一方、人の子らは時を経るごとに勢力図を変えるからな。新しい国が出来、1つの国から2つの国が生まれ、またオルフェとコロニオのように国同士が結託することもある。たとえ我らが守護していようがいまいがな」
「つまり、国の守護竜が複数になってしまうのは……戦争の結果であるにすぎないと?」
インは結果もそうだし、戦争の過程でもだの、と頷く。
そうして仰向けになって、後頭部に両手をまわした。
「……私らの方は信徒を守る役目はあれど別に国を必要としておるわけではないからの。国際協定では『守護竜は国に1つである』と定めておるが、結界に、国の象徴にと、あくまでもこの内容は“国の信奉する七竜教がどれか”を指しておるにすぎん」
ああ、そういうこと。
「事実、赤竜教を信奉するオルフェの都市にはジルの結界しかないし、属国で軍事的に協力関係にあるスザラでもジルの結界を張っておる。一方で私の巣があり、結界もあるメイホー村はベルマー辺境伯、すなわちオルフェが一時的に管理しておる土地に過ぎんし、ルオの守護するジュージア島もまた似たようなものだな。コロニオが戦禍に塗れ、青竜教の信徒がジュージア島に避難することはあってもジュージア島の方でコロニオに軍事支援を行うことはない」
なるほどな。
「……まあ、人の子の行動を完全に制御できるわけではないのだがの。ジュージア島の人々も親類縁者がコロニオで生活している者はいくらでもおるしの。まったく支援をしないのならそれはそれで非難の対象になろう」
昔の出来事でも思い出しているのか、インの語り草は懐かしむ様子があった。
いくら守護竜が複数いても使える力は一つか。それでも3体もいたら求心力はすごそうだけど。
少し言い出しづらかったが、七竜を巡って戦争が起きたことはないのかと訊ねてみる。
「よくあるぞ。近年のオルフェだってそうだ」
「オルフェも?」
「うむ。近年オルフェが勢いづいておるのは200年前に魔族の侵攻――ディーターの話しておったワヒシュタ王の軍勢だな――を止めたことが大きいだろうが、以来領土を広げ、コロニオを打ち破って属国とし、結果オルフェに七竜が3体もいることも要因として挙げねばならん。我らは人の子にとっては魔物や魔人から守る盾にすぎんが、人口の増加と国力の増加に我らほど良い影響を持つ存在もおらん。敬虔な者たちは我らを崇め、心の拠り所とし、時には家族よりも大事にするが、為政者たちは国民を増やし、税をまきあげ、国力を上げる道具としても見ておる。決して口には出さんがの」
インは最後は少しやさぐれたようにそう語った。
道具か。インは人の子を大事にしていると思うし、道具扱いされるのは嫌な気分だろうな……。
だが、俺の同情をよそにインは「ま、そういうわけだからの」と一転してからっとした口調で続けた。
「我らが自領に3体もいようと、国の軍事力は上がらん。賊どもから信徒を守りたい一心で手つかずだった土地を領土化する情け深い王もおったがの」
「そんな王もいたんだ?」
インはいくらかにこやかな表情になり、うむと頷いた。
「どの時代にもおるぞ。内心はさておきな。オルフェの現王もなかなか良い王なのではないか? ジルは小馬鹿にしておるようだが、銀竜教の信徒たちを蔑ろにすることもないようだしの。当初は愚王と呼ばれた兄と同じくあまり期待はされとらんらしかったが」
兄は愚王か。
王は不安要素はあったが、確かに悪事に加担しなさそうな雰囲気はあった。武人らしいしね。
「確かに我らには七竜協定による信徒を増やし、七竜教を広めるという使命こそあるが、その感情は別として人の子とより良い関係を築くのはやぶさかではない。人の子は残忍なこともするし愚行もいくらでも行うが、我らの思いつかないものを次々に発明するからの」
「料理とか?」
眉をひそめたインが、「ダイチ。私のことを食欲に目がくらんだ哀れな竜だと見ておらんか?」と不審の目を向けてくる。
そうだと言いたいところだが、呑みこんでおいた。
「いや、俺だって美味い料理には目がないよ? 建物もそうだし、確かに人の子は素晴らしいものを次々に発明してると思う」
「であろ?」
「発明に関しては、俺の転生前の世界はこの世界の発明品をしのいでいると思うしね。その辺については俺のことは信頼していいよ」
ほう、とイン。
「戦いが終わった代わりに、高度な文明が発達しておるんだったな」
「そう。完全に戦いが終わったわけではないけどね。念話みたいなことが誰にでもできるし、」
「念話がか??」
結構驚いたらしい。
「厳密に言うとだいぶ違うんだけどね。頭の中に声が響くわけじゃないし。……小さくて薄くて携帯できる道具があってさ。これを介することで、国内でも国外でも会話をすることができるよ。物理的な距離を無視してね」
インは「おぉ……」と軽く身を引いた。
目は大きく見開かれ、震えた声だった。だいぶ驚いたらしい。
「……もしやその道具は平民でも持てるのか?」
「持ってるよ。昔は高かったけど、値段も下がって、もう一般流通して結構経つね。結構って言っても2,30年前くらい?」
「恐ろしいものが流通しておるのだな……」
恐ろしいものて。
「戦争が起きんわけだ。戦争を始めれば、いや。戦争を始める準備の段階ですらも情報が漏洩する可能性があるわけだからの」
戦争がないわけではないんだけど。
「まあ……そうだね。戦争の関係者は会話が盗聴されないように工夫はしてると思うけど。この道具は携帯電話って言って電波を発信してるんだけど、電波の傍受を防げるようにしたり、逆に携帯電話を使わずに暗号文でやり取りするとか」
インは腕を組んで「デンパは分からんが、あえて文明レベルを下げることが、盗聴の可能性を防ぐことになるか。興味深い」と頷く。難しい顔だ。
そうだなぁ……。高度文明社会が浸透しすぎて、アナログ感覚はだいぶ抜け落ちてるからな。抜け穴といえば抜け穴だ。
「仮に私がお主の世界に行っても私はすぐに倒されるのではないか? 魔力がないとは聞いてるが、お主の存在もあるし、途方もない威力の兵器も大量にありそうだしの」
インが一転して肩をすくめて訊ねてくる。
俺の場合は例外だけど、どうだろう。爆弾、拳銃……核だったらインを倒せるかもしれないが……。
「どうだろうね。確かにとんでもない兵器はあるけど、魔力暴走みたいな代物だし、都市を破壊しちゃうよ」
「それは……まずいのう……。街を破壊するわけにはいかん。戦争どころではなくなるだろう」
うん。まずい。
……と、そんな話をしていると、ノックがあった。
「ダイチ様、イン様、起きていらっしゃいますか?」
ダンテさんの声だ。
「ダンテだの」
「なんだろう」
ベッドから降りてドアを開ける。
「……ダイチ様」
意外そうな顔だ。後ろからインが、ダイチはしばらく早起きするぞ、と自慢げに語る。
なんかやだなその言い草。左様でございますか、と微笑するダンテさん。
「シルヴェステル・グライドウェル様とタチアナ・グライドウェル様がお見えです。1階にいらっしゃいますが、お会いになりますか?」
ん? タチアナが? シルヴェステルさんもグライドウェル家らしいが、身内か?
インと顔を見合わせる。
「打合せかな? 旅路の」
「かもしれんの」
「着替えてから下に降ります。ちょっと待っててくれるように伝えてもらえますか?」
「承知致しました」
姉妹を呼びに行き、着替えたあと、俺たちはグライドウェル家の2人を迎えるべく1階に降りた。
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