ケプラの貧乏通り

◆ 「9-6 汚名返上の行路 (3) - ダニエル・ジース・ストリート」より


 ――魔法の話をしながら俺たちはアマリンの武具屋の後ろの道を行った。


 別にここで曲がらなくとも、南門まで続いているウルナイ像の十字の道を行っても宝石店には行ける。

 だが、ウルナイ像周りの道は普段から行っている道なので今回は違う道を選んでみたのだった。


 歩道ではボロ布をまとった人が家屋に背中を預けて何人か座り込んでいた。壺が2,3個置かれた荷車を引っ張ってきている帽子をかぶった庶民服の男性が1人こちらに向かってきている。足取りは重い。

 道には一応石畳が敷かれてあるが、あまり整備されていないのか、途切れている箇所がいくつかある。黄色い砂が露出している場所もある。


 街並みに違和感を覚えた。先には木造のものもあるが、垂れ幕やら旗やらは見られず、灰色一辺倒で彩りは一切ない。

 なんというか、活気がない。静かと言えば聞こえはよくなるが……ここには金のにおいは一切しない。高級住宅街の金櫛荘周りの通りとは雲泥の差だ。


 視線を周囲に向ける。


 通りの建物はその辺の道々にあるものととくに変わったところのない石造りの建物だが一回り小さく、小汚いように見える。

 やや薄暗い通りの雰囲気のせいかもしれない。道は少し狭めだ。


 建物の2階や3階部分には紐が建物と建物の間にいくつも繋がり、洗濯物が干されてある。

 メイホーでも見たような光景だ。洗濯物はいたって普通の布の服だが、ボロ切れ同然のものやつぎはぎだらけの衣類もちらほらある。


 分かりやすく寂れた通りだ。

 この通りに入った途端、空気が変わり、人の種類ががらりと変わってしまうかのようだ。


 改めてケプラの地図を開いてみる。

 インが後ろから見ようとしてきたので見えるように手元の高さを落とした。


 通りの左手がネリーミアの魔法道具屋と同じ区画に位置しているが、区画は度数を増やしながら敷地面積を広くしていき……魔法道具屋を過ぎた辺りからは明確に建物に変化がある。

 1棟1棟が小さくなっていっているようだ。石造りで2,3階あるのは他の通りと同じだが、特別飾り気もないし安物件なのだろう。建物にはどれにも名前はとくについていないが、西に道を曲がった場所に少し大きい建物があり、<ペチュニアの泉>という文字。なんだろうな。占いの館とか? 占い師は貧民街にもいる印象だ。


 ともあれこれから行く道の先が貧民街区だということに何の疑いもない。ちなみにこの辺りは<ラジエル小教区>というらしい。

 2Dマップだと北東方面も木造の建物が多い区があるのだが、こっちは貧民街には違いないんだろうが、市場兼田畑のあるエリアだった。ここは宅地で田畑などはとくにない。


「ここを行かれるのですか?」


 地図を見ていたヘルミラが顔を上げ、いくらか当惑した様子を見せてくる。やはり“そういう通り”らしい。


「うーん……一昨日市内を巡った時、この道通ってないから通ろうかなって思ったんだけど……」

「通るだけなら問題ないかと思います。仮に何かあってもご主人様が相手なら誰も敵わないでしょうし」


 そう言って信頼しきった顔で軽く奮起するディアラ。

 何かあるって。俺とインだけならなんとでもなると思うけどさ。


「そんなに頻繁に何かあるの? この通り。確かに寂れてはいるけど」

「どうでしょうか。ご主人様の元へ来る以前は事件などはとくに聞いてはいませんでしたが、やはり貧しい人たちの住む場所なので……」


 まあ、分かるけどね。


 富める者と貧しき者なら間違いなく貧しき者が犯罪に近い。

 文明レベルが低いならなおさらだろう。彼らには悪いけど。社会に与える影響となると話は別なのだが。


「貧民街にはどこの都市でも多かれ少なかれ狼藉者がいますね。窃盗団、詐欺師にやくざ者に、脱獄した犯罪者もこういった場所に身を隠したりしますし」


 と、まるで物怖じしていない調子で解説するディアラ。怖い怖い。


「盗みをする奴がおったら私が叱っておくぞ」


 インなら実際にやりそうだなと思う。


「ま、何かあっても誰もお主に傷一つ負わせることは出来んのは確かだ。ディアラとヘルミラにもな。たとえここに住んでいる誰かが精神系魔法が使えたとしても、……この私もいるしの」


 そう言うなりインは歩き出してしまった。最後は腕輪に目線があった。

 精神系魔法はもう勘弁してほしい。腕輪があるので問題ないと言いたいんだろうけど。


 それに傷をつけるつけないの問題だけじゃないんだよなと思いつつ、俺たちもこの通りの親分よろしくずかずかと進んでいくインに倣い、貧民街区と思しき通りを行く。


 家の壁にある色褪せやひび割れ、雨だれ汚れなどが目に付く。

 一応どこにでもある石造りの建物の運命づけられた古風な風情だが、やはり他の道の建物より小汚い。金がないなら手入れもされないだろうけど、貧乏くさく見えなくもない。


 家の前で座っている浮浪者的な住人の1人から視線をもらう。生気も覇気もない、陰気な視線だ。反対側で話をしていた、こちらはまともな服装のいい歳の女性2人からも視線をもらう。


 ……と、女性の1人がワンピースの裾をペロンとめくった。細い脚がちらりと開示される。娼婦か?

 俺が首を軽く振ると、彼女は地面に投げつけるように裾から手を離し、不機嫌そうに俺から視線を外した。


 歩いているとやがて、この通りで圧倒的に足りないのは賑わいであることに気付かされる。

 予感していたが、「人の生活する快活な息吹」というものがこの通りは圧倒的に少ない。


 商業都市として賑わいを見せているこのケプラ市の界隈では、通行人の多さや四方から聞こえてくる声々をはじめ、露店、看板、飾られた草花、垂れ幕、あるいは鮮やかな色の服を着た人や鎧をまとい盾を持った物々しい兵士、ならず者からやり手に傭兵風から魔道士風まで幅広い層を持つ攻略者たちなどで市井の息吹は示されていた。

 ただ、この通りにはそういった多ジャンル性が少ないし、衣類にせよ建物の飾りにせよ、色の鮮やかさの方も足りないようだ。貧民街らしいといえばらしいところなのだが、貧しさとはこういうものだと突き付けられている気分にもなる。


 何事もなく通りを1/3ほど過ぎたところで、老婆と男性がゆっくりと道にやってきて並んで座った。そうして頭を下げて差し出される両手。

 乞食らしい。彼らの座った場所は絶妙な位置で、俺たちが通るであろう道から近すぎず、遠すぎずといった位置だ。慣れてるんだろう。


 あげてもいいんだが……できればこの通りが終わるくらいの場所がよかったな。


「ダイチ。奴らに金をやってもよいぞ。無論、あげすぎるでないぞ? 奴らは目をつけたら忠実になるがしつこいからの。奴らのためにもならん」


 相変わらず先頭を歩いているインはこちらを半ば振り向きながら、そんななかなか手厳しい台詞を言ってくる。

 どうやら俺があげるのも当然と思っているらしい。まあ、いいか。実際、あげる気持ちが全くなかったわけではない。


 俺は彼らに近づきながら魔法の鞄に手を突っ込み、銅貨2枚と念じた。間もなくやってくる銅貨の感覚。2人の手に銅貨を1枚ずつ置いた。


 老婆が「ありがとうございます。慈悲深き方。赤竜様のご加護がありますように」と震えたような感激のこもった声で言った後、顔をあげてくる。

 老婆はいつ亡くなってもおかしくないほど顔にシワが刻まれていた。和やかな表情をするのに努めているようだが、感謝の気持ちは声ほどにはあまり表現できてはいなかった。


「ありがとうございます。……慈悲深き方」


 隣の男性もまた、遅れて顔を上げたが……頬やアゴに青あざがあってちょっと面食らった。


 彼は痩せているが、アゴを覆うこげ茶色のヒゲが芝生のように茂っていて男らしい風貌だ。

 顔立ちはともかく体つきから喧嘩を好むようにはあまり見えないので彼の身を案じてしまったが、老婆とは違い目には力があった。髪も白髪はほとんどないようだし、30代――俺と同じくらいに見える。老婆の身内か、縁があって一緒に乞食をしているのか。俺も相当変わった道を歩いているが、彼に何があったのだろうと思う。


>称号「乞食に金を恵んだ」を獲得しました。


「お二人にも赤竜様のご加護がありますように」


 とりあえずそう声をかけて、2人の元を離れた。

 男性になにか事件の影を感じてしまったこともあってか、周囲をうかがってしまった。


 俺たちの付近には乞食の2人以外とくに人がいるわけでもなく、害意の気配もない。が、視線はあった。


 乞食の2人を過ぎて少ししたところで、道の脇にいた子供2人が軽く駆けてくる。身なりは色褪せた麻のチュニックとぼろい布帯だけだ。

 反対側からも1人。お金をやったのを見てたのなら来るよな。


 ディアラが2人の方に視線を寄せた。ヘルミラは右手にほんのりとだが魔力が集まり出している。頼もしいけど子供相手に物騒だな……。


「何か用事ないですか??」

「仕事あるならするよ」

「人探しなら任せてくれ!」


 警戒する姉妹とは裏腹に、子供たちの態度や声に攻撃性は皆無だった。歳はインの外見年齢よりも下だろう、小汚い以外は全く普通の子供たちに見える。

 3人から一気に言われたのでまごついていると、「仕事を請け負ってるのか?」とイン。機嫌のいい声だ。


「うん。食べ物かお金くれるならするよ。犯罪と子供に難しすぎることはできないけど」

「俺たちは“クリーンさ”で売ってるからな。人探しなら信頼してくれていいぜ? 俺たちの情報網は貴族どもにも負けねえからな!」


 クリーンさね。年齢の割に饒舌というか。


「ほ~う。偉いのう」


 どうやら3人は組んでいるようだが、そういえばいつか貧民街の子供たちは人探しを請け負ってるってディアラが言ってたっけな。

 お金だけを取られるのではないかと冗談交じりに聞いてみたら、「そんなことしたら俺たちここで生きていけなくなるよ。兵士たちに家族郎党捕まるか下手したら縛り首だぜ」とごく自然の語り口調で返されたものだった。


 兵士たちも仕事だろうけど嫌な話だ。

 兵士っていうのはアレクサンドラも含まれるんだろうかという考えに及ぶ。考えるのはやめた。警察が犯罪者を捕まえなかったらいる意味がない。縛り首はまあ……あれだが。


 それにしても3人とも貧相な身なりだが、さきほどの乞食2人に比べるとずいぶん元気だ。

 この年頃なら当然なんだろうけど、おかげでこの通りに入ってからの陰気な気分もだいぶ晴れそうだ。とはいえ、用事とかは今はとくにない。


「今はとくにないけど、ある時はお願いしようかな」

「分かりました」「りょーかい」


 素直に納得したのでいい子たちだなとか思いつつ去るが、彼らは後ろからついてきた。3人ともだ。

 姉妹は少し警戒を維持している風だ。後ろを取られているからだろう。


 あんまり優しくしない方がいいんだろうか? といっても無害そうだしなぁ……。


 にしても子供が犯罪に使われるわけだと思う。なまじ俺に制圧力があることも要因だが、油断しか生まれてきそうにない。

 人探しとか情報とか言っていたが、見ている限りでは彼らは本当にその程度の仕事しかできないように見えた。持ち物だってカバンの1つもないし、ベルトも紐だ。


 3人を放置してしばらく歩いていると、3人のうち髪が長い少年が俺の横にきた。


「ねえ、お兄さん。この<ダニエル・ジース・ストリート>に何があるか知ってる?」

「<ダニエル・ジース・ストリート>ってこの通りの名前? 人の名前のようだけど」

「うん、そう。昔の人の名前。子供の頃は乞食だったけど、マイアン公爵様の馬丁長になった人の名前だよ」


 おお、マイアン公爵の。結構な成り上がりだ。


「もう少し道を行ったら地面にダニエル・ジースの手形と可愛がってた馬の蹄の跡があるよ」


 手形? 地面ならセメントに手形を残すあれか?

 なぜそんなものをつくったのか訊ねてみると、彼はこの通りが出身で、出世してからも<ラジエル小教区>に寄付をするほど“通り想い”だったとのこと。いい話だ。


「今は別にそうでもないけど、ここはダニエル・ジースが生きてた頃は栄えてたらしいよ」


 ダニエル・ジースは故人らしい。


「ここには何があるんだい?」

「ん。靴の修理屋にフリット屋。袋屋、揚げ豆屋、蝋燭屋、道の掃除屋、染み抜き屋、松明屋、伝言屋、……」


 西門で食べたフリットってここで作ってるのか。揚げ豆ってちょっと美味そうだ。

 しかし結構色々あるな。小規模展開すぎるのも多いけど。


 さきほどから通り過ぎていく石造りの家々には、店らしき家はほとんど見ていない。看板すらもなく、マップにも表示されていないので各業務が相応の規模なのは察していた。

 露店が1つあったが、茣蓙に広げられていたのは草の束や豆、編みカゴなどで貧相なラインナップだった。業態も怪しいものだ。


「木彫刻作ってるとこもあるぜ。うちの家がそうなんだ」


 と、後ろからくせ毛の元気な少年。

 木彫刻か。メイホーで雑貨屋の人が死んだ愛馬を彫ってたのが思い出される。彫刻屋はありそうだ。貧乏な人でも商売にできそうだし。


「うちは……」


 3人目の少女は言い淀んでうつむいてしまった。


「お前の母さん娼婦だろ? いいよなぁ。うちの母ちゃんじゃ客なんてこねえよ」

「……いいことなんてないよ」

「なんで? 金があったら食うに困らないじゃん」


 少女は黙ってしまった。娼婦の母親か……。


 よくよく見れば、彼女の顔立ちは多少整っている風だった。彼女にしてみれば嫌いな顔かもしれないけども。

 わんぱく少年の方は太れば親分呼ばわりが似合いそうな顔をしている。暴力を学ぶ予感もあるし、彫刻を学ばせるなら痩せている今のうちがいいかもしれない。


「娼館もあるよ」


 いつの間にか店を並べるのをやめていた少年がそう告げる。

 この子は3人の中で1番服が汚く、前髪も眉毛を覆ってしまっているほど長い。色々と知っている様子で、利口そうなので、富裕層の投資欲が刺激されそうな子ではある。


 にしても娼館か……。あまり喜ばれない客だろうが、聞きたいことはいくつかある。


「娼館って薬とか化粧品とか売ってたりする?」

「あるよ。行く?」


 お。


「じゃあ案内お願いしようかな」

「曲がり角にあるんだ。歩いていったらそのうち着くよ」


 インが「お主、化粧するのか?」と眉をひそめてくる。

 なんでやねん。……ああ、化粧品でか。


「まさか。ほら、前に油とかで髪を整えるって話をしたでしょ? アバンストさんの髪を例に挙げて」

「言ってたの。髪を整えるのか?」


 インが俺の髪に視線を寄せる。


 洗髪にも石鹸を使っているので転生当初ないし転生前よりごわついているが、俺の髪はその辺の人よりはずっと状態はいい。


 おそらく、転生前の食生活とこの世界の住人の食生活の影響の差が如実に現れてる箇所ではないかと考えてみるが、それでも必要にかられなければ髪はいじらないと思う。

 そう妥協できるほど、みんな髪質は良くも悪くも、いや悪い意味でナチュラル志向だ。女性の方は櫛で梳くのと結ったり巻いたりするだけでも見れる髪になるもんだなと思ったりもする。


「今後パーティに行くこともあるかもしれないし、持っててもいいかなって。娼館なら確実に整髪料は置いてるだろうし」


 実は髪型うんぬんよりも避妊薬の効能と成分の方が気になっているのだが、さすがに言いづらい。

 そういや貧民街にある娼館って色々と大丈夫か? ……まあ、買うだけだし……なんとかなるだろう、うん。娼館がどんなところかもちょっと気になるし……。


 ディアラとヘルミラに髪に艶も出せるようになるかもよ、と言ってみると、ヘルミラは「艶ですか」と照れた風に髪を指先でちょっといじり、ディアラは照れ隠しなのかあまり興味がないのか、後頭部をわさわさと触った。

 今はあまりオシャレに意欲的ではないかもしれないが、使っていればそのうちマストアイテムになるんじゃないだろうか。俺のことはともかく2人の髪が綺麗になるのは喜ばしいことだ。


「――あ、これだよ。ダニエル・ジースの手形」


 ん? 髪の長い少年が軽く駆けていって通りの中央で止まる。地面にはマンホールのような濃い色の丸い石畳がある。

 見てみれば言っていた通り、人間の手と馬の蹄の型があった。下にダニエル・ジースとラニーボイという言葉。ラニーボイは馬の名前だろう。


「こういうのってなんかいいね」

「これがか?」

「うん。故郷愛みたいなものを感じるよ」

「ふうん。ま、俺も嫌いじゃないよ、この手形」


 そうコメントしてくれたわんぱく少年に続いて、「私も嫌いじゃないよ」と少女も控えめだが満足気な表情を見せてくれる。

 この手形の横に別の誰かの手形が追加されるほど微笑ましいエピソードもないが、どうだろうか。その前に誰かがこの通りの名前を改名し、この手形を埋めてしまわないとも限らない。どうであれ、貧乏通りだからな。金持ちのわがままは通りやすい。

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