延命治療の一幕


◆ 「9-19 延命治療 (3) - 亀竜族と肝臓復活の儀」より


 引き出された段差を登って台座に座る。触れるとひんやりとした石らしい冷たさが伝わってくる。窪みはしっかり削られていて、ほどよいくらいの深さだが、さすがに石製なので硬い。


「では準備に取り掛かるので少々お待ちくだされ」


 そう言ってボルさんは台座から離れようとしたが立ち止まり、


「それと儀式中は少し肝臓が痛むかと。氷竜様の周囲には念のために結界を張らせていただきますが、ご容赦くだされ」


 と、不穏な言葉を告げた。え。結界……? 痛むって。


「……痛むって?」

「氷竜様の肝臓は消耗が激しいのですな。酷使していると言ってもよいでしょう。肝臓をまずはしっかりと回復させ、それから氷竜様の魔力量に耐えうる肝臓へと再構築します。ようは氷竜様の御力に見合った肝臓へと成長と変換を促すわけですな。痛みはこの急激な変化による体への一時的な負荷というわけです」


 いや、そうじゃなくて。いや、説明の内容もたいがい怖いんだが……。魔法でどうにかなるってのもわけがわからないが、俺の体どうなってるんだ。


「痛みの程度がどのくらいかなと」


 ボルさんはふむ、と俺を見つめながら一考する素振りを見せた。だが、これといった言葉が浮かばなかったのか知らないが、フルに視線を寄せた。

 ボルさんの視線に気づいたフルが代わりに説明してくる。


「わたくしの眷属が同様の内容の肝臓復活の儀を行ったことがありますが、右腹部のほか、右肩や右胸を痛がっておりました。右肩や右胸は体を動かすと痛みと不快感があり、腹の方は毒の果実を食べて食中毒になった時のようだと言っていました」


 右肩? 子供の頃にカキにはあたったことあるけど、そんなにひどくはなかった気がするな。


「この者には儀式後にケシや薬草を煎じたものを食し、治療魔法を施しただけでしたが、今回の儀式には痛みを和らげる魔法も同時展開します。ですのでご安心ください」


 ケシってそれ、アヘンのやつでは? 昔は鎮痛剤として重宝していたらしいけど……。


 魔法もあるようだし、ひとまず大丈夫そうか……?

 あまりぐずぐずしててもみっともないと思って納得すると、みんなが石から離れていった。


 ――やがて魔法陣周りに置かれた蝋燭には誰がくべることもなく“黄色い火”が灯り始め、俺の石の周りにある四方の円環だけが光を帯びた。

 円環同士で繋がった線も光り始めていく。白、灰色に、桃色。色はゆっくりとその順番で変わっていき、何順かすると白になった。


 そうして俺の周りはドーム状の薄灰色の膜で覆われ、次いで薄桃色の膜でも覆われた。色味は出現した時よりも薄くなると、なんとか視認ができるほどに留まった。

 色で判断するなら物理防御魔法と魔法防御魔法の色だが、防御魔法は自分の体に沿って光るのに対し、魔法防御魔法は自分の周りにドーム状の膜ができる魔法だった。今回は防御魔法の方もドーム状だ。俺が展開する防御魔法より厚みもあり、魔力の密度も濃いようなので、上位魔法なのかもしれない。


 緊張してくる。インとルオ、ボルさんとフルで分かれ、なにやら言葉を交わしている。俺と目線は合わない。

 眷属たちが忙しなく行き来しているのを横目に、俺は台座に身を預けた。


 リラックスしようとぼうっとしていると、浮かび上がってくる「結界をなぜ張るのか」という疑問。

 こんな大規模な魔法だからな。まさか俺が痛みで暴れることを懸念してとか、そんな単純な理由ではないだろう。


 そういえば、神樹ユラ・リデ・メルファの大結晶を使うかもとか言っていた。どこで使っているんだろう。


 ――待っている間に準備は着々と進行していった。


 魔法陣の線はすべて色がつき、光り始めた陣容からは水色や黄色の光の粒が絶えず浮上してはやがてかき消えるのを繰り返した。文字も光っている。陣の周りでは蝋燭に灯された、ゆらめく黄色い火。

 黒魔術的なおどろおどろしいものはないし、外で安穏として眺めていられたら魅入る神秘的な光景だったろうに。残念ながらそんな心境にはならない。俺にこれから行われるのは魔法治療という非科学的な超常現象だ。


 インとルオができた結界に手を触れたかと思うと、そのまま結界を貫通して傍にやってくる。


「さてダイチ。こちらの準備は整ったぞ。いつでもこの儀式魔法は発動できるが、準備はよいか?」


 俺は覚悟を決めて、インに頷いた。

 インは俺の様子に満足気に頷くと、ルオにも頷き、2人は台座から離れていく。


 しばらく経って。


 漂っていた光の粒が浮上しなくなり、代わりに陣の模様が光り始める。同時に、周囲の魔素が急速的に増加し、密度も増していくのを感じた。儀式魔法が発動したのだろう。


 台座が淡い光で包まれ始めた。光は台座の下からゆっくりと上り、台座を包み、やがて俺の体も光り始める。


 右の腹がちくりとした。段々と痛みは強くなる。

 痛みの程度は山なりに強弱をつけて俺を襲った。俺はその度に顔を引きつらせながら我慢した。


 ――だが、痛みはやがて我慢ができないほどになってきた。


 痛い……。痛い。痛い、痛い、痛い……!!

 こんなの…………食中毒なんかじゃないだろっ…………!!


 右手で肘置きを掴み、左手で腹を抑えながら必死に腹の痛みを我慢していたが、一向に落ち着く気配はなく、痛みは増すばかりだった。

 額から汗が幾筋も流れ、涙を含んでいたことすらも分からない。どうか今すぐに中止してほしい気持ちを抱きながらちらりと見た魔法陣の外で、ルオに両肩を掴まれているインが見えた。


 イン……どうにかしてくれっ! …………腹が……痛いんだ…………!!


 握っていた肘置きが握りつぶされてしまった。手前の方に握り直す。


 何度祈ったか分からない「早く終わってくれ」という願いの後、腹の痛みがふっと消えた――

 かと思ったが、安堵する暇もなく腹の内で見知らぬエネルギーが現れ、体内で魔力の奔流が起こった。俺の見知らぬ暴発だ。


 俺の体は腹が巨大な鉤爪に掴まれたかのように浮かびあがり、そして……びくりと大きく跳ねた。


 ――ガア゛あ゛あああぁぁぁッッ!!!


 そして、俺の体はたちまち光に包まれ、光は無情にも炸裂した――


>称号「至高の蘇生術を受けた」を獲得しました。



◆ 「9-20 延命治療 (4) - 崩壊と黒角の呼び声」より


 ――夕焼け空が見えた。天井にぽっかりと大穴が開いている。

 穴からぱらぱらと落ちてくる小さな瓦礫の欠片に、危ないなとぼんやりと思う。


 ……目がチカチカする。


 眼精疲労の類ではなく、本当に光の粒か埃かなにかが目の中で動き回っているような、そんな不快感。

 頭痛などはない。目をこすると不快感が少し減り、代わりに視界がぼやけた。ぼやけた視界が戻るのは遅かった。


 視界が戻るのを待ったあとに広間の方に視線をやると、落ちて無残にもひしゃげたシャンデリアが魔法陣の上にあった。

 驚いたが、驚きは表情にあまり反映されない。左の肘置きに対して、右の肘置きが氷山のようないびつな形をしているのに気付く。周囲には粉々になった欠片。気だるくて体を起こすのも億劫だ……。


 陣の外部では防御魔法、というより結界のような魔法を周囲に展開しているフルとルオの姿が見えた。

 壁は無数の六角形で構成されている見たことのない代物だ。そんな魔法の壁の後ろには召使の人たちや他の研究者の人たち。


 2人とも両手足が太くなり、ルオは紺色の、フルは白い鱗で覆われていた。指先には光るもの――鋭い爪がある。

 インやゾフがかつて見せた半端な竜モードだ。体も少し大きくなっているように見えるが手足ほどではないので少々アンバランスだ。


 ルオの首元も青い部分があった。顔付近にも鱗が出ているらしい。尻尾も出ていた。


「…………も、もう終わりましたか?」


 見ていると、フルの後ろから、床に伏せているボルさんが顔を出してそう心もとなく訊ねた。

 ルオが何か言おうとしたらしいがちょうどその時、墜落したシャンデリアの一部が崩れて音を立てた。「ひゃあっ!」と声をあげながらすぐに頭を引っ込めて両手で顔を覆うボルさん。彼には甲羅はないが顔が亀なので、亀にしか見えなかった。


 落ちたシャンデリアのおかげで凄惨な場に見せているが、広間自体はそれほど被害はないようだった。崩壊がひどいのは俺の真上の天井だけだ。

 事態はどうやら俺のせいであるらしいのを察した。だが、何が起こったのか分からない……。腹が異様に痛かったのは覚えている。だが、その後のことがわからない。そういえばもう腹は痛くない……。


「――ダイチッ! 大丈夫か!!??」


 大広間にインの声が響いた。跳躍してきたインは軽やかに着地したかと思うと、台座に登ってきて俺の体を起こしてくる。


「……何があったの? 天井に穴が開いたりしてるけど」


 インは険しい顔で「覚えとらんのか?」と訊ねてくる。


「……あんまり。腹が痛かったのは覚えてるけど」


 インは眉をしかめた。


「……記憶が混濁しておるのだな。安心せい、しばらくしたら戻ろう。……お主の肝臓が復活した弊害だ。結界で防げると思っとったが、……幸い、上に向かうだけだったがの」


 そうだ。していたのは肝臓の治療だ。


 インが見上げたので、俺もつられて上を向く。

 相変わらず天井にはぽっかりと穴が開いていて、赤らんだ空がこの世界の夜の訪れを伝えている。


「上にって何が?」

「お主から溢れた魔力だ」


 俺の?


「肝臓が魔力を司る場所であることは覚えとるか?」


 インは視線を下ろした。


「うん」

「元々お主の肝臓の魔力収容量はホムンクルス基準でな。無論ホムンクルスにしてはかなり容量があったが……ともかく広くしたのだな。お主の膨大な魔力量に見合うようにな」


 俺の体型は変わってない。拡張が物理的な話でないことははじめから分かっている。

 ボルさんが言ってた気がするというと、インは頷く。


「だが、お主の体は新しくした肝臓の収容量を見誤り、多すぎる量の魔力を肝臓に流してしまったのだろう。――ま、誰であれ一度は失敗するからの。肝臓も学ぶからな。今はしっかりと適量の魔力がお主の体にはあるぞ」


 インは再び上を見ていたが、俺は「失敗」という言葉で恐ろしい心地を味わった。1つ間違えばみんなに攻撃してしまっていたのではないかという懸念だ。

 見れば石の周りにあった4本の短杖が折れていた。周囲には砕けた緑色の宝石が散乱している。他のところに打たれてあった短杖もいくつかは無事だがほとんどが折れている。


 インはゆっくりと俺に手をかざした。黄色い魔法陣が現れ、俺の元には生温かい風に包まれたかのような、得も言われぬ心地よさが到来した。

 少しずつだるさが消えていき、意識もはっきりしてくる。


「……みんな無事?」

「うむ。上にいくばかりだったが、フルやルオが守っとったからの。仮に周囲に向かっておったとしても……無事だったろうな」

「ごめん。……色々壊して」


 治療の続きは行われるんだろうか?

 インは「戻せるのを忘れとるのか?」と片眉をあげてひょうきんな表情を見せた。戻せる? ……ああ、ジルが部屋に来て暴れた時にやったやつか。


「元に戻せるの?」

「無論だ。金櫛荘の部屋よりは時間がかかるがの」


 それは一安心だ。


 フルとルオが跳躍してくる。後ろには同じく跳躍してきた研究者の男性が1人と、直で走ってくるボルさん。ボルさんは身体能力が高くないのか、とくに速くはない。

 女性たちはこちらに来ずに残っていた。エヨニとタマラもいた。


「ご無事ですか??」


 不安な表情を見せるフルに「大丈夫。ちょっとだるいけど」と伝える。2人とももう半端な変形はやめたようで、元の人の姿に戻っている。研究者の男性が静かに跪いた。

 ルオが少々よろしいですかと言うので承諾すると、台座に登ってきて俺の右腹に手を当ててくる。後ろでは遅れて到着したボルさん。だが、彼の方はフルの後ろで立ち止まり、意味深に眼差しを送ってくるだけだ。


「……落ち着いていますね」

「また暴発するとかはない……?」


 ルオは手を離して表情を柔らかくした。


「もうないかと。ただ、あまり激しく興奮されるとないとも言い切れません」


 詰め所の時のようにか。


「この後に行う延命治療は肝臓治療とは違い、氷竜様は眠っているだけで終わりますが、いったんしばらく休みましょうか」

「うむ。それがいいだろうの」


 今はだるさもだいぶなくなってきたが、破壊してしまう事案の懸念がなくなるに越したことはない。それにしても眠ってるだけで終わるのはいいな。

 インが「少し治療したが、あとはお主がかけてくれ」とフルに頼んだ。ええ、分かりましたと頷くフル。


 フルは両手を握って目をつむりだした。間もなくフルの束ねた髪や髪飾りの羽根の部分が軽くなびきだし、手の周囲には黄色い魔力が集まってくる。インよりも濃い魔力だ。

 そうして顔2個分ほどの大きさの魔法陣が現れた。フルは目をゆっくりと開けたかと思うと、黄色い魔力で覆われた右手をゆっくりと俺に向けた。


 俺の体が黄色い膜で覆われる。体からはあっという間にだるさが抜け、清々しい朝のような心地よさが到来してくる。いったいどこに不調があったのか忘れるくらいの快調さだ。

 同時に記憶も鮮明になり、事故を起こした申し訳なさが、到来した快調と追随するテンションの高さを鎮めて俺を落ち着かせてくる。


 ありがとう、すっかりよくなったよ、と礼を言うと、フルは「お気になさらず」と慈悲をたたえた笑みを浮かべてくる。さすが回復魔法の大家。


「ではあちらのベッドに参りましょう。タローマティ」


 フルが名前らしき固有名詞を口にすると、跪いていた男性が「はっ」と呼応した。

 男性は何かつけてるのか額のベールが変な風に持ち上がっていた。手足にはとくに鱗などは見えず、普通に人族のように見えるが体格はいい。


「氷竜様をあちらのベッドまで運んでちょうだい」

「御意」


 運ぶ? ……おんぶ? 低めの凛々しい声と短い応答は体格と合わせて、あまり研究者らしくはない。


 タローマティと呼ばれた研究者はすっと立ち上がってベールつきの帽子を取った。

 あったのはやや浅黒い肌、東欧系の顔立ちとサラッとした栗色の髪、そして額の左右から伸びる2本の歪んだ角だ。ハンサムだが……だいぶ修羅場を潜ってきたような重々しい存在感を感じ取れた。たくましい肉体も合わせてやはりあまり研究者らしくはない。眷属ではあるだろうけど。何の亜人だ?


 そうして彼は胸に手を当ててくる。

 普通に人間の手の形をしているが結構骨の隆起が激しいごつごつした手で、爪も男にしては過剰に長い。下に着ているのか、首元には鎧の立て襟部分が覗いている。


「白竜直系眷属は竜人族ドラゴニュートのタローマティ・シュレです。お会いできて光栄でございます、氷竜様」


 今度はフルの眷属らしいがドラゴニュートか。ペイジジたちのことが思い返される。


 俺も会えて嬉しいよと返してみると、彼はなぜかじっと俺のことを見ていたが、間もなく会釈してくる。表情にはとくに変化らしい変化はなかった。

 変な初見ではなかったと思うけど……あ、魔力暴走で初見のインパクトは十分だったか。


 そんなことを考えていると、タローマティは「では失礼します」と言って、俺の座っている白い台座に右手をかざした。

 すると、石はゆっくりと浮上していく。乗っている俺とインはそのままに。


「重力魔法?」

「うむ。奴は珍しくも空間魔法の使い手でな。しかもゾフの元にいてもおかしくはないほどの手練れだ」


 おぉ~。それは相当な実力なんだろう。


「時々ゾフの元にやって空間魔法の研鑽を積ませたり、仕事を手伝わせたりはしているのよ。元々貴族だっただけあってゾフ曰く参謀にもなれる逸材らしくてね」

「ほぉ。そうなのか」


 フルとインに目で会釈するタローマティ。貴族だったのか。


 タローマティの情報ウインドウが出てくる。種族名には「魔族・竜人族」とあった。ハーフらしいが魔族も入ってるらしい。角もあるし、俺の中の魔族の外見イメージ的には合わなくもない。人化を解いた姿が気になるところだ。

 年齢は135歳だった。おじいちゃん。外見年齢はシワもないし、ぱっと見普通に20代に見える。まあ、顔だけね。

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